56.
帝城の一室。
フローラが急いでミシェルの執務室へと足を運ぶと、彼女はすでにピシッとした隙のない外出着に着替えて待機していた。
「はぁい。もう着替えていたのね」
「なんですか」
宣言通りの早さに、フローラは若干引き気味に声をかけた。
ミシェルは淡々と首を傾げる。
「いや、お姉さん驚いちゃって。まさかギデオンとのデートを了承するなんて」
「はい。そうですね」
「そこまで彼が好きだとは思わなかったわ」
「……好き?」
二人の間に、決定的な違和感が生まれた。
話がまったく噛み合っていない。
不思議そうな顔をするミシェルに対し、フローラが恐る恐る探りを入れる。
「公務でしょう」
「公務って、あんた」
ミシェルは手袋をはめながら、氷のような声で淡々と説明した。
「一応、わたしは次期皇妃となるべく同盟国から送られてきた存在です。皇帝である彼の望みに応えることもまた、公務の一つですから」
あまりにも事務的な回答に、フローラは頭を抱えながら極端な質問を投げかける。
「あんた、あの人が俺の子を産めって言ったら」
「産みますよ。公務ですから」
公務に忠実すぎる即答であった。
フローラは完全に言葉を失い、引きつった笑いを浮かべる。
「あー、その。ラブロマンスとか、愛してるとか、好きっていうそういうのは」
「仕事の時間です。これにて失礼します」
ミシェルは懐中時計を取り出し、冷たく会話を打ち切った。
スタスタと足早に去っていく背中を見送る。
フローラは心底同情し、深くため息を吐いた。
一方、そんな絶望的な内情など微塵も知らない巨大な皇帝は、最高にウキウキした顔で廊下に立っていた。
「行くぞ」
何も知らない哀れな男が、意気揚々と歩き出す。
ミシェルは「はい」と短く答え、スタスタとその後を追った。
しかし、数歩進んだところで、ギデオンがピタッと足を止める。
「行くぞ」
「はい」
再び歩き出し、またすぐにピタッと止まった。
「おい」
「なんですか」
「あるだろ」
振り返ったギデオンに、ミシェルは感情の読めない視線を向ける。
「何がでしょうか」
「あるだろうが」
「は……?」
完全に意味がわからず、ミシェルは小首を傾げた。
ギデオンはこれ見よがしに両腕を広げ、自らの服装をアピールする。
「服だ。今日はオマエのためにおしゃれをしたぞ」
「そうですか」
「あるだろうが」
「はぁ……?」
冷淡な反応に、ギデオンは苛立たしげに足鳴らしをした。
「よくお似合いで、とか。あるだろうが」
「ああ。新鮮ですね」
「だろうっ。ふふふっ」
適当極まりない感想を向けられたというのに、ギデオンはひどく満足げに鼻を鳴らした。
そのシュールなやり取りを、壁の陰からこっそりと覗き見ている者たちがいた。
フローラ、ピクシー、ティルの三人である。
「なんかギデオン様のほーが、めんどくさい彼女みたいですぅ」
「アレ、大丈夫なのかしら。心配だから付けてみましょうよ」
ティルの的確な感想に頷きつつ、フローラが提案する。
大賢者ピクシーは丸眼鏡の奥で目を光らせた。
「ふふ。面白そうだね」
「ミシェル様が不安なので、お供するですぅ」
ティルも長い耳をパタパタと揺らし、力強く同意する。
こうして、公務という名のデートに向かう二人と、それを尾行する三人の奇妙な外出が始まるのだった。




