20.
聖王国との国境近くに設けられた会談場は、あからさまに寒々しかった。
暖炉には火が入っておらず、出された紅茶は冷え切っている。
対面に座る聖王国の宰相は、わざとらしいほど質素な衣服を身に纏い、ハンカチで嘘泣きの芝居を打っていた。
「……というわけでして。貴国のポーション攻勢により、我が国の経済は破綻寸前。金庫には金貨一枚残っておりませぬ。支払いは不可能です」
宰相は机に突っ伏し、帝国の慈悲を乞うた。
先日、聖女アマンダが引き起こした「洗脳未遂テロ」への賠償金および、ポーション市場への風評被害に対する慰謝料。
それらを支払う金がない、という主張だ。
ミシェルは動じることなく、冷めた紅茶を一瞥しただけで口をつけなかった。
これが相手の作戦であることは明白だ。
劣悪な環境で長時間待たせ、相手の根気を削ぎ、減額や支払い期限の延期を勝ち取ろうという魂胆だろう。
「……金がない、ですか」
「左様でございます。国民も日々のパンに困る有様。どうか、慈悲あるご配慮を……」
「奇妙ですね」
ミシェルは懐から一冊の薄いファイルを机に置いた。
「私の調査では、宰相閣下は先週、愛人の方に湖畔の別荘を贈られていますね。購入額は金貨三〇〇〇枚」
「……は?」
「さらに、王族の皆様は、国外の中立銀行に多額の『復興支援金』をプールされています。……まさか、国民が飢えているのに、これを私的流用しているわけではありませんよね?」
ミシェルが淡々と読み上げる口座番号と残高に、宰相の顔から血の気が引いていく。
帝国の諜報能力を甘く見ていた報いだ。
「な、何を証拠に……! それは国家機密費であって……!」
「そうですか。では、現金がないという主張を尊重しましょう」
ミシェルは席を立ち、窓際へと歩み寄った。
窓の外には、聖王国の広場が見える。
そこには、この国の信仰の象徴である巨大な黄金像が鎮座していた。
「現金がないのなら、現物でいただきましょう。あちらの『女神セイファート像』。純金製で、推定価値は今回の賠償請求額とほぼ同額です」
「なっ……!?」
「『債権回収』として、今からあれを解体・搬出させていただきます。工兵ではなく、貴国の国民が見ている前で、堂々と『借金のカタ』として運び出しますが、よろしいですね?」
ミシェルが懐から「差し押さえ執行書」を取り出すと、宰相は悲鳴を上げた。
「ま、待て! あれは国の象徴だぞ! あんなものを他国に持ち去られたら、王家の権威が失墜する! 国民の暴動が起きる!」
「では、今すぐ隠し口座からお支払いください。期限は一〇分。それを過ぎれば、女神の首に縄をかけます」
ミシェルの冷徹な宣告に、宰相は崩れ落ちた。
もはや抵抗の余地はない。
彼は震える手で、隠し資産からの即時支払いを認める書類にサインをした。
「……確かに。全額、一括で回収いたしました」
ミシェルは涼しい顔で領収書を切り、ようやく席を立った。
◇
交渉を終え、会談場の外に出ると、日は既に傾きかけていた。
ミシェルは鞄を抱え直し、国境の門へと向かう。
すると、そこには見慣れた帝国の紋章が入った豪奢な馬車と、その前で腕組みをして待つギデオンの姿があった。
「……陛下?」
ミシェルは目を丸くした。
彼は王都の玉座にいるはずだ。このような辺境まで来る理由がない。
「なぜここに? 護衛も最小限で……何か緊急事態でも?」
「迎えに来た。……予定より三〇分遅いぞ」
ギデオンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
緊急事態などではない。単に、ミシェルの帰りが待ちきれず、居ても立ってもいられなくなって馬を飛ばしてきただけだ。
皇帝自らの出迎えなど前代未聞だが、彼にとってミシェルの不在は、国政の停滞以上に精神衛生上良くないらしい。
「相手が支払いを渋り、駄々をこねましたので。ですが、遅延利息分もしっかり回収しました」
「……そうか。金はどうでもいい。帰るぞ」
ギデオンは呆れつつも、安堵したように口元を緩めた。
彼はミシェルの手を取り、エスコートして馬車へと乗せる。
「はい、陛下」
差し出された手の温かさに、ミシェルは一瞬だけ表情を和らげ、その手を取った。
帰りの馬車の中、膨大な賠償金の使い道を語るミシェルと、それを聞き流しながらただ隣にいることに満足する皇帝の姿があった。




