裏社会
「なんの話をしてるんだろ?」
先ほどからずっと、茶屋の少し離れた席で下村たちの様子を窺っていた大蔵が言った。
「またなんか、ややこしそうなのが増えたぞ。後から来た二人、ありゃどう見ても堅気じゃないよ」
繁之介は、随分前から袴の股立ちを取っていた。
二人は、下村嗣次に掛け合う機会を逸し続け、とうとう府中までついて来てしまった。
「ごめん。わたしがもっと早く踏ん切りをつければ良かったんだ」
「仕方ないさ」
繁之介はここまでの道中を想って嘆息した。
長岡の宿場まで来たとき、とうとう歩くのが面倒になったものか、下村嗣次が駕籠屋に脚を向けたのには二人も慌てふためき、意を決して近づいて行ったのだ。
しかし、値交渉をしていた下村嗣次が、腹を立てて雲助を殴りつけるのを見てしまい、またもや気勢を削がれた。
もっともこの時は、商談が決裂したおかげで、二人は徒歩で追跡を続けることができた。
小幡宿と片倉宿の間では、向こうから歩いてきた商家の荷駄に、引き返して次の宿場まで乗せていけと絡んで、断られると馬の額を例の鉄扇で打ち据えて卒倒させてしまった。
今日の下村は何時にも増して剣呑な存在だった。
「まったくあいつ、ろくな死に方をしないぞ」
「でも、あのやたら大きな男が来てから、少し機嫌が良くなってきたように見える」
「お前、あそこに割って入れるのか」
大蔵は、頬杖をついて物騒な笑みを浮かべる嗣次を見て、うつむいた。
「やっぱり君だけでも引き返せ。」
「これまでの経緯を考えりゃ、なんとしても先を取りたいところだが、奴らはすでに繁蔵親分を付け狙ってやがる」
水戸街道を外れ、人影もまばらな間道に入ると、勢力富五郎は再び話し始めた。
「じゃあよ、俺たちゃ何をすればいい」
焦れたように嗣次が聞いた。
「おめぇ達には、しばらくの間親分の傍に付いててもらいてえ。あの人は、俺たちがどんなに言い聞かせても、賭場や女のところに行くのを止めねえ」
「ずいぶん長逗留になりそうだな」
平間重助が口を挟んだ。
嗣次は、それ以上言うなと平間を眼で制した。
「任しときなよ。口を利いてくれた八州さんの顔はつぶさねえ」
先を行く富五郎や佐吉と少し距離をとると、平間は嗣次に小声で話しかけた。
「どうも下村さんには、何か別に含むところがあるような気がするんですが」
「中途半端に勘のいい奴は長生きしねえぞ」
嗣次は相変わらすニヤニヤしている。
「どういう成り行きで、あんないかがわしい連中と関ったんです」
平間は嗣次をたしなめるような口調で言った。
「聞きてえか?それが面白えんだ。あいつ等、笹川をおん出されて散り散りになった後、勘定奉行関東取締役、平たく言やぁ八州廻りってやつに、お尋ね者としてさんざ追い回されてやがったのさ。ところがその八州廻りん中に桑山って悪い奴がいてよ、賂を取って水戸領にヤクザ者を逃がしてたんだ。御三家の水戸藩にはさすがの八州さんも手を出せないからよ。その時、水戸側の世話役をやってたのが、俺だったのさ」
「いがみ合ってるヤクザ者がどっちも役人のひも付きとは。世も末だな」
平間は腕組みをして言った。
「そうよ、重助。胸くそ悪い話だが、そうあればこそ、俺たちがつけいる隙もあるってもんだぜ」
嗣次は自分のことを棚に上げて笑った。
「どういうことです?」
平間はうんざりした顔でたずねた。
「今に世の中ひっくり返って、俺やお前にも名を上げる機会が廻って来るってことさ。近い将来、必ずな」




