07.
翌朝。
ミシェルは、ギデオンと共に朝食の席についていた。
テーブルには、彼女が昨日の監査で勝ち取った「温かいコンソメスープ」と「焼きたてのクロワッサン」が並んでいる。
湯気の立つスープを一口啜る。
五臓六腑に染み渡る旨味。ミシェルは幸福感に包まれ、ほう、とため息を漏らした。
「美味いか」
「はい。この温かさこそ、文明の味です」
向かいの席でコーヒーを飲んでいたギデオンが、またしても書類の束を取り出した。
ドサリ、とミシェルのクロワッサンの横に置かれる。
「では、代金を払ってもらおうか」
「……朝食の最中なのですが」
「今日の御前会議の資料だ。議題は『北方遠征の補給問題』。食後にこれを持ってついてこい」
「……はい」
ミシェルは素直に頷き、片手でクロワッサンを齧りながら、もう片方の手で資料をめくり始めた。
優雅な朝食は、一瞬にしてパワーブレックファストへと変貌した。
だが、ミシェルに不満はない。タダ飯に対する対価としては妥当な業務量だ。
◇
食後、ミシェルはギデオンに連れられ、帝城の最深部にある大会議室へと足を踏み入れた。
そこには、歴戦の将軍たちや、恰幅のいい大臣たちがずらりと並んでいた。
ミシェルが入室した瞬間、彼らの視線が突き刺さる。
露骨な侮蔑と、嘲笑の色。
「……おい、あれは隣国から来た王女ではないか」
「ああ、例の『加護なし』か。無能な人質を軍議に入れるなど、何を考えておられるのか」
ひそひそと囁かれる悪意。
だが、ミシェルは動じない。むしろ、どこか懐かしさすら感じていた。
(ああ、こっちでもそういう認識ですね。了解です)
前世のブラック企業でも、新人や派遣社員というだけで見下されていた。場所が変わっただけで、やることは変わらない。
ミシェルは無表情のまま、ギデオンが顎で示した末席にちょこんと座った。
会議が始まる。
そして、地獄が始まった。
「兵糧が足りん! 北方の寒さを舐めるな! 兵士に雪でも食わせろと言うのか!」
髭面の将軍がテーブルを叩いて怒鳴る。
「無い袖は振れませんな。軍部は予算を使いすぎです。これ以上の増税は国民の反発を招きますぞ」
財務大臣が冷ややかに返す。
「なんだと! 国を守っているのは我々だぞ!」
「金がなければ剣も振れんでしょうが!」
怒号の応酬。
中身がない。
「足りない」「金がない」を繰り返すだけで、具体的な解決策が一つも出てこない。
開始から二時間が経過しても、議論は平行線を辿っていた。
ミシェルは虚ろな目で天井を見上げた。
前世のトラウマが蘇る。
平社員だったあの頃、偉い人たちが何も決めずに時間を浪費するのを、ただ黙って見ているしか許されなかったあの無力感。
だが、今は違う。
(……眠い。帰りたい。帰って二度寝したい)
ミシェルのイライラが限界に達しようとした、その時だ。
ギデオンがスッと手を挙げた。
「おい」
「……どうなされた、『若君』?」
将軍の一人が、ギデオンをそう呼んだ。
陛下、ではなく、若君。
帝国では先代皇帝が急逝し、ギデオンが若くして即位したばかりだ。古参の幹部たちの中には、彼を「経験不足の若造」と侮っている者も多い。
その空気を察しつつ、ギデオンは不敵に笑い、隣のミシェルを指差した。
「補佐官から何か話があるようだ。聞け」
「は? 補佐官……その小娘がですか?」
全員の視線がミシェルに集中する。
ミシェルはギデオンをジトリと睨んだ。(私に丸投げしましたね?)という視線だ。
だが、ギデオンは「やれ」と目で命じるだけ。
仕方ない。ミシェルはため息をつき、立ち上がった。
「あくびが出そうなので、手短に言いますね」
可憐な声が、会議室に響いた。
将軍たちが色めき立つが、ミシェルは構わずにテーブルの上の地図を指差した。
「食料が足りないのではなく、腐らせているだけです。現在の陸路ルートでは、南の倉庫から北へ運ぶ間に、湿気と振動で三割の小麦粉が廃棄されています。これは無駄です」
「なっ……子供が知ったような口を!」
「運搬ルートを、こちらの運河を使った水路に変えてください。船なら揺れも少なく、大量輸送が可能です。時間は半分、廃棄率はほぼゼロになります。これで増産せずとも食料は足ります」
将軍が口をパクパクさせる。
だが、ミシェルは止まらない。次は財務大臣に向き直る。
「大臣。予算がないと仰いますが、軍部の在庫管理が杜撰すぎます。予備の剣や槍を、必要数の二倍も発注していますね? 整備不良の言い訳に新品を要求するのをやめさせれば、予算は二割浮きます。その分を輸送費に回せば解決です」
ミシェルは朝食の間に読み込んだ資料を叩いた。
「数字は嘘をつきません。感情論で喚く前に、在庫管理システムを導入してください。以上、解決策の提示でした」
シーン、と会議室が静まり返る。
反論しようとした将軍たちだが、具体的な数字と事実を突きつけられ、ぐうの音も出ない。
あまりに正論。あまりに合理的。
それを、侮っていた「無能な小娘」に淡々と言い放たれた屈辱と衝撃。
沈黙を破ったのは、ギデオンの笑い声だった。
「……だ、そうだ。反論はあるか?」
誰も口を開かない。
いや、開けないのだ。若君と侮っていた皇帝が連れてきた懐刀に、完全に急所を刺されたのだから。
「よかろう。今の案を採用する。水路の手配と在庫の棚卸しを直ちに行え」
ギデオンが立ち上がり、会議の終了を告げた。
ミシェルは「やっと終わった」と安堵の息を吐き、優雅に一礼した。
「では、解散。お疲れ様でした」
颯爽と退室するミシェルの背中を、おっさんたちは呆然と見送ることしかできなかった。
ギデオンだけが、愉快でたまらないといった顔で、彼女の後を追う。
この日、帝国の意思決定速度は、劇的に加速したのだった。




