邂逅
「これじゃ、前座にもならないよ!」
竹刀を肩にかついだ宗次郎はニヤニヤ笑っている。
道場の縁側で中沢琴に顔や着物に付いた泥を拭いてもらいながら、試衛館道場門人、井上源三郎は頭を掻いた。
「面目ない」
中沢良之助は若夫婦のような二人の様子が気に入らないらしく仏頂面を作っている。
「いくら強いとはいえ、相手は子供ですよ。井上さんも不甲斐ない」
「いやあ、面目ない」
井上は、繰り返した。
「しかしあの子の突きは、なんと言うか、普通じゃない」
山南敬介は、顎を擦りながら、しきりに感心している。
「沖田宗次郎は、天才なんです」
少年は、山南の言葉が聞こえたらしく、自らその才能を評した。
「でも、井上様もお強かったです。あの初太刀を切っ先で弾かれたのには驚きました」
琴が、井上をかばった。
沖田宗次郎は、少し首を傾げて、琴を見た。
「…ふうん」
「しかし、これじゃあ間が持たない。島崎殿はまだですか?」
良之助が道場の方を振り返る。
山南は、何かいい事を思いついたという風に手を打った。
「どうです。お琴さん。沖田くんと一度手を合わせて見ては」
「え?」
琴は意外な表情で山南を見返した。
「毎日熱心に稽古されていても、素振りばかりじゃ、腕が訛りますよ」
「無茶ですよ!今の見てたでしょう?」
「そうです。いくら剣術の嗜みがあっても、女性には荷が勝ち過ぎる。宗次郎は手加減てものを知らんのです」
良之助と井上が慌てて割って入った。
「一言多い」
宗次郎が井上達に背を向けたままつぶやいた。
山南は、琴の顔をじっと見つめている。
琴は、山南が冗談を言っているのではない事を悟って、戸惑った。
彼には、何か意図があるようだった。
「駄目だ、駄目だ!」
宗次郎が山南にツカツカと歩み寄って怒鳴った。
「私とやりたいんなら、先ずはこの源さんを倒さないと」
袴の埃をはたいていた井上が、驚いて顔を上げた。
「ええっ!?」
その時、道場の方から、甲高い声が響いた。
「山南さん、お待たせしました」
一同が振り向くと、如何にも武骨な面構えの青年が、手を上げている。
隣には中肉中背で馬面の男を従えていた。
「おお、やっと来た。島崎勝太先生と、沖田林太郎さんです」
井上がほっとした様子で、二人を紹介した。
「すみません。この沖田さんが、突然厄介ごとを持ち込んできまして」
島崎勝太は、屈託のない笑みを浮かべて頭を下げた。
「そりゃあないでしょう」
隣に立つ沖田林太郎は、さも心外そうに口を尖らせた。
「山南敬介と申します。お忙しいところかたじけない。こちらは同門の中沢良之助君、姉君のお琴さんです」
山南は常と変わらぬ口調で島崎勝太に返礼する。姉弟も、山南の紹介に合わせて会釈した。
島崎は琴の存在に少し怪訝な面持ちをしたが、さほど気にする風もなく、
「恐れ入るのはこっちです。せっかく訪ねていただいた方々を無作法にも外でお待たせするとは。それもご婦人まで」
と改めて謝った。
「でもさ、退屈はさせなかったぜ?」
「お前は、黙ってろ」
沖田林太郎が、口の減らない義理の弟を叱りつけた。
「ま、こんな調子なんで、口さがない連中からは田舎剣法と揶揄される始末です。ですから、名門玄武館の俊英と手合わせ出来るなんて、そうある機会じゃない」
「いえ、あの立ち合いを見た後で、なお田舎剣法などと陰口を叩く輩は、何も見えていないのと同じです」
島崎と山南は、互いを牽制し合う様に、視線を交錯させた。
中沢良之助は、二人を交互に眺めながら、それぞれの実力を慮って秤にかけていた。
「ちっ、いいとこだったのに…」
宗次郎がつまらなさそうに地面を蹴って、島崎に竹刀を投げつけた。
「さあさ、あがって下さい!」
島崎は、飛んできた竹刀の中ほどを掴んで、器用にクルリと一回転させながら柄に持ち替えると、道場にずかずかと入って行く。
「皆すまんが、お客人が来たんで、ちっと道場を借りるぜ?」
稽古をしていた門人たちが、それぞれ動きを止めた。
「井上さん」
山南に声をかけられた井上は、差し出された手に気づいて、竹刀を手渡した。
山南の怜悧な横顔には、静かな殺気が漂っている。
それは、良之助との立合いでは見せたことのない表情だった。




