55.
帝城の長く静かな回廊を、コツコツと規則正しい足音が進んでいく。
ミシェルは手元の資料から目を離さず、背後から付き纏ってくる巨大な影を完全に無視していた。
「おい、ミシェル」
「…………」
ギデオンが声をかけても、ミシェルはつーんと顔を背けたまま冷たく歩き去ってしまう。
面白くないギデオンは、ちょうど角を曲がってきた小柄な人影を八つ当たり気味に捕まえた。
「おい。ちょっと来い」
「ひぃっ、なんですぅ」
ぐいっと襟首を掴まれたのは、事務官のティルである。
その瞬間、ぴょおおおおおおおというけたたましい音が回廊に鳴り響いた。
「なんだ、この音はっ」
「防犯ブザーというやつですぅっ。ミシェル様に、女子供は身を守るために必ず持つようにと作らされたんですぅっ」
耳を塞ぎたくなるような高音に、ギデオンが顔をしかめる。
騒ぎを聞きつけ、大賢者ピクシーと魔法教官のフローラが慌てて駆けつけてきた。
「何をやってるんだい、二人とも」
「相変わらず、陛下は大人げないですね……」
フローラはギデオンの幼馴染であるため、皇帝相手でも呆れたような容赦ない視線を向ける。
ギデオンはティルを解放し、感心したように腕を組んだ。
「ふむ。さすがミシェルだ。その有用性は高く評価できる。まあいい、お前たち、面を貸せ」
ギデオンは半ば強引に三人を空き部屋へ押し込み、真顔で切り出した。
「ミシェルは俺を嫌っているのだろうか」
「は……」
フローラが心底どうでもよさそうにため息を吐く。
「なんだか俺に冷たくないか」
「今に始まった話ではないのでは……」
「まあ、そうか」
ギデオンは腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「最近俺は頑張っているのだが。少しは俺に惚れても良いのではないか」
三人は一斉に、じ、自信過剰……と心の中でドン引きする。
しかし、巨大な皇帝は真剣そのものだった。
「俺はミシェルのために色々やってやっている。あいつは俺に惚れているものだと思ったのだが」
「それはどうだろうね。あの子はあまり弱音や、内情を吐露するタイプじゃないし」
ピクシーが丸眼鏡を押し上げながら答えると、ギデオンはさらに衝撃的な事実を口にする。
「聞いてみたのだ」
「聞いてみたって」
「俺のこと好きか、と」
三人の間に、気まずい沈黙が落ちた。
「なに、この恋愛弱者……」
「あ」
「ひぃっ」
思わず漏れたティルの的確すぎるツッコミに、ギデオンが低い声で威圧する。
フローラが呆れ果てた顔で続きを促した。
「そしたら、なんて言ったんですか」
「馬鹿なこと言ってないで働け、と」
「ごもっともすぎる……」
三人は深く頷き、ミシェルの塩対応に心から同情した。
ギデオンは苛立たしげに窓枠を叩く。
「俺は気になって仕方ないのだ。あいつが俺のことを好きなのかどうかが」
「ふむ。デートにでも誘ってみたらどうだい」
ピクシーの唐突な提案に、ギデオンが目を丸くする。
「デートに」
「ああ。好きでもない相手とデートはしないだろう」
「なるほど」
ギデオンが分かりやすく目を輝かせた、その時だった。
ばんっ、と勢いよく部屋の扉が開かれる。
「ここで何をサボっているのですか」
入り口に立っていたのは、ゴゴゴゴと目に見えるほどの怒気を背負ったミシェルであった。
ギデオンは空気を全く読まず、堂々と胸を張って言い放つ。
「おい。俺とデートしろ」
ばんっ。
冷酷な一瞥とともに、扉は無情にも閉ざされた。
「……今のは、ないね」
「ないな」
「ないですぅ……」
完全にフラれた空気が漂い、三人は気の毒そうに皇帝を見上げる。
しかし直後、ガチャリと再び扉が開いた。
「で」
顔を出したミシェルに、ギデオンが動揺して聞き返す。
「で、とは」
「いつ行くんですか」
予想外の言葉に、部屋にいた面々が驚愕の表情を浮かべた。
「あ、ああ……。お前の暇な時でいい」
「では、今ちょうど暇なので」
ミシェルは淡々と告げ、冷たい声で付け加える。
「一分で支度してください」
ぱたん、と再び扉が閉まる。
残された三人は、呆然と顔を見合わせた。
「あれ……思ったより、ミシェルくんってギデオンのこと好きなのか……」
そんな外野の困惑をよそに、ギデオンは最高にウザいドヤ顔を決め、ふっと短く鼻で笑うのだった。




