28.
視察から数日後。
執務室には、古い羊皮紙とインクの匂いが充満していた。
ティルが猛烈な勢いで書類をめくり、弾き出した計算結果を紙に書き付けていく。
「ミシェル様っ。帝国立学園の帳簿、やはり真っ黒ですっ」
先日、教育事業に力を入れることを決意したミシェル。そのための第一歩として、この国の国家教育機関に、メスを入れることにしたのだ。
ティルにデータ分析を任せ、(ミシェルはその他にも大量の事務作業があるため)その結果を今見せてもらった、という次第。
「ご苦労様です、ティル。……やはり実力主義を標榜する学園の実態は、裏口入学と天下りの温床でしたか」
ミシェルは冷ややかに目元に手をやり、分厚いファイルを閉じた。
実力主義という餌で平民を集めながら、実際には裏金を受け取った貴族のバカ息子たちを不正に入学させているドブカス学園である。
「明日は都合の良いことに、学園の入学試験日です。行きましょうか、陛下」
「うむっ」
声をかけられたギデオンは、なぜか満面の笑みで立ち上がった。
愛する妻と一緒に出かけられるのが嬉しくてたまらないらしく、足取りも軽く浮き足立っている。
(これが無能の血)
ミシェルは少しだけ呆れたように小さく息を吐いた。
いくら皇帝とはいえ、頭の中がお花畑すぎる。
しょうがない、血の呪いのせいなのだとミシェルはきっぱりと諦めることにした。
帝国立学園の応接室は、趣味の悪い金装飾と、むせ返るようなきつい香水の匂いで満ちていた。
ふんぞり返って現れたのは、前皇帝の時代から甘い汁を吸い続けている保守派の老貴族、つまりこの学園の学園長である。
「おや、若君ぃ。本日はどうなされたのですかな?」
「不敬ですよ。言葉を慎みなさい」
馴れ馴れしく声をかける学園長を、ミシェルが氷のような視線で射抜いた。
学園長は不快げに顔を歪め、ミシェルを鼻で笑う。
「なんだ女。貴様ごときが、この私に意見するつもりか」
「俺の女に暴言を吐いたな。殺すぞ」
その瞬間、室内の温度が急激に下がったかのような錯覚に陥った。
ギデオンから放たれた圧倒的な殺気と魔力の波が、学園長の全身を容赦なく打ち据える。
「ひぃっ」
物理的な死の恐怖を感じた学園長は、情けない悲鳴を上げて膝から崩れ落ちた。
ガタガタと全身を震わせる老貴族を見下ろし、ミシェルは淡々と本題を切り出す。
「明日は帝国立学園の入学試験日ですね」
「ソ、ソウデスネ」
「試験問題を、今から別のものに変更することを提案します」
その言葉に、学園長はビクッと大きくのけぞった。
「はぁ!? こ、困る! 明日の今日で急に変えられてはっ」
「困る。なぜなら、裏金をもらっている貴族の息子たちに、事前に試験問題を教えているから、でしょう」
「な、なぜそれを知っている!?」
顔面蒼白で叫ぶ学園長に、ミシェルは容赦なく事実を突きつける。
「帳簿を見れば一目瞭然です。資金洗浄のやり方が雑すぎます」
「お、お許しをぉぉっ」
完全に言い逃れができないと悟り、学園長は床に額を擦り付けて土下座した。
ミシェルは冷酷な光を宿した瞳で見下ろしたまま、死刑宣告を下す。
「貴方をクビにするのは簡単です。が、明日の試験を回すための後釜が今いません。とりあえず、その椅子に座らせておいてあげます」
「ひぃいっ」
「次の人材が見つかり次第、即座に切り捨てて投獄します。せいぜい明日、震えながら真っ当な試験監督を務めることですね」
「すみませんぅうっ」
学園長は絶望に染まった顔で、床にへばりついて泣き喚いた。
完全に不正の元凶を黙らせたところで、ギデオンが満足げに腕を組む。
「ふっ。さすがは俺の女だ」
「どうも」
ミシェルが短く礼を言うと、ギデオンは機嫌良く彼女の頭を撫でようと手を伸ばしてきた。
バシッ。
ミシェルは一切の躊躇なく、その大きな手を払いのけた。
「なんですか」
「いやその、頭に葉っぱが」
ギデオンは気まずそうに視線を泳がせた。
ミシェルは懐から手鏡を取り出し、自分の頭の周りをしっかりと確認する。
「ないですが」
「そ、そうか。風で飛ばされたのかもな」
苦しい言い訳をする皇帝を見つめ、ミシェルは再び頭痛を堪えるように目元を押さえた。
大至急、新しい試験問題を作成しなければならないというのに、この上司は本当に手がかかる。




