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3.引用RTでは救えない

 勝って兜の緒を締める、という言葉がございますでしょう。


 あれ、締める側がわたくしである場合、たぶん半分くらいしか機能しませんのね。


 王立星冠学園の書庫は、昼を過ぎると静かな青に沈む。高窓から差し込む光は細い帯になって床を走り、古い革表紙の列をひやりと照らしていた。紙とインクの匂いに、磨かれた木棚の甘い香りが混ざる。いかにも知性の城、という空間で、わたくしは大机の上へ肘をつき、ものすごく賢そうな顔でスマホを見ていた。


 賢そうな顔で、である。

 中身が伴っているかは、今は問わないでいただきたい。


「お嬢、その座り方だと賢そうというより悪だくみです」

 机の端でメモを取っていたペトラが、じとっとした目を向けてくる。

「悪だくみではありませんわ。作戦会議ですの」

「その違い、たぶん外から見たら誤差ですよ」

「外から見て誤解されることには慣れておりますわ」

「いばる話では?」


 その向かいで、シオンがぱたんと分厚い規則集を閉じた。

「いばらないでください。あと、書庫で騒がない」

「今いちばん声が冷たいのはあなたですわよ」

「静かに冷たいのと騒がしいのでは罪が違います」

「理屈で刺してきますわね……」


 昨夜から今朝にかけて、フォロワーはさらに増えた。しかも増えただけではない。返信の質が明らかに変わっている。面白半分の見物より、事実確認と助言が先に来る。おかげでわたくしはすっかり、気持ちよくなっていた。


 いけない。

 これはいけない流れだ、と頭の隅ではわかっている。

 わかっているのに、人は簡単に「自分はいま乗っている」と勘違いする。昨日、ルナを助けて、盗難疑惑もひっくり返して、しかも向こう側には助言してくれる人たちまでいる。こんなの、調子に乗るなというほうが酷ではなくて?


 とはいえ、現実は現実だ。

 机の中央には、学園から届いた薄青の封書が置かれている。王家の星印が押された、いやな予感しかしないやつだ。


「読み上げますわよ」

「もう三回聞きました」

「四回目で理解が深まることもありますの」

「その理屈で人は同じ失敗を繰り返します」

「やめてくださいまし、なんだか未来予言みたいです」


 封を切り、咳払いする。


「ローゼンティア公爵令嬢ヴィオレッタ・ローゼンティア殿。近時、学園内秩序の乱れに関し、貴殿の言動へ複数の懸念が寄せられている。ついては本日放課後、予備聴取を行う――」

 そこで紙を机へ置き、わたくしは顎を上げた。

「来ましたわね」

「来ましたね」

 ペトラは即答した。

「顔が嬉しそうですけど」

「戦う前の武者震いですわ」

「絶対ちがいます。ちょっとイベント楽しんでます」

「だって、ほら、いよいよ本格的になってまいりましたもの」

「それを楽しめるの、だいぶ強いか、だいぶおかしいかのどっちかです」

「前者ですわね」

「後者寄りです」


 シオンは額へ手を当てた。

「喜ぶのは自由ですが、確認します。予備聴取は裁判ではありません。だからこそ、曖昧な言い回しや空気で押し切られる危険がある。あなたが勝手に熱くなれば、その場で自滅します」

「自滅なんていたしませんわ」

「本当に?」

「たぶん」

「不安しかない」


 むっとして、わたくしはスマホを持ち上げた。通知欄には、今日の予定を伝えた投稿へさっそく返信が来ている。


 予備聴取が来ましたわ。こういう場、何を優先すべきですの?


 @法務カピバラ

 書面。日時。誰が聞き取り、誰が保管したか。


 @理系の竜

 その場の空気より、記録の出どころ。


 @考察班長

 がんばれ! でもノリでしゃべるな!


