密室病室と消えた心臓 『天才医師・天城悠人の事件簿』
一部 初期投稿時にコピペ漏れがありました。修正しました。すみません。
VIP病棟・深夜
高級病院のVIP病棟。選ばれし者のみが入院を許されるこのエリアには、静寂すらも特別料金が発生しそうなほどの厳かな雰囲気が漂っていた。廊下には消毒液の香りが漂い、壁際に設置された観葉植物すら「私たちもセレブです」と言わんばかりに堂々と葉を広げている。
その夜、病棟の奥まった一室で、一人の患者が息を引き取った。財前宗一郎、60歳。政財界に顔が利く大物実業家で、心臓移植を待っていたが、ついに寿命が尽きたのだった。担当医は淡々と死亡を確認し、看護師たちは手際よく遺体を安置した。
「では、念のため電子ロックを確認しますね」
若い看護師がタブレットを操作すると、部屋の扉がピピッと電子音を鳴らして施錠される。病室のドアには最新のセキュリティシステムが搭載され、顔認証と指紋認証がなければ開かない。これで完璧なはずだった。
――が、翌朝。
「え……? ちょ、ちょっと待ってください!」
朝の回診に訪れた看護師の悲鳴がVIP病棟に響いた。
遺体の入ったベッドを囲む医師たちが、一斉に顔を見合わせる。そこには、確かに財前宗一郎の亡骸があった。だが――
「心臓が、ない!?」
胸元にはぽっかりと空いた空間。まるで何者かが器用に取り出したかのように、心臓だけがきれいさっぱり消えていた。
病院側は大混乱!
「密室の中で、心臓だけが消えるなんて、そんなことありえない!」
「うちの病院、大丈夫なのか?」
「何かの都市伝説か?」
この不可解な事件を重く見た病院長・桐生正一は、警察沙汰になる前に非公式に“ある人物”へと相談することにした。
そう、天才医師、天城悠人である。
「天城先生、ちょっといい?」
病院長・桐生正一が渋い声で呼び止める。年の功を感じさせる皺の刻まれた顔に、ただならぬ気配が漂っていた。
悠人は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、軽く肩をすくめる。
「俺、外来終わったんで帰るんですけど?」
「そう言わずに、少しだけ時間をくれないか」
桐生は悠人を自室に招き入れ、静かにドアを閉めると、机の上に何かの資料を広げた。
「実はな……うちの病院の患者が殺された。いや、正確には"殺された可能性が高い"というべきか」
「は?」
悠人の眉がぴくりと動く。
「詳細は警察と話したほうが早いかもしれないが、私はどうも腑に落ちなくてな。君の見解を聞きたい」
「俺に解剖医でもやれって言うんですか?」
桐生は溜息をついた。「いや、そういうことではない。君なら医学的な視点だけでなく、より広い視野で事件を見られるだろう」
悠人は無言で腕を組み、少し考え込んだ。
「……考えさせてくれ」
そう言い残し、悠人は白衣を肩に掛けたまま、気だるげに病院を出た。
この事件に関わるかどうか――その決断を下す前に、彼には二人の頼りになる仲間が必要だった。
病院を後にした天城悠人は、いつものカフェへ向かった。
Café Soleil。
病院近くにあるこぢんまりとしたカフェで、医師や看護師たちの憩いの場でもある。
落ち着いた雰囲気の店内は、暖色系の照明に包まれ、いつものジャズが静かに流れていた。
カウンターの奥では、バリスタの芹沢梓が手際よくエスプレッソを淹れている。ダークブラウンの髪を後ろで束ねた彼女は、職人らしい真剣な眼差しでミルクの泡を調整していた。
店の奥では、オーナーの橘陽翔が手帳を開き、何かのスケジュールを確認している。物腰柔らかな彼は、カフェの雰囲気そのもののように穏やかな男だ。
「いらっしゃい、悠人先生。いつもの?」
梓が声をかける。
「ああ、カプチーノで。」
悠人は奥の席に向かいながら、店内を見渡した。
いつものテーブルで和んでいるのは、天才ハッカー・如月隼人と元刑事の探偵・御影漣だった。
「お前、珍しく難しい顔してんな」
隼人がノートPCの画面から目を離し、悠人を見た。
「俺がいつもお気楽みたいに言うなよ」悠人は肩をすくめると、出されたカプチーノを一口飲んだ。
「で、どうしたんだ? 医者のお前が、そんな陰謀論みたいな顔をして」
御影が腕を組み、じっと悠人を見つめる。
その様子を見ていたのは、高校生小説家・水無月詩音だった。彼女は三人の様子を眺めながら、興味津々といった表情を浮かべている。
「なになに? 事件?」
悠人は軽く息を吐き、カップを置くと、二人に向かって静かに口を開いた。
「病院でな――心臓が消えた」
「……は?」
隼人と御影が同時に顔を上げた。
「いやいや、ちょっと待て。心臓が消えたって、どういうことだよ?」
隼人が怪訝そうに眉をひそめる。
「そのまんまだ。財前宗一郎ってVIP患者が、密室状態の病室で死んでたんだが――心臓だけがきれいに消えてた」
「……まるでオカルトじゃねぇか」御影が呟いた。
「俺もそう思う」悠人はカップを回しながら言った。「でも、現実に起こった以上、何らかのロジックがあるはずだ」
「その"何らかのロジック"を解明するのが俺たちの仕事、ってわけか」
「お前のことだから、病院の防犯カメラのログを漁ってほしいとか、患者の電子カルテをチェックしろとか、そういう話だろ?」隼人は苦笑しながら腕を組んだ。
「察しがいいな。」悠人がニヤリと笑う。
「御影、お前には警察がどこまでこの事件を把握してるかを探ってほしい。公になってないだけで、過去に似た事件があった可能性もある」
御影は頷き、静かに言った。「了解。……だが、心臓だけを狙う犯人なんて、聞いたことがないな」
「だからこそ、気になるんだよ」悠人は再びカプチーノを口に運び、ぼそりと呟いた。
「俺の勘が、この事件は普通じゃないって言ってる」
詩音が目を輝かせる。「ねえねえ、これって小説のネタにしてもいい?」
「……お前は黙ってろ」
「はーい。」
軽くあしらわれた詩音は頬を膨らませたが、すぐにカフェラテをすすって機嫌を直した。
「で、もうあるんだろう?」
御影がライターの火を灯そうとしたが、考え直して火を消す。
「お前の頭の中に、その“何らかのロジック”ってやつが」
「まあね。」悠人はカプチーノの泡をスプーンで掬いながら、ゆっくりと言った。「長い説明になるが、聞くかい?」
「聞く聞く! 教えて悠人さん!」
詩音が興奮気味に身を乗り出し、隼人と御影も静かに耳を傾ける。
悠人は軽く息をつき、話し始めた――。
@天城悠人の仮説
「まず、密室の死体について考えてみよう」
悠人は指を組み、テーブルの上に視線を落とした。
「看護師が朝の回診で発見したのは、心臓のない死体だった」
「そうだな」御影が頷く。「まるで誰かが綺麗に抜き取ったように」
「けど、おかしいと思わないか?」悠人が目を細める。「VIP病棟は電子ロック付きの密室だ。誰も出入りできないはずの部屋で、どうやって心臓だけが消えた?」
隼人が顎に手を当てる。
「……じゃあ、幽霊の仕業ってオチ?」
「なら楽でいいんだけどね。」悠人は肩をすくめた。「これは二つのトリックによるものだ。」
「どういうこと?」詩音が首を傾げる。
「まず、初めのトリック。俺が考えるに、“死体”は最初から死体じゃなかったんだ」
「……は?」御影が眉をひそめる。
「つまり、財前宗一郎は一度“死んだふり”をしたってことさ」
「死んだふり?」隼人が目を丸くする。「心停止を確認されたんだろ? 医者が正式に死亡宣告もしてる。それなのに、どうやって?」
「答えは低体温だ」
悠人はスプーンを指で回しながら続けた。
「財前はもともと心臓移植待機中の患者だった。心疾患がある人間なら、低体温療法を用いることがある」
「低体温療法?」詩音が目を輝かせる。
「簡単に言えば、体を意図的に冷やして、心拍や代謝を極限まで下げる方法だ。財前はその状態を利用して、一時的に仮死状態になったんだよ」
「……なるほどな」御影が腕を組む。「そうすれば、医者が心音を確認しても心停止と誤診するってわけか」
「そういうこと」悠人は頷く。「そして、死んだと見せかけたまま、冷却装置を使って室温をさらに下げ、仮死状態を維持した」
「それって、もしかして……」隼人が目を見開く。「その後、時間が経てば体温が戻り、目を覚ますようになってたってことか?」
「その通り」
悠人はカプチーノを一口飲んだ。
「一定時間後、体温が上昇し、財前は意識を取り戻す。そして自分で病室のロックを解除し、脱出したんだ」
「……つまり、あの“死体”は財前自身じゃないってこと?」詩音がぽかんとする。
「そう。財前宗一郎は自分の死を偽装し、逃げたんだ」
数秒の沈黙が流れる。
やがて、御影がふっと息をつく。
「……ふざけたトリックだな。だが、面白い」
「でも、おかしくない?」詩音が口を挟む。「財前さんが逃げたとして、じゃああの心臓のない死体って何?」
「それが二つ目のトリック」悠人が目を細める。
「財前には協力者がいた」
「協力者?」隼人が眉を上げる。
「そうだ。財前は霊安室へ向かい、あらかじめ用意していた“身代わりの遺体”とすり替えた」
「身代わり……?」
「何らかの方法で、体型の似た別人の遺体を用意し、心臓を抜き取った状態で財前の病室へ運んだんだ。そして財前自身は、ストレッチャーの下に隠れて病院を脱出した」
「……まるで映画みたいな話だな」御影が煙草を指で転がしながら呟く。
「だけど、まだ終わりじゃない」悠人が指を立てる。
「ここで生まれる疑問は、“財前はなぜそんなことをしたのか”ってことだ」
「……確かに」隼人が眉をひそめる。「わざわざこんな面倒なことをしてまで逃げた理由は?」
「それが次の問題だ」悠人は静かに言った。「その辺の理由は財前という人間の隠された部分を洗い出さないとわからない。何か犯罪のにおいがするんだ。その辺、御影に調べてもらいたい」
「わかった。心臓のない死体か…… 臓器売買にかかわっているかもな」
「隼人にはこの仮説を裏づける証拠を探しだして欲しい」
「それじゃあ、早速病院のサーバーに進入するか」
隼人はノートパソコンを開き、素早くキーボードを叩いた。
病院のセキュリティを突破するのは簡単ではないが、彼の技術なら数分とかからない。
「まずは病院の防犯カメラの映像から……お、あったあった」
モニターには、財前の病室付近のカメラ映像が映し出された。
「やっぱりな。午前2時ちょうどの時点で、病室のカメラ映像にノイズが走ってる」
「つまり、誰かが意図的にカメラを妨害したんだな」悠人が腕を組む。
「でも、これだけじゃ不十分だ。出口の映像をチェックしないと」
隼人がさらに解析を進めると、病院の裏口のカメラ映像に違和感を見つけた。
「これ、見てくれ」
画面には、ストレッチャーを押している看護師と医師らしき人物が映っている。しかし、そのストレッチャーに乗っている人物の顔は布で隠されていた。
「……これが財前ってことか?」御影が画面を睨む。
「可能性は高いな。でも、これだけじゃ決定的な証拠にならない」
「ストレッチャーを押してるのは誰だ?」悠人が尋ねる。
「ちょっと待って……病院の職員リストと照合する」
隼人が病院のデータベースを解析し、映像の人物を特定する。
「……あった。これは内科の三浦医師と、夜勤の看護師・倉田だな」
「財前の脱出に協力してたってことか?」
「そう考えるのが自然だな」悠人が目を細める。
「でも、まだ確証がない。こいつらが財前を連れ出した理由がわからないと、動けない」
「じゃあ、次は病院の裏リストを探るか」
@臓器売買の痕跡
隼人の指が素早くキーボードを叩き、暗い画面に無数の文字が流れていく。病院のセキュリティを突破する音が、静まり返った室内に微かに響いた。数分後、隼人の指が止まり、彼の表情が険しくなる。
「……これはヤバいぞ」
彼の言葉に、悠人と御影が画面を覗き込む。
「どうした?」悠人が問いかけると、隼人は画面を指しながら息をのんだ。
「病院の通常の記録とは別に、隠しファイルが存在する」
モニターには、病院の電子カルテとは別に設けられた"特別管理データ"というフォルダが表示されていた。普通の医療記録ならば、カルテ番号や診療履歴が整理されているはずだ。しかし、このフォルダ内のデータは奇妙だった。
「……何のファイルだ?」御影が画面を睨む。
隼人がフォルダを開くと、そこには患者の名前と移植手術に関する記録が並んでいた。しかし、通常の記録と違うのは、その患者たちがすでに死亡扱いになっていることだった。
「臓器移植の記録だ。ただし、正式なルートのものじゃない」
「……違法な売買リストか」悠人が低く呟く。
画面には、移植に関わったドクターの名前と、摘出された臓器の種類、さらには"移送先"と記されたコードが並んでいた。その中には"心臓"の文字もいくつか見える。
「……やっぱり、財前の失踪は臓器売買と関係があるな」御影が腕を組む。
「まさか、財前自身が売る側だったのか、それとも……?」悠人は目を細めながら、何かを考えるように呟いた。
隼人がもう一度画面をスクロールすると、ふと奇妙な点に気づく。
「でも、普通ならこんなリストはもっと厳重に管理されてるはずだ。こんなにあっさり見つかるのは……」
「そう、誰かが意図的にデータを残した可能性が高い」隼人が指を鳴らし、画面を軽く叩いた。
「つまり、内部にもう一人協力者がいるってことだ」
悠人と御影が互いに視線を交わす。
「医師、看護師、病院職員……誰が共犯者でもおかしくないな」御影が低く唸った。
そのとき、悠人が画面の一部を指さした。
「ちょっと待て……これ、気になるな」
そこには、過去の移植手術の記録が並んでいた。しかし、その中に異様な共通点があった。
「この記録、過去にも同じようなケースがある」
リストには10年前の日付が記された記録があり、そこでも"心臓"が移植され、患者は死亡している。
「これ……偶然じゃないな」悠人が画面を見つめながら静かに言った。
隼人がその記録をさらに掘り下げると、一つの名前が浮かび上がる。
「10年前の責任者……財前だ」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。
@ 過去の闇
「……財前が、10年前の移植手術の責任者?」
悠人が低く呟くと、御影の顔が険しくなる。隼人はさらにキーボードを叩き、画面の情報を深く掘り下げていった。
「ただの責任者じゃない。財前はこの臓器移植に直接関与していたみたいだ」
隼人の指が、ある記録の部分を強調する。
《臓器提供者:患者番号X-072 / 提供臓器:心臓 / 執刀医:財前宗一郎》
「……提供者?」悠人が眉をひそめた。
「ちょっと待て」御影が画面を指し示す。「この患者番号、死亡記録がついてるが……おかしいな」
「何がおかしい?」
「普通、正式な移植手術では、脳死判定を受けたドナーから適切に臓器を摘出する。でもこの記録の患者、死亡時刻と摘出時刻の間隔が異常に短い。まるで、心臓を摘出するために殺されたみたいだ」
「……殺して、臓器を抜き取った?」悠人の目が鋭くなる。
「しかも」隼人が別の画面を呼び出しながら言った。「この患者のデータ、病院の公式記録には載っていない。つまり、この人間は存在しなかったことになっている」
「完全な闇移植か……」御影が渋い顔で呟く。
「それだけじゃない」隼人が画面をスクロールし、新しいデータを表示した。「このリスト、定期的に同じパターンで繰り返されてる。5年おきに"心臓の提供者"が記録されてるんだ」
「5年おき?」悠人の脳裏に、ある可能性が浮かぶ。「それって……臓器を必要としてる特定の患者がいるってことじゃないか?」
「移植後の寿命が尽きる頃に、新たな心臓を確保してる……ってことか」御影が低く呟く。
「となると、財前はただの実行犯じゃない」悠人は鋭い目を画面に向ける。「長期的に動いている組織の一員か、それとも計画を主導する立場だった可能性が高い」
「……でも、それならなぜ今になって逃げた?」御影が腕を組んで考え込む。
その時、隼人が新たなデータを見つけた。
「おい……やばいぞ。財前が逃げる直前の防犯カメラ映像がある」
彼が再生ボタンを押すと、病院の監視カメラ映像が映し出された。
@カメラ映像:財前の逃走
画面には、深夜の病院の廊下が映っている。消灯された無機質な空間の中、財前が白衣のまま足早に歩いている。顔には焦りの色が滲み、時折後ろを振り返る。その手には、何かを握りしめていた。
「財前、何か持ってるな……」悠人が画面を凝視する。
「拡大する」隼人が映像の解析を進めると、財前の手元がはっきりと映し出された。
「……フラッシュメモリ?」
「証拠か? それとも、売買のリストか?」御影が低く呟く。
映像の中で、財前は非常階段へ向かい、階段を駆け下りる。しかし、直後に別の影が映り込んだ。
「……誰かが追ってる」
影の主はフードを深く被った人物だった。背格好は細身で、素早く財前の後を追う。そして、画面の端に差しかかった瞬間——
映像が突然ノイズに覆われ、ブツリと途切れた。
「……消えた?」隼人が眉をひそめる。「この部分だけ、映像がカットされてる」
「病院の管理側が意図的に削除したか……それとも、追っていた何者かが細工したか」悠人が腕を組んで考え込む。
御影が鋭い視線を向ける。「隼人、削除されたデータの復元は可能か?」
「やってみる」隼人が再びキーボードを叩き始めた。
——その時、スマートフォンが不意に振動した。御影が手に取ると、非通知の番号からの着信だった。
「……警告か?」
通話ボタンを押した途端、低く歪んだ機械音声が響く。
『これ以上、首を突っ込むな』
『次は、お前たちの心臓が消える』
通話はそれだけで切れた。
室内に、張り詰めた静寂が広がる。
「……どうやら、俺たちの動きは既に知られてるらしいな」悠人が静かに呟いた。
「奴ら……どこまで把握してる?」御影が険しい顔をする。
隼人がモニターを見つめながら言った。「とにかく、財前が持ち出したフラッシュメモリの中身を突き止める必要がある」
「それがこの事件の核心か……」悠人が呟く。
その時、カフェの入り口のベルが鳴った。
不意に現れたのは、見知らぬ男だった——。
@静寂を破る訪問者
カフェの入り口に吊るされた小さなベルが、ちりん、と控えめに鳴った。
夜も更けた店内に、冷たい夜風が忍び込んでくる。外の街灯が薄暗く照らす中、ひとりの男がゆっくりと足を踏み入れた。
彼は長めのコートを羽織り、フードを目深に被っていた。店の暖かな照明が彼の顔を照らすと、見えてきたのはやつれた頬と鋭い眼光。そして、うっすらと汗が滲んだ額。
カウンター奥で立ち上がった橘陽翔が、「いらっしゃいませ」と自然に声をかける。しかし、男はそれに答えず、まっすぐにこちらへと歩み寄ってきた。
悠人、隼人、御影——三人の間に静かな緊張が走る。
カウンター越しに男が立ち止まると、その場にいた誰もが、微かに感じ取った。
この男の背後には、ただならぬ気配がまとわりついている。
@不審な男の正体
「……あんた、何者だ?」御影が低く問いかけた。
男はふっと肩を震わせた。乾いた笑いとも、冷たい震えともとれる、曖昧な仕草だった。そして、フードをゆっくりと下ろす。
現れたのは、頬がこけ、目の下に深い隈を作った男の顔——財前宗一郎、その人だった。
「お前が……財前か」悠人が目を細める。
財前は答えない。ただ、落ち着きなく店内を見回し、誰かに追われているかのように肩をすくめていた。
「ここなら……大丈夫か?」彼は掠れた声で言った。「俺を……匿ってくれ」
「匿えって……?」御影が鋭く睨む。「何のつもりだ?」
「追われている……! あいつらに……!」
「"あいつら"ってのは誰だ?」悠人が冷静に問い詰める。
財前は答えず、震える手をコートのポケットへ突っ込む。御影が反射的に警戒し、腰に手をやる。しかし、財前が取り出したのは銃ではなかった。
小さなフラッシュメモリが、彼の指の間で震えていた。
「これが……証拠だ」
その言葉を発した瞬間、カフェの外で車のブレーキ音が響いた。
悠人たちが反応するよりも早く、財前が悲鳴のような声をあげた。
「来た……!」
ガラスが砕ける音が店内に響いた——!
