通牒
「これは!」
中沢良之助は、書簡から目を上げて二人を見た。
文面は明らかに外国勢力からの脅迫だった。
清河は頷いて、先を促した。
「貴国も、国法とやらを大義名分に、応戦すれば宜しい。もとより、この勝負の帰結は明白であるから、和睦を乞うのであれば、書簡に添えて送った白旗を掲げよ。さすれば、砲撃を止めて、戦艦を引き揚げ、改めて話し合いの席に着こう」
書簡には、おおよそそういったことが慇懃な調子でしたためられていた。
まさに国辱ものの通牒だ。
「これが、件の国書とやらですか。破廉恥にもほどがある」
「いや、これは使節マシュー・ペリーの手による私信とされている」
千葉が重々しい口調で答える。
「どういうことです?」
「わからん。そういった触れ込みで、この文書が流布されていると言うことだ」
「つまり、贋作ですか」
「この際、この書簡の真贋はさしたる問題ではない。むしろこうした物が出自も不明確なまま、巷に氾濫していることが憂慮されるべきなのだ」
「しかし、何故わたしがここに座らされて、こんなものを読まされているのかが解せません」
良之助は困惑したように言った。
「実は昨日、千葉先生は、さるやんごとなきお方の訪問を受けた」
清河が話を引き継いだ。
「やんごとなき?なんです?」
「本人がそう言ったんだとさ。そいつは身分を明かさなかった。なんでも九条家と縁故の者で、ある幕府の重鎮から、この書簡に関する調査を依頼されたそうだ」
「はあ…」
良之助は、この話が最終的にどう自分と結びつくのか想像もつかず、心もとない返事をした。
「近頃、攘夷なんて言葉を耳にするだろう。つまり、幕府はこんなもんが出回ることで、血の気の多い連中が勇み足をするんじゃないかってことを懸念してる訳さ。ま、肝心の幕閣とやらが、一枚岩なのかも怪しいもんだが」
清河が冷笑的な口調で言った。
「しかし、それが千葉先生とどう関係するんです?」
「そこさ。どうやらこの怪文書の出所が、この玄武館じゃないかって話なんだ」
「そんな、まさか…」
「知ってのとおり、北辰一刀流は、この江戸でも最大の勢力を誇っている。わが流派の看板を掲げた町道場は、今や市中のそこかしこに見かけるからな」
清河は自分もその一人だと言いたげだ。
「どうやら、それらの町道場を中心に、流言飛語が飛び交っているらしいというのだ」
千葉周作が、沈痛な面持ちで語った。
「正直、今となっては、私もいったい何名の門人を抱えているのか、正確には把握しておらん。昨今は他流試合や出稽古も盛んで、彼らが銘々各地の道場を行き来することによって、この文書が伝播しているというのも、ありそうな話だ」
「それが本当なら、由々しき事態ですね。しかし根拠もあやふやだし、言い掛かりと言えなくもない」
「確かに。もっとも、疑われる下地はあるのだ。我々は、対外政策に強硬論を唱える水戸藩との繋がりも深い。門下にはメリケンに対して、天誅を叫ぶ跳ねっ返りが多いのも、また事実だ」
「ではこの玄武館の中に、その中心人物がいるということですか」
「それもわからん。仮に濡れ衣だとしても、我々が自ら、あらぬ疑いを晴らさねばなるまい」
千葉は心中を明かすと、チラと清河に目配せして、話を引き継いだ。
「そんな訳で、わたしが先生からその大役を仰せつかったんだがね。中沢君」
「はあ…」
「何人か怪しいのに目星はつけてるんだが、とても私一人じゃあ手が回らん」
「なるほど、そういうことですか」
「察しがいいな。心苦しいが、現時点では仲間の全てを疑ってかからねばならない。シロと断定できるのは中沢君、入門したばかりの君だけという訳だ」
「ことの次第は分かりました。しかし断っておきますが、メリケンに与する気は毛頭ありませんよ。まあ、先生のお立場を守るためということであれば、協力しましょう」




