10.
その日は、待ちに待った休日だった。
先日、皇帝から報酬として受け取った「帝都DBホテル・スイーツビュッフェ」のプレミアム招待券。今日はその行使日である。
紺色の外出着に身を包み、足取りも軽く部屋を出ると――。
「……陛下?」
廊下に、見慣れぬ格好の男が立っていた。
上質な生地だが装飾の少ない、平民風の服装に身を包んだギデオンだ。
「奇遇だな、ミシェル。俺も街へ出る用事がある」
「……護衛はつけないのですか」
「お忍びだ。それに、お前一人を街へ放り出せば、またどこぞの店で『業務改善』と称して騒ぎを起こしかねん。俺が監視役をする」
「騒ぎなんて起こしませんよ。失礼な」
ギデオンは不敵に笑い、ミシェルの手から荷物を奪い取った。
どう見てもついてくる気満々である。
ミシェルは小さく溜息をついた。
(休日なのに上司同伴……。まあ、お財布代わりにはなりますか)
ミシェルは頭を切り替え、甘味への期待に胸を膨らませて馬車に乗り込んだ。
◇
帝都DBホテル。
王侯貴族も御用達のこの最高級ホテルは、いつもなら優雅な空気に包まれているはずだった。
だが、ラウンジに足を踏み入れたミシェルは、異変を感じ取った。
空気が重い。
支配人が、真っ青な顔で頭を下げて回っている。
「お客様、申し訳ございません。本日のスイーツビュッフェは中止となりました……」
「中止……?」
ミシェルの思考が停止した。
目の前が真っ暗になる。
楽しみにしていたケーキ。タルト。プディング。それらが全て消え去った。
世界が終わったような絶望顔で立ち尽くすミシェルの耳に、奥から怒声が飛び込んできた。
「だから言っているだろう! 砂糖がないんだよ!」
恰幅のいい商人が、ホテルの仕入れ担当者を怒鳴りつけていた。
「南方の産地で大規模な干ばつが起きた! サトウキビ畑は全滅だ! 砂糖は今や砂金と同じ価値があるんだぞ!」
「そ、そんな……。ですが、契約では……」
「知ったことか! 欲しければ今の五倍の値を払え! 嫌なら他をあたるんだな!」
商人の言葉に、ミシェルの瞳から光が消えた。
代わりに、冷徹な「監査官」の光が宿る。
彼女は無言でツカツカと商人の元へ歩み寄った。
ギデオンは「始まったな」と、面白そうに壁に寄りかかり、腕を組んだ。
「――おじさん」
「あ? なんだ子供か。あっちへ行け」
商人が煩わしそうに手を振る。
ミシェルは動じない。
「今、『南方が干ばつ』とおっしゃいましたか?」
「ああそうだ! 雨が降らなくて全滅だ! だから砂糖は品薄なんだよ!」
「おかしいですね」
ミシェルは首を傾げた。
「南方の領主から届いた最新の納税報告書――その数値を参照する限り、読み取れる事実は『恵みの雨による、過去十年で最大の大豊作』というデータでしたが?」
商人の動きがピタリと止まる。
「な、なんだと……?」
「私は城で財務を担当している者です。昨日の確定申告データによれば、南方の砂糖生産量は前年比一二〇パーセント。倉庫がパンクするほどの在庫を抱えているはずですよ」
ミシェルは一歩踏み出した。
その視線は、獲物を追い詰める猛禽類のそれだ。
「もし本当に干ばつで全滅したのなら、領主が皇帝陛下に『嘘の豊作報告』をして、架空の税を納めようとしていることになりますね? それは国家反逆罪です」
「ひっ……!」
「あるいは、豊作なのに『干ばつだ』と嘘をついて、貴方が不当に価格を吊り上げているのか。……どちらにせよ、貴方は『虚偽報告』および『市場攪乱罪』で重罪ですよ?」
逃げ場のない二択。
商人の顔から脂汗が噴き出した。
図星だ。豊作で値崩れするのを恐れ、嘘の情報を流して在庫を隠し、価格を吊り上げようとしたのだ。
「う、うるさいっ! ガキが知ったような口を……!」
逆上した商人が、ミシェルに向かって拳を振り上げた。
だが、その腕が振り下ろされることはなかった。
「――ほう。俺の連れに触れるつもりか」
横から伸びた手が、商人の手首を万力のように締め上げたのだ。
ギデオンだ。
フードの下から覗く赤い瞳が、商人を射抜く。
「い、痛い、痛い痛い! 離せ!」
「連れの言う通りだ。欲をかくと痛い目を見るぞ。……倉庫の在庫を吐き出して、相場通りの価格で納品しろ。さもなくば」
ギデオンは声を低くした。
「帝国の法が、貴様を裁くことになる」
「そ、そのお顔! ま、まさかギデオン皇帝陛下!?」
圧倒的な殺気と、フードの隙間から見えた風貌に、商人は悲鳴を上げた。
彼は腰を抜かしながら、「ひいいっ! わ、わかりましたぁ、すぐに納品しますぅ!」と叫んで逃げ出した。
◇
数時間後、
無事に砂糖が納品され、ビュッフェは予定通り開催された。商人が隠し持っていた在庫を、適正価格で仕入れさせたのだ。
ミシェルは窓際の席で、山盛りのショートケーキを頬張っていた。
「ん~……ッ! やはり糖分こそ正義です……」
至福の表情。
先程の修羅場が嘘のように、彼女の顔はとろけている。
ギデオンはコーヒーを飲みながら、そんなミシェルを呆れたように、しかし優しい目で見つめていた。
「ついてるぞ」
「え?」
ギデオンが手を伸ばし、ミシェルの口元についた生クリームを、親指でスッと拭った。
そして、あろうことか、そのまま自分の口へと運んだ。
「ふむ。悪くない味だ」
「…………」
(冷血皇帝でも、こういう男性並みの気遣いはできるのですね)
ミシェルは淡々とそれだけを感想として抱き、何事もなかったかのようにフォークを動かし始めた。
どうやらこの元社畜王女、色恋の甘い雰囲気には、砂糖菓子ほど興味がないようだった。