@暗闇に響く銃声
ガラスが砕ける音とともに、店内に冷たい風が吹き込んだ。
パアンッ!
鋭い破裂音が夜の静寂を切り裂く。
悠人は反射的に身を屈め、すぐに周囲を見渡した。カウンターの奥では橘陽翔が驚きに目を見開き、芹沢梓がさっと身を伏せる。
銃撃。
誰かが、確実に狙ってきている。
御影がすぐさま動いた。銃弾が飛び込んできた窓の方向へ視線を向け、素早くテーブルの陰へと身を隠す。隼人もまた、咄嗟にノートパソコンを掴んでテーブルの下へ潜り込んだ。
しかし、財前だけは動けなかった。
彼の足は震え、顔は真っ青になり、口を開けたまま硬直していた。まるで死神に取り憑かれたように、息をすることすら忘れているようだった。
パアンッ!
二発目の銃声。
ガラスの破片が飛び散り、カウンターの上に降り注ぐ。
「くそっ……!」御影が素早く財前の腕を引っ張った。「じっとしてたら的だぞ!」
「う……動けない……」財前の声はかすれていた。
悠人はすばやく判断を下した。
「隼人!」
「分かってる!」
隼人はポケットから小型のデバイスを取り出し、素早くスマートフォンに接続する。その場で何かを操作し始めた。
「監視カメラを逆利用して、外の映像をハッキングする!」
彼の指が画面上をすべる。外の様子を視覚化するのが先決だった。
@襲撃者の正体
モニターに映し出された映像に、隼人は息をのんだ。
カフェの前の路地に、黒塗りのSUVが停まっていた。
車の陰から、黒いジャケットを着た二人の男が身を乗り出している。ひとりは銃を構え、もうひとりはスマホで誰かと通話しているようだった。
「……プロの殺し屋かもしれねえ」隼人が低く呟いた。「あの動き、素人じゃねえぞ」
「財前、お前を狙ってるのは誰だ?」悠人が鋭く問う。
「……わからない……けど……臓器売買のことを……知りすぎた……」
財前は震えながら言葉を搾り出した。
悠人は財前のフラッシュメモリを素早く受け取り、隼人に渡す。
「解析しろ。急げ」
「任せろ!」
隼人の指がすばやくキーボードを打ち始めた。
その間にも、外の男たちは着実に動いていた。
一人がスマホで短く言葉を発すると、SUVの後部ドアが開く。
そこから現れたのは、さらに三人の黒服の男たち。
「……囲まれたな」御影が低く呟いた。
悠人は静かに財前を見据えた。
「これが……お前の言っていた"あいつら"か?」
財前はうなずくこともできず、ただガタガタと震えていた。
外の男たちが、確実にカフェへと近づいてくる。
悠人は一つ、長い息を吐いた。
「仕方ないな……迎え撃つぞ。」
@迎え撃つ決断
外の暗がりからじわじわと近づいてくる影。
SUVのヘッドライトが不気味に光を反射し、銃を構えた男たちのシルエットが浮かび上がる。重苦しい緊張がカフェの空気を圧迫していた。
悠人は静かに息を整える。御影もすでに戦闘態勢に入り、視線を素早く巡らせて敵の動きとカフェの内部の配置を計算していた。
隼人はラップトップを睨みながら、必死に解析を続けていた。
「防犯カメラをハッキング……よし、外の奴らの位置は把握できる。三人が正面、一人が裏口、SUVにもう一人待機」
「裏口にも?」悠人が眉をひそめる。「じゃあ、正面突破は無理か」
「……待て」御影が僅かに目を細める。「こいつら、ただの殺し屋じゃないかもしれん」
モニターに映る男たちの動き。一定の距離を取りながらも、やけに統率が取れている。
「軍隊仕込みの動きだな」
「財前、何を知ってる?」悠人が財前を睨む。
「俺……俺は……!」財前は半狂乱になりながら頭を抱えた。「違法な移植手術に関わってたんだ……でも、それだけじゃない! 俺は……データを抜き取った」
「……データ?」隼人の指がキーボードを打つ手を止める。
「証拠になるものがあった……俺の端末に」
その瞬間、ガンッ!
鈍い音とともに、カフェの裏口のドアが揺れた。
「クソ、来たか!」御影が素早くハンドガンを抜き、壁際に身を寄せる。
「どうする?」隼人が悠人に尋ねる。
悠人は静かに視線を巡らせた。
カウンターの奥では、陽翔がナイフを握りしめ、緊張した面持ちで構えている。梓も身を伏せ、状況を伺っていた。
「……時間稼ぎだ」悠人は低く呟く。「隼人、サーバーをダウンさせろ」
「なに?」隼人が目を見開いた。
「病院のデータごと巻き込む。こいつらの目的は証拠隠滅だ。先にこっちが消せば、動きが鈍る」
「大胆すぎるだろ……!」
「でも、やるしかない」御影が低く言う。「奴らが動く前にこちらから仕掛けるんだ」
隼人が唇を噛みしめた。
そして――
パスコードを入力し、最後のキーを押した。
すべてのデータが消えた瞬間
一瞬、外の男たちが動きを止めた。
SUVの中の男がスマホを確認し、何かを怒鳴るように指示を出している。
「やったな……!」隼人が息を呑む。
だが、
バンッ!
裏口のドアが蹴破られた。
「来るぞ!」悠人が叫ぶ。
御影が反射的に銃を構え、カフェの中に飛び込んできた黒服の男に向けて一発、二発と正確に撃ち込む。
ダンッ! ダンッ!
男が呻き声を上げながら後退する。しかし、まだ倒れない。
「防弾ベスト……厄介だな!」
カフェの中に緊迫した空気が走る。
悠人は財前を引き寄せ、低く言った。
「絶対に死ぬな。お前の証言がすべてを決めるんだ」
財前は蒼白な顔で頷いた。
そして、次の瞬間――
カフェの扉が吹き飛んだ。
外の男たちが、ついに本格的に侵入を開始したのだ。
@迎え撃つ瞬間
轟音とともに、カフェの扉が吹き飛んだ。
破片が宙を舞い、光を浴びながら床に散る。土煙の向こう、黒ずくめの男たちがゆっくりと姿を現した。
「全員、動くな」
鋭い命令が響く。先頭の男が拳銃を低く構え、冷たい視線をカフェの中へと向けていた。
御影は瞬時に身体を低くし、倒れたテーブルの影に身を隠す。悠人も財前を引きずるようにして後退し、厨房へと逃げ込む。
隼人は手元のラップトップに集中したまま、小声で囁く。
「……奴らの通信、妨害できるかもしれない。ちょっと待ってろ」
悠人は厨房の奥から外の様子を伺った。
銃口を向けられた陽翔と梓と詩音が、カウンターの影でじっと動かずにいる。
「そこの探偵、銃を捨てろ」
黒服の男が御影に向かって銃を突きつける。
「……チッ」
御影は迷うことなく銃を足元に落とした。だが、その目は鋭く敵の動きを追っている。
「財前を渡せ」
男の声は低く、鋼のように硬い。
財前は震えながら、悠人の腕の中に縮こまっていた。
「……あいつらに渡したら、俺は殺される……!」
財前の呟きに、悠人は静かに頷いた。
「そうだな。なら――ここで終わらせよう」
次の瞬間、悠人は手元にあったコーヒーメーカーを掴み、思い切り投げつけた。
バンッ!!
熱湯が飛び散り、黒服の男たちが思わず後退する。
「今だ!」
御影が素早く飛び出し、落とした銃を蹴り上げる。空中で銃をキャッチし、そのまま先頭の男の腕を撃ち抜いた。
「ぐあっ!!」
叫び声とともに、男が銃を取り落とす。
同時に、隼人がキーを叩く手を止め、叫んだ。
「妨害成功! こいつら、今外部と連絡取れねぇ!」
「上出来だ、隼人!」悠人が短く叫ぶ。
御影が続けざまにもう一発、別の男の足元を狙って撃つ。男はバランスを崩し、倒れ込んだ。
「撃て!!」
敵の一人が叫ぶと、銃声がカフェの中に響き渡った。
パンッ! パンッ!
銃弾が飛び交い、カフェのガラスが砕け散る。
陽翔はすかさず身を伏せ、梓を抱え込んだ。
悠人は財前を庇いながら、厨房の奥へと走る。
「このままじゃ持たない……逃げ道を作る!」
御影が叫び、カウンターを蹴り飛ばして即席のバリケードを作る。
隼人は小声で呟くように言った。
「裏口にまだ一人いるんだよな……そいつをどうにかしないと逃げられない」
悠人は奥の扉に目を向ける。
「いい案がある」
悠人はスッと立ち上がり、壁にかかっていた消火器を手に取った。
「御影、カウント3で動くぞ」
御影が小さく頷く。
「3……2……1!」
悠人は消火器のレバーを強く握り、白煙を一気に噴射した。
視界が真っ白になり、敵の動きが止まる。
「今だ!」
御影が先頭を切って突進し、裏口の男に向かって飛び込んだ。
男が反応するよりも早く、御影の拳が顎を捉える。
「ぐっ……!」
男がのけぞった瞬間、悠人がさらに背後から椅子を叩きつけ、完全に動きを封じた。
「よし、抜けるぞ!」
カフェの裏口が開き、外の冷たい空気が流れ込んだ。
隼人が先に飛び出し、周囲を確認する。
「クリア! 今のところ敵なし!」
悠人は財前を抱えるようにして駆け出した。
後ろでは御影が最後にカフェ内を確認し、陽翔と梓と詩音を安全に逃がす。
「くそっ、待ちやがれ!!」
敵の叫び声が響いたが、彼らはもう闇の中へと消えていた。
夜の街を駆け抜けながら、悠人は財前に言った。
「お前が持ってるデータ、それがすべてを決める。どこにある?」
財前は息を切らしながら、震える声で答えた。
「俺の……俺のアパートだ……!」
「そこに向かうぞ」
御影が短く言い、彼らはさらに夜の闇へと消えていった。
臓器売買の闇、その真相がついに暴かれようとしていた――。
@闇の証拠
静まり返ったアパートの一室。
黄ばんだ壁紙と、かび臭い空気が鼻をつく。財前が住んでいるという部屋は、築年数の経った安アパートの一角にあった。表札はなく、ドアノブには細かい傷がついている。
御影が素早く辺りを見回し、拳銃を構えながら小声で囁く。
「罠かもしれない。慎重に行くぞ」
悠人は財前を先に立たせ、静かにドアを押した。
ギィ……
錆びついた蝶番が不気味な音を立てる。
中は薄暗く、カーテンが閉められていた。埃が舞い、長い間使われていなかったような空気が充満している。
「……本当にここか?」隼人が疑わしげに呟いた。
「間違いない……俺のPCは、奥の部屋に……」
財前は怯えながら、奥の扉を指差した。
御影が先頭に立ち、そっと扉を開ける。
そこには、ノートパソコンが無造作にデスクの上に置かれていた。
「誰かが先に触った形跡は?」
悠人が財前に問うと、彼は震える手でパソコンを開いた。電源を入れると、暗い画面に「パスワードを入力してください」という文字が浮かび上がる。
「隼人、頼む」
「ちょいと待ってろ」
隼人がノートPCを引き寄せ、手際よくコードを入力する。
「……くそ、二重暗号化か。ちょっと時間がかかるな」
その瞬間――
ピッ――
小さな電子音が鳴り響いた。
「待て!」
御影が財前の腕を掴み、後方へ引き倒した。
バシュッ!
何かが弾ける音がして、パソコンの裏側から細かい針のようなものが勢いよく飛び出した。
「……毒針トラップか」悠人が顔をしかめる。
「やっぱり……誰かが俺を消そうとしてる……」財前は蒼白になりながら呟いた。
隼人はパソコンを注意深く傾け、さらに解析を進める。
「罠は解除した。データを開くぞ」
カタカタカタ……
隼人の指が滑らかにキーを叩くと、画面に大量のファイルが浮かび上がった。
そこには、臓器売買の詳細な記録が残されていた――。
病院の名前、患者の情報、臓器の種類、買い手のコードネーム……
悠人が食い入るように画面を見つめる。
「これだ……」
「心臓移植:提供者コード『C-047』」
「C-047……」御影が呟く。「そのコードネーム、病院の記録にあったか?」
「待ってくれ……検索する」
隼人が素早くデータを照合する。
「……いた。『C-047』は、1年前に死亡したはずの患者だ」
「死亡?」悠人の眉がひそめられる。
「いや、厳密に言えば『死亡したことにされた』」隼人が画面を指差す。「この患者、正式な死亡届が出されていない。記録の改ざんで消されたんだ」
「ってことは……?」
「遺体は処理されずに、臓器だけが売られたってことだろうな」
「奴ら、死んでいない人間を『死亡』と偽り、臓器を抜き取っていた……?」
悠人が静かに呟いた。
室内の空気が一気に冷たくなる。
財前は、ガタガタと震えながら小さく呟いた。
「俺……知りすぎたんだ……だから、消される……!」
悠人はじっと画面を見つめ、ある一つのファイルに目を留めた。
『次のターゲット:Y・A』
「……Y・A?」
隼人がすかさず照合する。
数秒後、彼は目を見開いた。
「やばい……このイニシャル……お前の名前だ、悠人!」
一瞬、空気が止まった。
御影が鋭く言った。
「敵はお前を狙っている……ここをすぐに離れるぞ!」
その時だった――
ドンッ!!!
扉が激しく蹴破られた。
「来たか……!」
御影が銃を構え、隼人がラップトップを掴む。悠人は財前の腕を引き、室内の奥へと飛び込む。
真相が暴かれるのを恐れ、闇が牙を剥く――
@襲撃
ドンッ――!
木製の扉が蹴破られ、細かい破片が飛び散った。埃っぽい空気が一気に舞い上がる。
暗がりの向こう、逆光の中から黒い影がゆっくりと現れる。
全身黒ずくめの男。小柄だが、異様に鍛え上げられた体つき。拳を握りしめたまま、一歩、また一歩とこちらに迫る。
御影が即座に反応した。
「伏せろ!」
次の瞬間――
パンッ!
鋭い銃声が響く。
しかし、黒ずくめの男は身を低くし、弾を紙一重でかわした。
「……!」
悠人は財前の腕を掴み、部屋の奥へと飛び込む。隼人も素早くPCを抱え、ベッドの陰に身を潜めた。
御影は前方に立ちはだかるように構え、銃を撃ち続ける。
パンッ! パンッ!