「……最後の人、わたくしを何だと思ってますの」

「その認識が一番正しい気がします」

 ペトラは即座に言った。


 わたくしはむすっとしながらも、返信の内容を机の紙へ写した。書面。日時。聞き取り者。保管者。なるほど、筋は通っている。

 けれど、頭のもう半分では、別のことを考えていた。


(とはいえ、だいたいわかりますのよね)


 そう。

 わたくしには原作の断片知識がある。

 完全ではない。穴だらけだ。そこは認める。けれど「悪役令嬢が断罪される前に、学園内で小さな嫌がらせが積み上がる」という流れくらいは見聞きしてきた。だったら、今日の聴取で出てくる話も、ある程度は読めるはずだ。


「おそらくですけれど」

 わたくしは指を立てた。

「今日持ち出されるのは、茶会での嫌がらせ、ルナさんへの侮辱、あとは階段でぶつかったとか、ドレスを汚したとか、そのあたりの定番ですわ」

「定番?」

 シオンの眉が上がる。

「ええ。悪役令嬢のやることなんて相場が決まっておりますもの」

「それ、あなた自身を何だと思ってるんです?」

 ペトラのツッコミが鋭い。

「話をわかりやすくしてるだけですわよ。つまり、相手は感情に訴える小口の証言を並べてくる。ならこちらは、一つひとつ潰せばよろしくてよ」

「ずいぶん自信がありますね」

 シオンが冷ややかに言う。

「ありますわ。昨日までのわたくしではなくてよ」

「その自信の根拠は」

「経験と勘ですの」

「勘」

「あと少々の知識」

「少々」

「そこを繰り返さないでくださる?」


 シオンは規則集をもう一度開いた。

「忠告します。出ていない話を先読みして決め打ちしないこと。聴取は相手の土俵でもある。予想が当たれば楽ですが、外したときに一番痛いのは、あなたの信用です」

「そんなに外しませんわよ」

「そう願います」

 願う、という単語に、ほんの少しだけ優しさが混ざった気がした。気のせいかもしれない。でも気のせいでも、今日のわたくしには少し効く。


 ペトラが紙束をまとめながら言う。

「じゃあ、お嬢は何を持っていきます?」

「記録結晶、封蝋、手袋、銀筆。それと昨日までの出来事を時系列でまとめた紙」

「まともです」

「褒めてくださいまし」

「当たり前のところまで戻ってきたことは褒めます」

「褒め方がしぶいですわねえ」


 わたくしは机の上へ昨日の事故と倉庫の一件をまとめた書面を並べた。誰がいたか。何時頃か。どの結晶を使ったか。こういう地味な作業、前世のわたしなら三分で飽きていた気がする。だが今は違う。面倒でも、やらなければ自分が死ぬ。危機感は人を成長させるのである。ありがたくはないが。


 それでも、胸の奥には妙な高揚があった。

 これだけ準備した。

 向こうには助言もある。

 シオンもペトラもいる。

 なら、少々の聴取くらい――


「失礼します」

 書庫の扉が開き、学園の使いが一礼した。

「ヴィオレッタ様、放課後を待たず、聴取を前倒しするとのことです。殿下がお急ぎで」

「前倒し?」

「いま、ですか?」

 ペトラが訊き返す。

「はい。小聴取室へ」


 シオンの視線がこちらへ向く。

「相手が急ぐときほど、こちらは急がない」

「わかっておりますわ」

 わたくしは立ち上がった。ドレスの裾を整え、紙束を抱え、スマホを袖の内へ滑らせる。

「行きましょう。どうせ相手が何を出しても、こちらは事実で返すだけですもの」


 その言い方は、我ながらきれいだった。

 きれいすぎて、少し嫌な予感がした。


 小聴取室は、書庫とは別の意味で静かだった。


 磨かれた濃茶の机。壁には星導王国の紋章。高窓から落ちる冬めいた白光が、室内の空気まで冷やしている。部屋は狭いのに、置かれた椅子の背が高いせいで、妙に人を小さく見せる。こういう「圧をかけるための部屋」、現代にもありますわよね。学内面談室とか、就活の最終面接室とか。嫌な方向で既視感がありますわ。


 正面にはエドガー第一王子。

 その横に学監補佐の女性教員、セレス教諭。銀縁眼鏡の奥で目が笑っていない。さらに祭礼委員の上級生が二人。空席が一つ、そしてわたくしの席の斜め後ろへシオン。ペトラは部屋の外だ。護衛兼メイドを中へ入れるわけにはいかないらしい。こういうところだけ急に規則が仕事をするの、なんだか腹が立つ。


「座りたまえ、ヴィオレッタ」

 エドガーの声は低く、よく通った。

「ごきげんよう、殿下」

「世辞を交わす場ではない」

「挨拶は礼儀ですわ」

「礼儀を語る資格が君にあるのか」

「ありますわね。少なくとも、今ここに来ている以上は」


 いきなり火花が散った。いけない。熱くなるな。わたくしは自分へ言い聞かせ、椅子へ座る。机の表面が冷たい。


 セレス教諭が紙を整える。

「本件は正式処分に先立つ予備的な聞き取りです。あなたに反論の機会はありますが、虚偽や妨害は不利に働きます。よろしいですね」

「ええ」

「では始めます」


 エドガーがまっすぐこちらを見た。

「近時、君が下級生や平民生徒へ威圧的に振る舞い、祭礼準備における位置取りや役割へ不当な介入をしていた、という証言がある。加えて、家格や後援をちらつかせ、周囲へ圧力をかけた疑いもある」


 ――へ?


