巨魁
「下村さまと、平間さま。だっけえか」
四十がらみのダミ声の男が、のそりと立ち上がった。
「水戸くんだりから、すまねえなあ。こいつ等、なんでもかんでも大事にしちまいやがる」
笹川繁蔵は自分が吸っていたキセルの煙にむせたか、しわぶきながら、隣に立つ勢力富五郎の胸板を小突いた。
繁蔵は富五郎に劣らぬ巨漢で、少し細身だが、その分引き締まって頑強そうな体格をしている。
二人が並んだ様はまさに壮観だった。
かなり上背のある嗣次が小柄に見えるほどだ。
「こいつとは、わっしが昔、江戸の相撲部屋にいた頃からの付き合いで。何くれと無く世話を焼いてくれるのはいいが、ちいと気を回し過ぎる」
笹川村近隣一帯を取り仕切る一家に相応しい、広々とした玄関で、嗣次と平間は会釈した。
「お初にお目にかかる。拙者、水戸藩上席郷士、下村嗣次と申す」
「同じく、水戸藩郷士、平間重助と申す」
繁蔵の押出しに気圧されたか、嗣次は多少の箔付けに本家の身分を名乗った。
「まあまあ先生方、上がってくれ。かたい挨拶は抜きにしよう。折角来て頂いたんだから、一席設けたいところだが、あいにく今晩は先約があってな」
繁蔵はそう言って、嗣次の肩に手を回すと、低い声で囁いた。
「時に下村先生。最前から気になってたんだが、ずいぶん立派なものをお腰に差していらっしゃる」
嗣次は煙草臭い息に眉をひそめた。
「長いばかりの数打ちだ。俺はタッパがあるんで、これっくらいはないとね」
「しかし、その鞘のこしらえは、随分変わってる。何か謂れのある大業物かと思ったがね」
「買いかぶりさ」
「どうだろう、先生。見ての通り、わっしも図体ばかりでかくて持て余してるんだが、ちょっとそいつを抜かしてくれねえだろうか」
繁蔵が肩に置いた手は、軽く添えられただけに見えたが、まるで鷲の爪が獲物に食い込むように嗣次を離れなかった。
いつの間にか、嗣次の額には汗がにじんでいた。
「かまわねえが」
嗣次は、その手を振りほどくようにして繁蔵から身体を引き離すと、繁蔵に刀を差し出した。
繁蔵は、ジッと嗣次の目をみたまま、突き出された刀の鞘を握った。
嗣次の手に、その力が伝わってきた。
鞘から手を離そうとしたが、意思に反して握った掌は開かない。
「下村さん」
平間の一言で、嗣次はまるで魔法が解けたように手を離した。
笹川繁蔵は、件の装飾をひとしきり吟味していた。
やがて、二尺八寸もある刀を居合の要領で抜き放ち、刃先を上にして行灯の明かりにかざした。
「こいつでスパッとやられたら、斬られたことすら気付かないかもしれん」
刀身は嗣次の首筋の脇に延びている。
数え切れない修羅場をくぐって来たであろう男の眼は喜色を帯びていた。
嗣次はやっとの思いで笑い返すと、刀の棟を摘まんで傍らへ寄せた。
「銘があろうが無かろうが、こいつは極上物だ。まるで、性悪の太夫みたいな艶があると思わねえかい。先生。」
「親分さん。悪いが俺はそういった風流を解さねえ。刀なんてのは、つまるところただの鋼さ」
笹川繁蔵は口をへの字に曲げて、少しおどけた表情を見せると、みごとな手つきで刀を返して、鞘に収めた。
「しかし残念ながら、わっしら長ドスの流儀じゃ、こいつぁ扱えねえ」
その男は、文字通り巨魁だった。