弾丸が壁や床を抉るが、敵は軽やかにステップを踏み、俊敏に避ける。
その動きはまるで、戦闘に慣れたプロの殺し屋――。
「こいつ、ただのチンピラじゃねえな……」御影が低く呟く。
黒ずくめの男は、無言のまま懐からナイフを取り出した。
細身の刃が闇に鈍く光る。
「まずいな……銃弾が通じないなら、接近戦は危険すぎる」
悠人は息を呑んだ。
その時――
「ごちゃごちゃ言ってる暇あるかよ!」
隼人が懐から閃光弾を取り出し、勢いよく床に叩きつけた。
バシュッ――!
瞬間、白い閃光が部屋中に広がる。
「今だ!」
御影が叫ぶ。
悠人は財前の腕を強く引き、隼人と共に廊下へ飛び出す。
だが――
「……甘いな」
黒ずくめの男の低い声が響いた。
影が閃光の中から飛び出してくる。
「嘘だろ、効いてねぇのか!?」隼人が叫ぶ。
ナイフが悠人の目の前まで迫る。
「――悠人!」
御影が銃を再び撃った。
パンッ!
弾丸が敵の足元を掠め、床に穴を開ける。
だが、黒ずくめの男は微動だにせず、悠人の喉元に刃を突き立てようとする――。
その瞬間――
ドンッ!!
財前が、敵に体当たりを仕掛けた。
「ぐっ……!」
黒ずくめの男がバランスを崩す。
「今だ、逃げろ!!」
悠人たちは廊下を駆け抜け、非常階段へ飛び込む。
下へ、下へ――。
だが、後ろからは足音が迫ってくる。
敵は諦めていない。
「クソッ……このままじゃ追いつかれる!」隼人が焦る。
「なら……飛ぶしかないな」悠人が短く言う。
「は?」
彼の視線の先――二階の窓。
「お前正気か!?」隼人が叫ぶ。
だが悠人は、ためらいもなく窓を蹴破った。
ガシャァン――!
宙に舞うガラスの破片。
彼らの体は夜の闇へと投げ出される――。
衝撃が全身を襲った。
だが、それでも彼らは走る。
逃げなければならない。
追いつかれれば、次こそは確実に殺される。
“Y・A”の名前が狙われている以上、悠人は既にターゲットなのだ――。
@暗闇の追跡
夜の冷気が肌を刺す。
着地の衝撃を受け止める間もなく、悠人たちは転がるようにアスファルトの上に落ちた。
「くっ……!」
咄嗟に受け身を取ったが、肩と腕が痺れる。
「悠人、大丈夫か!?」隼人が駆け寄る。
「問題ない……それより、急げ」
背後の建物――アパートの二階、割れた窓の向こうから、黒ずくめの男が彼らを見下ろしていた。
男は迷いなく窓枠に足をかけた。
「――飛ぶ気か!? あいつ正気かよ!」隼人が叫ぶ。
御影は即座に銃を構える。
パンッ!
一発、二発――弾丸が窓枠を掠める。
だが、男は一切怯むことなく飛び降りた。
「ちっ……!」御影が舌打ちする。
黒ずくめの男は地面に着地すると、ほとんど衝撃を殺すように前転し、そのまま滑るように立ち上がった。
「……化け物かよ」隼人が唖然とする。
悠人は咄嗟に財前の腕を引き、路地裏へと駆け込んだ。
「逃げるぞ!」
暗闇の路地を駆ける。
背後の足音が、静寂を切り裂くように響く。
「足が速い……!」
悠人の脳裏に焦燥が走る。
御影がすぐ後ろで状況を確認しながら走る。
「くそっ、あいつ、気配を消して追ってきてる!」
振り向けば、わずかに見える影――
黒ずくめの男は、まるで闇と一体化するかのように追跡してくる。
「振り切れねぇ……!」隼人が息を切らしながら言う。
その時――
「こっちだ!」
突然、別の方向から声が響いた。
暗がりの先――誰かが手招きしている。
「……?」
御影が反射的に銃を向けるが、悠人が手を挙げて制した。
「……信用できるのか?」
「他に道はねぇだろ!」
黒ずくめの男の気配が、すぐ背後に迫っていた。
「行くしかねぇ!」
悠人たちは、迷わず暗闇の中へと飛び込んだ――。
@暗闇の中の導き手
路地裏の奥へと駆け込んだ瞬間、空気が変わった。
ひんやりと湿った冷気が肌を撫でる。
足音が響かない。
アスファルトではなく、石畳だ。
「……どこだ、ここは?」
僅かな明かりが揺れる。
路地の先で待っていたのは、小柄な男だった。
フードを深く被り、顔は影に沈んでいる。
「こっちだ」
声は低く、掠れていた。
悠人たちは一瞬だけ躊躇ったが、背後に迫る殺気がそれを許さなかった。
「行くぞ」
御影が銃を握り直し、先に進む。
隼人も「マジかよ……」と呟きながら後に続く。
路地は、さらに狭く、さらに暗くなる。
一歩進むごとに、背後の気配が遠ざかっていくような錯覚。
「撒けた……のか?」
「いや」悠人が低く答える。「まだ安心はできない」
フードの男が立ち止まった。
「ここなら、少しは話せる」
目の前に開けたのは、廃墟のような倉庫だった。
鉄の扉が軋む音を立てて開かれる。
薄暗い室内には、古びた木箱が無造作に積まれていた。
隼人が一歩踏み入れると、床が僅かに軋んだ。
御影は慎重に周囲を見渡しながら、悠人の耳元で囁く。
「……罠の可能性は?」
「今は罠でも乗るしかない」悠人は静かに言う。
フードの男が振り返る。
「お前ら、"心臓のない死体"のことを知っているな」
沈黙が落ちた。
「知ってる……お前は何者だ?」悠人が探るように問う。
フードの男はゆっくりとフードを下ろした。
そこには、見覚えのある顔があった。
「お前……! まさか……お前が生きていたとはな」御影が驚愕の表情を浮かべる。
隼人が息を呑む。
悠人はその男の顔をじっと見つめた。
暗闇の中、"死んだはずの男"が微かに笑った。
@ 死んだはずの男
「生きていた、か」
男はフードを外しながら、わずかに口元を歪めた。
「ずいぶん懐かしい顔ぶれじゃないか」
その顔を見た瞬間、御影の表情が凍りつく。
銃を構えたまま、喉の奥でかすれた声を漏らした。
「……神崎……?」
隼人も驚愕の色を浮かべる。
「神崎って、御影の元相棒だった刑事の……? いや、でも——」
御影は目の前の男をまじまじと見つめ、力強く言った。
「お前は3年前に死んだはずだ!」
神崎 玲司は、その言葉を聞いてふっと笑った。
「確かに、世間的にはな」
悠人が一歩前に進み、鋭く問いかける。
「どういうことだ?」
「さあな……だが、俺が今こうして生きているのは"心臓のない死体"のおかげだ」
そう言って、神崎は懐から一枚の写真を取り出した。
「これを見ろ」
悠人は写真を受け取り、じっくりと目を通す。
そこには、血まみれの手術室と胸が空洞になった死体が写っていた。
「……これはいつのものだ?」
神崎は静かに答えた。
「二日前だ」
一同は息をのんだ。
@. さらなる犠牲者
「二日前……?」隼人が驚愕の表情を浮かべる。
「まさか、財前宗一郎だけじゃないってことか?」
フードの男は静かに頷いた。
「この病院はもう終わっている。違法な臓器売買は想像以上に根深い」
悠人が手元の写真をじっと見つめる。
血まみれの手術室、胸を切り開かれ、心臓を失った遺体。
二日前ということは、財前の事件とほぼ同時期に、別の犠牲者が出ていたということになる。
「この写真、どこで手に入れた?」悠人が尋ねる。
「証拠を探していたら、"奴ら"が処分しようとしていたデータの中に紛れ込んでいた」
「奴ら……?」御影が鋭く問い詰める。
フードの男は一瞬、言葉を選ぶように沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「桐生正一……この病院の病院長だ」
一同は凍りついた。
「……待て」隼人が困惑の表情を浮かべる。
「だって桐生はこの事件を悠人に依頼してきた張本人だぞ?」
「だからこそ厄介なんだよ」男は嘲るように笑う。
「桐生は"事件の解決"を偽装しようとしていた。お前たちを利用して、すべてを"事故"か"外部の犯行"に見せかけるつもりだったんだ」
悠人は表情を変えないまま、静かに問いかける。
「つまり、桐生は最初から俺たちを騙すつもりだった……と?」
「そういうことだ」
御影が舌打ちする。
「最初から臭いとは思ってたが……まさかここまでとはな」
悠人はゆっくりと深呼吸し、再び写真を見つめた。
「じゃあ、この"二日前の犠牲者"は何者なんだ?」
神崎の目がわずかに揺れた。
そして、口を開いたその瞬間——
倉庫の外で、重い靴音が響いた。
「……追ってきたか」
悠人たちは息をのむ。
桐生の手が、すでに彼らに伸びつつあった——。
@ 消えた証拠と黒幕の影
「……誰かいる」
隼人が警戒し、素早く物陰に隠れる。
悠人は即座に壁際に身を寄せ、神崎に囁いた。
「お前、誰かに追われているか?」
「さあな……だが、奴らは簡単に俺を逃がさないだろう」
「つまり、面倒なことになったってことか」悠人はため息をつきながら小さく呟いた。
ガンッ!
倉庫の扉が激しく叩かれる。
「開けろ! 警察だ!」
低く響く声に、一同は顔を見合わせた。
「警察……?」御影が眉をひそめる。
隼人は素早く端末を操作し、外の様子を確認する。
「おかしい……警察の無線にこの倉庫の情報はない。つまり、偽装か桐生の手の者ってことだ」
「可能性は高いな」悠人が冷静に分析する。
「桐生が俺たちの動きを把握していたとすれば、時間の問題だった」
神崎が苦々しく呟く。
「ここに長くいるのは危険だ」
財前宗一郎が怯えたように小さく声を上げる。
「ま、まさか……奴らがもう来たのか……?」
バンッ!
外からの衝撃で扉が軋む。
御影が素早く周囲を見渡し、低く呟いた。
「……裏口を探すぞ」
「待て」悠人が冷静に制する。
「フラッシュメモリのデータは無事か?」
隼人は即座にポケットから小型端末を取り出し、フラッシュメモリを接続する。
「問題ない……って言いたいけど、これは暗号化されてるな」
「解読にはどれくらいかかる?」
「最低でも三十分、でもこんな場所じゃ無理だ」
悠人は腕を組み、僅かに考え込む。
その時、扉の鍵が回る音がした。
「くそっ、もう突破される!」隼人が焦る。
悠人は冷静に周囲を見渡し、判断を下した。
「……ここは囮を使う」
御影が目を細めた。
「どういう意味だ?」
「俺たちは裏口から脱出する。その間、あえてこの倉庫に"人がいる気配"を残す」
隼人が理解し、端末を操作する。
「なるほどな……スピーカーで足音の偽装、できる」
悠人は神崎と財前を見た。
「お前たちも一緒に来るか?」
財前は青ざめながらも、こくりと頷く。
「……ここにいたら殺される」
神崎も小さく息を吐き、低く言った。
「お前らに賭けるしかなさそうだな」
ガチャリ。
扉の鍵が完全に回った。
悠人たちは静かに裏口へと向かいながら、息を潜めた。
そして次の瞬間——
倉庫の扉が勢いよく開かれた。
影が差し込む中、武装した男たちが雪崩れ込む。
悠人たちはすでに、別の道を選んでいた——。
@ 追跡と逃亡
倉庫の扉が勢いよく開かれ、武装した男たちが雪崩れ込む。
「クリア……誰もいない?」
男の一人が不審そうに辺りを見回した。
スピーカーから人工の足音が響く。
「奥にいるぞ!」
別の男が叫び、全員が音のする方へ殺到する。
その間に——
悠人たちは裏口から静かに外へ抜け出した。
「成功したな」隼人が小さく呟く。
御影は後ろを振り返りながらも、すぐに低い声で指示を出した。
「急ぐぞ。時間はない」
「車は用意してある」
神崎玲司が短く言った。
倉庫の扉が叩かれ続け、今にも破られそうな状況だった。
「どこに?」悠人が尋ねる。
「裏口の先、倉庫街の外れだ」
「なら、急ぐしかないな」御影が銃を確認しながら呟く。
「財前、立てるか?」悠人は、連れてきた財前宗一郎の肩を支える。
財前は顔をしかめながらも頷いた。「……ああ、問題ない」
「なら、行くぞ」悠人は一行を促し、倉庫の裏口へと急いだ。
——その時。
「見つけたぞ!」
背後で怒号が響き、数人の影が倉庫内へと雪崩れ込んでくる。
「チッ、逃がす気がないってわけか……!」隼人が毒づく。
「御影、援護を頼む」悠人が指示するや否や、御影は素早く銃を抜き、相手を牽制する。
「走れ!」
悠人たちは一気に倉庫の裏口を抜け、冷たい夜風の中へ飛び出した。
遠くに、エンジン音を響かせる黒いバンが見える。
「神崎、運転はお前だな?」
「ああ。早く乗れ!」
一行は次々とバンに飛び乗る。
その瞬間——銃声が鳴り響き、バンの後部ガラスが砕け散った。
「まだ撃ってくるのかよ!」隼人が叫ぶ。
「しっかり掴まれ!」
神崎はギアを入れ、一気にアクセルを踏み込んだ。
タイヤが軋む音と共に、バンは夜の街へと疾走する——。
@迫る追手)
バンが倉庫街を抜け、市街地へと向かう。
だが、すぐに後方からヘッドライトが迫ってきた。黒塗りのSUVが二台、猛スピードで追ってくる。
「追手か……しつこいな」御影がミラー越しに確認する。
「そりゃそうだろうな。奴らにとって、財前の証言とこのフラッシュメモリは致命傷になる」悠人は冷静に言う。
「それなら、絶対に逃げ切らなきゃな!」隼人が助手席で叫んだ。
神崎は無言でハンドルを切り、細い路地へと入り込む。だがSUVは動じず、ピッタリと後をついてくる。
「おい、どこへ向かってる?」悠人が尋ねる。
「このまま港へ出る」神崎が短く答えた。
「港?」隼人が振り向く。
「ああ。今の時間なら、ちょうど貨物船が出航するはずだ。奴らが堂々と手を出せる場所じゃない」
「なるほど……だが、それまで持ちこたえられるかどうかだな」悠人は窓から後方を確認する。
SUVの助手席から銃口が覗いた。
「撃ってくるぞ!」
銃声が響き、バンのボディに弾丸が食い込んだ。
「クソッ!」隼人が身を低くする。
「御影!」悠人が叫ぶと、御影はすぐに窓を開け、銃を構えた。
「タイヤを狙う」
御影は冷静に狙いを定め、SUVの前輪に向かって引き金を引いた。
乾いた銃声と共に、SUVの前輪がパンクし、車体がバランスを崩す。
「やったか!?」隼人が確認するが——
「まだもう一台いるぞ」悠人が鋭く言った。
パンクしたSUVがスピンするのを横目に、もう一台が加速し、バンの横に並びかけてくる。
「並ばれた!」
「神崎、ぶつけろ!」悠人が即座に指示する。
神崎は一瞬だけバックミラーを確認し——迷わずハンドルを切った。
バンの側面がSUVに激しくぶつかり、火花が散る。
「このままじゃ埒が明かねぇな!」隼人が叫ぶ。
「俺がやる」御影が短く言うと、SUVの助手席側の窓を狙い、もう一発。
弾丸がSUVのサイドミラーを砕き、運転手が一瞬怯む。
その隙を見逃さず、神崎がさらにハンドルを切った。
SUVはバランスを崩し、ハンドルを誤った。
——数秒後、ガードレールに激突し、大破した。
「……これで片付いたな」御影が銃を下ろす。
「港まで一直線だ」神崎はスピードを緩めず、ハンドルを握り直した。
「これで終わりとは思えない……」財前が青ざめた顔で呟く。
「……ああ、黒幕がこの程度で諦めるとは思えないな」悠人が静かに言った。
その言葉が、車内に緊張をもたらした——。
@. 罠の気配
バンは港の倉庫街へと滑り込んだ。
神崎は車を停め、すぐに周囲を確認する。
「……静かすぎるな」御影が低く呟いた。
「追手を振り切ったんじゃないか?」隼人が安堵の息をつく。
「いや、これは……むしろ罠の気配だ」悠人が冷静に言った。
神崎は慎重にバンのドアを開け、周囲を警戒しながら外へ出た。
「急ぐぞ。このまま船に乗る」
財前は震える手でフラッシュメモリを隼人から受け取り悠人に手渡す。
「この中に……すべての証拠があるんだ。桐生が何をしていたのか、全部……」
悠人は彼を一瞥し、「それを無事に公表できれば、の話だな」と冷静に言った。
その時——
「動くな」
低い声が響き、倉庫の影から複数の男たちが現れた。
全員が黒いスーツに身を包み、武器を構えている。
「やっぱりな」悠人が静かに呟き神崎をちらりと見る。
その中心に、一人の男が立っていた。
「……桐生の手の者か」御影が警戒しながら言う。
男は口元を歪め、「お前たちがここへ来ることは分かっていた」と言った。
「お前らが持っているフラッシュメモリ——それを渡してもらおうか」
