1.最悪の朝、最初の通知
最悪ですわ。
口に出した瞬間、周囲の令嬢たちが「まあ」と揃って目を丸くしたので、わたくしは即座に扇で口もとを隠した。失言ではない。訂正します。今のは心の声のはずでしたのに、あまりにも状況が終わっていて、ついうっかり漏れただけですわ。
春の陽射しが、王立星冠学園の温室めいた茶会会場をきらきらと満たしている。高い硝子天井から落ちてくる光は蜂蜜みたいに甘くて、白いクロスの上で金色に跳ね、磨き抜かれた銀のポットをまぶしく照らしていた。薔薇と紅茶の香りがふわりと混ざる、いかにも「お嬢様の優雅な午後」でございます、みたいな空間だ。
その中央で、わたくしは悪役令嬢の位置に立っていた。
いや、比喩ではなく、文字通り。
正面には、白いリボンの似合う小柄な少女。柔らかな栗色の髪、大きな瞳、ふわっとした雰囲気。どう見ても守ってあげたくなる系ヒロイン。そう、ルナ・フローレンス。平民出身の聖女候補。乙女ゲーム「聖女と七つの星冠」の主人公。
そしてそのルナを、取り巻きの令嬢たちがぐるりと囲んでいた。
「まあ、平民の方はやはり茶器の持ち方も独特ですのね」
「無理になさらなくてもよろしくて? 指が震えていらっしゃるわ」
「星冠祭の舞踏会にあの子が出るとしたら、すこし恥ずかしいですわよね」
高くて甘い声に、薄い悪意がたっぷり塗ってある。うわぁ、テンプレ。あまりにもテンプレ。切り抜きで百回見たやつ。
それなのに、その中心に立つわたくしは、完璧に「そういう場を主催している側」の顔をしていた。背筋は伸び、顎はわずかに上がり、深い紫のドレスの裾が床にきれいな波を作っている。薄金の髪を巻き、宝石をあしらったリボンを結んだ公爵令嬢。鏡がなくてもわかる。今のわたくし、めちゃくちゃ悪役令嬢のビジュアルが完成してる。
そして同時に、頭の奥では見たことのあるスチルとセリフと考察まとめが、地鳴りみたいに一気に押し寄せていた。
(待って待って待って。待ちなさいわたくし。これ、あれですわよね? 悪役令嬢転生ってやつですわよね? いやでもそういうラノベを読んだことがあるってだけで、まさか自分がなるとは思わないじゃん? しかもよりによってヴィオレッタ? ローゼンティア公爵令嬢? あの婚約破棄される側の、断罪イベントで見せしめみたいに吊るし上げられる人? いやそんなの聞いてないんですが?)
額のあたりがじん、と熱い。なのに指先は冷たい。記憶の水門が壊れたみたいに、前世のわたし――大学の講義中にこっそりスマホを見て、考察ポストと二次創作とネタバレWikiばかり漁っていた、どうしようもないツイ廃女子大生の記憶が流れ込んでくる。
ゲーム本編は、最後までやっていない。
時間がなかったから、じゃない。
しんどそうな中盤で止めて、あとは切り抜きと感想まとめで「だいたい知った」気になっていたからだ。
しかも厄介なことに、わたくしの知識は「本編をちゃんと読んだ人」のものではない。断罪イベントのスクショ、攻略対象の人気投票、聖女ルートの感想、悪役令嬢擁護派の長文ポスト、そういう断片ばかりをつまみ食いして、わかった顔をしていた。いわば、Twitter教養。最悪だ。こんな肝心な場面で、わたくしの頭の中には「エドガーはここで好感度が下がる」「ルナは後半で覚醒する」みたいな、ふわっとしたまとめ知識しかない。
地図なし、攻略本なし、なのに締め切りだけははっきり三十日後。笑うしかない状況なのに、ぜんぜん笑えない。
その報いが、今これですの?
