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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
51/76

来客

「あっ!おまえは!」

少年は、目の前の男を見上げると、まなじりを決してそう叫んだ。


同日、昼の七つどきの頃。

場所は再び麹町こうじまち神道無念流しんとうむねんりゅう杉山道場の門前もんぜんである。


少年はそれから一呼吸ひとこきゅう置いて口をつぐみ、首をかしげた。


「…あれ?誰だっけ?」

さほど背は高くないが、がっしりとした体格のその男に、少年は確かに見覚えがあった。

しかし何処で会ったのか思い出せない。

壮年そうねんに差し掛かろうかと言うその男は、優しい笑顔を浮かべて立っている。


「君は、この道場の子かい?」

数えで十くらいの少年は、ムッとして男を見返した。

「子供扱いすんな。拙者、杉山道場の門人もんじん、藤堂平助だ!」


道場主、杉山東七郎は志筑しづき藩の剣術師範けんじゅつしはんも務めた剣豪けんごうだ。

それは滑稽こっけいな子供らしい虚勢きょせいとも採れたが、綺麗きれいな折り目のついたはかまが、この少年の社会的な階級を、雄弁ゆうべんに物語っている。


「これは失礼。私、三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)と申します。鈴木先生はご在宅ですか」

男は言葉使いを改めてたずねた。


「あっ!」

前屈みになった男の、肩から首筋にかけて隆起した筋肉を見て、平助は思い出したと言う顔をした。

目の前にいるのは八幡宮の境内けいだいで、「日本一の力持ち」と銘打った見世物みせもの興行を見たときの主役だ。

60貫もある巨石を軽々と持ち上げる芸を目の当たりにした平助は、子供心に大変な感銘を受けた。

思わず羨望の表情を浮かべそうになるのを必死で堪えるように、彼は口元を引き結んだ。

「どの鈴木だ?」

目には、「ここからは一歩も通さない」という、やっかいな決意をにじませている。

「では、師範代しはんだいの先生方は、どなたかおいでか」

「先生方は、九段坂上くだんざかうえ練兵館れんぺいかんにお出掛けで留守るすだ。今いらっしゃるのは、若先生だけだ!なんだ、おまえは道場破どうじょうやぶりか?」

平助は、あの怪力を思い出して、警戒けいかいしていた。


「そんな、物騒ぶっそうな要件ではござらん。弱ったなあ。何とかその若先生に取り次いでもらえまいか」


その時、道場の玄関から、鈴木大蔵すずきおおくらが顔を出した。

「なんだ、騒々(そうぞう)しい。お客人か?」


「若先生!」

平助は、大蔵おおくらを振り返って居住まいを正した。

「若先生はやめろと言ってるだろう。それではまるで道場の跡取あととりみたいに聞こえる」

大蔵おおくらは、表情をくもらせた。

それだけで、うれいを含んだ美女のおもむきがある。

「…あいにく道場主は只今不在だが、どういったご用向きか」

しかし、平助から来客に視線を移した途端とたん、その声音こわねは親しみを帯びたものに変わった。

「おお、卯之助さんか」


「鈴木様!」

卯之助は、洲崎の茶屋で初めて会った時のようにぺこりと頭を下げた。

「先日は誠にありがとうございました。例の茶屋で鈴木様がこちらの師範代しはんだいを務めていらっしゃるとうかがい、不躾ぶしつけながら訪ねて参りました」

「なに、師範代しはんだいと言えば聞こえは良いが、食い詰め浪人の居候いそうろうです。それより、こいつがとんだご無礼を。よくいらっしゃいました。どうぞ上がってください」