「……断ったら?」隼人が身構える。
男は短く笑い、手を上げた。
すると、周囲にいた部下たちが一斉に銃を構える。
「お前たちには選択肢はない」
静寂が満ちる。
悠人はゆっくりと前へ出た。
「なるほど……これは面倒なことになったな」
彼は一瞬、周囲を見回すと、淡々と続けた。
「だが、"心臓のない死体"の真相を知りたいのは、お前たちも同じじゃないのか?」
男が僅かに眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
悠人はフラッシュメモリを指で弾きながら、静かに言った。
「お前たちのボス——桐生は、部下すらも信用していないってことさ」
男の目が細まる。
「そのデータの中には、お前たちにとっても"都合の悪い"事実があるかもしれない。例えば……次に消されるのが誰なのか、な」
周囲の空気が張り詰める。
一瞬の沈黙。
「……何を言っている?」
男の声に、わずかな動揺が滲んだ。
悠人はゆっくりと微笑んだ。
「さあな。だが、このデータを見れば分かるはずだ」
その言葉が、男たちの迷いを生んだ——。
@裏切りの引き金
男の指が引き金にかかる。だが、その手はわずかに震えていた。
「俺たちが……消される?」
仲間の一人が小声で呟く。その言葉が、燻る不信感に火をつける。
悠人は、わずかにフラッシュメモリを掲げた。
「この中には、お前たちのボスが何を考えているのか、その証拠が詰まっている。お前たちが信用に値する部下なら、見せても問題ないはずだよな?」
ピリッとした緊張感が走る。
男は僅かに視線を泳がせた。迷っている。
悠人は確信した——この男は桐生を"完全には"信用していない。
「おい……そんな話、信じるな」
別の部下が険しい顔で言ったが、さっきまで確信に満ちていた彼らの態度は変わり始めていた。
「もし、本当に桐生が俺たちを……」
「馬鹿なことを言うな!」
「でも、考えてみろ。最近消えた連中のことを……」
——不安が広がり始めた。
悠人はその様子を冷静に観察する。
「答えを出すのはお前たち次第だ。だが、この場で俺たちを殺せば、少なくともその真実を知る機会は永遠に失われるぜ?」
男の指が引き金から離れた。
その時——
「フッ……面白いことを言うな」
低く響く声。
悠人はゆっくり振り返った。
そこには、桐生正一が立っていた。
「だがな、天城悠人——私は部下に"選択肢"を与えるほど甘くはないんだよ」
桐生が手を上げると、背後の影から新たな兵士たちが姿を現す。彼らは、先ほどの部下たちとは明らかに異なる雰囲気をまとっていた。
悠人は目を細めた。
「……粛清部隊か?」
桐生は微笑む。
「さあ、ゲームの最終局面だ」
銃声が、夜の港に響いた——。
@ 決裂の銃声
夜の港に、緊迫した沈黙が漂う。
桐生正一の背後には、完全武装の粛清部隊。
彼らの銃口が、一斉に悠人たちへと向けられていた。
悠人は冷静に桐生を見据えながら、フラッシュメモリをぐっと握る。
「なるほどな。部下すら信用せず、すぐに使い捨てる。お前のやり方らしい」
桐生は薄く笑った。
「誤解だよ、悠人くん。私はただ"無駄な駒"を整理しているだけさ」
その言葉に、桐生の部下たちの顔が強張った。
「……俺たちは"駒"ってわけかよ」
「おい、待て。まさか……本当に……」
仲間同士が目を見合わせる。迷いが生まれ、疑念が膨らむ。
悠人は、そこを見逃さなかった。
「"粛清部隊"なんて組織してる時点で、答えは出てるだろう?」
「桐生にとって、お前たちはすでに"不要な駒"になっている」
男たちの間に、決定的な疑念が生まれる。
「桐生さん……俺たちは……?」
「お前たちが無駄口を叩く時間はない」
桐生の声が冷たく響く。
「粛清部隊、始末しろ」
——カチリ。
一斉に安全装置が解除される音。
「冗談じゃねぇ!!」
裏切りが始まった。
桐生の部下の一人が、粛清部隊の兵士へ向かって発砲。
混戦が始まり、銃声が夜の港に響き渡る。
悠人は素早く身を低くし、隣の隼人に合図を送る。
「隼人、今だ!」
隼人はすでに準備を整えていた。
スマートフォンの画面をタップすると——
港の照明がすべて消えた。
真っ暗闇。
悠人たちはその瞬間を逃さず、素早く身を翻す。
桐生の粛清部隊と裏切った部下たちが混乱する中、悠人は低い声でスマホに囁く。
「陽翔、車は?」
無線越しに橘陽翔の声が応える。
「裏手に待機中。走れ!」
悠人たちは暗闇の中を駆け出した。
だが、その背後で——
「悠人くん、面白くなってきたな」
桐生の不敵な笑い声が聞こえた。
悠人は決して振り返らず、ただ前へと走った。
@暗闇の逃走
港の照明がすべて落ち、世界が闇に包まれる。
悠人は、足音を抑えながら素早く駆け出した。
隼人と御影がすぐ後ろに続く。
神崎と財前の姿がない。捕まったのか、撃たれたのか? だが、それを確かめる余裕はない。
「隼人、今のうちに通信を遮断しておけ。桐生が応援を呼ぶ前に」
「了解!」
隼人は素早くスマホを操作し、ジャミングを発動させる。
これでしばらくの間、桐生側の通信は遮断されるはずだ。
しかし、後方から銃声が響いた。
「待て! 奴らを逃がすな!」
粛清部隊が闇の中でこちらを探し始める。
だが、悠人たちはすでに港の裏手へと走り抜けていた。
そこには、黒塗りのバンが待機している。
運転席には、橘陽翔。
助手席には、梓がショットガンを構えていた。
「乗れ!!」
悠人たちは一気に車内へ飛び込む。
「陽翔、頼む!」
陽翔はアクセルを踏み込み、バンは猛スピードで発進した。
タイヤがスリップし、地面を焦がす音が響く。
背後では、粛清部隊の車両が動き出す。
ヘッドライトが一斉に灯り、暗闇の中で悠人たちのバンを追跡し始めた。
「クソ、逃がすか!」
背後から銃撃。
バンのボディに弾丸が突き刺さる。
だが、悠人は冷静だった。
「陽翔、ここを抜けたら右に曲がれ。そこに抜け道がある」
「了解!」
陽翔はハンドルを切り、狭い裏道へと突入する。
追っ手の車両が急ブレーキをかけながら曲がるが、二台は道幅の関係で衝突。
派手な衝撃音と共に、敵の追跡が一瞬遅れる。
「よし、撒いたか?」
隼人が後ろを確認するが——
「いや、まだ一台来てる!」
黒いSUVが猛スピードで迫ってくる。
「しつこいな……」
御影がバンの窓から身を乗り出し、拳銃を構えた。
「撃つぞ!」
その瞬間——
SUVの屋根が開き、スナイパーライフルを構えた男が姿を現す。
悠人の目が鋭く光る。
「マズい、狙撃手がいる……!!」
御影が素早く銃を撃つが、敵のスナイパーは微動だにせず狙いを定めていた。
「陽翔、急ブレーキだ!」
悠人の指示に、陽翔は即座に反応。
バンは突然ブレーキを踏み込み、前のめりに急停止した。
「うおっ!?」
後ろのSUVは対応しきれず、バンの横をすり抜ける形で前方へ。
その瞬間——
「梓、今だ!」
助手席の梓が、ショットガンを構え、SUVのタイヤを狙って一発。
轟音。
SUVの前輪が破壊され、車体がバランスを崩して横転する。
「よっしゃ!!」
御影が歓声を上げるが、悠人の表情は厳しいままだった。
——桐生が、こんな単純な追跡で終わるはずがない。
悠人は、フラッシュメモリを握りしめた。
「これが本番の始まりだ……」
バンは、闇の中へと消えていった——。
@フラッシュメモリの真実
夜の闇を突き抜けるように、バンは市街地の裏道を疾走していた。
助手席の梓が慎重に周囲を見張る。
陽翔の運転は完璧で、裏道を駆使して敵の追跡を完全に撒くことに成功していた。
「……これでしばらくは大丈夫だな」
御影がそう呟くと、悠人は無言で頷き、フラッシュメモリを取り出した。
「隼人、これを解析してくれ」
隼人は即座にラップトップを開き、メモリを挿入する。
キーボードを叩きながら、データを展開するが——
「……おい、悠人」
隼人の指が止まった。
画面に現れたのは、極秘ファイルと書かれたフォルダ。
そこには大量の映像データ、財務記録、そして"極秘計画"の詳細が含まれていた。
悠人が画面を覗き込み、眉をひそめる。
その中の一つを開くと——
映像が流れ始めた。
「……これは?」
薄暗い病院の一室。
監視カメラの映像のようだ。
中央には、桐生正一 病院長が立っている。
その前には、縛られたまま椅子に座らされたある人物がいた。
——それは、警視庁の幹部だった。
「君がこの病院の"裏"を知ってしまったのは不運だったな」
桐生の冷たい声が響く。
幹部は息も絶え絶えに呟く。
「……こんなこと……許されるわけが……」
桐生は静かに笑った。
「許すかどうかは、私が決めることだ」
背後のドアが開き、部屋に入ってきたのは——黒いフードの男。
隼人が息を呑む。
「こいつ……神崎玲司……!」
映像の中で、神崎が静かに桐生の背後に立つ。
その手には、銀色のメスが光っていた——。
画面がノイズで途切れ、映像が終了する。
沈黙が走った。
御影が重く口を開く。
「……これが証拠だ。桐生は、邪魔な人間を"処分"してきた……」
梓が震えた声で言う。
「でも、これを世間に公表できれば……!」
しかし、悠人は首を振った。
「ダメだ。こんな映像一つじゃ、桐生は"言い逃れ"する可能性が高い」
「じゃあ、どうすんだ?」
悠人の目が鋭く光る。
「桐生自身の口から"決定的な証言"を引き出すしかない」
全員が息を飲んだ。
「つまり、直接……桐生と対峙するってことか?」
悠人は無言で頷く。
「この証拠を使って、桐生を"自滅"させる……それが俺たちのやるべきことだ」
夜の闇の中、悠人の目は静かに燃えていた——。
@決戦の序章
バンのエンジン音が静まると、悠人たちは人気のない倉庫街に車を停めた。
隼人がラップトップを閉じながら、低く呟く。
「やるしかねえな……」
陽翔が腕を組み、悠人に尋ねる。
「作戦は?」
「桐生の組織は巨大だ。とても俺たちが太刀打ちできるようには見えない」
御影が、そう言う悠人に催促する。
「あるんだろう。作戦が」
悠人がにやりと笑う。
「奴らの弱点は組織が巨大すぎるということさ」
「それで?」
「巨大な故に個人個人のつながりが、互いに対する信用が足りないということさ。だから奴らの分裂を狙う。フラッシュメモリにあった処分予定リスト、これを見たら奴ら、どう思うかな」
悠人はフラッシュメモリを見せながら、静かに言った。
「それとは別に、桐生はこの映像の存在に気づいていない。だからこそ、まずこれを"交渉の道具"に使う」
梓が不安そうに聞く。
「交渉……? でも、あの男が素直に応じるとは思えない」
悠人はわずかに笑みを浮かべた。
「もちろん、"交渉"する気なんてないさ」
御影が理解したように頷く。
「つまり、桐生を追い詰めるフリをして、本当の狙いは別にある……ってことだな」
悠人が頷き、ポケットからスマートフォンを取り出す。
「……メインターゲットは桐生の最も信用している部下"堂島誠司"だ。」
堂島誠司。桐生の右腕として長年仕えてきた男。
冷徹な判断力を持ち、部下たちからも恐れられているが——
彼自身は桐生をどこまで信用しているのか、分からない。
悠人はスマホを操作し、堂島の携帯番号を隼人に送る。
「隼人、こいつのスマホをハッキングできるか?」
隼人はにやりと笑い、指を鳴らした。
「3分もあれば十分だぜ」
数分後——
隼人のラップトップに、堂島のスマホのデータが映し出される。
通話履歴、メッセージ、GPSデータ……そして——
「こいつ、意外とマメだな……"桐生との通話録音"が残ってるぞ」
全員が息を呑む。
悠人がその音声データを再生する。
——「堂島、お前は私の命令に従っていればいい」
——「しかし、病院内の不審な動きが増えています。患者の数が減っているのは偶然ではないでしょう」
——「……気にするな。それは"必要な処理"だ」
沈黙が走った。
梓が息を飲む。
「……患者の数が減っている?」
御影の表情が険しくなる。
「つまり、桐生は"病院内で何かを隠している"ということだ」
悠人は目を細め、静かに呟く。
「やはり……"病院の地下"に秘密があるな」
隼人がさらにデータを探ると、堂島のスマホには"あるGPSログ"が残っていた。
「……この位置データ、病院の地下駐車場よりもさらに下の階層がある」
陽翔が低く言う。
「病院の地下……何がある?」
悠人は決意したようにスマホを閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「確かめるしかないな」
全員が頷いた。
そして、"決戦の舞台"が決まった。
——桐生の病院の地下施設。
@潜入計画
悠人たちは夜の倉庫街を出て、隼人のハッキングで特定した堂島の位置を確認した。
「病院の近く……ホテルの一室か」
御影が腕を組みながら呟く。
「おそらく、桐生に呼び出される前の待機場所だろうな」
悠人はスマートフォンを手に取り、堂島の番号をダイヤルする。
数回のコールの後、低く抑えた声が応えた。
——「……誰だ?」
悠人は落ち着いた口調で言った。
「桐生に捨てられる前に、話を聞く気はないか?」
短い沈黙の後、堂島が低く笑う。
——「面白いな。お前は何者だ?」
「"ただの医者"さ」
悠人の言葉に、堂島は一瞬息を飲んだようだった。
——「天城悠人か……ふざけるな」
「ふざけてないさ。長年の仲間や部下が今までに消されてきただろう。お前が持っているデータを見れば、"誰が次に消されるか"分かるんじゃないか?」
堂島の呼吸がわずかに乱れる。
悠人は追い打ちをかけるように続けた。
「お前のスマホのデータを見た。桐生が"必要な処理"だと言った件——あれの全対象、処分対象リストは気にならないか?」
堂島は即座に電話を切った。
隼人がニヤリと笑う。
「思いっきり動揺してたな」
悠人は静かに頷いた。
「あと15分もすれば、彼は確実に動く」
陽翔がスマホを見ながら確認する。
「堂島の現在位置、変わったな……ホテルから出るつもりだ」
御影がサングラスをかけ、低く言った。
「待ち伏せるか?」
悠人は首を振る。
「いや、"彼に選ばせる"」
隼人が即座に堂島のスマホに偽メッセージを送る。
——「病院の地下で待つ。真実を知りたければ来い」
悠人はフラッシュメモリをポケットに収めながら、静かに言った。
「これで、堂島は病院の地下に向かうはずだ」
そして——
悠人たちは病院の闇に潜り込む準備を始める。保険として数人の部下に離間工作として処分対象リストに載っていると告げるメールを送り付けておく。
「よし、行くぞ」
4人は顔を見合わせ、頷き合い、梓はハンズアップして送り出した。
*** 病院の地下
深夜の病院は、不気味なほど静かだった。
悠人たちは、職員用の裏口から慎重に侵入する。
「監視カメラ、ハッキング完了。今なら死角を作れるぞ」
隼人がノートパソコンを操作しながら低く言った。
「ご苦労。こっちは順調に地下へ向かってる」
御影が周囲を警戒しながら応じる。
悠人は無言のまま、薄暗い廊下を進む。
数分後、彼らは地下への階段前に到着した。
「堂島は来てるか?」
陽翔が小声で聞く。
隼人が端末を確認し、頷く。
「ああ。地下の奥にある倉庫で立ち止まってる。たぶん、指示を待ってるんじゃないか?」
悠人は静かに息を吐く。
「行くぞ」
@対峙
地下の倉庫は広く、ところどころに古い医療機器や書類の詰まった箱が乱雑に置かれていた。
その中央に、堂島が立っていた。
黒いスーツの上着を脱ぎ、シャツの袖をまくっている。
彼は、悠人を見るなり冷たい声で言った。
「やはりお前が"ただの医者"……か」
悠人は微笑を浮かべながら、フラッシュメモリを分かるように突き出す。
「真実を知る気はあるか?」
堂島は無言で手を伸ばす。
悠人はフラッシュメモリを放る。
堂島がそれを受け取り、ポケットからタブレットを取り出した。
「……何が入っている?」