「ヴィオレッタ様?」
不安そうな声で、ルナがわたくしを見た。あ、かわいい。というか、ほんとうに怯えてる。そりゃそうだ。この場、完全に公開いじめ会場だもの。
取り巻きのひとりが鼻を鳴らす。
「ルナさん、ヴィオレッタ様のお言葉を待ちなさいませ。まさか、返事の順序もご存じありませんの?」
その瞬間、わたくしの脳内に、最悪の単語が浮かんだ。
公開断罪。
星冠祭の夜。第一王子エドガーが大広間で婚約破棄を宣言し、ルナへの嫌がらせの数々を理由にヴィオレッタを断罪する。そしてローゼンティア公爵家は没落。さらにその先、王都に星災――空から落ちる青白い災厄――が起きる。
切り抜きで見た。まとめでも読んだ。たしか、時期は入学後の最初の大祭の直前。
つまり。
(あと何日? あと何日ですの!?)
答えるように、目の前のテーブルに置かれた星暦カレンダーが目に入った。金の縁取りがされた月表示。その日付に、今日の茶会を示す小さな銀の薔薇。
星冠祭まで、ちょうど三十日。
わたくしは危うくティーカップを取り落としかけた。かちゃん、と薄い磁器が震える。令嬢たちが一斉にこちらを見る。やばい。やばいですわ。破滅フラグがもう秒読みなんですが。
「……ヴィオレッタ様? お顔の色が」
「なんでもありませんわ」
反射でそう返した声が、思ったよりきれいで高くて、我ながら腹が立つ。中身は修羅場なのに外面だけは百点満点のお嬢様なの、ほんとこの身体ずるい。
どうする。
謝る? 逃げる? 取り巻きを解散させる? でも今さら間に合う? いやまず状況確認。原作知識は穴だらけ。雑に動いたら余計に死ぬ。こういうとき、前世のわたしならまずスマホを開く。
そう思ったとたん、袖の内側に、硬い感触があった。
ぴたり、と呼吸が止まる。
(……あるんですの?)
たしかめるように、レースの手袋ごしに指先を滑らせる。薄くて平たい板。冷たい角。信じられないのに、あまりにも見覚えのある形。
わたくしは扇で顔を隠したまま、一歩下がった。
「少々、風が強うございますわね。皆さま、紅茶が冷えます前に、お席へ」
言いながら、ほとんど無意識に、人垣の陰へ身をずらす。薔薇の鉢と白い柱の間。そこなら、少しだけ死角になる。
袖の内ポケットから取り出したそれは、まぎれもなくスマホだった。
青白い光が、掌の中でふわりと灯る。
真昼の陽射しの下なのに、その光だけは夜の水面みたいにひんやりして見えた。見慣れた長方形の画面。見慣れたアイコン。なのに電波表示も時刻もぐちゃぐちゃで、開けるアプリは一つだけ。黒い背景に、白い鳥ではなく、見慣れたXの文字が浮かんでいる。
「うそ……」
口から、完全に現代の声が漏れた。
心臓がばくばくいう。指先が震える。いや待って、本当に使えるの? 異世界転生で持ち込みスマホ? そんな便利アイテムある? あるなら最初に言ってほしいんですが?
ロック画面がするりと開いた。
待ち受けには、黒い棘が七本、円を描くように並んでいた。見ているだけで胃が痛くなる、不穏すぎるデザイン。その中央に小さく文字が光る。
婚約破棄まで あと30日
「笑えませんわよ!」
思わず声が出た。近くの令嬢が「え?」と振り向いたので、わたくしは咳払いで誤魔化す。危ない危ない。今のは完全に事故。
アカウント画面には、すでに表示名が作られていた。
婚約破棄まであと30日の悪役令嬢
ユーザー名までそれっぽい。何その雑にバズりそうなアカウント。しかもプロフィール欄には、勝手にこう書かれている。
断罪イベント回避したいですわ。助けてくださる?
(誰が作ったんですのこれ! いやわたくししかいないんですけれども!)
