憧憬
近江屋三八は、抜け目のない眼つきで、ためつすがめつ琴の周りを一周した。
「ちょこっと線は細いが、お嬢ちゃん、様子はいいし、きっとお店でも可愛がって貰えるよ」
今まで、この近江屋がそのお店の主だと思っていた琴は、先の言葉を訝しんだが口にはしなかった。
大蔵が旅立ってから三日と置かずに、このいかがわしい老人がまた現れた時、母の顔から血の気が引くのを見て、琴はこの取引の意味を半ば理解していた。
本当の事情を知っているのは、伯母と、母だけのようだった。
門前に立った近江屋三八の後ろには、琴の予感を裏付けるように、自分と同じか、少し年下の少女が一人、佇んでいた。
伯母がクドクドと耳元で因果を含める声も、琴の頭には入ってこなかった。
その時琴の脳裏には、数年前、父や大蔵と筑波山神社に参った帰り道の情景があった。
「志津~、志津~!」
男に手を引かれる少女と、それを追いすがって少女の名前を叫ぶ女。
少女は、大蔵が通う村塾の学友の妹だった。
少女に駆け寄ろうとする大蔵を、父の大きな手が遮った-
「母上、泣かないで。大丈夫だから」
琴はそう言って、訳もわからずオロオロする弟多聞の頭を数回撫でた。