 頭の中で、用意していた反論の札が一斉に床へ落ちた気がした。

 茶会の嫌がらせ。階段。ドレス。ハンカチ。茶葉。そういう、わたくしが勝手に「定番」と読んでいた札が、一枚残らず空振る。

 今出てきたのは、もっと輪郭の曖昧な話だった。威圧。空気。家格。介入。つまり「おまえ、いつも感じ悪かったよね」を、丁寧語で包んだやつ。


 しまった、と思うより先に、口が動いた。


「その、毒入り茶葉や濡れた階段の件ではありませんの?」

 部屋が静まり返った。


 エドガーが眉をひそめる。

「……何の話だ」

「え」

「こちらは一言もそんな話はしていない」

「え、でも」

「何を根拠に今それを口にした?」


 終わりましたわ。


 いや、まだ死んではいない。

 だが、死にたいくらいには終わっている。


 セレス教諭の眼鏡がきらりと光る。祭礼委員の上級生たちも、あからさまに変なものを見る顔だ。わたくしは自分の喉から、ものすごく間抜けな音が漏れそうになるのを必死で抑えた。


(何してますの、わたくし! 何してますのほんとうに!)


 切り抜き知識の決め打ち。

 しかも出ていない論点を自分から口にする最悪のやつ。

 法務カピバラが見たら頭を抱える。理系の竜は「前提不明で余計な変数を足すな」と言う。考察班長は多分めちゃくちゃ盛り上がる。全部いやですわ。


 シオンが斜め後ろから、低い声で言った。

「……知った気になるのが一番危険です」

 その一言で、背筋が冷えた。

「落ち着いてください。出ていない話を増やさない」

 その声は助け舟であると同時に、きっちり刺さっていた。


 悔しい。

 情けない。

 顔が熱い。

 せっかく二件ひっくり返して、少しはできる気になっていたのに、この有様だ。


 エドガーが冷ややかに続ける。

「やはり自覚があるようだな」

「違いますわ!」

 反射で言い返し、すぐ後悔する。語気が強い。焦りが乗っている。

「失礼。今のは訂正いたします。わたくしが申し上げたのは、曖昧な噂話が混ざっているのではないか、という意味で――」

「苦しい言い訳だ」

「言い訳かどうかは、これからの話でしょう」


 なんとか持ち直した声で返すと、エドガーは一瞬だけ黙った。その沈黙が、余計に痛い。


 セレス教諭が資料を進める。

「提出された聞き取りでは、あなたが星冠祭の練習において“平民のくせに前へ出るな”“その位置はあなたには早い”と発言した、というものが三件あります」

「発言日時は」

 気づけば、わたくしの口は勝手にそう訊いていた。

 今度は決め打ちではない。とにかく事実だ。時間。場所。誰が聞いたか。さっきまで机で書いていたことが、ようやく体に落ちてくる。


 セレス教諭が紙へ目を落とす。

「詳細な日付は――」

「ないんですの?」

「おおよその時期はあります」

「おおよそで、聴取を?」

 思わず言うと、教諭は眉を寄せた。

「態度に気をつけなさい」

「失礼いたしましたわ。ですが、確認は必要ですもの」


 エドガーが口を開く。

「複数の証言がある。それで十分だ」

「十分ではありませんわ」

 今度は、すとん、と言葉が落ちた。

 さっきまでの空回りと違う。みっともなく転んだからこそ、ようやく足元が見えた気がした。


「誰が、いつ、どこで、何を聞いたのか。それが曖昧なままでは、証言というより感想です」

「君は、集まった声そのものを否定するのか」

「否定いたしません。だからこそ、混ぜてはいけないと申し上げておりますの。事実と印象は違いますわ」


 祭礼委員のひとりが身じろぎした。彼らも、本気でこちらを潰すというより、「なんとなく雰囲気が悪いから先に釘を刺しておこう」くらいの気持ちかもしれない。そういう曖昧さが、いちばん危ない。


