秘密
同日の朝まだき。
鈴木大蔵は、道場の奥にある大部屋を抜け出すと、洗い場にある井戸で顔を洗った。
そして、手早く身支度を整えると、下村嗣次にもらった刀を携えて、まだ静まり返っている道場の門を出た。
「どこに行くつもりだ?」
突然後ろから声がして、大蔵は跳び上がるほど驚いた。
「繁之助!なぜこんなとこにいる」
ほうきを手にした森山繁之介は不審気な顔で答えた。
「なぜって、俺は毎朝、この時間に来て道場を掃除している」
「殊勝な心掛けだな。ちょっと出かけてくる」
大蔵の声は少し上ずっている。
「何処に?金子先生には言ったのか」
「起こすと悪いからさ」
大蔵は、話を早々に切り上げたいらしい。
繁之助は、箒を土塀に立てかけながら、大蔵を睨んだ。
「下村のところか」
大蔵は黙った。
「昨日の帰りから様子が変だと思ってた」
「やっぱり、あの刀は返してもう」
「なぜ」
大蔵は溜息をつくと、諦めの表情をみせた。
どうやら繁之助を納得させないことには、この場を切り抜けられないらしい。
「下村嗣次は…
大蔵は、そこまで言うと少し考えるように間をおいた。
それから、思い切ったように話し始めた。
「…あの男は、酔った勢いとはいえ、善かれと思ってこの刀をくれたのかもしれん。たしかに、この『三郎兼氏』は、業物かもしれない。でも、わたしには、どうしてもあの刀を返してもらわなきゃならない理由がある」
それは繁之助にとって、十分な説明とは言えなかったが、彼もこれ以上大蔵を問い詰めたところで埒が開かないと考えを改めた。
「お前の決心が固いのはわかったけど、虫の居所が悪きゃ、半殺しの目にあうぞ」
「かまわない。とにかく話してみるよ」
「…わかった」
繁之助は渋々頷いた。
「じゃあ、金子先生に、昼には戻るとお伝えしてくれないか」
大蔵は、やっと笑顔をみせた。
「そりゃあ、無理だよ。俺も一緒に行く」
そう言って、繁之助も微笑んだ。




