50.
帝城の執務室。
淹れたての紅茶の芳醇な香りと、羊皮紙を擦る羽ペンの乾いた音が静かに響いていた。
ミシェルはデスクに届いた報告書に目を通し、淡々と結果を読み上げる。
「軍事訓練と世界樹の雫の相乗効果は絶大ですね。マルコーをはじめとする生徒たちの魔力量と魔法力が、ぐんぐんと伸びています」
ピクシーが作成したカリキュラムと、ミシェルの惜しみない投資が見事に結実していた。
しかし、過酷な泥仕事に耐えかねて、学園から逃げ出した貴族の生徒たちも少なからず存在している。
報告を聞いたギデオンが、面白くなさそうに腕を組んで鼻を鳴らした。
「ふん。あの温室育ちの逃げ出した野郎どもめ。俺が直々に捕まえて、その腐った根性を叩き直してやる」
「必要ありません。放っておきなさい」
殺気を放つ皇帝に対し、ミシェルは書類から目を離さずに冷たく却下する。
ギデオンは小さく肩をすくめ、余裕のある笑みを浮かべた。
「ふっ。どうしてかは聞かないでおこう」
自分はわかっていないくせに、ミシェルには何か深い考えがあるのだろうと察し、知ったかぶりをしている顔だ。
ミシェルは紅茶を一口飲み、傍らのソファでくつろぐ大賢者へと視線を向ける。
「それに、逃げた連中の居場所は、ピクシー殿に魔力探知させて全て把握済みです」
「は、把握してるんですぅ?」
書類の整理をしていたティルが、長い耳をピンと立てて驚きの声を上げた。
ミシェルは冷ややかな声で、極めて事務的に答える。
「当然です。逃げた子たちに、これまでどれだけのコストをかけたと思っているのですか。このままタダで流すわけがないでしょう」
「ひぃぃっ」
一切の情を挟まない、投資回収への底知れぬ執念。
ティルはガタガタと身を縮め、怯えたように小首を傾げた。
「でも、じゃあなんで放っておくんですぅ?」
「ふっ。そんなことも分からぬのか、愚者め」
不意に、ギデオンが最高に得意げなドヤ顔でティルを見下ろした。
ティルはパタパタと耳を揺らし、すがるような目を向ける。
「陛下はわかるんですぅ?」
「無論だ」
「じゃあ教えてほしいですぅ」
「答える義理はない」
皇帝の威厳を盾に、ギデオンは頑なに口を閉ざす。
ミシェルは冷めた目を向け、氷のような声で容赦なく切り捨てた。
「まあ、この人は何もわかっていないので、無視でいいですよ」
「ふっ」
完全に図星を突かれたというのに、ギデオンは無駄に整ったイケメンの顔立ちを崩さず、さも計画通りかのように不敵に笑っている。
その態度を見て、ティルは不満げに頬を膨らませた。
「かっこいい顔でやるから、余計にムカつくですぅ」
「貴様。俺はマデューカスの皇帝だぞ」
「ひぃっ、すみませんぅ」
ギデオンが低くドスを効かせると、ティルは一瞬で長い耳を畳んでミシェルの背後に隠れた。
騒がしいやり取りを眺めながら、ピクシーが丸眼鏡を押し上げて確認をとる。
「で、本当に放っておくのかい」
「ええ。ピクシー殿は、そのまま彼らの位置の把握だけをお願いします」
ミシェルはふたたび羽ペンを握り、次の計画に向けて静かに目を伏せるのだった。