投稿欄が開ける。
指が、なぜか自然に動いた。
こんな状況で、誰に相談するのが正しいのかなんてわからない。けれど、前世のわたしはずっと、困ったときも嬉しいときも、まずタイムラインを見ていた。良くも悪くも、それが呼吸だった。
だから打ち込む。
婚約破棄まであと三十日、悪役令嬢ですが生き延びたいですわ。
送信の直前で、さすがにためらった。
いやいやいや、何してるの。現代の人たちから見たら完全にロールプレイ垢では? 痛いアカウント認定されて終わるのでは? でも他に頼れるものがない。情報もない。味方もいない。なら、笑われてもいいから投げるしかない。
「ええい、ままよですわ!」
ぽん、と送信した瞬間。
画面の向こうで、小さな数字がひとつ増えた。
いいね 1
「はやっ!?」
その勢いのまま、返信がひとつ、またひとつ、と現れる。
@考察班長
はじまったな。とりあえず状況を三行で。
@理系の竜
前提不明。敵、味方、期限、証拠の有無を整理して。
@法務カピバラ
生き延びたいなら、今日から事実の記録を残してください。感情より先に証拠です。
え、なんか、めちゃくちゃまとも。
もっと「草」「設定こってる」「なりきり?」みたいなのが来ると思ったのに、初手から有識者っぽい人たちが冷静で助かる。ネットは時々こういう奇跡を起こすから侮れない。
(いやでも、これ、本当に現代の……? まさか異世界の精霊がネットのふりをしてるとかでは? いやそれはそれで器用すぎませんこと?)
半信半疑のまま、わたくしは指を走らせた。
敵は婚約者の第一王子と、たぶん周囲の貴族社会ですわ。味方は……今はいませんの。期限は三十日。証拠はゼロ。あとルナさんをいじめる流れに乗ってしまってますわ。最悪ですわ。
投稿した瞬間、いいねがまた増えた。
2、4、7。
数字が跳ねるたび、スマホの縁から青白い光がこぼれて、指先に細かな星屑が落ちた。温かい。いや、熱いわけではない。冬の朝に手をかざすストーブみたいな、ほっとする温度だ。
その星屑が、ふわりと空気へ溶けていく。
「な……」
見間違いではない。
青白い粒子は、ほんとうに画面の外へ出ていた。
「ヴィオレッタ様、先ほどから何を」
背後から声がして、わたくしは慌てて振り返った。
そこにいたのは、薄い灰色の髪に、澄んだ青の瞳を持つ青年だった。学園の制服をきっちり着こなし、腕に何冊もの書類束を抱えている。表情は薄いが、目つきだけが妙に鋭い。記憶が遅れて名前を拾う。
シオン・グレイ。
王宮監察魔術師候補。学園書庫の首席補佐。理屈で殴ってくるタイプの攻略対象――いや今はそういうんじゃない、とにかく面倒そうな男。
やばい。見られた?
「なにも?」
「疑問形にしないでください。今、青白い光が見えました」
「春の陽射しの反射ではなくて?」
「温室の薔薇から青白い光が出るなら、園芸史を書き換えなければなりませんね」
うわ、めんどくさ!
顔がいいのに言い回しがいちいち冷たい。だがその冷たさは、むしろちょっと助かる。混乱しているときにふにゃふにゃ優しくされるより、こういう人のほうが会話の足場になることもある。
「ごきげんよう、シオン。書庫の人間が、茶会を覗き見ですの?」
「資料を届けに来ただけです。覗いたのはあなたです、ヴィオレッタ様。ずいぶん挙動が不審でしたので」
「乙女に向かって挙動不審とは、ひどい言い方ですわね」
「否定できるならどうぞ」
ぐぬぬ。
言い返したい。すごく言い返したい。でも今はそれどころじゃない。
そのとき、会場の中央から、小さなどよめきが起きた。
「まあっ」
「ルナさん、だめですわ、そんなところに――」
はっと顔を上げる。
ルナが、令嬢たちに囲まれて後ずさった拍子に、会場中央の円卓へぶつかった。揺れたテーブルクロスが端の花瓶を引っかけ、倒れた花瓶が、今度は装飾用の支柱へ当たる。
その支柱は、天井から下がる大きな星型シャンデリアの固定具とつながっていた。
金の鎖が、ぎい、と嫌な音を立てる。
見えた。
見えてしまった。
巨大な硝子の星が、ルナの真上に傾く未来が。
「危ない!」
最初に叫んだのは、たぶんシオンだ。
でも、その声より先に、わたくしの身体が動いた。
考えるより前に、ドレスの裾を蹴って走る。
ヒールが床を叩く。薔薇の香りが弾ける。令嬢たちの悲鳴が左右に飛ぶ。目の前で、ルナが凍りついたみたいに動けずにいる。
(間に合え! 間に合いなさいな!)