悠人はポケットに手を入れながら静かに言った。
「桐生が、お前をどう"処分"しようとしているのか——それが分かるデータだ」
堂島の表情が僅かに険しくなる。
タブレットを操作し、データを開く。
堂島の顔色が変わる。
「……これは……!」
画面には、桐生の直筆と思われる命令書が映っていた。
そこには、堂島を含む数名の部下に対する"消去指示"が記されていた。
堂島は拳を握りしめる。
「ふざけるな……俺は、桐生に忠誠を誓って……」
悠人は冷静に言った。
「"使い捨て"だったんだよ、お前は」
堂島は唇を噛む。
その時——
「そこまでだ」
倉庫の入り口で、数名の男たちが銃を構えていた。
先頭に立っていたのは、桐生の秘書・白石だった。
彼は冷ややかに笑いながら言う。
「堂島、お前はやはり裏切り者だったな」
堂島が歯を食いしばる。
悠人は目を細め、静かに呟いた。
「なるほど……俺たちの動きはお見通しか」
白石が拳銃を悠人に向ける。
「クク、お前たちにはここで消えてもらう」
——銃声が響いた。
倉庫の空気が張り詰める。
しかし、悠人たちの誰も倒れていなかった。
「……あんた、いい加減気づけよ」
堂島が拳銃を握りしめたまま、ゆっくりと前に出る。
白石の腕が微かに震えていた。
——撃ったのは堂島だった。
白石の肩口には赤い染みが広がっている。
「なっ……堂島、お前……!」
堂島は銃口をまっすぐ白石に向け、冷たい声で言った。
「桐生は、俺たちを捨てるつもりだった。そうだな?」
白石は歯を食いしばるが、すぐに薄く笑う。
「それが分かったところで、お前はどうする?」
堂島は迷っていた。
今まで忠誠を誓ってきた相手が、自分をただの駒として扱い、捨てようとしていた。
だが、桐生を裏切ることは、それまでの生き方を否定することでもある。
悠人はそんな堂島の様子を見ながら、静かに口を開いた。
「なあ、堂島。お前にとって"正義"って何だ?」
堂島が鋭い目で悠人を見据える。
「ふざけるな。今さらそんな言葉で——」
「違う。お前が信じてきたものは、本当に正しかったのか?」
悠人の目はまっすぐ堂島を見つめていた。
堂島は言葉を失う。
白石がその隙を突き、懐から別の銃を取り出そうとした——その瞬間。
「やるなら今だ、堂島!」
御影の声が響いた。
堂島の決断は、一瞬だった。
銃口が再び火を吹き——白石の手元から銃が弾き飛ばされた。
白石は呻きながら跪く。
悠人がゆっくりと歩み寄り、白石を見下ろした。
「あとは警察に任せる。隼人、通報を」
隼人がスマホを取り出し、操作を始める。
しかし——
「待て。俺が片をつける」
堂島が白石に銃を向けたまま、低く呟いた。
悠人は目を細める。
「……どういう意味だ?」
堂島は微かに笑い、悠人を見た。
「お前の言う通り、俺は今まで間違っていたのかもしれない。だが——それを正すのは俺自身の仕事だ」
悠人は堂島の目を見つめる。
そこにあるのは、迷いを振り払った男の決意。
「……好きにしろ」
悠人が肩をすくめ、歩を引いた。
堂島は白石を睨みつけ、銃を構える。
白石が冷や汗を流しながら震える声で言った。
「ま、待て……堂島……俺を殺せば、お前は——」
「黙れ」
乾いた銃声が、静寂を切り裂いた——。
白石の身体がびくりと震え、膝から崩れ落ちる。
しかし、彼の額に穴は開いていなかった。
弾丸は、白石の耳元をかすめ、背後の壁にめり込んでいた。
「……お前を撃つほど、俺は馬鹿じゃねえ」
堂島は銃を下ろし、深いため息をついた。
白石は恐怖に顔を歪め、肩で息をする。
悠人が静かに言った。
「さすがに撃ち殺すのはリスクが高いと判断したか?」
堂島は悠人を一瞥し、苦笑した。
「違えよ。俺は、俺なりのやり方でケリをつけるってだけだ」
堂島は白石の襟を掴み、強引に立たせると、無線機を奪い取った。
「……桐生、お前に伝言だ」
低く冷えた声で、無線に向かって囁く。
数秒の沈黙の後——
『……堂島、か』
スピーカーから響いた声に、悠人たちは警戒を強めた。
それは紛れもなく、桐生正一の声だった。
『どうやら、俺の見込み違いだったようだな』
堂島は無表情のまま、無線機を強く握る。
「……もう俺はお前の駒じゃねえ」
桐生の笑い声が聞こえる。
『ならば、"駒"が王に刃向かう覚悟はあるのか?』
堂島の目が鋭く光る。
「……ああ、覚悟はできてる」
その瞬間、倉庫の外で複数の車のエンジン音が鳴り響いた。
「ちっ、桐生の手の者か!」
御影が咄嗟に銃を構える。
悠人は苦笑しながらフラッシュメモリを握る。
「こりゃ、まだ終わらなさそうだな」
@ 包囲網突破
倉庫の外から響くエンジン音。
次いで、タイヤが砂利を踏みしめる音が複数。
すぐに男たちの怒声と、金属を叩くような物音が響き渡った。
「……まずいな。完全に囲まれたか」
御影が低く呟く。
悠人はちらりと堂島を見た。
堂島はすでに白石を壁際に押し付け、見下ろしていた。
「おい、どれくらいの人数がいる?」
堂島の問いかけに、白石は苦痛の表情を浮かべながら答えた。
「……ざっと、十人以上……」
堂島が舌打ちする。
悠人は冷静に周囲を見渡し、逃げ道を探した。
「このまま正面から突破するのは、現実的じゃないな」
だったらどうする?」と御影が訊ねる。
悠人はフラッシュメモリをしまいながら、ゆっくりと微笑んだ。
「簡単な話さ。俺たちは"ここにいない"ことにすればいい」
堂島と御影が一瞬顔を見合わせる。
「……まさか、陽動か?」
「ご名答」と悠人は指を鳴らした。
「ちょっとしたトリックを仕掛けるだけで、敵は勝手に動くものさ」
悠人は素早く倉庫内を見渡し、使えそうな物を探した。
そして、あるものに目を留める——
「……こいつで決まりだな」
悠人が手に取ったのは、大型のプロパンガスボンベだった。
御影の口元に笑みが浮かぶ。
「なるほど……派手にやるつもりか」
堂島も気づいたのか、ニヤリと笑う。
「そりゃあ、楽しくなりそうだな」
悠人は白衣の袖を軽くまくり上げると、手際よくボンベをセットし、即席の"爆薬"を仕掛けた。
そして——
「さて、"幻影"の時間だ」
悠人が小さく呟いた次の瞬間——
——轟音が、夜の闇を切り裂いた。
爆炎が倉庫の入り口を包み込み、外にいた桐生の手下たちは驚愕の声を上げる。
「ちっ、何が起きた!?」
「敵が自爆したのか!?」
混乱する敵の動きを利用し、悠人たちは倉庫の裏手から闇に紛れ、静かに姿を消した——。
@追跡者の影
倉庫の裏手から逃げ出した悠人たちは、暗闇の中を駆け抜けた。
背後では爆炎がまだ燻り、桐生の手下たちが混乱する声が響いている。
「……これで少しは時間が稼げる」
悠人は息を整えながら言った。
御影は短く頷き、周囲を警戒する。
しかし——
「……甘いな」
静寂を切り裂く声が響いた。
ザッ……ザッ……
暗闇の中、誰かが悠然と歩いてくる音。
その影が街灯の薄明かりに浮かび上がる。
黒いコートを羽織った男——神崎玲司。
悠人は舌打ちした。
「……やっぱりお前は向こう側だったか」
神崎は不敵に笑う。
「お前がどこに逃げようと、俺らからは逃れられない」
彼はゆっくりと手をポケットに入れ、何かを取り出した。
小さなリモコンのような装置——次の一手を握っている証拠。
「爆弾の仕掛けなんて、俺の目の前では子供の遊びだ」
悠人の眉がわずかに動く。
「……ふうん。つまり、お前は"対策済み"ってことか」
神崎の笑みが深くなる。
「さあ、どうする?」
悠人は小さく息を吐いた。
「……なら、ここからが本番だな」
@ 天才医師の逆襲
悠人は神崎の手元のリモコンをじっと見つめた。
爆弾の仕掛けが無効化された可能性は高い。だが、それがすべてではない。
悠人はポケットに手を突っ込みながら、不敵に笑った。
「へえ、そんなに自信満々ってことは、俺がまだ気づいてない"罠"でもあるってことか?」
神崎は悠人の挑発に動じず、ゆっくりと首を振る。
「お前が何を企んでいようと、もう終わりだ。フラッシュメモリを渡せ。お前が無駄に足掻くほど、俺は楽しめるがな」
悠人はわざと困ったようにリモコンを指差した。
「ああ、そっちの"おもちゃ"を先に渡してくれたら考えてやるけど?」
「交渉する立場にあると思っているのか?」
神崎が一歩踏み出す。
倉庫内に張り詰めた空気が、まるで時を止めたかのように静まり返った。
カチリ——。
銃のセーフティが外される音が、はっきりと響く。
「……おい、冗談だろ?」
神崎玲司は、背後を振り返り低く呟いた。
銃を構えているのは、神崎の腹心の部下——藤堂。
短く刈り込まれた黒髪、鋭い目つきの男。これまで神崎の右腕として動いていたはずの彼が、今、神崎に銃口を向けている。
「……悪いな、神崎」
藤堂は無表情のまま、静かに言った。
「俺も"次に消される"側だったらしい」
その言葉を聞いた瞬間、悠人は小さく笑みを浮かべた。悠人はこれはと思う数人に処分対象リストを送り付けていたのだ。
「やっぱりな」
藤堂の手がほんの少し震えていることに、悠人は気づいていた。
「お前は最初から桐生に利用されていただけだ。神崎、お前もな」
神崎は眉をひそめ、苛立ちを隠さずに言い返した。
「ハッ、そんな戯言を信じるとでも? 桐生は俺を切るはずが——」
「本当にそうか?」
悠人が、すかさず言葉を挟む。
彼はスマホを操作し、画面を藤堂に向けた。
そこに表示されていたのは——
桐生正一の極秘メールのデータ。
そこには、神崎の名前と共に、"処分予定リスト"が記されていた。
神崎玲司——優先度:高
藤堂——優先度:中
「お前は"中"らしいな。だけど、遅かれ早かれ消される運命だった」
悠人の言葉に、藤堂の表情がわずかに歪む。
そして——
バンッ!!
乾いた銃声が倉庫内に響いた。
神崎は反射的に身をかわしながら、咄嗟に拳銃を抜く。しかし、撃たれたのは彼ではなかった。
「……ぐっ……!」
銃を構えたまま、藤堂の肩に鮮血が滲む。
撃ったのは、倉庫の奥に潜んでいた神崎の別の部下だった。
藤堂は倒れそうになりながらも、神崎を睨みつける。
「……やっぱり、俺は……切り捨てられる側だったってことか……」
神崎は冷ややかに笑い、銃を藤堂に向ける。
「だから言ったろ? 俺を裏切るからだ」
その瞬間——
「させるかよ!!」
悠人の声が響き、彼は素早く手にしていたフラッシュメモリを神崎に向かって投げつけた。
神崎が反射的に目をそらした隙に、悠人は藤堂の腕を掴んで引き寄せる。
同時に——
「お前の負けだ、神崎!!」
如月隼人が倉庫の天井に仕掛けた爆音スピーカーを作動させ、耳をつんざくようなノイズを発生させた!
「ぐっ……!!」
耳を押さえながら、神崎とその部下たちが動きを止める。
悠人はその隙を逃さず、藤堂を抱えながら倉庫の奥へと走った。
「ここは一旦撤退だ!」
隼人が素早く倉庫の制御パネルを操作し、シャッターを降ろす準備を開始する。
しかし——
「逃がすかよ……!」
神崎は耳を押さえながらも、銃を悠人たちに向け、力強く引き金を引いた。
バンッ!
弾は悠人の目の前をかすめて、壁に激しく弾け飛んだ。その瞬間、悠人は無駄なく動き、藤堂を庇うように身体を前に出す。
「くっ……!」
隼人が耳を押さえつつ、素早く無線で指示を送る。
「すぐにシャッターを降ろせ! 悠人、耐えろ!」
悠人は冷静さを保ちながら、動き出す。彼は藤堂の状態を見て、短く声をかける。
「藤堂、もう少しだ、耐えろ!」
藤堂は血だらけの腕で悠人にしがみつきながら、かすれた声で言う。
「……お前、最初から俺を助けるつもりだったんだな」
悠人は一瞬、苦笑を浮かべた。
「当然だ。お前が裏切り者じゃなくて、単に桐生に使われていただけならな」
その瞬間、神崎が再び銃を構え直し、冷笑を浮かべて言った。
「今更何を言ったところで、もう遅い。お前たちは逃げられない」
悠人は、鋭い目で神崎を見つめ、低い声で言った。
「お前は本当に、桐生の言葉を信じてるのか?」
神崎の表情が一瞬、歪んだ。まるで彼が初めてその言葉に迷いを感じているかのようだった。
「……信じてるも何も、俺は生き残るために、こうするしかなかっただけだ」
「そのために、どれだけ多くの命を犠牲にした?」
悠人の言葉に、神崎の目が一瞬、揺れた。しかし、それを隠すように、また銃口を向けた。
「黙れ、お前に何が分かるんだ」
その時、倉庫の天井に設置された爆音スピーカーが再び作動し、耳をつんざくような音が響き渡る。神崎は動きを止め、片手で耳を押さえた。隼人はその隙を見逃さず、制御パネルを操作し、シャッターが急速に降り始めた。
「今だ、悠人!」
「行け!」
悠人は藤堂を抱きかかえながら、急いでシャッターに向かって走る。隼人は最後の操作をし、シャッターが完全に下りると同時に、倉庫内は一気に暗く、静寂に包まれる。
だが、まだ完全に安全とは言えなかった。神崎が激しくシャッターに銃を撃ち込んでいる音が響いている。
「くそ……まだ追い詰められるわけにはいかない」
悠人は藤堂を無理なく引き寄せ、隠れる場所を探しながら言った。
「隼人、外のルートはどうだ?」
「安全だ、すぐに出口を開ける」
隼人は手早く準備を整え、悠人と藤堂を待たせていると、倉庫の奥から神崎の声が響く。
「お前ら、逃がすと思うなよ!」
悠人は眉をひそめ、短く言った。
「こっちの勝ちだ、神崎」
その言葉とともに、隼人が一気に倉庫のシャッターを開け、悠人と御影と藤堂は外へと走り出す。神崎とその部下たちは完全にシャッター越しに遮られ、追撃の手がかりを失う。
「行け! あとは俺たちが持ちこたえる!」
隼人と御影、陽翔は身を挺して足を止め、警戒を続ける。悠人は藤堂を引き連れながら、すぐに別の隠れ家に向かって走り出す。後ろを振り返ることなく、彼らは一気にその場を離れた。
だが、この脱出劇はまだ終わったわけではない。悠人たちは神崎の執念を知っていた。彼が諦めることはない——次なる追撃がすぐに始まることを、悠人は確信していた。
「次にやるべきことは……桐生を完全に追い詰めることだ」
悠人は次の行動を決めていた。
悠人は藤堂を引きながら、隠れ家に向かって走り続けた。その足取りは速く、確実だった。心の中で次に何をすべきかを冷静に整理していたが、頭の片隅には依然として神崎とその部下たちの追撃の可能性が浮かんでいた。
藤堂がふらつきながらも、必死に歩調を合わせてついてくる。傷の痛みと失血で顔色は悪いが、それでも何とか歩を進めていた。
「藤堂、大丈夫か?」悠人はちらりと彼に目を向けて尋ねた。
「大丈夫だ……少し休めばなんとかなる」藤堂は歯を食いしばり、力強く答える。
悠人は少し安心したが、すぐに顔を引き締めた。隠れ家までの道のりは予想以上に長く感じられ、これ以上は無駄な時間を費やせない。
「ここで休むわけにはいかない。すぐに桐生を追い詰めるんだ」
その言葉とともに、悠人は再び歩みを速めた。
隠れ家に到着した後、悠人はまず藤堂をベッドに寝かせ、手当てを始めた。彼の腕を慎重に包帯で固定し、傷の手当てをしている間も、悠人の頭は次の行動を巡らせていた。
「桐生正一。奴の犯行はもう明白だ。俺たちは何としても、奴の黒幕を暴き、証拠を掴む必要がある」悠人は独り言のように呟く。
その時、隼人が連絡を寄越す。
『悠人、あの後神崎はどうした?』
悠人は答える前に少し考えた後、冷静に返す。
「神崎はしばらく追撃を断念するだろう。あの男のプライドは傷ついたはずだから、すぐには動かない。だが、桐生はそれを見越して、もう一手を打っているかもしれない」
隼人の声が一瞬静かになり、次に言葉を返してきた。
『ならば、桐生を追うべきだ。俺がネットで情報を集めてみる。悠人、あんたが最前線で動け』
「わかった。任せた」悠人はスマホを操作し、桐生がどこで動いているのか、どのようなアクションを取っているのかを探し始めた。
その間にも、悠人は何度も藤堂の様子を確認し、必要な手当てを施し続けた。藤堂はだんだんと意識がしっかりしてきて、言葉を発する余裕を取り戻していた。