 シオンが一歩前へ出た。

「学監補佐。正式処分ではないにせよ、今後の判断材料にするなら、聞き取りの出所と保存手順は必要です。少なくとも、誰が記録し、誰が原本を持っているかは明示してください」

 セレス教諭が彼を見る。

「あなたは同席者であって代理人ではありません」

「承知しています。ですが規則は規則です」

「どの条項を」

「学園規律運用細則、第五補則。生徒の名誉に関わる申告については、聞き取り記録へ採録者名と採録時刻を付すこと」

 シオンは本当にこういうとき強い。頼もしすぎて、少し腹が立つくらいだ。


 セレス教諭は無言で紙をめくった。

 その一瞬に、わたくしはそっとスマホを覗いた。袖の影で打つ。


 やらかしましたわ。先読みで余計なことを言いましたの。でも今は日付と出所を確認中。次に何を押さえるべき?


 返信はすぐ来る。


 @法務カピバラ

 書面の原本。署名。誰が保管。閲覧した人。


 @理系の竜

 複数証言でも、独立してなければ一本化されたノイズ。


 @考察班長

 転んだあと立て直してるならセーフ! たぶん!


(たぶん、が軽いですわね……)


 けれど、その軽さにちょっと救われもする。転んだあと立つ。今やるべきことは本当にそれだけだ。


 わたくしは深く息を吸った。

 青白い光はまだ現れない。でも、画面の向こうの言葉が、さっきよりずっとはっきり背を押してくれる。


「学監補佐」

 わたくしは机の上へ、自分で持ってきた紙束を置いた。

「こちらには昨日と一昨日の出来事について、時刻、居合わせた者、用いた記録結晶をまとめた書面があります。まず申し上げますわ。わたくしに対する懸念があるのなら、同じ水準の記録でお示しください」

「君が条件をつける立場か?」

 エドガーの声が硬くなる。

「立場ではなく、順序ですわ」

「順序?」

「はい。順序が逆ですの」


 そこで、シオンがほんのわずかに目を見開いた。たぶん、彼の口癖をこちらが使ったからだ。少しだけ気分がいい。いや、気分よくなってる場合ではないけれど。


「いま机にあるのは、署名のない聞き取りの写しだけですわね?」

 セレス教諭が答える。

「原本は別保管です」

「誰が採録し、いつ封をしたのですの」

「それは……」

「書いてありませんの?」

「採録者名は――」

「署名欄は?」

「……ありません」

「では、これは現時点で正式な供述調書ではなく、メモですわ」


 室内の空気が、ぴしっと割れた。


 エドガーが身を乗り出す。

「言葉を選べ、ヴィオレッタ」

「選んでおりますわ。とても丁寧に」

 心臓はうるさいくらい鳴っているのに、声だけは妙に静かだった。

「わたくしが申し上げたいのは一つです。噂や印象を集めることと、事実を確定することは違いますの。この場が『気になるから注意しておく』程度の談話なら構いません。ですが今、殿下はわたくしの今後を左右しかねない形でお話を進めていらっしゃる。なら、書面の要件を満たしてくださいませ」


 祭礼委員の上級生のひとりが、おずおずと言う。

「でも、複数の子が似たようなことを言っていて……」

「独立した証言ですの?」

「え」

「互いに影響なく、それぞれが同じ経験をした上での証言ですの? それとも、誰かが『ヴィオレッタ様って感じ悪いよね』と言い出し、あとから皆で頷いた類ですの?」

「そ、それは……」

「人の記憶は、あとから簡単に染まりますわ」


 言いながら、胸の奥が少し痛んだ。

 だってそれは、わたくし自身にも刺さるからだ。前世のわたしは、断片的な感想や切り抜きだけで、作品全体を知ったつもりになっていた。人の記憶も認識も、驚くほど雑にできている。だからこそ、書面がいる。手順がいる。冷たいくらいの確認がいる。


