女衒
品川楼から一丁ほど行った、人影のない路地に中沢孫右衛門は立っていた。
近江屋三八が、どこからか堂々たる体躯の栗毛馬を引いて来た。
先ほどの酒が残っているのか、上機嫌だ。
「折り紙つきの駿馬ですよ。こいつなら、笹川一家のある海上郡まであっという間だ」
「こんな立派な馬をどこから連れてきた」
中沢は、三八の薄汚いなりとあまりに不似合いな、この馬の出自を訝しんだ。
「旦那は、つくづく用心深いねえ」
「この馬から足がつくとも限らん」
「実はね、この馬には面白い謂れがありまして、これがまた落語みたいな話なんですが」
酔った三八は、いつも以上に饒舌になっていた。
「幸町にある郡山藩上屋敷の馬番役が、洲崎の花魁に入れあげちまいましてね。その花魁を身請けするのに、あっちこっちから金を借りたが、まだ足りない。で、とうとうお殿さんの馬を、勝手に形に入れようとしたんですな。ところがそんな剣呑な馬を引き取ろうなんて奴は何処にもいない。で、その馬番が最後に行き着いたのが…」
「その話はいつまで続くんだ」
業を煮やした中沢が三八を睨んだ。
「そうそう、急ぐんだったね。ともかく、この馬は、あたしがちゃんと金を払って譲り受けたもんです。何も咎め立てされる筋合いはありませんから、ご安心を」
中沢に手綱を渡しながら、三八は卑屈に笑った。
「出所が確かなら、それでいい。あとで飯岡に引き取りに来い」
「それで旦那、あとあと気になると思うんで、この話の落ちなんですが…」
近江屋三八はそう言うと、人差し指を口の前に立てて後ずさった。
そして、老人とは思えない俊敏さで、物陰にいた少女の襟首をつかんで引き摺り出した。
「あんたか」
女衒は鈴木琴の顔をみて、困ったように言った。
「ねえ旦那。聞かれちまったみたいだが、どうする?」
問われた中沢も、まだ幼いその少女を見て、返答に詰まった。