「悠人……桐生のところへ行くのか?」藤堂が弱々しい声で尋ねる。
「行くさ。今、桐生の裏を徹底的に洗って、全ての証拠を掴まない限り、俺は終わらせられない」悠人は藤堂に目を向け、決意を込めて言った。
「だが……気をつけろ、桐生はただの手先じゃない。あの男は、普通の犯罪者じゃない……」
「わかっている。」悠人は短く答えた。
その後、隼人からの連絡を受けて、悠人は桐生の動向を追い、次の一手を考える。桐生が目指しているのはどこか、それを探り当てなければならない。
「桐生、お前の終焉はもうすぐだ」悠人は心の中で呟きながら、再び新たな道を切り開くための準備を始めた。
悠人は隠れ家の一室で、慎重に次の行動を決めていた。藤堂の傷が少し落ち着いてきたものの、彼の意識はまだ完全には戻っていない。それでも悠人は後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、桐生正一の動きを追うことを最優先にした。
隼人から送られてきた情報を見ながら、悠人はすぐに一つの考えに至った。桐生は表向きには完璧に近い犯罪組織を運営しているように見えるが、その裏では隠された繋がりがあるはずだ。それを突き止めなければ、桐生を追い詰めることはできない。
「隼人、情報を送ってくれ。俺が桐生を捕まえるための糸口を見つける」悠人は電話を取ると、隼人に指示を出した。
しばらくして、隼人からの返答が届く。ネットを駆使して集めた情報の中で、桐生が最近接触していた人物が判明した。それは、かつて桐生と深い繋がりを持っていたが、数年前に姿を消していた伝説的な暴力団の元幹部、黒沢大輔だった。
「黒沢……か。この男は桐生とどんな取引をしているんだ?」悠人は眉をひそめながら呟く。黒沢は冷酷無比な男で、その動きは常に予測不能だった。
すぐに隼人に連絡を取り、黒沢がどこにいるのかを調べさせる。そして、悠人は藤堂を一時的に一人で隠れ家に残し、急いで黒沢との接触を試みることを決意する。
「藤堂、俺は行く。お前はここで待機しろ。何かあれば、すぐに連絡してくれ」悠人は藤堂に向かって冷静に言った。
藤堂はゆっくりと頷き、強がった表情を浮かべた。「頼むぜ、悠人。桐生を叩き潰せ」
悠人はその言葉に軽く微笑み、すぐに隠れ家を後にした。桐生の陰謀を暴くため、黒沢達の裏の世界に踏み込む決意が固まっていた。
街の裏通りは静寂に包まれ、遠くの街灯がぼんやりと路地を照らしていた。夜の冷気が悠人の肌を撫で、どこからか猫の鳴き声が響く。足元に広がる影の中で、悠人は息を潜めながら廃工場の入口へと近づいた。
「ここか……」
呟く声は闇に溶けるようにかすかだった。
工場の扉は半ば壊れかけており、錆びた金属が軋む音を立てる。悠人は慎重に足を踏み入れた。内部はひんやりと湿気を帯び、かつて機械が動いていた名残のオイル臭が漂っている。頭上には鉄骨がむき出しになった天井が広がり、蜘蛛の巣がかすかに揺れた。
薄暗い中、悠人は足音を殺しながら奥へと進む。そこに、低く響く男たちの声が聞こえた。
廃工場の中央には、かつての作業台と思われる古びた机が置かれ、その周囲に数人の男たちが立っていた。中央にいるのは黒沢——黒のレザージャケットに身を包み、タバコを指に挟んだまま無表情で取引相手と向かい合っている。その手には、一枚の封筒が握られていた。
「桐生か……」
悠人は物陰から目を凝らした。薄明かりの下で、取引相手の男が封筒を開き、中の書類に目を通している。その表紙に「桐生正一」の文字が浮かび上がるのを見た瞬間、悠人の中で確信が生まれた。
黒沢が桐生と繋がっている——この証拠を押さえれば、桐生を追い詰める大きな糸口になる。
慎重に身を隠しながら、悠人は一気に間合いを詰める準備をした。呼吸を整え、次の動きを計算する。
——しかし、そのとき。
背後で、不意にコンクリートを踏む音が響いた。
「誰だ!?」
鋭い声が廃工場に響き、黒沢の部下の一人がこちらを振り向いた。悠人は迷うことなく、素早く前に出てその男の腕を捻り、首元を押さえ込んだ。
「静かにしろ」
悠人の低い声が相手の耳元に囁かれると、男は抵抗する間もなく力を抜いた。しかし、すでに警戒態勢に入った黒沢は、冷静な視線でこちらを見据えていた。
「お前が桐生の言っていた天城悠人か?」
闇の中に響く黒沢の声には、驚きの色はない。まるで、悠人がここに現れることを予期していたかのように、落ち着き払っていた。
悠人はゆっくりと姿を現し、黒沢を見据える。
「黒沢……」
闇の中で二人の視線が交差する。
「お前、桐生の裏の顔を知っているんだろう?」
黒沢はわずかに口元を歪め、煙草の煙をゆっくりと吐き出す。
「桐生が裏で何をしているか? そんなことをお前が知る権利はない」
悠人は黒沢の言葉を無視し、一歩、また一歩と動きを封じるべく間合いを詰める。
「その情報、俺が奪う」
黒沢は悠人の一歩一歩に冷徹な眼差しを向けながらも、その表情には微かな余裕が見え隠れしていた。
「お前は本当に無謀だな、悠人」黒沢は静かに言った。「俺とやり合うつもりか?」
悠人は、足を止めずに言った。「お前が桐生と繋がっているのは分かっている。だが、もうお前の時代は終わりだ」
黒沢は短く笑うと、手をゆっくりと背中に回した。「時代だって? 面白いことを言うじゃないか。だが、お前が桐生の計画を知ったところで、何ができる?」
その言葉をきっかけに、黒沢は急に動き出す。彼の右手に隠し持っていた短刀が閃いた。悠人は瞬時に反応し、身をかわしながら黒沢に向けて拳を放った。
「くっ…」黒沢は軽く後退し、悠人の攻撃をかわすと、すぐさま短刀を繰り出す。しかし、その刃が悠人の肌をかすめる間に、悠人はさらに距離を取って飛び退く。
「そんな手に引っかかるかよ」悠人は冷静に言い、すぐに再び接近戦に持ち込むために動き始めた。
黒沢の表情が一変し、次第に攻撃の手を強めてくる。今度は素早く連続的に攻撃を繰り出し、悠人の隙をつこうとしている。しかし、悠人はそれをきっちりと捌きながら、隙を伺う。
「お前のような男が、桐生に利用されているってのは皮肉だな」悠人は言った。目の前で繰り広げられる激しい攻防の合間に、冷静に言葉を重ねる。「お前は俺のように、正義のために戦っているわけじゃない。ただ金と権力が欲しいだけだ」
黒沢の目に一瞬、怒りの炎が宿る。「黙れ、悠人! お前は俺を侮辱するのか!」
その瞬間、黒沢は完全に怒りに任せて一気に攻撃を仕掛けた。鋭い刀の刃が悠人の胸に迫る。その隙間を狙い、悠人は黒沢の手首を掴み、その勢いを利用して刀を取り上げた。
「……今度は、俺の番だ」悠人は静かに言い、黒沢の短刀を手にして冷徹に黒沢に向き直った。
黒沢の顔に焦りの色が見えるが、悠人はその胸元に素早く短刀を突きつけた。「どうだ、黒沢。お前も所詮は桐生の駒に過ぎない」
黒沢は静かに息を呑み、悠人の目を見つめながら少しずつ表情を引き締めた。
「わ……分かった。俺が桐生とどんな取引をしているか、お前に教える」黒沢の言葉は冷徹であったが、その背後には自分を守るための本能的な意識が感じられた。
悠人はその言葉を受け入れ、短刀を少しだけ引く。「話せ」
黒沢は深く息を吐き、迷いの色を滲ませながらも、やがて口を開いた。
「桐生は……お前が思っている以上に、はるかに大きなものを動かしている」
その言葉は、湿った空気の中に低く響いた。
悠人は目を細め、静かに続きを待つ。
「俺が関わったのは、ほんの一部にすぎない。裏取引の金の流れ、密輸、そして……」
黒沢が言葉を続けようとしたそのとき——
悠人の耳に、微かに何かが擦れる音が届いた。
——足音。
しかも、一人ではない。複数。
悠人は警戒心を研ぎ澄ませ、反射的に振り返った。
ガチャリ。
工場の入り口から、数人の影が現れる。
暗闇に沈んだ工場の空間の中で、ゆっくりと現れる彼らの姿。月明かりに照らされたシルエットは、黒沢の部下とは違う。肩を怒らせ、手には拳銃を握っている者もいる。
悠人は眉をひそめながら、黒沢の腕を強く引いた。
「桐生の部下か……」
苦笑しつつも、その瞳は一瞬たりとも敵から目を逸らさない。
「お前が生き残りたいなら、早く話せ。時間がない」
黒沢は、一瞬だけ視線を彷徨わせた。迷いが浮かび、逃げ場を探しているようにも見える。しかし、その背後にいる悠人の眼差しは、まるで逃がすことを許さないかのように鋭い。
——やがて、黒沢は観念したように息を吸い込み、低く呟いた。
「桐生の計画は、」
悠人は無言で耳を傾ける。
「奴は、国家を裏で手に入れようとしている。政治も経済も、すべてを影で操るつもりだ……。そのためには、俺やお前のような小物が何人犠牲になろうと、あいつは一切気にしない」
黒沢の言葉が終わると同時に、入り口にいた男たちがじりじりと距離を詰め始めた。
悠人はその言葉を飲み込みながらも、心の中で計画を練り直していた。桐生がこれほどまでに手を広げているとなると、単なる追跡では済まない。今度は一気に根幹を揺るがす必要がある。
悠人は黒沢の襟元を掴み、一気に引き寄せた。
「お前にはもう二度と、桐生の側に立つチャンスはない」
冷ややかに告げながら、短刀を黒沢から引き離す。その刹那——。
「殺れ!」
桐生の部下たちが一斉に襲いかかった。
悠人は迷いなく動いた。足元に転がるレンチを拾い、最も近くにいた男のこめかみに叩きつける。男が呻きながら後退する間に、悠人は黒沢の腕を引っ張り、即座に駆け出した。
ダンッ!
背後で銃声が鳴る。工場の闇に紛れた追手の影が、懐から取り出した銃口を向けているのが見えた。
——まずい。ここは逃げるしかない。
悠人は足を止めることなく、黒沢を引きずるようにして工場内を駆け抜けた。巨大な機械が並ぶ廃墟のような空間。油の匂いが漂い、床には割れたガラスや錆びた金属片が散乱している。ひとつ間違えれば、足を取られて転倒する危険もあった。
「早くしろ、黒沢!」
悠人は息を切らしながら叫んだ。
黒沢は肩を押さえながら必死に走る。追手がすぐ背後に迫っているのを感じながら、喘ぐように言葉を吐き出した。
「分かっている、だが……」
振り返ると、黒沢の表情は怯えと焦燥が入り混じっていた。
「お前が望む情報を手に入れても、桐生はもう、俺たちを放っておくわけがないんだ。あいつは、一度使えなくなった駒を容赦なく消す」
悠人の表情がわずかに曇る。
桐生正一——裏社会で冷酷無比と恐れられる男。黒沢が裏切り者と見なされた今、彼が生き延びる可能性は限りなく低い。桐生は用済みの駒を躊躇なく切り捨てる。殺し屋を差し向けることも、手を回して警察に始末させることも厭わない。
しかし、だからこそ——。
黒沢の命を守ることこそ、桐生を追い詰める鍵になる。
悠人は決断するように、前を見据えた。
「まだ逃げ道はある。俺に賭けてみろ、黒沢」
彼の言葉に、黒沢は目を見開いた。
「お前の命は今、俺の手にかかっているんだ」悠人は冷静に言い放つ。
黒沢は一瞬黙った後、深く息を吐いた。「お前の言う通りだ。だが、あの男の力は想像以上だ。俺たちだけで桐生を倒すのは、正直言って無理だ」
その言葉に、悠人は険しい表情を浮かべながら、工場の出口に近づく。しかし、もうすぐそこまで追手が迫っていることは明白だった。
「無理じゃない。俺たちには仲間がいる」悠人はふと、隼人や御影、そして陽翔たちの顔を思い浮かべる。彼らが揃えば、桐生の陰謀を暴く手助けになるはずだ。だが、今はまだ、そのための時間を作る必要がある。
「一旦隠れろ、黒沢!」悠人は勢いよく言い、工場の出口前に置かれたコンテナを指差す。「あそこに隠れろ、追手が来る前に!」
黒沢はうなずくと、すぐに指示に従ってその場に隠れた。悠人もその後を追う形でコンテナの陰に身を隠した。
すぐに、足音が近づいてきた。数人の追手が工場の入り口に現れると、周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいった。悠人は息をひそめ、心拍数を落ち着けながら、目の前に迫る敵の動きを伺った。
「どこだ? 逃げたか?」追手の一人が低い声で言った。
悠人は一歩、また一歩と静かに後ろに下がりながら、隠れたままで敵の目を逃れる。しかし、すぐに追手の一人が足元に視線を移し、慎重に歩みを止めた。
「何か引っかかったか?」他の追手が声をかける。
悠人は黒沢に目を向ける。黒沢はしっかりと身を縮めて、気配を殺している。悠人もまた、体をひそめ、無音で動くことを意識した。
「おい、こっちに向かっているぞ!」
別の追手が叫び、悠人は一瞬の隙をついて、足元にあった鉄棒を手に取った。それを隠し持ち、突然前に飛び出し、最初の追手に向けて鉄棒を振りかざした。
「うわっ!!」追手は驚き、鉄棒がその体にぶつかる前に身をよじった。悠人はその隙に素早く追手の体を抑え込み、もう一人の追手に向けて素早く回し蹴りを放った。
残る追手が銃を構えようとしたが、悠人はその前に一気に距離を詰めて、追手の腕をつかみ、銃を奪った。
「悪いが、今度はお前の番だ」悠人は銃を追手に向け、冷静に言い放つ。
だが、敵の人数はまだ少なくない。このままでは、時間がかかりすぎてしまう。悠人は自分の判断で、次の行動を決めた。
「黒沢、逃げろ。俺が時間を稼ぐ」悠人はすぐに叫んだ。
黒沢は迷うことなく、再び走り出し、工場の外へと駆け抜けていった。悠人はその後を追おうとしたが、再び追手の足音が近づいてきた。
「行け、急げ!」
悠人は全速力で走り出し、息を切らしながら工場の外に向かって駆け抜けた。振り返る暇もなく、足音が再び背後で響く。追手はまだしつこく追ってきている。しかし、悠人には時間がなかった。黒沢を逃がすためには、自分が囮となり、追手を少しでも遠ざける必要がある。
「どこだ、奴ら!」追手の一人が叫ぶ声が背後で響く。悠人は必死に足を動かしながら、頭の中で次の行動を考えた。
工場の外へ出ると、周囲には広い道路が広がっていた。すぐに隠れられる場所は見当たらないが、少なくとも街に出ることで追手を振り切る手助けになるはずだ。悠人は小道へと入り、建物の陰に身を隠す。
だが、すぐに足音が近づいてきた。数人の追手が工場の入り口から走り出て、悠人を見つける前に周囲を警戒している。悠人はその隙に近くのゴミ箱を使って音を立て、追手を惑わせた。
「逃げられると思うな!」追手の一人が銃を構えて走りながら叫ぶ。
悠人は冷静に振り返り、追手の動きをよく見てから道路の反対側にある狭い路地に素早く移動し、追手の視界から消えるように身をひそめた。
しばらくして、追手の足音が遠くなったのを感じ、悠人は静かに息を吐き出した。「よし、これで少しの間は大丈夫だ」
だが、悠人はすぐに立ち止まり、黒沢のことを考え始めた。彼を守り抜くためには、この先どんな手を使ってでも桐生を追い詰めなければならない。そして、桐生を倒すために必要な情報が黒沢の口から漏れた時にこそ、彼を完全に仕留めるチャンスが訪れる。
「黒沢、今はどこだ?」悠人は携帯を取り出し、すぐに黒沢に連絡を試みた。
数回の呼び出し音が鳴った後、ついに黒沢が応答する。
「……悠人か?」
その声に、悠人は安心したように息をついた。「お前、無事か?」
「なんとか生きてる。だが、桐生の奴、確実に動き出してる。すぐに俺たちを追ってくるはずだ」黒沢の声が緊張している。
悠人は一瞬の間をおいて答える。「分かってる。お前の言う通り、桐生は確実に手を打ってくる。だから、今のうちにやるべきことがある」
「やるべきこと?」
「お前が持っている情報、全部俺に渡してくれ。桐生を倒すためには、それが必要なんだ」悠人は力強く言った。「お前が生き残るためにも、桐生を倒すことが最優先だ」
黒沢はしばらく黙っていたが、やがて答える。「分かった、だが……お前はどうする?」