その瞬間、スマホが掌の中で熱くなった。
画面を見ていないのにわかる。いいねが増えている。返信が飛んでいる。誰かが、向こう側で、このわたくしの無茶に息を呑んでいる。
青白い星屑が、今度ははっきりと視界の中で爆ぜた。
細い糸みたいな光が、わたくしの腕に絡む。
身体が、ほんの一歩ぶんだけ前へ押された。
「ルナさん、伏せなさい!」
叫びながら、わたくしはルナに飛びついた。
腰を抱いて、強引に床へ引き倒す。ふわりと白い髪飾りが舞う。次の瞬間、頭上で、耳をつんざくような破砕音が弾けた。
星型の硝子片が、雨みたいに降り注ぐ。
きゃあああっ、と悲鳴が上がる。
眩しい。冷たい。なのに、痛みは来ない。
そっと目を開けると、わたくしとルナの上には、青白い薄膜みたいな光が半球状に広がっていた。シャボン玉を何百枚も重ねたみたいに繊細で、硝子の欠片が触れるたび、鈴みたいな音を立てて弾かれている。
うそ。
なにこれ。
本当に、守られた?
「ヴィ、ヴィオレッタ様……?」
腕の中で、ルナが震える声を出す。
近い。びっくりするくらい近い。すごくかわいい。じゃない、今はそれどころじゃない。
「お怪我は?」
「えっ、あ、わたしは……たぶん、だいじょうぶ、です」
「ならよろしくてよ!」
その言い方が妙に勢いよくなってしまって、わたくしは自分で自分にちょっとびっくりした。いやだって、ほんとうによかったんだもの。無事で。割と本気で。
光の膜が、きらり、とほどけて消える。
一拍遅れて、会場じゅうが騒然となった。
「今の光は何だ!」
「防御術式? 誰が張ったの?」
「ルナさんはご無事!?」
「ヴィオレッタ様が庇われたのよ!」
違いますわ、庇ったのはわたくしですわ、と言い返す余裕もない。床に散った硝子が陽射しを受けて、砕けた星みたいに眩しい。甘い紅茶の香りに、割れた花瓶の水と薔薇の青さが混ざる。舞い上がった花びらが、わたくしのドレスにひらひら落ちた。
シオンがすぐそばへ駆け寄ってくる。
「離れられますか」
「ええ、たぶん」
「たぶんで立たないでください。確認してからにしてください」
「命の恩人にそれですの?」
「今のあなたは命知らずです」
言いながらも、彼は片膝をついて、わたくしとルナの周囲を素早く確認した。視線が鋭い。硝子片。光の残滓。支柱のゆがみ。全部見ている。
ルナが、おそるおそるわたくしの袖をつまんだ。
「あの……ヴィオレッタ様」
「なんですの」
「助けて、くださったんですか」
「見ればわかるでしょう?」
つい、つんとした言い方になる。だって照れる。めちゃくちゃ照れる。こんなの真正面から感謝されたら、悪役令嬢のガワが保てませんわ。
けれどルナは、驚いたみたいに瞬きをして、それからふにゃりと笑った。
「ありがとうございます」
「……どういたしまして」
だめだ。
その笑顔はだめ。
そんな素直に礼を言われたら、今までのヴィオレッタがどれだけ嫌なやつだったとしても、これ以上いじめるルートには絶対に戻れない。
わたくしが胸の内で固くそう決めたとき、甲高い声が空気を切り裂いた。
「ヴィオレッタ!」
振り向けば、そこにいたのは、青の礼装を着た青年――第一王子エドガーだった。陽光を反射する金髪、整った顔立ち、背筋の伸びた姿。いかにも王子様。いかにも表紙映えしそう。いかにも正しそう。
そして今の表情は、心配半分、糾弾半分だった。
「無事か。……いや、それより、これはどういうことだ」
「見ての通り、事故ですわ」
「本当にそうかな。君の周囲では、どうも騒ぎが多い」
うわ。
初手でそれ言う?
さすがに腹が立った。いや、もとのヴィオレッタが積み上げた評判のせいなのはわかる。わかるけれども! 今、わたくし、ルナを庇って床に転がった直後なんですが! 第一声が疑いってどういう王子様ムーブですの!?
