15.
その日、ミシェルは月次兵站レポートをめくりながら、眉間のしわを深めていた。
数字の羅列の中に、見過ごせない異常を見つけたからだ。
「……おかしいですね」
北方駐屯地への「ポーション(回復薬)」の納入数が、先月より一五パーセントも減少している。
現場からの報告はまだ上がってきていない。だが、物流の滞りは、やがて前線の崩壊を招く。
ミシェルは即座に席を立ち、宮廷医務室へと向かった。
◇
「あら、ミシェル。……よくわかったわね。今ちょうど、貴女への報告書を書いていたところよ」
医務室に入ると、宮廷医のフローラが頭を抱えていた。
机の上には、空になったポーションの瓶が転がっている。
「在庫が底をつきかけているの。原因は原料不足よ」
「薬草ですか?」
「いいえ、『聖水』よ。隣の聖王国からの輸入が止まったの」
ポーションの主原料である聖水は、聖王国の独占輸出品だ。
フローラによれば、ここ数日、聖王国側が一方的に価格を三倍に吊り上げ、出荷を渋り始めたのだという。
「……なるほど。足元を見られましたか」
ミシェルは部屋の隅にある通信用魔道具を起動し、聖王国の通商担当司祭を呼び出した。
水晶玉の向こうに、恰幅の良い司祭の顔が浮かぶ。
『おお、これは帝国の補佐官殿。……いやはや、嘆かわしいことです。近年、祈りの力が弱まり、聖水の湧きが悪くてな。値上げはやむを得んのですよ』
司祭は申し訳なさそうな顔を作っているが、その目は笑っていた。
明らかに嘘だ。
帝国が経済的に潤ったのを見て、搾り取れるだけ搾り取ろうという魂胆が見え透いている。
加えて、加護のないミシェルを重用するギデオンへの、宗教的な嫌がらせも含まれているだろう。
「……そうですか。祈りが足りないとは、大変ですね」
ミシェルは無表情に告げ、一方的に通信を切った。
そして、フローラに向き直る。
「フローラ様。その聖水、少しお借りします」
「え? いいけど……何をする気?」
「成分分析を行います」
ミシェルの言葉に、フローラは絶句した。
「な!? 分析って……聖水は神の奇跡そのものよ? 『完成された聖なる物質』を分解して調べるなんて、そんな罰当たりな発想……」
「液体として存在する以上、それはただの化学物質です」
ミシェルは断言した。
この世界の住人にとって、聖水はアンタッチャブルな聖遺物だ。だが、前世の記憶を持つミシェルに、その宗教観は通用しない。
奇跡などない。あるのは物理現象だけだ。
「……やってください。私が責任を持ちます」
「はぁ……わかったわよ。貴女、本当に神様すら恐れないのね」
フローラは呆れつつも、錬金術師たちを招集し、聖水の解析を始めた。
◇
数時間後。
検査室から出てきたフローラは、顔面蒼白だった。
手には、分析結果を記した羊皮紙が震えている。
「……嘘でしょ? 信じられない」
「何が出ましたか」
「これよ」
フローラが差し出した紙には、聖水の正体が記されていた。
――『光の魔石』の微細粉末および、精製水。
「ただの水に、光属性の魔石を細かく砕いて溶かし込んだだけ……それが聖水の正体だったのよ」
「なるほど。やはり、そんなことでしたか」
ミシェルは納得したように頷いた。
だが、フローラの衝撃は収まらない。
「でも、これ……うちの鉱山で宝石をカットする時に出る『研磨クズ』じゃない!」
帝国の鉱山では、光の魔石が多く産出される。
ジュエリーや魔道具として加工する際、大量の粉塵が出るが、帝国ではそれを「産業廃棄物」として捨てていた。
聖王国は、それを(あるいは同等のクズを)ありがたがって「聖水」と呼び、高値で帝国に売りつけていたのだ。
「灯台下暗し、とはこのことですね。……フローラ様、国内の鉱山からクズ粉を集めてください。タダ同然で量産できます」
「あ、ありがとうミシェル。……貴女のおかげで、目が覚めたわ」
「当然です。必要なのは祈りではなく、物理的なリソースですので」
ミシェルは淡々と今後の生産ラインを指示し始めた。
その様子を、いつの間にか部屋の入り口に立っていたギデオンが、腕を組んで眺めていた。
「……くく」
ギデオンは愉悦に満ちた笑みをこぼす。
「他国の『信仰』を『ゴミ』に変えるとはな。……まったく、いい気味だ」
こうして、聖王国の売り渋りと不当な値上げは、ミシェルの科学的アプローチによって無力化されたのだった。