大蔵おおくらは、平助の総髪そうはつに結った頭をわしづかみして、乱暴にクシャクシャなでながら、卯之助を道場の奥へ誘った。


「せんせえ、昼から稽古けいこをつけてくれるって言ったじゃないか!」

平助は不服そうにうなった。

「後だ。薬缶やかんにまだ湯が残っているだろ。お客様にお茶をお出ししろ」

「えー!?」

卯之助は平助の不興ふきょうを買ったことを気に掛ける様子で、小さく手を振った。

「いや、今日は、茶屋の修繕費を立て替えて頂いた分をお返しに上がっただけです。すぐおいとまします」


大蔵おおくらは、少し驚いた顔で卯之助に座布団ざぶとんを勧めると、自身も胡座あぐらをかいて身を乗り出した。

「失礼ながら、よく一両三分もの金をそんなすぐに用立てられましたな。随分ずいぶんと無理をなさったのでは」

実のところ、大蔵おおくらが立て替えた金の大部分も、小亀のふところから出たものだった。


「先生、この人は深川八幡ふかがわはちまんでやってる見世物みせもの花形はながたなんだ。お大尽だいじんさ」

おぼつかない足取りで、出涸でがらしの茶を運んできた平助が、口をはさんだ。


「そうだった。私も『日本一の力持ち三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)』のうわさは聞き及んでいます。連日大変なにぎわいとか」

「はは。そんなことはありませんが、昨日まとまった金が入りましたので、お気遣いなく」

大事そうに服紗ふくさに包んだ金子きんすを取り出しながら、卯之助は照れたような笑みを浮かべている。


「どうぞお納めください」

大蔵おおくらは「確かに」と金を受け取ると、改めて卯之助をしげしげながめた。


「しかし、どういった経緯いきさつで、あなたのように大人おとなしい方があんな事をなさったのです」

卯之助は、人懐ひとなつっこい顔に困惑こんわくした笑顔を浮かべていたが、それには答えず、

「実は私も、お会いする以前から先生のご高名こうめいは存じ上げておりました。大層文武たいそうぶんぶひいでたお方だと。何でも長らく水戸へ遊学されておったとか」

と切り出した。

「どこでそんな話を?」

弘道館こうどうかん海保帆平かいほはんぺい先生からでございます」

「ほう、海保先生と面識めんしきがお有りですか。しかしはて、私自身郷校(きょうこう)でお会いしたことはありますが、さほど懇意こんいにさせて頂いた記憶はありませんね」

「海保先生は、よく覚えておいでです。鈴木大蔵すずきおおくら殿は、憂国ゆうこくの士だと」

卯之助はどこか取りつくろうように応えた。


「どうにも面映おもはゆい。卯之助さん、何やら雲行くもゆきが怪しくなってきた気がするが、わざわざ来られたのは、何か他に話があるからではないですか」

他意たいはございません。ただ、あの日のいさかいを説明するのは少し事情が複雑でして」

「ほう」

「これは鈴木様だからお話しますが、私、ある旗本はたもとの御家臣から御下命ごかめいを受け働いております」

「それはまた。失礼だが、士分でもない貴方あなたが何故そんな仕事をなさっているのです」

大蔵おおくらは涼しげな目をすがめた。

自慢じまんするわけじゃありませんが、私、過日かじつ上様うえさま御前ごぜんで芸を披露ひろうしたことがございまして。その折に、興業を差配さはいしたという件のご家臣が、後日わざわざ小屋を訪ねて来られ、私の怪力を大層気に入ったとおめ頂きました。以来、見世物みせもの生業なりわいとする建前たてまえを生かして、巡業じゅんぎょうで日本全国を周りながら、隠密おんみつの仕事に手を貸しておるのです」

「そんなことを話して、大丈夫なのですか?」

「ですから。鈴木様には、ここだけの話ということにして頂きたいのです。あの日、待合茶屋まちあいちゃやの裏で話しておりました浪人は、例の黒船に乗る夷狄いてきどもを駆逐くちくするための資金集めに従事していた人間です」

「どうも話がきな臭くなって来ましたね」

彼奴きゃつめは、その金を着服ちゃくふくしようとしていたのです」

「あなたは、その金を取り戻すために、あの男とやりあった訳ですか」

「へえ」


大蔵おおくらはしばらく目を閉じてなにごとか考える風だったが、やがて卯之助にもうひとつ質問した。

「事情はわかりました。しかし何故、馬鹿正直ばかしょうじきにそんな話を私に打ち明けたのです」

「もちろん、普通なら、こんな申し開きはいたしません。えてお話したのは、鈴木様を見込んでのことでございます」

卯之助はそう言うと、ふところに手を突っ込み、折り畳んだ手紙を取り出した。


「これをご覧になったことは?」

卯之助が手にしていたのは、またしてもあの「白旗書簡しろはたしょかん」だった。


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