03.
その日から、離宮の支配者は変わった。
表向きは「無能な王女」のままだが、裏では執事もメイドも、ミシェルの指示一つで動くようになった。
彼女が修正した帳簿のおかげで、離宮の財政は潤沢になり、ミシェルはフカフカの羽毛布団を手に入れた。
ついでに、王宮本館の杜撰な会計にもこっそり手を加え、国全体の予算も最適化してやった。
あくまで「自分が快適に寄生するため」の行動だったが、その結果、国はかつてないほどの好景気に湧いていた。
誰も、それが離宮の「無能王女」のおかげだとは気づかずに。
時は流れ、ミシェルは一五歳になった。
運命の呼び出しがかかる。
玉座の間。
九年ぶりに顔を合わせた父王は、老けていた。
一方、姉たちは相変わらず着飾って、ミシェルを見下している。
「ミシェルよ。其方に役割を与える」
国王が重々しく口を開いた。
「隣国の皇帝ギデオンより、縁談の申し入れがあった。……もっとも、誰でもいいから王女を一人寄越せ、という乱暴な要求だがな」
周囲がざわつく。
ギデオン皇帝。
「冷血公」「鉄の皇帝」の異名を持つ、若き覇王だ。
実力至上主義を掲げ、周辺諸国を武力と知略で併合している怪物。
そんな男の元へ嫁げば、無能なミシェルなど三日で首を刎ねられるか、あるいは戦場の最前線に捨てられるか。
「お可哀想に、ミシェル」
第一王女が、口元を歪めて嘲笑った。
「あの野蛮な国では、ドレスも着られないそうよ」
「毎日が戦争だとか。無能な貴女にはお似合いね」
姉たちの言葉には、明確な悪意があった。
厄介払いができて清々する、という本音が透けて見える。
だが。
ミシェルの脳内では、高速の検索が行われていた。
(帝国……検索……ヒット)
『マデューカス帝国:国土は我が国の三倍。資源豊富』
『皇帝ギデオン・ディ・マデューカス:徹底した能力主義。コネや血筋を嫌う』
『宮廷事情:実務派が多数。無駄な夜会や茶会は廃止傾向』
ミシェルの目がカッと見開かれた。
瞳孔が開く。
呼吸が荒くなる。
(コネ上司がいない……だと……?)
それは、社畜にとってのユートピアではないか。
今の王宮は、無能な貴族が血筋だけで偉そうにしている。ミシェルが裏でどれだけ数字を合わせても、評価されるのは彼らだ。
だが、帝国は違う。
結果を出せば評価される。
しかも、無駄な付き合い(夜会)がない。定時で帰れる可能性が高い。
さらに、皇帝は多忙だ。つまり、妻にかまっている暇などない。
=(イコール)、放置プレイ。
=、自由。
=、最高の衣食住と、誰にも邪魔されない読書時間。
「受けます」
ミシェルは食い気味に叫んだ。
あまりの勢いに、国王が玉座からずり落ちそうになる。
「き、貴様……意味がわかっているのか? 人質だぞ? 殺されるかもしれんのだぞ」
「構いません。国のため、父上のため、この身を捧げます」
嘘である。
ミシェルは「さっさとこの泥舟(実家)から脱出して、大企業(帝国)に転職したい」としか考えていない。
だが、その決意に満ちた表情は、周囲に「悲壮な覚悟」と誤解させた。
「……そこまで言うなら行け。二度と戻ってくるな」
「はい。お世話になりました」
ミシェルは深々と頭を下げた。
その顔は、退職届を叩きつけた直後のサラリーマンのように晴れやかだった。




