51.
夜の森は冷たく、湿った土と腐葉土の青臭い匂いが漂っていた。
泥仕事と過酷な軍事訓練から逃げ出した貴族の生徒たちは、月明かりを頼りに獣道を歩きながら泣き言をこぼす。
「なんでボクらが、あんな泥仕事をしなければならないんだっ」
「そうだ。こんなことをするために、高貴な我々が学園に入ったんじゃないっ」
木々の間からフクロウの鳴き声が響く中、後ろから草をかき分ける荒い足音が近づいてきた。
息を切らして追いかけてきたのは、同じく泥だらけになったマルコーである。
「待つんだ、お前たち」
「マルコーか。お前だって同じ気持ちだろうっ。あんな理不尽な訓練、耐えられるはずがない」
同調を求める生徒たちに対し、マルコーは膝に手をついて息を整え、鋭い視線を向けた。
「でも、じゃあボクらは実家に帰って何をするのさっ」
「えっ」
マルコーの切実な問いかけに、生徒たちは足を止めて顔を見合わせる。
彼は夜風に金髪を揺らしながら、冷酷な現実を突きつけた。
「今回の軍事訓練は、ただの学園の授業じゃない。皇帝陛下と次期皇妃様が直接主導する、国家プロジェクトだぞ。ここから逃げ出すということは、ただの不登校じゃない。皇室への反逆とみなされるんだっ」
「なっ」
「もし逃げ帰れば、実家の親が責任を問われる。最悪の場合、家名断絶や領地没収だ。親がお前たちをかばうと思うかっ」
貴族社会のリアルな掟を突きつけられ、生徒たちは顔面蒼白になり、ガクガクと膝を震わせた。
「それに、ここにいるお前たちの多くは、家を継げない次男坊や三男坊じゃないか。もし実家が保身のためにお前たちを勘当したら、帰る場所なんて世界のどこにもないんだぞっ」
「そ、それは」
図星を突かれ、彼らは崩れ落ちるように地面へ座り込んだ。
家を継げない彼らが貴族として生き残るには、軍や国で自らの実力で功績を上げるしかないのだ。
「ここで強くなって活躍し、あの『冷徹妃』のお目通りを良くしたほうが、ボクらの未来は開けるはずだっ。あの方は、身分に関係なく結果を評価してくださる」
「た、確かに。マルコーの言う通りだっ」
「ああ。家を追い出されたらおしまいだ。よし、帰るぞっ」
マルコーの熱い説得に心を打たれ、生徒たちは泥だらけの拳を握りしめて立ち上がった。
ぞろぞろと足を引きずりながら学園に戻ってくると、大講堂の入り口に人影があった。
芳醇なアールグレイの香りを漂わせながら、ミシェルが優雅に紅茶を飲んで待っていたのである。
「おかえりなさい。随分と早いご帰還ですね」
「ミシェル様っ。も、申し訳ありませんでしたっ」
逃亡した生徒たちは、一斉に地面へ平伏して謝罪した。
ミシェルは彼らを追いかけるコストすら掛けず、彼らがリスクを計算して勝手に戻ってくることを完全に予想していたのだ。
「許します。貴方たちを捜索する無駄なコストと手間が省けましたからね。明日の訓練も期待していますよ」
「冷徹妃様は、なんとお優しいっ」
一切の罰を与えられなかった生徒たちは勝手に感動し、涙を流して感謝する。
見事なまでにミシェルの掌の上で転がされ、彼らの忠誠心と恐怖はより強固なものになるのだった。