取り巻き令嬢の何人かが、気まずそうに目を逸らす。
彼女たちもたぶん、今この場で「ルナを一番守ったのがヴィオレッタだった」ことは見ている。見ていてなお、空気はすぐには変わらない。評判ってやつは、良くも悪くもそういうものだ。
シオンが静かに言った。
「殿下、固定具の劣化です。誰かが術で揺らした痕跡は今のところありません」
「今のところ、か」
「観測できる事実だけを申し上げています」
「なら、先ほどの防御光は何だ」
「それを今から調べます」
淡々とした応酬。火花は見えないのに、空気だけがぴり、と張る。
へえ。シオン、王子相手でもブレないんだ。ちょっと見直した。いやだいぶ見直した。
エドガーはわたくしへ目を向ける。
「ヴィオレッタ。君がルナを庇ったのは事実なのだろう」
「ええ」
「だが、それでこれまでのことが消えるわけではない」
「それは、そうでしょうね」
思ったより、するりと答えが出た。
エドガーの眉がわずかに動く。
きっと今までのヴィオレッタなら、もっと感情的に噛みついたのだろう。わたくしだって内心では噛みつきたい。だが、ここで派手にやり合って得する未来が見えない。
(というか、これ完全に「何をしても悪く取られる初期フェーズ」ですわね。わかる。ネットでもある。嫌われアカウントが善行しても、「どうせ打算」って言われるやつ。しんど……!)
けれど、そのしんどさは、前世で一度も当事者にならなかったからこそ、逆に妙にはっきりわかった。画面の向こうから眺めて笑っていた空気の怖さが、今は目の前で、温度を持って迫ってくる。
だからこそ、ここでやるべきことは一つだ。
わたくしは立ち上がり、ドレスの裾を整え、ルナの前へ半歩出た。
「殿下。少なくとも今日この場では、ルナさんを責めるようなことはおやめくださいまし」
「君がそれを言うのか」
「言いますわ」
自分でも驚くくらい、声はまっすぐだった。
「わたくしは先ほどまで、たしかに彼女を追い詰める側におりました。そこは否定いたしません。けれど、今の事故に関して彼女に落ち度はありませんわ。怯えて後ずさったのは、この場の空気がそうさせたからですもの」
「ヴィオレッタ様……」
「ですから、責めるなら場を作った者を責めるべきですわね」
しん、と静まる。
取り巻き令嬢たちが、見事なくらい一斉に顔を強張らせた。もちろんわたくし自身も、その「場を作った者」の筆頭である。だからこれは、半分は自分を刺す言葉だ。
痛い。
すごく痛い。
でもここで逃げたら、たぶんこの先もずっと逃げることになる。
エドガーが低く言う。
「ずいぶん殊勝だな」
「どうお取りいただいても結構ですわ。ですが、ルナさんの扱いだけは改めていただきたいの」
じり、と喉が焼けるみたいだった。
怖い。普通に怖い。王子に逆らうのってこんなに胃が縮むんだ。でも、言わなきゃいけない。
だって、目の前のルナは、さっきほんとうに死にかけたのだから。
少しの沈黙ののち、エドガーは短く息を吐いた。
「……今日はこれ以上追及しない。だが、学園内の秩序が乱れていることは事実だ。改めて話を聞く場を設けよう」
「話を聞く、ですの?」
「そうだ」
つまり、予備審問フラグ。
やっぱり来るんですのね。知ってた。知ってたけど早い。
わたくしの手の中で、スマホがぶるっと震えた。
見るなと言われても見る。
さっと視線を落とすと、画面の通知が爆発していた。
いいね 42
リポスト 19
返信がいくつも流れている。
@考察班長
助けに行った!? えらすぎるだろ。まず一点、ヒロイン保護はデカい。
@法務カピバラ
今の件、目撃者の名前を控えてください。事故原因、固定具、誰が何を見たか。すぐに記録を。
@理系の竜
発光現象は反応連動の可能性。検証価値あり。あと王子、印象最悪。
うん。
最後の一行には全面同意ですわ。
そしてそのとき、ロック画面の七本の棘のうち、一番左の棘に、ぴしりと細いひびが入った。
黒い表面から、青白い光がにじむ。
「……!」
息を呑む。
これ、たぶん、ルナとの敵対フラグだ。
まだ折れてはいない。でも確かに、傷がついた。
つまり、変えられる。
運命は、固定ではない。