 シオンが淡々と補う。

「同種の噂が複数あることと、独立した事実が複数あることは別です」

「……」

「加えて、威圧や空気の悪さは解釈が割れる。もし問題にするなら、いつ、どの発言を、誰が聞き、どう記録したかを分けてください」


 エドガーは唇を結んだ。気に食わないのだろう。わかる。空気で押せると思っていたところへ、机の足を一本ずつ外されているのだから。


 だが、ここで止まらない。

 止まったら、また空気に飲まれる。


「さらに申し上げますわ」

 わたくしは自分の紙束から一枚を抜いた。

「昨日の倉庫での一件について、わたくしは記録結晶の使用時刻と同席者をすべて残しております。もし本日この場の内容が、後日わたくしへの不利益判断へ繋がるのなら、同様にこの聴取も記録結晶で残すべきですわ」

 セレス教諭がぴくりと反応する。

「今この場を?」

「ええ。わたくしは構いません」

「殿下」

 教諭がエドガーを窺う。

 王子は明らかに不快そうだったが、ここで拒めば「王子は記録を嫌がった」という印象が立つ。それくらいは彼にもわかるはずだ。


 しばしの沈黙のあと、エドガーが低く言った。

「……よかろう」

「ありがとうございます」

 礼を言いつつ、わたくしは内心で拳を握った。


 セレス教諭が補助机から学園備え付けの小型記録結晶を持ってくる。青い石の内部へ、細い金線が走る。机の中央へ置かれたそれは、まるでこの場そのものへ目を生やしたみたいだった。


「続けます」

 教諭の声が、さっきより少しかたい。

「では、改めて。あなたは下級生へ対し、発言上の威圧を行ったことは?」

「ございますわ」

 室内が再びざわついた。

 わたくしは続ける。

「ただし、それが常に不当だったとは申しません。わたくしは気が強く、言い方もきつい。そこは反省の余地がありますわ」

 エドガーが少しだけ目を細める。

 おそらく予想外だったのだろう。全面否認でも全面土下座でもなく、分けて答えることが。


「ですが」

 わたくしは机へ指先を置いた。

「『感じが悪い』『怖かった』という感想と、『具体的な不当行為があった』という事実は分けていただきたいの。そこを混ぜたままでは、わたくしは何を改めるべきかもわかりませんもの」

「君はまだ、言葉の刃を軽く見ている」

 エドガーが言う。

「軽くは見ておりませんわ。だからこそ、言葉で人を裁くときほど、雑にしてはいけないと申し上げておりますの」


 これは本音だった。

 タイムラインの向こうで、短い断定がどれだけ人を転がすか、わたくしは見てきた。いや、見て笑ったことすらある。だから今、その刃が自分へ向くと、背筋が冷えるほどよくわかる。


 祭礼委員のもう一人が、手元の写しを見ながらぼそぼそ言った。

「採録時刻、ほんとにない……」

「閲覧者欄もありません」

 シオンがすかさず指摘する。

「これでは途中で誰が何を書き足しても追えません」

「そんなことはしない!」

 エドガーが強く言う。

「していないことを、どう証明なさいますの?」

 わたくしは静かに返した。

「だから手順が要るのでしょう?」


 どこかで小さく、息を呑む音がした。

 エドガーは明らかに怒っていた。けれど、その怒りの向かう先が「こいつを黙らせたい」から「この場をどう成立させる」に少し移ったのがわかる。わかるから、たたみかける。


「本日のこの場について、わたくしから確認をお願いしたいことがございます」

 セレス教諭が警戒した顔になる。

「何ですか」

「一、本件が注意喚起なのか、処分判断の予備なのか。二、現時点で用いる資料が写しなのか原本なのか。三、今後もし正式な申告へ進むなら、採録者名、採録時刻、署名、保管者名、閲覧記録を付すこと。四、当事者へ内容を開示すること。五、反対証拠の提出機会を設けること」

「……よくそんなに出てきますね」

 セレス教諭が半ば呆れたように言う。

「昨日から少し勉強しておりますの」

 正確には、昨日からスマホの向こうとシオンに叩き込まれておりますの、だが。


 シオンが短く言った。

「妥当です」

 その一言が、思った以上に胸へ響いた。味方が後ろから支えてくれる音だ。背中に一本、見えない柱が立つ感じがする。


 結局、聴取はそこで大きく軌道を変えた。

 こちらを一気に押し切るはずだった空気は、記録の不備と論点の曖昧さで足を取られ、質問はずっと細かく、ずっと地味になる。


 いつ、どの場で、誰に何を言ったか。

 その発言は直接聞いたのか、あとで伝え聞いたのか。

 位置取りの「介入」とは、役割決めを指したのか、それとも単に口を挟んだだけか。

 それを誰が写し、どう保管したのか。


 答えが細くなるたび、部屋の熱が抜けていく。

 とくに効いたのは、「複数証言」とされていた三件のうち二件が、同じ上級生の聞き取りメモから起こされていたことだった。独立した三件ではない。ただの一本を、書き換えて三つに見せていたわけではないが、少なくとも「別々の方向から集まった証言」という顔はできない。


