22.
聖王国からの巨額の賠償金が入金され、帝国の国庫はかつてないほど潤っていた。
本来であれば、これを原資に国民への減税やインフラ整備を行うべき局面である。
だが、金あるところにハエは集まる。
執務室の扉を叩いたのは、財務大臣のコルベール侯爵だった。
「陛下! 素晴らしい提案がございます!」
恰幅の良い古参貴族である彼は、鼻息も荒く、分厚い羊皮紙の束をギデオンのデスクに広げた。
「今回の賠償金、全額を『国威発揚』のために使うべきかと存じます。具体的には、この王都を見下ろす丘に『新宮殿』を建設し、広場には陛下の『巨大な銅像』を建立するのです!」
「……必要か? そんなもの」
ギデオンは呆れたように書類を眺めた。
現在の皇城で十分事足りているし、自身の像など作られても鳩の休憩所になるだけだ。
「必要ですとも! 大国の威信を内外に示すのです! 予算は金貨五〇〇〇万枚……少々かかりますが、国の顔となる事業ですので」
コルベールは熱弁を振るうが、その目は明らかに「予算を使い切りたい」という官僚特有の欲望で濁っている。
ミシェルは無言で一歩前に出ると、デスク上の予算案に手を伸ばした。
「……拝見しても?」
「おっと」
コルベールは露骨に不快そうな顔をし、書類を手で隠した。
「補佐官殿には難しい話ですぞ。国家財政というマクロ経済は、貴女が普段つけている家計簿とは次元が違うのです」
彼は鼻で笑い、ミシェルを小娘扱いして遠ざけようとした。
「女に経済はわからん。……邪魔をせず、あちらでお茶でも淹れてはいかがかな?」
「……」
ミシェルは表情を変えなかった。
だが、その瞳の奥で、冷徹な計算機が高速で起動する音がしたような気がした。
「そうですか。では、陛下のお手元にある控えを拝見します」
ミシェルはコルベールを無視し、ギデオンの横から書類を覗き込んだ。
パラパラとページをめくる。
その間、わずか三秒。
「……雑ですね。やり直してください」
「は?」
「まず、建設資材の見積もりが異常です。大理石の単価が市場価格の一〇倍になっています」
ミシェルは特定の行を指先で弾いた。
「さらに、施工業者として指名されている『コルベール建設』……これ、大臣の甥御さんが経営されている会社ですよね?」
「なっ……!?」
「身内への発注自体は違法ではありませんが、この『調査費』という名目で計上されている五〇〇万枚。……これ、大臣の隠し口座への送金ルートですね?」
コルベールの顔から余裕が消え失せた。
「そ、それは適正価格で……身内だからこそ安心で……それに調査費は必要な経費で……!」
「資金洗浄の手口が古すぎます。二〇年前の脱税マニュアルでも見て書きましたか?」
ミシェルは冷淡に切り捨てた。
「複雑な会計操作で誤魔化そうとしたようですが、小学一年生の算数レベルでバレバレです。……貴方のやっていることは経済政策ではありません。ただの『お小遣い稼ぎ』です」
「き、貴様ぁ! 大臣に向かって無礼な!」
図星を突かれたコルベールは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
だが、それに対する答えは、ミシェルではなく玉座の主から返ってきた。
「……失せろ」
ギデオンの低い声が、執務室の空気を凍らせた。
「ミシェルの計算が間違っていたことは、ただの一度もない」
「へ、陛下……?」
「貴様を財務大臣から解任する。……横領未遂および背任行為で投獄し、一族の財産もすべて没収だ。連れて行け」
控えていた近衛兵が動き、コルベールの両脇を抱えて引きずり出していく。
「お助けをぉぉぉ! 魔が差したのですぅぅぅ!」
情けない悲鳴が遠ざかると、ミシェルはふぅと小さく息を吐いた。
「……やれやれ。人材不足ですね。後任が決まるまでは、私が財務も兼任します」
「好きにしろ。ふっ、お前が生涯俺のそばにいれば、国庫は安泰だな」
ギデオンは、全幅の信頼を込めてミシェルを見つめた。
こうして、賠償金を目当てにした古狸は排除され、帝国の財布の紐は、世界で一番堅実な補佐官によって守られることとなった。




