21.
聖王国との国境を越え、帝都へと向かう帰りの馬車の中。
最高級のサスペンションを備えた座席は快適そのものだったが、車内の空気は少々奇妙だった。
「……陛下。視線が痛いのですが」
ミシェルは膝の上で帳簿を広げながら、困ったように呟いた。
対面に座るギデオンが、先ほどから一言も発さず、ただ熱っぽい視線でじっとこちらを見つめているからだ。
「減るものではない。……少しは休め。働きすぎだ」
「休んでいる暇はありません。回収した賠償金の運用計画を立てねば」
ミシェルがペンを走らせようとした、その時である。
ドォォォン!!
突然の爆発音が響き、馬車が大きく揺れた。
急停止した馬車の外から、殺気立った怒号が聞こえてくる。
「死ねぇぇ! 帝国の犬め!」
「その金を置いていけ!」
窓の外を覗くと、覆面をした数十人の暗殺者たちが、抜身の剣を手に馬車を取り囲んでいた。
聖王国の強硬派だろう。賠償金を奪い返し、あわよくばミシェルの口を封じようという魂胆が見え透いている。
「……ちっ。五月蝿いハエどもだ」
ギデオンが不快げに舌打ちをした。
せっかくのミシェルとの二人きりの時間を邪魔されたことが、何よりも許しがたいらしい。
「陛下、護衛に指示を……」
「必要ない。俺がやる」
ギデオンはミシェルを手で制し、静かに馬車の窓を開けた。
その瞳には、氷のような冷徹な光と、圧倒的な魔力が渦巻いている。
「……俺の女との時間を邪魔するとは、万死に値する」
彼は馬車から降りることすらせず、無造作に敵の集団へ指先を向けた。
詠唱破棄。
皇帝のみに許された、最強の雷魔法。
「――消えろ。『雷帝招来』」
瞬間、世界が青白く染まった。
鼓膜を劈くような雷鳴と共に、巨大な落雷が幾重にも降り注ぐ。
暗殺者たちは悲鳴を上げる暇もなく、その圧倒的な熱量に飲み込まれ、瞬く間に炭と化した。
一撃必殺。
数十の敵が、指先一つで塵芥に帰したのだ。
硝煙が漂う中、ギデオンはふぅと息を吐き、髪をかき上げながらミシェルを振り返った。
「ふっ、どうだ? ……怪我はないか?」
彼はニヤリと笑った。
その顔には、隠しきれない自信と、称賛を待つ無言の期待が滲んでいる。
ミシェルは、瞬きもせずに窓の外の惨状を見つめていた。
「……」
しばしの沈黙。
やがてミシェルは、冷静に黒焦げになった死体の一部――燃え残った剣の柄にある紋章を指差した。
「……なるほど。聖王国の有力貴族、それも王家に連なる者の私兵ですね」
ミシェルの瞳が、獲物を見つけた猛禽類のように鋭く光る。
「あれは聖王国でも五指に入る名門、アルバス公爵家の紋章です。賊を装っていますが、王家の親族による襲撃の動かぬ証拠です」
「あ、ああ。そうだな」
「ということは」
ミシェルは顔を上げ、この日一番の凶悪な笑み(ニヤリ)を浮かべた。
「これは明確な『停戦協定違反』および『国家元首への殺人未遂』です。……これでさらに、倍額の違約金が取れますよ」
彼女は嬉々として電卓を叩き始めた。
命懸けの襲撃すら、彼女にとっては「臨時ボーナス」の機会でしかなかったのだ。
「……」
ガクリ。
ギデオンは盛大に項垂れ、座席に沈み込んだ。
「……そうか。よかったな」
「はい! 素晴らしい成果です。陛下の魔法のおかげで証拠隠滅も防げましたし(半分炭ですが)、最高です」
「……うん、もうそれでいい」
皇帝の威厳と男気を見せつけようとしたギデオンの試みは、補佐官の凄まじい商魂の前に、あえなく霧散したのだった。