「俺はもう一度、桐生に接触する」悠人は冷静に言った。
「そうか……でも、くれぐれも無茶はするなよ」
「大丈夫だ、黒沢。俺にはまだやるべきことがある。必ずお前を守るから、情報を頼む」
悠人は電話を切り、再び周囲を確認しながら、次の計画を立てた。桐生に直接接触することで、奴の策略を暴き、そしてそれを逆手に取る。それが今、悠人にできる最良の手段だ。
悠人は冷静に周囲を見回しながら歩き、次の行動に集中した。桐生を追い詰めるためには、今黒沢から手に入れた情報をどう使うかが鍵だ。しかし、桐生がどれほど深く裏で動いているかを考えると、悠人もすぐに計画を実行に移さなければならないと感じていた。
黒沢との通話後、悠人は速やかに移動を始める。事前に仕込んでおいた連絡網を頼りに、桐生の動向を探るつもりだ。まずは桐生が常に関わっている企業の一つに向かう。そこは黒沢からもらった情報にあった、桐生が密かに操作している不正資金の流れがある場所だ。
悠人は無駄な時間をかけるわけにはいかない。彼は指定したビルの前に到着し、周囲を警戒しながら中に足を踏み入れた。静かなオフィス街で、仕事に没頭しているような雰囲気を保ちながらも、その内情は全く異なっている。
「まずは、監視カメラのデータを手に入れる」悠人は小声で呟き、ビル内のセキュリティ室を目指して歩いた。目的地に到着すると、事前に調べておいたセキュリティシステムの弱点を突いて、簡単にアクセスコードを抜き取ることに成功した。
「これで……桐生がどこに向かっているかが分かる」悠人はモニターを前に、急いで桐生の動きを追跡し始めた。その画面には、桐生が今夜の会議に出席する予定の場所が表示されていた。場所は、最近取り引きが進んでいるホテルの一室だ。
悠人は目を細め、眉をひそめた。桐生が何か大きな取引をするための準備をしていることは明らかだった。だが、その会議が単なるビジネスの取引でないことも、悠人には分かっていた。桐生が裏で繋がっている相手、それを暴くための決定的な証拠を掴むことこそが、今の悠人の使命だった。
「ホテルだな」悠人は再度スマホを取り出し、隼人に連絡を入れた。「隼人、桐生が今夜ホテルで何かをするらしい。監視を頼む」
「分かった。俺が手配する。君も急いで行け」隼人の返事がすぐに返ってきた。
悠人は一息つき、素早くセキュリティ室を後にした。次は桐生が待っているホテルに向かう番だ。これが最後のチャンスになるかもしれない。悠人の中で、強い決意が固まった。
***
ホテルに到着した悠人は、エントランスから慎重に内部に入っていった。冷静にエレベーターに乗り、指定されたフロアに向かって移動を続ける。
「桐生がこの場所で何を企んでいるのか、必ず突き止めてやる」悠人は小さく呟きながら、ホテル内の廊下を歩き、会議室がある一角に辿り着いた。
そして、悠人はドアの前で立ち止まり、耳を澄ませた。中からは話し声が漏れ聞こえる。その声を元に、悠人は静かにドアを開け、目の前に広がる光景を確認した。
その部屋には桐生の姿と共に、いくつかの名の知れた顔が集まっていた。会議が行われているのは間違いない。しかし、その会話の内容は、悠人が予想していたものとは異なった。
桐生は誰かに電話をかけている様子だった。「いいか、すぐに始めろ。これでお前の責任は果たせる」
悠人は心の中でピンと来るものがあった。桐生のこの動きは単なるビジネスではなく、何かもっと深刻な犯罪に関わる証拠になるかもしれない。
「待て、桐生」悠人はその場に踏み込むと、周囲の警備が驚く中で、桐生に向かって冷静に言い放った。
桐生は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに冷徹な笑みを浮かべた。「悠人か。ようやく来たか」
悠人はその笑みを見て、すでに桐生の計画がどれほどの規模になっているかを悟った。「お前の計画は終わりだ。これ以上は許さない」
桐生は悠人を見据え、暗い声で言った。「これで終わるのは、お前の命だ」
その瞬間、会議室内は緊張の糸が張り詰める。悠人の戦いが、ついに最終局面に突入した。
悠人は冷静に桐生の言葉を聞き流し、心の中で次の一手を練りながら、足元をしっかりと固めた。桐生の冷徹な目を見つめ返し、彼がどれほどの危険人物であろうと、今ここで何としてでも終わらせる覚悟を決めた。
「お前の計画がどうであれ、もう遅い。俺は全てを知っている」悠人の声には、迷いも恐れもなかった。すでに得た情報がすべて彼の力となり、桐生を追い詰めていることを自覚していた。
桐生は悠人の言葉に軽く嘲笑を浮かべ、「あんたが何を知っていようが、今さらどうにもならない」と答えた。彼の周りには数人の部下が控えている。これまで悠人と戦ってきた男たちとは違う、もっと洗練された手練れのようだ。しかし、悠人の目には、その全てが計算通りに動かせる駒に過ぎないように映った。
「桐生、お前の裏切り者たち、すぐに動き出すぞ」悠人は冷静に続けた。実際、隼人や黒沢がすでに桐生の部下を警戒し、どの部屋にいるかも掴んでいる。それを桐生に伝えることで、さらに追い詰めることができるはずだった。
桐生は一瞬、目を見開いたが、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。「そんなことで俺を揺さぶれると思っているのか? もう一度言わせてもらおう。お前の負けだ」
桐生が手をかざすと、部屋の奥から数人の部下が悠人に向かって歩み寄ってきた。その姿勢は決して怯むことなく、悠人に迫っていく。
「ならば、覚悟しろ」悠人は静かに呟き、すぐに体を低くして構えた。彼はすでにこの瞬間を予測していた。この戦いが単なる言葉のやりとりではないことを、桐生も知っている。
その時、悠人のスマホが震え、隼人からのメッセージが届いた。
「監視カメラが動き出した。部屋の外に警備が増員されている。お前、動きがあったらすぐに撤退して」
悠人は一瞬、そのメッセージに目を通し、桐生の動きを見る。今がその瞬間だと感じた。
動き出す前に、素早くフラッシュメモリを取り出し、部屋の中央にあるディスプレイに向けて投げた。メモリがディスプレイの前に落ちた瞬間、スクリーンに暗号化されたデータが表示された。
「それが証拠だ、桐生。お前が裏で仕組んでいた全ての計画、取引の記録がここにある」悠人はディスプレイを指さしながら続けた。「今、お前の悪事は、全て世間にさらされた! お前は終わった」
桐生はそのデータに目を奪われ、表情を一変させた。だが、瞬時に冷静さを取り戻し、「それがどうした」と嘲るように言った。「今までこんなものは何とでもしてきた。警察や関係機関を買収し、もみ消すこともともできるしお前を殺しデータを破壊してもいい。『捏造だ』と言い逃れることだってできる。いくら抵抗しても無駄だ。それが力の無い者の運命だろ」
悠人はその言葉に反応せず、静かに前に一歩踏み出す。「そうはさせない! 運命? それもお前が作ったものだ。だが、今日でお前の作った"運命"も終わる」
その言葉と共に、悠人は素早く動き、間髪入れずに桐生の部下に向けて素早い攻撃を仕掛けた。彼の動きは、まるで一瞬で相手の隙を突くかのように鋭かった。数人が反応する間もなく、悠人はそのすべてを翻弄し、無力化していった。
桐生は目の前で繰り広げられる戦いを見守るが、その表情は焦りと不安に変わっていった。悠人の冷静さと素早い判断力に圧倒され、もはや手を出す余裕もなかった。
その時、扉の外で一瞬の間隙を突いて、御影が部屋に飛び込んできた。彼の後ろには数人の警備員が追いかけている。
「悠人、撤退するぞ!」御影が叫びながら、部屋の入口に立つ。悠人は短く頷き、最後に桐生に一言だけ告げる。
「お前の負けだ」その言葉と共に、悠人は桐生を後にして、隼人と共に会議室を飛び出した。
外で待機していた陽翔の車に乗り込むと、悠人は深いため息をつきながら窓の外を見た。これで桐生がその裏で操っていた闇が、完全に明るみに出た。しかし、悠人の心にはまだ終わらない戦いの予感があった。桐生のような男が、簡単に敗北するはずがない——次の一手がすでに始まっていることを、悠人は確信していた。
「次にやるべきことはまだ残っている」悠人は静かに呟き、車が走り出すのを見つめた。
車のエンジン音が静まり、悠人は視線を前方に向けながら、頭の中で次の一手を考えていた。桐生正一は確かに一時的に追い詰めたが、悠人は彼がまだ動く余地を残していることを知っていた。桐生のような男が、ただ黙って敗れるはずがない——これからが本当の戦いだ。
「隼人、御影」悠人は車内で静かに言った。「桐生がまだ手を打ってくるはずだ。俺たちも、今度こそ完全に仕留めるための準備をしないと」
隼人はすぐに反応した。「ああ、わかってる。桐生がこのまま黙っているわけがない。だが、問題は次の一手だ。桐生が何かを仕掛けてきた時に備えて、俺たちは動ける準備を整えておかないと」
御影も口を開く。「既にネットワーク内にいくつかの隙間を見つけている。桐生がどこかで隠れている場所や、彼の次の行動を追うために動ける情報源を増やしておく」
悠人は深く頷きながら、思案を巡らせた。桐生の正体が明らかになったとしても、今度はその情報をどう使うかが重要だった。悠人は知っている——桐生が、悠人を抹殺しようとすすれば、悠人の信用を貶めようとすれば、関係者を巻き込んだ暴露合戦を仕掛けたりすれば、悠人自身もほかの人間も、何らかの形で足を引っ張られることになるだろう。それを避けるために、完全に桐生を追い詰めなければならない。
「これからは、桐生だけでなく、彼を支えている全ての黒幕をも引きずり出すことになる」悠人は口を開いた。決して油断してはいけない。桐生の背後にはさらに深い闇が潜んでいるはずだ。
***
桐生のオフィスでは、彼の部下が動き始めていた。桐生はまだその計画を完全には明かしていなかったが、彼の顔に浮かんでいるのは焦りと冷徹さの入り混じった表情だった。彼がこれからどう動くか、誰もが予想しきれなかった。
「何があっても、悠人だけは逃がすな」桐生は冷静に言い放ち、部下たちに指示を与えた。「奴の情報を完全に封じ込めろ。彼が動き出したら、それが最後だ」
その言葉が示す通り、桐生は悠人に対して最終的な一手を準備していた。だが、それがどんな手段になるのか、悠人はすでに察していた。
「桐生、どんな手を使っても、私はお前を逃がさない」悠人は心の中で呟いた。次の一手を打つための準備が整うまで、じっと待つしかない。
その時、悠人のスマホが再び震える。隼人からのメッセージだった。
「桐生、動き出した。今すぐ追い詰める準備をしろ」
悠人はそのメッセージを確認した瞬間、すぐに冷静さを取り戻し、再び車の窓を開けた。外の冷たい風が、彼の思考を一層研ぎ澄ませる。
「行くぞ、隼人。もう後はない」悠人は決然とした口調で告げ、車の速度をさらに上げた。
桐生との最終決戦が、いよいよ始まろうとしていた。
悠人は車を加速させ、幾度となく交差点を曲がりながら、次なる舞台へと向かっていた。隼人と御影も、車内で真剣な表情を浮かべながらそれぞれの準備を整えている。桐生正一の手がかりがつかめた今、逃すわけにはいかない。
「隼人、桐生の次の動きをつかめるか?」悠人は隼人に問いかけた。
隼人はすぐにスマホを操作しながら、冷静に答える。「俺の手元には、桐生の手下が出したと思われる通信がいくつかキャッチされてる。どうやら、桐生が隠れている場所に複数の安全策を取っている模様だ。今のうちに調査を進めて、隠れ家の場所を特定できるかもしれない」
「どれくらいの時間がかかる?」悠人はアクセルを踏みながら尋ねた。
隼人は目を細め、次々にデータを解析しながら答える。「1時間以内には確実に突き止められると思う。ただ、奴らの警戒は強いから、急いでるって言っても、気を抜かずに行動する必要がある」
その言葉に悠人は一瞬頷き、視線を前方に戻す。気を抜かず、慎重に進むべきだ。桐生が最後の一手を仕掛けてくる前に、すべての隙間を埋めなければならない。
「御影、準備が整い次第、現場での指揮を頼む」悠人は助手席に座っている御影に向けて指示を出した。
御影はすぐに返事をし、手元のバッグから装備品を取り出しながら、しっかりと準備を整えていた。「了解、悠人。現場では一歩も引かずに行動する。俺も後ろをしっかりとカバーする」
しばらくの沈黙の後、隼人が画面を見つめたまま、さらに深刻な表情で言った。「場所、特定できた。桐生の隠れ家は、市外の旧倉庫地帯だ。完全に監視体制を敷いているが、我々のデータも入手できた。今なら急げば、先回りできるかもしれない」
悠人は顔を引き締め、アクセルをさらに踏み込んだ。「行こう。今がチャンスだ」
車が高速道路を走り抜け、目的地に近づくにつれて、悠人の胸の中には緊張感が増していく。桐生がどんな策を用意しているのか、全く予測できない。それでも、悠人にはやるべきことがはっきりと見えていた。
――桐生の正体を暴き、完全にその悪行を終わらせること。
「ここからは慎重に進むぞ。」悠人は冷静な声で言い、車が目的地の倉庫地帯に差し掛かる。
暗い空の下、月明かりに照らされた古びた倉庫がいくつも立ち並んでいた。桐生の隠れ家はその一角にあるのだろう。周囲には一切の音がなく、ただ風が吹き抜けるのみ。しかし、悠人の鋭い感覚が、すぐに異常を感じ取る。
「まさか、もう迎撃体制を取っているわけでは……?」隼人が疑念を浮かべつつも、周囲を警戒しながら車を降りる。
悠人はその疑念を振り払うように、冷静に命じた。「まずは足音を消して近づける。相手の動きがわかるまでは、急がず慎重に行動するんだ。」
一行は静かに車を降り、夜の帳に包まれた倉庫地帯に向けて歩き出した。息を呑むような緊張感の中、悠人は確信を持って言った。
「桐生、これが最後のチャンスだ」
倉庫地帯に足を踏み入れた瞬間、悠人は空気の変化を感じ取った。周囲の静けさが不自然に感じられる。それが、桐生の隠れ家の真意を反映しているのだろう。すべてが彼の仕掛けた罠である可能性が高い。
隼人は慎重に周囲を警戒しながら、目の前に広がる倉庫の一つを指さした。「あの倉庫だ、俺が感知した信号はそこから出ている。」
悠人はその方向に視線を向け、しばらく黙って考えた。「罠ならば、警戒を最大限にしろ。しかし、もう逃げられない。桐生を完全に仕留める時だ」
御影は無言で頷き、素早く周囲を探りながら先に進む準備を始める。悠人は彼に目配せをしてから、静かに歩を進めた。足音を立てずに、ほんの少しの隙間に足を置いて、無駄な音を出さないように心掛ける。
倉庫に近づくにつれ、悠人は背筋にひんやりとしたものを感じた。普段の直感に頼って行動してきたが、今回はそれでは通用しないかもしれない。桐生は一筋縄ではいかない男だ。
隼人が冷静に指示を出す。「周囲にセンサーがあるかもしれないから、慎重に進んでくれ」
悠人は深呼吸を一つし、静かに頷いた。「了解。俺が前に出る」
倉庫の扉が見えてきた。古びていて、長年使われていないようだが、実際には警備体制が敷かれている可能性が高い。悠人は慎重に手を伸ばし、扉の隙間から中を覗き込む。少しの間、何も動く気配がないことを確認すると、彼はゆっくりと扉を押し開けた。
その瞬間——
「待て」隼人の声が響く。
悠人はすぐに動きを止め、顔を向ける。隼人はスマホの画面を見つめ、眉をひそめていた。「倉庫内に複数の人間の動きがある。かなりの数だ」
悠人の目が鋭く光る。「桐生が手を回しているってわけだ。準備をしろ、隼人」
隼人はすぐに身構え、御影もその場にしゃがみ込んで準備を始めた。悠人は静かに息を呑み、倉庫の扉を再び押し開ける。中の様子が少しずつ明らかになる。
「動くな、すぐに警戒体制に入れ」悠人は低い声で言うと、倉庫の中へと足を踏み入れる。
その瞬間——
バタンッ!
