第36話 城塞都市ナムール
あの後も馬車の中で侍女たちの攻勢は続いていた。それをなんとかやり過ごしているうちに、ソフィエお嬢様の部隊は目的地である城塞都市ナムールに到着した。
さっそく領主邸にて、ナムールの代官にソフィエお嬢様が領主代理の着任の報告と手続きをする。領主代理とはいうものの主にナムールの防衛が任務の中心だ。権限は持つものの内政にはほぼ関わらない予定だ。
辺境伯の直系一族が少ないため、娘であるお嬢様が機能するのならば、この緊迫した情勢下では最前線の都市の領主代理としては理想的な人事となる。
そしてお嬢様は優秀であり、その点に心配はない。
これからしばらくは、今まで無人だったこの領主邸がお嬢様の住まいとなる。この石造りの領主邸は城塞都市のせいか少し無骨な造りだ。もちろん主人不在ではあったが、メイドは数人常駐しており邸宅の内部も小さな庭もきれいに手入れされていて、すぐに住める状態だ。
私も第一騎士としてこの領主邸内に一室をあてがわれた。
リネケ、アレッタのお嬢様付きの両侍女がその場で何かを言いそうだったから、睨みつけて黙らせておいた。
まったく。先程までの馬車のような限られた空間ならともかく、公私の別はきちんと分けて欲しいものだ。
と思ったら、お嬢様も何かを訴えるような目で私を見ていた。
…部屋が分かれていたって、話をする機会は十分あると思うのだけど。むしろお嬢様の部屋には常に侍女がいて二人きりになれない分、私の部屋があった方が良いと思うのだが。
代官に着任の挨拶をしたあと、今度はナムールの守備隊長との軍議に入る。軍議といっても主にナムールの近況報告を受ける形だが。
ここナムールの守備隊長の名前はベーズといって、少し細身で茶色の短髪に鋭い目つきで見る人に威圧感を与えるタイプだ。だが以前にここを任地としていたときに知っているが、見た目通りに厳しいところもあるが、頭が切れるタイプでかつ部下を思いやるいい隊長である。
ナムールのような辺境伯領で有数の都市でかつ重要な防衛拠点を任される守備隊長が、優秀でないわけがないのだった。だから基本的に防衛は今までどおりベーズ守備隊長に任せておいていいはずだ。
そんなベーズ守備隊長によると、聞いてはいたがリーレが陥落する以前より、たびたびフランティエの小部隊がこのナムール周辺で散見されていたようだ。さすがに城塞都市として防備が堅いナムールを落とせるような兵士数は見られないものの、友好的ではない強兵のフランティエの部隊がいるのは心中穏やかではいられないといったところのようだ。
そしてフランティエからここライデン辺境伯領へは、兵だけでなく使者も出ており、たびたびこのナムール経由で訪れているようだ。
内容は懐柔と脅しだ。今後は領主代理として、フランティエの使者もここで一度お嬢様が接見することになる。
とはいえ直近のフランティエとの外交問題は、問題が大き過ぎてお嬢様が処理できるような内容はほぼ無いと思う。そのまま辺境伯の元へ通すことになるだろう。
私はナムールで防衛任務についたことがあり、大体の防衛機構は把握済みだが、もちろんお嬢様にその経験は無いので、軍議後は守備隊長と共に現地視察ということになった。
高い城壁の上に昇り、ナムールの内外を見る。
城塞都市という名の通り、城壁の内側は人口こそそこそこいるが、産業が活発といった感じは見られない。とはいえライデン辺境伯領の王都側への玄関口でもあるので、ひっきりなしに馬車が出ては入っていく。
城壁の外側を臨めば、東側は我々が来た方向でマース川が流れており、そこを下っていくと領都リュージュがある。
北は王都から帰還する時に通った森に挟まれた大きな街道があり、その先にはブリューゼルや王都アントオラニエがある。出入りする馬車列は主にこちら側が多い。
西は大きな森が広がるが、その森の向こう側はデルフト公爵の派閥に属する貴族たちの領地が広がっている。なのでそこまで交流があるわけではない。
問題は南だ。
鬱蒼とした森や丘陵が広がり、人はほとんど住んでおらず、大きな街道も特にない。しかしそのさらに向こう側にはフランティエ領がある。フランティエ側も特に大きな都市があるわけではないはずだが、近郊の街を拠点に細い道や獣道などを使って、フランティエの小部隊がこちら側に出没しているようだ。
城壁上からベーズ守備隊長の説明を聞く。
あの辺りを通ってフランティエ領から来ているようだ、とかあの辺りに小部隊の駐屯スペースがありそうだとか南の森の大体の位置を指さしてくれている。
とはいえ、フランティエがただちに攻めてくるということはないだろう。まずこのナムールは先日陥落したリーレ程の大都市ではないものの、逆に攻めるに難しい城塞都市だ。
フランティエ軍のほとんどはリーレ付近の北部に集中しており、少し離れたここを攻める余力は現状ないはずだ。そして第一にライデン辺境伯を軽々しく攻めてしまえば、フランティエが一番望んでいないブランデリック帝国に走るという結果だけが残る。だからすぐ攻めてくるということはないが、北部の状況によっては何がどう転ぶかはわからない。そんな時に現地で臨機応変に対応できるように権限をもったソフィエお嬢様が領主代理として着任したというわけだ。
城壁の冷たい石畳に風が吹きつけ、砂が舞ってライデンの旗がはためく中、南の森の木々が不気味に揺れた。そこにフランティエ軍がいると決まったわけではなく、ただの風だろうが緊張感が漂うのは否めない。
一通り城壁の上からの視察と説明を受けたので、降りてことになった。
あとでお嬢様と二人で城壁の上を散歩してもいいかもしれないと思った。
しかしこの情勢下で城壁の上に見張りの他、兵士が全くいないというわけがなく、完全に二人きりにはなれないだろうなと思うあたり、私も少し浮ついているのだろうか。




