19.
執務室にて。
ミシェルは、近衛騎士団と文官たちの勤務データを集計したレポートを睨み、小さく溜息をついた。
「……異常ですね」
「何がだ」
「城内の業務効率が著しく低下しています。近衛騎士の巡回速度が一五パーセント低下、文官の書類作成ミスが二〇パーセント増加。……明らかにたるんでいます」
ギデオンは不機嫌そうにペンを置いた。
「ほう。全員クビにして、総入れ替えするか?」
「いいえ。彼らの視線の動きや動線ログを解析した結果、ある『特定の人物』と接触した直後にパフォーマンスが低下していることが判明しました」
ミシェルは一枚の報告書をデスクに置いた。
そこに記されていた名前は、先日、聖王国から親善大使として送り込まれてきた聖女、アマンダだ。
表向きは両国の友好のための滞在だが、その実態は「歩く精神汚染源」だったようだ。
「……なるほど。俺の庭で害虫が湧いたか」
ギデオンの瞳が冷ややかな光を帯びる。
聖王国は、経済制裁も予言も失敗し、なりふり構わず「ハニートラップ」を仕掛けてきたということだ。
「ミシェル、連れて来い」
「はいはい。すぐに捕獲してまいります」
ミシェルは業務的に返事をし、部屋を出て行った。
◇
数分後。
ミシェルに連行され、聖女アマンダが執務室へと入ってきた。
ふわふわとしたピンクブロンドの髪に、あどけない顔立ち。
彼女はギデオンを見るなり、これを好機と捉えたのか、瞳を潤ませて駆け寄ろうとした。
「ああ、陛下……! お会いしとうございました」
アマンダから、甘ったるい香りと、ピンク色の燐光のようなものが立ち上る。
彼女の固有スキル『聖女の魅了』だ。
これを受けた者は思考能力を奪われ、彼女に好意を抱く操り人形と化す。
「こんな冷たい場所で、地味な女に毒されて、お心が休まりませんわね。さあ、私の瞳を見て……私が癒やして差し上げます」
アマンダは上目遣いでギデオンを見つめ、魔力を解放した。
だが。
「……で? 何をしている」
ギデオンは頬杖をついたまま、ゴミを見るような目でアマンダを見下ろしていた。
微動だにしない。
呼吸も、脈拍も、表情一つ変わらない。
「えっ……? な、なぜ効かないの!?」
アマンダが凍りつく。
今までどんな男も落としてきた絶対の自信が揺らぐ。
狼狽える聖女の横から、ミシェルが淡々と歩み出た。
「無駄ですよ。対策済みですので」
「は……?」
ミシェルはギデオンの胸ポケットから、一枚の紙片を取り出し、アマンダに見せつけた。
それは、真っ黒に変色していた。
「陛下にお持ちいただいていた『対状態異常・検知札』が黒く反応していますね。やはり、貴女のそれは『精神汚染系の毒』と同じ波長です」
「はあ!? 私の神聖な魅了が、毒と一緒だと言うの!?」
アマンダが金切り声を上げた。
愛の奇跡を毒扱いされ、プライドが許さなかったのだろう。
しかしミシェルは、冷静に事実を突きつける。
「思考能力を奪い、判断を鈍らせ、対象を依存させる。症状としては神経毒や麻薬中毒と同じです。……あたしの魅了が毒と一緒だと言うのか、ですか? ええ、一緒ですね」
「なっ……!」
「間抜けは見つかったようですね。……衛兵、捕縛を」
ミシェルが指を鳴らすと、控えていた衛兵たちが雪崩れ込み、アマンダを取り押さえた。
「ち、ちが……放しなさいよ! 私は聖女よ! 愛を振りまいただけよぉぉ!」
「他国の元首に対し、無許可で精神干渉魔法を行使した時点で、それは愛ではなく『テロ行為』です。地下牢で頭を冷やしてください」
泣き叫ぶアマンダが引きずり出されていく。
再び静寂が戻った執務室で、ギデオンがニヤリと口角を上げた。
「……よくやった、ミシェル。期待以上の働きだ」
その笑顔は、実に凶悪で、かつ満足げだった。
彼としては、ミシェルが自分のために完璧な対策を講じ、害虫を排除してくれたことが嬉しくてたまらないのだ。
(……やれやれ。あの悪い笑顔)
しかし、ミシェルは溜息をついた。
(聖王国との交渉で、今回のテロ未遂をネタに、いくら賠償金をふんだくろうかと計算している顔ですね。商魂がたくましいことです)
「では陛下、これより聖王国への請求書の作成に入ります。慰謝料込みで、国家予算の三年分ほど吹っ掛けましょうか」
「……あ、ああ。好きにしろ」
ギデオンは少しだけ肩を落としたが、すぐに気を取り直し、頼もしすぎる「相棒」との残業に戻るのだった。