 わたくしは机の下で、こっそり拳を握った。

 勝てる。少なくとも、ここでは押し切られない。


 セレス教諭がついに言った。

「本日の資料だけで、個別具体の非行を確定することは難しいでしょう」

 よし。

 心の中でガッツポーズを決める。お嬢様らしくない? 知りませんわ。

 だがすぐに教諭は続けた。

「ただし、ヴィオレッタ様の言動が周囲へ与える圧が大きいこと自体は看過できません。今後は――」

「そこは改めますわ」

 わたくしは先に答えた。

「言い方が強い、という自覚は本日できましたもの」

「……」

「ですが、本日この場で処分や断定めいた扱いを受ける筋合いはありませんわね?」


 エドガーがゆっくり立ち上がる。

 青い礼装の金線が、高窓の光を鋭く返した。


「君は変わった」

「そうかもしれませんわ」

「だが、それで過去が消えるわけではない」

「消えませんわね」

「今日のところは、これ以上進めない」

 その言い方に、わたくしの背筋が少し冷えた。勝った、ではない。相手は引いた。しかも次へ繋ぐ形で。


「ですが殿下」

 わたくしは立ち上がる。

「次があるなら、今度は最初から書面でお願いいたしますわ。署名も時刻も保管も、きちんと。噂話の朗読会は、さすがに時間がもったいのうございますもの」

 祭礼委員の上級生が、思わず吹き出しかけて咳払いした。エドガーの視線がそちらへ飛ぶ。空気がぴりつく。

 でも、もう止まらなかった。悔しさも、恥ずかしさも、さっきまでの失敗も、全部込みで言ってやりたかった。


「君は」

 エドガーの声が、ひどく低い。

「本当に、その舌だけは回るな」

「褒め言葉として頂戴いたしますわ」

「褒めていない」

「存じております」


 セレス教諭が立ち上がり、記録結晶を封じる。

「本日の聴取はここまでです。記録は保管し、必要があれば開示します」

「ありがとうございます」

 礼をして席を離れる。その瞬間、袖の中のスマホが小さく震えた。見なくてもわかる。黒い棘のうち、またどれかに大きなひびが入った音だ。


 部屋を出る直前、エドガーがわたくしを呼び止めた。

「ヴィオレッタ」

「何ですの」

 振り向く。

 高窓の光を背にした王子の顔は、逆光で半分影に沈んでいた。整った輪郭が、そのぶん余計に硬く見える。


「今日のような言い逃れが、いつまでも通ると思うな」

「言い逃れではなく、確認ですわ」

「言葉遊びだ」

「そう思われるなら、次は最初から完璧な資料をお持ちくださいまし」

「……」

「殿下が本気でわたくしを裁くおつもりなら、なおさらですわね」


 その瞬間、エドガーの目に、怒りとは別の何かが灯った。

 覚悟。あるいは決意。いずれにせよ、ろくでもない種類の光だ。


「いいだろう」

 王子ははっきりと言った。

「星冠祭の夜、正式に場を設ける」

 心臓が、どくん、と跳ねた。

 来た。

 ついに、その単語が現実の口から出た。


 部屋の空気が、一気に遠くなる。

 星冠祭。婚約破棄。公開断罪。

 まとめと切り抜きでしか知らなかったイベント名が、今、目の前の王子の声で輪郭を持つ。


 それでも、わたくしは目を逸らさなかった。

 逸らしたら終わる気がしたからだ。

 袖の中のスマホが熱を持つ。証もないままわたくしを裁こうとしていた黒い棘へ、深いひびが走る気配がした。


「よろしいですわ」

 唇が少し震えた。でも笑う。

「そのかわり殿下。今度は、順序も証拠も、ぜんぶ整えていらしてくださいまし」


 エドガーは一歩も引かず、冷たい声で言い切った。

「星冠祭の夜、公の前で君との婚約を破棄し、正式に裁く」

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