25.
執務室では、新人のハーフエルフであるティルが、凄まじい速度で書類の山を片付けていた。
彼女の計算能力のおかげで、ミシェルの業務にはかつてないほどの余裕が生まれている。
そこへ、見慣れぬ質の良い平服に身を包んだギデオンが現れた。
「ミシェル。俺は今日休みだ。お前も休め」
「はあ」
唐突な主君の宣言に、ミシェルは短く応じた。
ギデオンは少し居心地が悪そうに視線を逸らし、咳払いをする。
「お前は帝城暮らしで、街の様子をあまり見ていないだろう。お前のための視察だ。お前のためだからな」
「はい。末端の経済状況を把握するのは有益ですね。お供いたします」
ギデオンの不器用な誘いは、ミシェルに見事なまでに業務として受け取られていた。
かくして、二人はお忍びで帝都の商業区へと足を踏み入れることになった。
大通りは活気に溢れ、様々な商品が並んでいる。
ギデオンは屋台の串焼きなどを買ってやろうとしたが、ミシェルは首を横に振った。
「あの肉は端材を使用していますね。原価率が異常に低く、利益を乗せすぎです。購入は推奨しません」
「そうか。まあ、お前らしいな」
ロマンも何もない指摘だが、ギデオンは呆れるどころか楽しそうに笑っている。
彼はミシェルを喜ばせようと、帝都でも有数の高級宝飾店へと彼女を案内した。
重厚な扉の奥には、ビロードの布に載せられた煌びやかな品々が並んでいる。
ギデオンの目に留まったのは、ミシェルの瞳の色に似た、深く澄んだ蒼い宝石のネックレスだった。
「これだ。ミシェル、受け取れ」
「お目が高い。お客様、そちらはただの宝石ではございません」
上品な身なりの店主が、揉み手をしながら恭しく近づいてきた。
「それは数百年前、古代帝国時代に発掘された遺物。持ち主に加護を与える『蒼天の涙』でございます。価格は金貨五百枚となりますが、それだけの価値は確約いたしますよ」
「構わん。包んでくれ」
ギデオンが迷わず財布を取り出そうとした瞬間。
ミシェルが、その手を静かに制した。
「お待ちください、陛下。店主、これはただの合成石ですね」
「なっ。お客様、当店を愚弄なさるおつもりか」
店主の顔から愛想笑いが消え、声のトーンが一段低くなった。
ミシェルは動じることなく、宝石を指差す。
「古代のカット技術ではなく、ここ十年の最新魔導旋盤による均一な研磨痕があります。さらに、含有される微かな魔力波長が、帝都の第三工場で生産されている安価な発光魔法の数値と完全に一致します」
「な、何を馬鹿な」
「原価はせいぜい銀貨三枚。それを金貨五百枚で売るとは、一万倍以上の利益率ですね。随分と強気な詐欺商売です」
ミシェルが静かに、そして的確に事実を突きつける。
店主の顔が怒りと焦りで歪み、彼は舌打ちをして奥の扉に向かって叫んだ。
「チィッ。耳聡い小娘が。おい、こいつらを捕らえろ。生かして帰すなっ」
奥から、物騒な魔道具を手にした屈強な用心棒たちが数人飛び出してきた。
彼らがミシェルに襲い掛かろうとした、その時である。
「俺の女との買い物を邪魔するとは、万死に値するな」
ギデオンが一歩前に出た。
詠唱すらない。彼が指先を軽く振るっただけで、不可視の雷撃が用心棒たちを打ち据え、一瞬にして全員が白目を剥いて床に崩れ落ちた。
「ひっ」
へたり込む店主を見下ろし、ギデオンはミシェルの斜め後ろに下がる。
そして、堂々と腕を組み、誇らしげな笑みを浮かべた。
「ふっ。俺の選んだ女の鑑定眼に狂いはない。お前らのような三流詐欺師が騙せる相手ではないわ」
「私の計算と分析が正しいだけで、陛下の腕組みドヤ顔は必要ありませんでしたが」
ミシェルは冷静にツッコミを入れつつ、衛兵を呼ぶための通信魔道具を取り出した。
「ですが、助かりました。この店の裏帳簿も徹底的に監査し、全額没収といたしましょう」
その後、店主は駆けつけた衛兵に連行され、宝飾店は封鎖された。
帰り道、ギデオンは少し肩を落としていた。
「結局、何も買ってやれなかったな」
「いいえ。今日は視察として有益なデータが取れました。悪徳商法の手口も把握できましたし、良い気分転換になりました」
ミシェルが適正価格で売られていた路地裏の安い砂糖菓子を齧りながら言うと、ギデオンは安堵したように息を吐いた。
「そうか。ならまた、視察に行くぞ」
「予定が空いていれば、お供します」
ミシェルは淡々と返し、隣を歩く過保護な皇帝を見上げて、微かに口角を上げた。