前世のわたしは、祭りを外から眺める側だった。誰かの炎上に呆れ、誰かの逆転劇に沸き、勝手にハッシュタグをつけて、勝手に一体感を味わって、飽きたら次の話題へ流れていく。けれど今は、その祭りの中心に自分が立っている。ぞっとするのに、不思議と背筋の奥が熱かった。
その事実が、胸の奥に小さな火を灯した。怖さは消えない。三十日後の断罪イベントも、家門没落も、星災も、まだぜんぶ目の前だ。それでも、今の一瞬でわかった。
何もしなければ終わる。
でも、動けばひびくらいは入る。
だったら。
(使えるものは全部使いますわ)
わたくしはスマホを握りしめた。
きらり、と青白い光が指の間で跳ねる。
「ヴィオレッタ様」
ルナが、おそるおそるこちらを見る。
まだ不安そうだ。まだ完全には信じていない。そりゃそうだ。たった一回庇ったくらいで、今までの敵意が消えるわけではない。
それでも、その目には、ほんの少しだけ、さっきまでなかった色が宿っていた。
恐怖だけじゃない。
戸惑いと、驚きと、もしかしたら期待。
わたくしはその視線を真正面から受け止めて、顎を上げた。
「ルナさん」
「は、はい」
「先ほどまでのことは、後でちゃんとお話しいたしますわ」
「お話、ですか」
「ええ。逃げません。ですので、あなたも逃げないでくださる?」
「……はい」
小さくうなずくルナの横で、ペトラが人混みをかき分けて飛び込んできた。
亜麻色の髪を高く結い上げた、活発そうな女の子。わたくし付きのメイド兼護衛。記憶の中のペトラより、実物のほうがずっと元気そうだ。
「お嬢! ご無事ですか! 聞いてませんよ、シャンデリアダイブなんて!」
「誰が好きこのんでダイブしますの!」
「でも今のは勝ちです。めちゃくちゃ勝ちです。見ました? みんな顔が『え、庇うんだ』になってました」
「勝ち負けで言わないでくださる?」
「だってわかりやすいほうがお嬢向きでしょ」
「否定できないのが腹立ちますわね!」
ぴしゃりと言い返すと、ペトラはにっと笑った。よかった。この子、たぶん味方だ。だいぶ助かる。テンポ的にも。精神的にも。
シオンが冷静に補足する。
「笑っている場合ではありません。ヴィオレッタ様、殿下が予備聴取の場を設けると言いました。今日中に事故の記録をまとめてください」
「もちろんですわ」
「もちろん、で終わらせないでください。順序立ててやります」
「あなた、さっきから命の恩人への態度が硬すぎませんこと?」
「恩人が次の三十分で証拠保全を忘れそうだからです」
「忘れませんわよ!」
「今、茶会の途中でSNSに夢中でしたが」
「……」
図星。
ものすごく図星。
ペトラがじとっとした目を向けてきた。
「お嬢、また変な魔道具拾ったんですか?」
「拾ってませんわ」
「じゃあ隠してる何かがあるんですね」
「話が早いですわね……」
だめだ、この二人、思ったより勘が鋭い。
でも今はまだ全部は話せない。話したところで信じてもらえるとも思えないし、わたくし自身、全部わかっていないのだから。
会場の後片づけが始まる中、わたくしはもう一度だけスマホを見た。
通知はまだ増え続けている。向こう側の世界で、顔も知らない誰かたちが、このおかしな悪役令嬢アカウントに集まっている。
半分は面白がって。
半分は心配して。
でも、そのどちらでもいい。
今のわたくしには、たしかに届いている。
わたくしは小さく息を吸い、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
「……生き延びてみせますわ」
そして、こっそり新しい投稿欄を開いた。
事故は回避しましたわ。ルナさんは無事ですの。でも王子様の印象が最悪ですわね。あと、たぶん予備審問が来ますわ。証拠保全って、具体的に何から始めればよろしくて?
送信。
数秒もしないうちに、反応がつく。
@法務カピバラ
まず目撃者の確保。次に現場写真……は無理なら図と時刻。壊れた物の保全。誰が触ったかも記録。
@理系の竜
発光現象の再現は急ぐな。条件整理を優先。
@考察班長
ていうか今それどころじゃないのに報告えらい。#婚約破棄の前にトレンド入りしましたわ で見守る。
「は?」
思わず素で声が出た。
その瞬間、通知欄の上部に、小さな赤い文字がぴこんと現れる。
急上昇中の話題
#婚約破棄の前にトレンド入りしましたわ
「いや、早すぎませんこと!?」