突然、大きな音が鳴り響き、倉庫内のライトが一斉に点灯する。その光景に、悠人たちの足が止まる。
そして、目の前に現れたのは——
桐生正一が冷徹な表情を浮かべながら、悠人たちを見つめていた。背後には数名の部下たちが控えている。
「お前たち、よく来たな」桐生の声は冷ややかで、どこか余裕すら感じさせる。「悠人、君がここまで来るとはな。だが、残念だが君の勝ちではない」
悠人は顔をしかめ、冷静に返す。「俺が負けるつもりなら、最初からここに来ていない」
桐生は薄く笑いながら、手を上げて合図を送る。すぐに倉庫の周りに隠れていた数名の部隊員が現れ、悠人たちを取り囲んだ。
「覚悟を決めろ、悠人」桐生が冷たく言う。
悠人はその状況をすぐに把握し、隼人と御影を見て合図を送った。彼は一歩前に出て、桐生を睨みつける。
「お前の終わりだ、桐生。お前のやってきたことすべてを、俺が暴いてやる」
桐生は少しだけ考え込むような素振りを見せ、そして言った。「そんなことはもう遅い。すべては私の計画通りだ」
桐生の言葉には自信が満ちていた。彼は悠人を見つめ、わずかに笑みを浮かべる。「君がどれだけ必死に追い詰めても、もう遅いんだよ。私の準備は整っている。君のような凡人がどうこうできる問題ではない」
悠人は桐生の冷徹な笑みを見て、冷静に反応した。「お前の計画通りだって? それなら、さっさとその計画を実行してみろ。どうせその先に待っているのは、俺に叩き潰されるだけだ」
桐生は少しだけ目を細め、悠人の言葉を軽く流した。「そんな口だけでは、私を動かせないよ」
悠人は素早く手を伸ばし、ポケットからフラッシュメモリを取り出して桐生の目の前に掲げた。「これを見れば、お前の計画がどれだけ破綻しているか、すぐにわかる」
桐生の表情が一瞬で固まる。その表情を見逃すことなく、悠人は続けて言った。「お前が信じている『裏切り者リスト』、そのリストにはお前の名前も書いてあるんだ」
桐生は無言で、目を見開いた。彼の冷徹な表情が一瞬で崩れ、その顔に驚きと焦りが浮かび上がる。「それは……」
「それは、俺が桐生正一を裏切り者としてリストアップした証拠だ。お前らの支部はもう組織全体から見捨てられた」悠人は冷たく言い放ち、フラッシュメモリを桐生に向けて見せた。
その瞬間、倉庫内にいた桐生の部下たちが一斉に反応を見せる。「桐生さん、どういうことだ!?」一人が叫ぶ。
桐生はその声に反応することなく、険しい表情を浮かべながらメモリをじっと見つめていた。しかし、その顔には何かしらの動揺が感じられる。
悠人はそれを見逃さずに鋭く指摘する。「お前の計画がどうであれ、もう終わりだ。お前がいくら上手く立ち回っても、誰かが必ずその裏でお前を裏切っている。今回のリストはその証拠にすぎない」
桐生の部下たちは動揺し始める。顔を見合わせ、疑いの目で桐生を見つめる者も出てきた。その空気に桐生が耐えきれずに声を荒げた。「黙れ! 俺を信じろ!」
しかし、その叫びは誰にも響かない。部下たちはそれぞれが顔を背け、桐生に対しての不信感が広がっていた。
悠人はその隙を逃さず、フラッシュメモリをポケットにしまいながら言った。「もう、お前の仲間は誰もお前を信じていない。お前は一人だ」
桐生は怒りに満ちた目で悠人を睨みつけるが、次第にその目に恐怖が浮かび始めた。「お前は……何もわかっていない」
悠人は桐生の言葉を無視して、冷静に言い返した。「いいや、わかっている。お前が全てを操ろうとしていたことも、俺に狙いをつけていたことも」
その言葉が桐生の心に突き刺さったのか、彼は拳を握りしめ、肩を震わせる。「黙れ! 俺はまだ負けていない!」
「負けているのはお前だ」悠人は軽く笑みを浮かべた。「これからの未来、お前は誰にも信じられない」
隼人は冷静にその場の状況を把握し、悠人に向かって言った。「準備が整った。今なら、逃げるチャンスがある」
悠人はしばらく桐生を見つめた後、冷静に頷いた。「そうだな、もうお前に用はない」
桐生は怒りに満ちた表情を浮かべながら、ゆっくりとその場から立ち上がった。「お前たち……許さない……!」
その言葉が空気を裂くように響く。しかし、悠人は振り向かず、隼人と御影とともに倉庫を後にした。
桐生の最後の叫びは、もはや空虚に感じられた。
悠人たちは倉庫を後にし、隠れ家へと向かって走り続けた。足音が響く中、悠人は後ろを振り返らずに前を見据えていた。桐生の顔が、何かを決心したような不安定な表情で浮かんでいることが頭から離れなかったが、今はその思考を断ち切り、目の前の状況に集中する必要があった。
「おい、悠人、大丈夫か?」隼人が後ろを確認しながら、息を整えて話しかけてきた。
悠人は軽く頷き、冷静に答える。「問題ない。だが、桐生は予想以上に焦っている。ここでの決着はまだついていない」
御影が前を歩きながら、耳を澄ませる。「桐生があんなに動揺しているのは、確かに珍しい。だが、俺たちも油断はできない。あいつは執念深い」
悠人はその言葉に短く返答した。「だからこそ、次にどう動くかが大事だ」
隠れ家にたどり着くと、悠人はすぐに内部に入り、藤堂に向かって歩み寄った。彼はその顔に痛みを堪えた様子を見せていたが、目はどこか冷静さを取り戻しているようにも見える。
「藤堂、大丈夫か?」悠人は心配そうに声をかけた。
藤堂は軽く頷きながら、痛む肩をさすりつつ言った。「俺は大丈夫だ、悠人。だが、お前の言う通り、桐生の焦りは尋常じゃない。あいつは今、自分の計画が崩れたことを必死で隠そうとしている」
「桐生の計画は確かに崩れた。でも、問題はその先だ」悠人は深く息を吐き、しばらく黙って考え込んだ。「桐生がこれで終わるとは思えない。お前もわかるだろう、藤堂」
藤堂はゆっくりと頷き、目を閉じた。「ああ。桐生が諦めるわけがない。だからこそ、今のうちに次の一手を打たなければ」
その言葉に、悠人は少し考え込んでから言った。「次の手、か。桐生の裏切り者リスト、あれを組織内で公にしてやれば、桐生の支配力はかなり失われるだろう。だが、それだけでは足りない。やるべきことが有る」
「何が足りない?」隼人が質問した。
悠人は深く頷き、「桐生が消し去ろうとした人物、俺たちを追い詰めた理由が一つ残っている。それは、桐生自身の立場だ。あいつは自分の立場を護るため多くの者を排除してきた。 桐生が組織を動かしているのは 恐怖による支配 であり、信頼関係ではない。 つまり、桐生の支配は 恐怖が持続している間だけ機能するもの。あいつが本当に完全に終わるためには、まずその根源から崩さないといけない」
藤堂がその言葉を理解したように目を見開く。「根源を崩す? それはどういうことだ?」
「桐生は、今や自分の立場を守るために、誰も信じていない。部下に対する信頼を失っている。桐生自身が裏切りを恐れているということは、彼の支配力が揺らいでいる証拠」悠人は静かに視線を巡らせた。「つまり、今こそ好機だ。俺たちが桐生を裏切り者として仕立て上げれば、もう誰もあいつを信用しなくなる」
隼人はうなずいた。「それなら、俺たちが桐生の元部下たちにアプローチして、情報を流すってわけか?」
「その通りだ」悠人は鋭い眼差しを隼人に向けた。「俺たちは、桐生がどれだけ裏切りをしてきたか、どれだけ部下を道具として使ってきたかを明らかにする。その証拠を元部下たちに突きつければ、桐生の計画は完全に崩れる」
「だが、その前に桐生が動き出す可能性もある」藤堂は不安そうな顔を見せながらも、目を鋭くした。「そろそろ、次の動きに備えるべきだな」
悠人は短くうなずく。「ああ。だが、今度は一歩も引かずに進む。桐生がどれだけ執着しようと、もう逃げ道はない」
その後、数時間のうちに、悠人たちは桐生の元部下たちに接触する準備を整え、証拠を掴むために動き出した。すべては、桐生の支配を完全に崩壊させるための、最後の一手を打つためだった。
悠人たちは夜が更けるのを待ちながら、それぞれの準備を整えていた。桐生の元部下たちに接触するためには、まず信頼を築く必要がある。悠人はそのための情報を集め、藤堂には元部下たちの所在を調べてもらった。隼人はハッキング技術を駆使し、桐生の過去の通信履歴を洗い出すことで、どの人物が桐生にとって重要だったのかを割り出していた。
「準備は整った」隼人がモニターの前から立ち上がり、手を洗いながら言った。「桐生のネットワークに一部侵入して、彼が最近接触していた人物リストを手に入れた。これで、接触すべき相手が明確になった」
悠人はそれを受けて頷き、「よし、じゃあ今夜から動き出す。藤堂、お前も準備ができたな?」
藤堂は無言で肩をすくめながらも、重い口を開いた。「ああ。俺が接触するべき人物がわかれば、後は交渉次第だ」
悠人は少し考え、彼らに向かって言った。「一つ頼んでおく。今回は慎重に行動しろ。桐生は俺たちの動きを察知している可能性が高い。反撃を受ける覚悟をしておけ」
「わかってる」隼人が短く答え、顔を引き締めた。「だが、俺たちの方が一歩先を行ってる。桐生がどれだけ執念深くても、証拠を突きつければ終わりだ」
悠人は最後に、深く息を吐いてから言った。「桐生に隙を見せないように、完璧にやるぞ。俺たちの計画が成功するかどうかは、今夜の動きにかかっている」
その言葉を合図に、作戦が始まった。悠人は隠れ家を出ると、藤堂と別れ、隼人と共に桐生の元部下たちが集まるバーに向かった。彼らの目的は、桐生の過去の裏切りの証拠を手に入れ、元部下たちにその事実を突きつけることだ。悠人の目は、完全に冷徹に光っていた。桐生が築き上げた権力の基盤を一気に崩すため、今この瞬間も彼らは確実に動き出していた。
バーの入り口に立つと、隼人が慎重に周囲を見渡しながら、低く言った。「入口を確保した。中には桐生と関係のある人物がいる。お前の指示通りに動く」
悠人は頷き、慎重にドアを開けると、バー内の静かな空気が一変した。常連の顔が一斉にこちらを向くと、誰もが警戒心を抱いた様子を見せる。悠人はその中に、桐生の元部下であり、今や裏切り者となるべき人物を目で追った。
「……お前ら、何の用だ?」その一人が、明らかに警戒心を強めて声を上げた。
悠人は冷静に微笑みながら、一歩踏み出した。「君たちに、必要な情報を持ってきた」
隼人がさりげなく周囲を監視しながら、悠人が話し続ける。「桐生が君たちをどんな風に扱っていたか、知りたくはないか? それを、今、証拠として示してやる」
その言葉に、元部下たちの顔が一瞬驚きに変わった。その瞬間、悠人は手に持っていたファイルをテーブルに叩きつけ、中身を広げた。そこには、桐生が裏で行っていた裏切りの証拠、彼の支配的な行動、そしてその人物たちを排除しようとした計画が詳細に記されていた。
「これを見ろ。桐生がどう君たちを使い捨てにしてきたか、これで証明できる」悠人の声は冷徹でありながら、確信に満ちていた。
元部下たちはその証拠を目の当たりにし、言葉を失う。しかし、すぐに目を見開き、動き始めた者が一人二人現れた。
「……こいつら、桐生の指示で動いていたのか…」一人がつぶやき、顔に怒りを浮かべた。
「このまま黙って見過ごすわけにはいかない。桐生を止めなければ、俺たちも次に消される」別の男が拳を握りしめ、決意を見せた。
悠人はその反応を見て、冷静に頷いた。「君たちが力を合わせれば、桐生を止めることができる。それを信じろ」
その瞬間、ようやく元部下たちは一斉に立ち上がり、桐生を追い詰める決意を固めた。しかし、まだ桐生の反撃があることを、悠人は決して忘れていなかった。これから始まる戦いが、どれほど危険であっても、彼は絶対に後戻りしない。
「これが、俺たちの反撃の第一歩だ」悠人は冷たく言い、次なる行動に移す準備を整えた。
悠人たちは桐生の元部下たちと一緒に動き始めたが、これが決定的な一歩であることを誰もが感じ取っていた。元部下たちも次第にその覚悟を決め、桐生の支配から解放されるために協力を始めた。
「今から桐生を追い詰める。だが、すぐに反撃が来るだろうから、油断はできない」悠人は、静かにだが確信を持って言った。
隼人が頷き、「それに、桐生が警戒しないわけがない。すぐにどこかで動きがあるだろう」と冷静に続けた。
「その通りだ」悠人は視線を元部下たちに向け、「君たちの協力がなければ、桐生を追い詰めることはできない。この証拠を手に入れることができたのは、君たちが信じてくれたからだ」と感謝の言葉を伝えた。
元部下の一人が頷き、「桐生には俺たちの人生を支配されたようなものだ。今度は俺たちが支配してやる」と強い決意を見せた。
その言葉に悠人も微笑み、もう一度視線を隼人に向ける。「次は桐生の隠れ家を突き止め、証拠を突きつける。計画通りに動こう」
「了解」隼人が、すぐにPCを操作し始めた。「俺が調べたところ、桐生がよく出入りしている場所がいくつかある。そこを押さえれば、直接攻撃ができる」
悠人は軽く頷き、思案しながら次の指示を出した。「桐生の動きが予想外の場所から出てくることもある。だから、各自、万全を期して準備しろ。俺たちは、隙を見せるわけにはいかない」
そして、しばらくの間、全員が静かにそれぞれの任務に取り組み始めた。悠人は、一度冷静に呼吸を整えた後、これからの戦いに向けて再び気を引き締める。
桐生を完全に追い詰めるための計画はすでに動き出している。しかし、悠人は理解していた。まだ戦いの終わりには遠いことを。桐生が反撃してくる可能性は高く、最も危険なのは彼が反撃に出るタイミングだ。
「俺たちが動くその時、桐生がどう出るか——それが勝負の分かれ目だ」悠人はひとりごち、改めて決意を新たにした。
その時、不意に隼人が振り返り、「悠人、桐生が最近使っている連絡手段を掴んだ」と言った。
悠人がすぐに反応する。「どこだ?」
隼人が表示した画面を指差しながら、言った。「ここだ。隠れ家がある場所を特定した。ただ、警戒している可能性が高い。接近するなら全員で一気にやらないと、逃げられるかもしれない」
悠人は短く頷き、「みんな、準備しろ。これが最後の勝負だ」と指示を出す。
それから数時間後、悠人たちは桐生の隠れ家に到着した。深夜の静寂に包まれた場所で、彼らは全員が手を組んで慎重にその屋敷に接近した。
「ここからは一歩も踏み外せない。桐生を追い詰めるためには、隙を見せないことが大事だ」悠人が低い声で言った。
隼人が、冷静に周囲を監視しながら言う。「ドアに仕掛けがある。慎重に行こう」
悠人はその指示に従い、他のメンバーと共に桐生の屋敷の中に入って行く。そして、すべてが静まり返った中、彼らはついに桐生のいる部屋にたどり着いた。
悠人が扉を開けると、その先に待ち構えていたのは——桐生だった。
「悠人、お前もようやくここまで来たか」桐生は冷ややかな目で悠人を見つめ、微笑んだ。「だが、もう遅い」
悠人は冷静に一歩踏み出し、「桐生、終わりだ」と静かに言い放った。
桐生は悠人の言葉を聞いても、微動だにせず、むしろ冷笑を浮かべながら悠人を見つめ返した。「終わりだと思うのはお前だけだ」彼の口元には、何か裏の意味を持った笑みが浮かんでいた。
悠人はその笑みに一瞬の違和感を覚えたが、気を緩めることなく視線を鋭く桐生に向けた。「ここまで追い詰めておいて、まだ逆転を狙っているつもりか?」
桐生は静かに一歩前に出て、机の上に置かれた一枚の紙を悠人に向けて差し出した。「これを見ろ。お前のその証拠だと思っているもの、もう無意味だ」悠人が目を凝らすと、その紙には桐生自身の計画と、これまでの一連のやり取りが記されていた。
「お前が思っている以上に、俺の計画は完璧だ」桐生は自信満々に言い放った。「すでに手遅れだよ、悠人」
その言葉と共に、部屋の隅から数人の男たちが現れた。彼らは一様に銃を構え、悠人たちを取り囲んだ。桐生の裏に潜んでいた力が、今まさにその姿を現した。
「これが最後の駒だ」桐生は悠人を見つめながら、さらに冷徹な笑みを浮かべる。
悠人の脳裏に一瞬、全ての状況を見渡す考えが過ぎった。桐生が自分たちを追い詰める準備をしていたことは間違いない。彼が計画していた裏で動いていた者たちが、今ここに集結したのだ。だが、悠人は諦めるつもりはなかった。
隼人が静かに背後から息を潜め、「悠人、今ならまだ脱出できる」と囁いた。だが、悠人はその提案を拒絶し、強く首を振る。「逃げるわけにはいかない。俺たちはここまで来たんだ」
そして、悠人は視線を鋭く桐生に向けた。「お前がこれを仕掛けてきたのなら、俺も最後まで戦うしかない」
その瞬間、悠人のスマホが震えた。隼人が画面を確認し、顔色を変えた。「悠人、これ……桐生の裏にいる連中が動き始めた。今すぐには無理だ」
桐生は悠人の反応を見て、にやりと笑った。「どうだ、悠人。俺の手のひらで踊らされていることに、気づいたか?」
悠人は冷静に息を吐き、思考を巡らせる。自分が桐生の手のひらで踊らされているのではなく、桐生の計画の隙間を突くために、わざと誘導してきたのだ。その事実を桐生がまだ気づいていない。
「桐生、お前はまだ気づいていない。これが俺の本当の計画だ」悠人はそう言い放った。
その言葉と同時に、隼人がすばやく動き、倉庫内の仕掛けが作動した。天井に設置されていた仕掛けが爆音を立て、照明が一斉に点滅した。部屋内の動きが一瞬止まる。
「これでお前の計画も終わりだ」悠人が冷徹に言い放った。
その瞬間、桐生の顔に焦りが浮かび、一瞬の隙を見せた。その隙を逃さず、悠人はすばやく動き、桐生の手から銃を叩き落とした。
「何度も言わせるな、桐生。お前の時代は終わりだ」悠人の言葉が冷たく響いた。
桐生はそれを受け入れられないかのように、必死に抵抗しようとしたが、隼人と御影が素早く動き、桐生を完全に取り押さえた。
「悠人、これで終わったな」隼人が言い、桐生を無力化する。
悠人は少し息を整え、桐生を見つめた。「終わりだ」その言葉と共に、悠人は桐生の悪事を暴き、全てを終わらせたのだった。
その後、桐生の裏の計画は公にされ、彼の支配は完全に崩壊した。悠人たちの勝利は確定し、闇に隠されていた真実は白日の下に晒された。悠人は桐生を警察に引き渡すため、隼人と御影に指示を出しながら、冷静に部屋を見渡していた。
悠人はまだ胸の奥にわずかな違和感を覚えていた。すべてが終わったはずなのに、心のどこかで戦いの終わりを実感できない。
(まだ終わりじゃない——これが始まりに過ぎないのかもしれない)
そう思いながら、悠人は静かに夜の空を見上げた。新たな戦いの予感を感じながらも、彼は確かに一つの戦いを終えたのだった。
終わり
よろしければブクマ、星等で評価応援いただけたらありがたいです。