17.
その日、ミシェルの元に、古参貴族の筆頭であるバルガス侯爵夫人から、茶会の招待状が届いた。
仰々しい筆致で「親睦を深めたい」とあるが、その実態は「加護なしの成り上がり」への牽制とマウントであることは明白だ。
「……茶会。世界で一番生産性のない時間ですね」
ミシェルは招待状をゴミ箱へ放り込もうとしたが、ギデオンがそれを片手で止めた。
「行け。バルガスには巨額の『使途不明金』がある。茶会はその屋敷で行われるんだろう? ……わかるな?」
ギデオンは懐から、一通の書類を取り出した。
皇帝の署名が入った「特別監査委任状」だ。
「……承知いたしました。では、お茶ではなく『監査』に行ってまいります」
ミシェルは口元だけで薄く笑い、その書類を鞄に収めた。
◇
バルガス侯爵邸のサロンは、見たこともないような豪華な調度品で溢れ返っていた。
集まった貴婦人たちは、入室したミシェルを扇子の陰から嘲笑う。
「あら、なんて地味なドレス。宝石のひとつもお持ちでないの?」
「加護のない平民上がりには、この最高級の紅茶の香りも猫に小判でしょうけれど」
夫人は勝ち誇った顔で、ミシェルにカップを勧めた。
ミシェルは動じず、逆に部屋の中を見回して問いかける。
「素晴らしいお茶ですね。……ところで、この茶葉の購入費は『会議費』として経費計上されていますか? それとも家計ですか?」
「は、はぁ? 何を言って……」
夫人が眉をひそめた瞬間、ミシェルは懐から委任状を取り出し、冷徹に告げた。
「本日これより、特別監査を行います。当家に脱税および公金横領の疑いがあります。……今すぐ帳簿をお出しください」
サロンの空気が凍りついた。
夫人が悲鳴のような声を上げる。
「な、何を言っているの! ここは侯爵家よ! 帳簿なんて……そ、そんなもの、ここにはないわよ!」
「そうですか。では、私が直接探させていただきます」
ミシェルは足音を立てずに部屋の中を歩き始めた。
前世の記憶が蘇る。
かつて勤めていたブラック企業で、経費を横領していた部長も、監査が入った瞬間に同じ反応をしていた。
人間は、後ろめたいものがある時、無意識に「隠し場所」を確認してしまう生き物だ。
(……さて、どこを見ますか?)
ミシェルはあえて、壁にかかった巨大な肖像画に近づく素振りを見せた。
瞬間、夫人の視線が激しく泳ぎ、暖炉の上に置かれた「大きな飾壺」に吸い寄せられるのを、ミシェルは見逃さなかった。
「……なるほど。あちらですか」
ミシェルは肖像画を通り過ぎ、迷わず暖炉の上の壺に手を突っ込んだ。
二重底の手応え。引きずり出したのは、黒い革表紙の分厚い帳簿だった。
「ひっ……!」
「……やはり。二重帳簿ですね。実際の売り上げの四割を隠蔽し、道路整備予算を流用しています」
パラパラとページをめくり、動かぬ証拠を確認する。
その時、扉が乱暴に開かれ、当主であるバルガス侯爵が飛び込んできた。
「貴様! 我が家で何をしている!」
「監査です。……侯爵、これが貴方の『裏の顔』ですね」
ミシェルが黒い帳簿を突きつけると、侯爵の顔から血の気が引いた。
「な、なぜ場所がバレた!? 絶対に見つからないはずの……!」
「そちらの奥様が、視線で丁寧にお教えくださいましたよ」
ミシェルが淡々と告げると、侯爵は怒りで顔を真っ赤にして夫人を怒鳴りつけた。
「ばっ、馬鹿者ォォォ!! 何をやっているんだ貴様はぁ!!」
「あ、あなただって! 私に管理を押し付けたじゃない!」
先ほどまでの優雅さは消え失せ、夫婦による醜い責任のなすりつけ合いが始まった。
やがて、逃げ場がないと悟った二人は、ミシェルの足元に縋り付く。
「か、勘弁してください! 魔が差したんです!」
「先ほどのご無礼をお許しくださいぃぃ!」
「……感情的な謝罪は不要です。法廷で申し開きをしてください」
ミシェルは冷ややかに見下ろした。
◇
サロンを出たミシェルは、通信用魔道具を取り出し、ギデオンへの回線を繋いだ。
『……どうだった』
「黒でした。決定的な証拠(二重帳簿)を確保しましたので、至急、憲兵隊を派遣してください」
『ふっ……やはりお前は役に立つな』
水晶の向こうで、ギデオンが満足げに笑う気配がした。
『……それより、怪我はないか?』
「は? ありませんが」
『そうか。いや、あの夫人はヒステリーで有名だからな。何かされたら、俺が直接……』
「いえ、喚いていただけですので無傷です。……用件はそれだけですか?」
『え? あ、ああ……』
「では、失礼します」
ブツッ。
ミシェルは躊躇なく通信を切った。
無駄話をしている暇はない。今は一刻も早く、この証拠書類を整理し、告発状を作成しなければならないのだ。
主君が通信の切れた水晶を見つめ、深いため息をついていることなど、知る由もなかった。




