愛妾
上弦の月が輝いている。
海が近いせいか、笹川村は水戸よりもいくらか涼しかった。
町の中心部を抜け、利根川の支流、黒部川に近付くにつれ、人家や商店はまばらになり、やがて田園風景に代わる。
広がる青い稲穂には、小さな林が散在し、そこには無数の蛍が淡い光を放ちながら漂っていた。
賭場を出た笹川繁蔵は、常という若衆と、下村、平間を従え、風情を愉しむ様に歩いていた。
木村嗣次は、月明かりの下に落ちる繁蔵の影を、後ろからじっと見つめている。
「あの賭場では…」
若衆の常と並んで、繁蔵の前を歩いていた平間は、若衆の顔を見て何か話しかけようとしたが、自分の声が震えているのに気付いて、口をつぐんだ。
常は怪訝な顔をしている。
「平間先生」
突然、繁蔵のダミ声で呼ばれた平間は、ぎくりとして立ち止まった。
「そっちじゃねえ」
繁蔵は、ビヤク橋へ向かう道を外れた。
「ああ、すまん」
平間は緊張を気取られないよう、慎重に返事をした。
妾宅へ向かうには、かならず橋を通るはずだった。
繁蔵の後について歩きながら、平間は「どういうことだ?」と嗣次に目配せした。
嗣次は、険しい顔で目を細めている。
繁蔵は、とある農家の前に立ち止まると
「兄の家だ。ちょっと寄ってきます」
と、中に入っていった。
「気付かれたかも知れん」
平間は、若衆に聞こえないよう囁いた。
「んなわけあるかよ」
しかし、嗣次が同じことを懸念しているのは、その表情から明らかだった。
「待たせたね」
繁蔵は、四半時もしない内に出てくると、
「わっしはここからちょっと、女の家に寄ってくんで、先生方は、先に帰ってくだせえ」
と告げた。
「そういう訳にはいかんだろ」
嗣次と繁蔵の間で暫く押し問答があったが、最後は繁蔵が折れた。
「しょうがねえな。じゃ、ついて来なよ」
愛妾の待つ家へ、繁蔵は“先”に立って歩き始めた。
嗣次は小さく舌打ちした。




