24.
執務室に、凄まじい勢いで紙をめくる音とペンが走る音が響いている。
音の主は、先日ミシェルの直属の部下として採用されたハーフエルフの少女、ティルである。
「ティル。この第三区画の税収予測の概算は出ている?」
「はいっ。金貨八万四千二百枚です」
ミシェルの問いに、ティルは一秒のラグもなく即答した。
ミシェルは手元の資料に視線を落とし、小さく頷く。
「正解です。五秒で出せるとは、優秀な頭脳をしているわね」
「ひえっ。あ、ありがとうございます」
ミシェルは引き出しから高級な砂糖菓子を取り出し、ティルの机に置いた。
脳を酷使する計算作業には糖分が不可欠である。
ティルは、種族ではなく純粋な能力で自分を評価してくれる上司の存在に、深く感動していた。
「では、財務局へ行き、今月の税収の『集計報告書』を受け取ってきてちょうだい。本来なら昨日提出されているはずの書類です」
「承知いたしましたっ」
ティルは元気よく返事をし、執務室を飛び出していった。
しかし、十分経ってもティルは戻ってこなかった。
ミシェルは目元に手をやり、無言で席を立つ。
財務局の一室では、ベテランの文官である子爵が、ティルを見下ろして鼻で笑っていた。
「ハーフエルフの小間使いか。どうせ数字もろくに読めないのだろう」
「そ、そんなことはありません。集計報告書をいただきに参りました」
ティルの言葉に、子爵はドンッと分厚い書類の山を机に叩きつけた。
それは集計済みの報告書ではなく、各領地から送られてきた未整理の生の領収書とバラバラの帳簿だった。
「我々も忙しくてな。補佐官殿の新しい小間使いは優秀なんだろう。なら、この基礎集計くらい今日中に一人でやってみせろ」
「えっ。し、しかし、これは財務局の仕事では」
「口答えする気か。ああ、亜人に帝国の複雑な税務計算などできるわけがないか。無能な奴め」
あからさまな種族差別と嫌がらせである。
前財務大臣の派閥にいた子爵は、新参者のミシェルとその部下が気に入らないのだ。
理不尽な量のデータ入力を押し付けられ、ティルは涙目で帳簿に向かい合おうとした。
「予定時刻を五分過ぎていますよ、ティル。何をしているのですか」
静かな声と共に、ミシェルが部屋に現れた。
帰りが遅い部下を、正確な時間管理で迎えに来たのだ。
「ミ、ミシェル様っ」
「おや補佐官殿。貴女のペットが簡単な計算もできずに泣きべそをかいていたので、指導してやっていたのですよ」
子爵はせせら笑いながら言い訳を口にした。
ミシェルは冷ややかに目元に手をやり、状況を瞬時に把握する。
「なるほど。ティルが計算できないと?」
「ええ。亜人に帝国の税務計算など、百年早いですな」
ミシェルは無造作に、未整理の帳簿の山を半分に分けた。
そして、冷ややかな視線を子爵に向ける。
「計算できない。では、証明しましょうか。子爵、貴方とティルで、この帳簿の集計競争をしてください」
「はっ?」
「貴方が勝てば、ティルは無能と認め解雇します。ですが、ティルが勝てば、貴方は『計算もできない亜人』以下の処理能力ということになる。給料泥棒として即刻クビに手配します」
ミシェルの提案に、子爵は顔を真っ赤にして怒った。
「何十年も財務畑にいる私が、こんな小娘に負けるわけがないだろう。いいだろう、やってやる」
子爵は高級な計算魔道具を取り出し、自信満々に勝負を受けた。
ミシェルが懐中時計を取り出す。
「スタートです」
ミシェルの合図と共に、勝負が始まった。
子爵が必死に魔道具を弾き、汗水垂らして一行目を計算している間。
ティルはパラパラとページをめくるだけで、凄まじい速度で暗算し、次々と最終的な答えを書き込んでいく。
わずか三分後。
「お、終わりましたぁっ」
ティルが勢いよくペンを置いた。
ミシェルが書類を手に取り、素早く目を通す。
「完璧ですね。すべて正解です」
「なっ。デタラメだ。そんな速度で計算できるはずがないだろう」
まだ一枚目の途中で止まっている子爵が、目を剥いて叫んだ。
ミシェルは冷たく見下ろす。
「私の検算も疑うのですか。どちらが無能か、誰の目にも明らかですね。荷物をまとめて退出してください」
「そ、そんな馬鹿な。私は子爵だぞっ」
絶望して崩れ落ちる子爵を無視し、ミシェルはティルに振り返った。
「よくやりましたね、ティル」
「ミシェル様ぁぁっ。私、一生ついていきますぅぅっ」
ティルは、自分を信じ、実力を証明する機会をくれたミシェルに感極まり、泣きながら抱きついた。
「服に鼻水をつけないでください」
ミシェルはそう口にしながらも、満更でもない様子でティルの銀髪を優しく撫でた。
そこへ、不機嫌そうな顔をしたギデオンが現れる。
彼は、ミシェルに抱きつき、さらに頭を撫でられているティルを見て、ピタリと足を止めた。
「おい、そいつをちょっと撫ですぎ、甘やかしすぎじゃあないか」
「可愛い部下なので当然でしょうが」
「俺だって今日は真面目に執務をこなしたぞ?
「は?」
主従の尊い絆を見せつけられた皇帝は、あろうことか部下相手に本気の嫉妬を燃やし、自分も撫でられようと頭を差し出してきたのだ。
ミシェルは深い溜息をつき、頭痛を堪えるように目元を押さえるのだった。




