01.
その宣告は、まるで死刑判決のように厳かに響き渡った。
「ゲータ・ニィガ王国第八王女【ミシェル】。先に行われた【加護鑑定の儀】の結果、其方には、神より与えられし『加護』が一つもないことが判明した。王家の歴史における汚点であり、面汚しである」
玉座の間。
重苦しい沈黙の中、父である国王の声だけが冷徹に降り注ぐ。
豪奢なシャンデリアの下、大理石の床に跪いているのは、本日六歳になったばかりの少女、ミシェルだ。
周囲を取り囲む貴族や騎士、そして異母姉である王女たちの視線は、氷のように冷たい。憐れみと、それ以上の侮蔑。
だが、誰も知らなかった。
うつむく小さな少女の内側で、今まさに三〇年分の「前世の記憶」が濁流のように蘇り、彼女の人格を塗り替えていることを。
(……ああ、思い出した)
ミシェルは震える膝を抑え込みながら、走馬灯のように前世を反芻していた。
日本の地方都市。奨学金という名の借金を背負い、ブラック企業に就職した自分。
手取り一四万。家賃四万のボロアパートは、雨の日には壁から水が染み出し、冬は外と同じ気温になった。
毎朝六時に出社し、終電で帰る日々。残業代は「みなし」で消滅し、上司からは「お前の代わりなんていくらでもいる」と罵倒され続ける。
コンビニの廃棄弁当と、特売のパンの耳をかじり、栄養ドリンクで誤魔化し続けた胃袋。
そして最後は、三徹明けのデスクで意識が飛び、そのまま二度と目覚めることはなかった。
過労死。
あまりにも救いのない最期だった。
「――よって、ミシェル。其方を北の離宮へ軟禁処分とする」
国王の無慈悲な声が続く。
ミシェルはハッと意識を戻した。
「王族としての籍は残してやるが、待遇は期待するな。北の離宮は古く、暖炉の薪も十分には用意できぬ。食事も我々の残り物、あるいは使用人以下の質素なものとなるだろう。侍女も最低限の一人しか付けぬ」
周囲からクスクスと失笑が漏れる。
北の離宮といえば、かつて罪人が押し込められていた廃屋同然の場所だ。
華やかな王宮生活から一転、寒さと飢えに震える囚人生活。六歳の少女には耐え難い地獄に違いない。
誰もがミシェルの絶望と号泣を予想した。
あるいは、恐怖で失禁してしまうかもしれないと。
「……」
ミシェルの肩が、小刻みに震え始める。
ほら見たことか、と姉の一人が扇子で口元を隠して嘲笑った。
だが。
ミシェルの顔面は、歓喜で歪んでいた。
(……やった。やった、やったぁ……っ)
彼女は心の中で絶叫していた。
北の離宮。
前世の記憶にある「風呂なし・トイレ共同・築四〇年の木造アパート」に比べれば、王宮の離宮など腐っても石造りの豪邸だ。
屋根がある。壁が厚い。それだけで、隙間風に凍えていた前世よりマシだ。
暖炉の薪が不十分だとしても、前世では電気もガスも止められ、新聞紙を身体に巻いて寝ていたのだ。毛布が一枚でもあるなら天国である。
(それに、食事。残り物だって……)
王族の食事の残り物。
それはつまり、最高級食材の余りということだ。
コンビニのおにぎり一個で一日を繋いでいた社畜時代に比べれば、それは「毎食フルコース」と同義である。
しかも、労働の対価ではない。
ただそこに生きているだけで、飯が出てくるのだ。
「今後、其方に自由はない。政略結婚の道具として使い潰されるその日まで、離宮で王族としての義務教育を受け続けよ。来る日も来る日も、死ぬほど勉強をさせる。遊ぶ時間などないと思え」
国王が追い打ちをかけるように言った。
ミシェルは、思わず顔を上げた。
その瞳は、キラキラと異様な輝きを放っていた。
(教育が……無料……?)
前世では、学ぶことすら金がかかった。
奨学金という足枷をはめられ、それを返すためだけに働き、学ぶ時間など一秒もなかった。
それが、どうだ。
ここでは、衣食住が保証された上で、最高の教師から知識をタダで授けてくれるという。
職業訓練校どころの騒ぎではない。
貴族の教養、歴史、計算、魔法理論。それらを身につければ、将来もし王宮を追い出されても余裕で生きていける。
それを、タダで。
労働の義務もなく。
ただ「勉強するだけ」でいい。
(神か。ここは天国か。国王陛下は仏の生まれ変わりか……っ)
ミシェルの目から、大粒の涙が溢れ出した。
あまりの好待遇。
あまりのホワイト環境。
感謝の念がキャパシティを超え、涙腺を決壊させたのだ。
「……う、ううっ……」
嗚咽を漏らすミシェルを見て、国王は満足げに頷いた。
自分の冷酷な処分に、幼い娘が絶望していると確信したからだ。
「よいか、ミシェル。これは罰だ。無能な其方には、王族としての華やかな生活は許されぬ。一生、日陰で生きるがよい」
「ありがとうございますっ」
ミシェルは床に額を擦り付け、最大の敬意を込めて叫んだ。
よく通る、元気な声だった。
「へ?」
国王の声が裏返る。
嘲笑っていた姉たちの扇子が止まる。
「このような無能に、住居と食事を与えてくださるだけでなく、教育の機会まで。ああっ、なんと慈悲深いのでしょうか。お父様、いえ、陛下。ミシェルは幸せ者です」
ミシェルは顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔だが、そこには一点の曇りもない、純度一〇〇パーセントの幸福があった。
「謹んで、その処分をお受けいたします。今日から引きこもります。絶対に外には出ません。ありがとうございますっ」
玉座の間が静まり返る。
誰もが言葉を失っていた。
あまりに過酷な宣告を受け、幼い精神が崩壊してしまったのだ。
そうとしか思えなかった。
「……狂ったか。哀れな」
国王が気まずそうに目を逸らす。
周囲の貴族たちも、「可哀想に」「やはり無能は精神も脆い」とひそひそ囁き合った。
だが、ミシェルは止まらない。
心の中でガッツポーズを連打し、すでに「今日の夕食」と「フカフカのベッド(たとえ藁でも前世よりマシ)」に思いを馳せていた。
こうして。
加護なしの第八王女ミシェル・フォン・ゲータ・ニィガの、快適すぎる軟禁生活が幕を開けた。
彼女はまだ知らない。
その「社畜基準の感謝」と「暇つぶしの猛勉強」が、やがてこの国の財政を根本から覆し、大陸全土を巻き込む大騒動に発展することを。
今はただ、屋根のある家に帰れる喜びだけがあった。




