内々に処理する筈だった
お読み頂き有難う御座います。
婚約者は取り敢えず痛い目に遭いますね。
「……どうして宿が空いてないんだっ!!」
「満室ですので」
チューケン領の閑静な保養地、その中でも高級宿の受付で足止めされている場違いな者達がいた。
領主館から速やかに送られた人相書きの人物達の浮気旅行だな、と物見高い通行人達と有力者達は冷ややかな目で彼らを見ている。お嬢様の婚約者ケンマ・バレトンネと浮気相手のチャンミーだ。
「きちんと予約をさせたのだぞ!? 何故過ちを認めない? 分かっているのか? 私を誰だと」
「ほう、何処の誰だと名乗るんですか? 汚れたお連れをぶら下げた色男さん」
「よ、汚れ!? 何なのよ、この、そっちこそ汚らしいオバサン!」
「大きな声は迷惑だから、お引き取りくださいよ」
真っ赤になったチャンミーは、受付の女性を声高に罵り、受付の中から出てきた宿の女主人をも睨みつける。しかし、女主人は意に介した様子も覚えた様子もない。
「物理的にも汚れてるんだ。顔にパイの屑が山程貼り付いているよ。その古めかしい襟もクッキーの粉だらけ。
まさか大皿に顔を張り付けて舐め回したとか? でなきゃ其処まで汚れないよ」
「なっ、え、チャンミー?」
領主館での行動をズバリ言い当てられて、チャンミーは狼狽える。目が悪い伯爵令息のケンマは気付いていなかったのにと逆恨みし、宿の女主人を更に睨み付けた。
「ばっ、バッカじゃないの? ねえー貴公子様、ケンマ様! コイツの、こんな悪口、チャンミー許せなーい!」
「可哀想なチャンミー。おい、お前、我々に逆らってタダで済むと……」
「おや、あたしを脅したね。怖い怖い。
だから、アンタ方は何処の誰だと宣うんだね?」
「え?」
本来は優しく客をもてなす女主人の柔らかな瞳が、ギラリと刺すように光る。
ケンマは向けられたことのない威圧に、たじろいだ。明らかに迫力が違う。
「偽名なら偽名で構わないさ。人には事情がある。
でも、同じ扱いは出来ない。そんな不公平、他の後ろ暗くないお客様がたに失礼だ。
偽物は、何者でもないと扱わなきゃねえ」
「ぎ、偽名……では」
「勿論、特別待遇もしない」
恰幅のいい女主人の足が、ダンと踏み鳴らされた。ケンマとチャンミーはその勢いに気圧され、飛び上がった。
「アンタの所業は、ウチの宿には相応しくないと判断した。
他のお客様の御迷惑になるから、とっとと出ていきな」
「……お、王都で悪い評判を流されたいのお……?」
大声でチャンミーは脅しをかけるが、生憎数々の迷惑客を長年相手にしてきた女将には通じなかった。
「おお怖い。
じゃあ、この人相は捏造した評判を触れ回る、根性のひん曲がった客だと、近隣全てに伝えておくよ」
「なっ……」
「それに、そっちの娘さん……アンタ、他の何処かでも見たね」
ギクリ、とチャンミーは肩を揺らした。どうやら心当たりが有るらしい。
「け、ケンマ様っ! こんな、ヤバい所やだ! ババアキモいしウザいよ! サッサと出よう! アタシやだ! ケンマ様にも相応しくないっ」
「そ、そうだな。チャンミーの言う通りだ……。何て、曲がった性根の宿なんだ……。
私は、母上が言う通りレレンレーノ侯爵家の正当なる者なのに」
慌ただしく、一部装飾の剥げた馬車は去っていく。
そして、砂埃が収まった後。
目立たぬ風体ながらも憔悴した男が、宿に幾許かの金銭と頼み事を残していった。
そして、次の日。
「……夜半、ショキ村の門番は大変だったようね」
朝食の後報告を受けたマガレッタは、彼らの起こした騒ぎの惨状に眉根を寄せた。
「特別手当を御当主様から頂いております」
「優秀な民や、臣下は領地の宝ね」
「有難う御座います。それと、お嬢様……。彼の者の馬車から、このようなものが」
どうやら街道沿いで借りられた馬車はぞんざいに扱われ、返却されたらしい。
使用人が改めた中には、ゴミに混じって……とんでもない物が隠れていた。
銀盆に載せられた、不似合いな分厚い硝子瓶は、朝の光でとろりと光っている。
「この瓶は……なんてことなの……。頭痛の種どころか崩壊を免れないきっかけを領内に持ち込まれたの……」
マガレッタは、危うく気を失いそうになった。
それは普通の単なる瓶ではなく……主家レレンレーノ家の紋章が入った、葡萄酒の瓶だった。
しかも単なる葡萄酒ではない。
主家の姫の婚姻に振る舞われるであろう、特別製の代物だ。
しかし、その葡萄酒は……振る舞われる前に何故か大半が失われている。
「そう言えば、あの浮気相手の着ていた古びたドレスは……私めが若い頃に目にしたことがあります。レレンレーノの前当主様の異母兄殿が一時期囲っておられた、平民女の物に似ておりますな」
年配の執事が昔を思い出したらしく、顎を撫でて顔を顰めた。
「な、何ですって。それは、本当なの……」
間違いなく醜聞の気配がする。
レレンレーノ家の前当主といえば、かなりの名侯爵だったが兄弟の放蕩でかなりの苦労をされたと聞いていた。その兄弟の囲っていた女の物に似ている……。嫌な予感しかしない。
「ええ、あの心あるものなら眉根を寄せる下品な色合いは忘れられません。
当時、平民の愛人に与える『取り敢えずの身繕い用』として流行った粗悪品で御座います。まさか王都の悪しき習慣がかの地にも……と慄きましたので」
よりによって、婚約者が過去の忌避されている事件の関係者とは。
そして……あのチャンミーという娘の手癖の悪さは、もしかして、嘗て寄親筋のレレンレーノ家から聞かされた話と合致するのでは……。
嫌な予感ばかりが、マガレッタの胸に去来する。
「……どうなさいますか、お嬢様」
「獣に喰われる前に、確保せねばね……。夜狩をして頂戴。
そして、レレンレーノ侯爵家に、早馬を……」
只の婚約者の不貞……お遊びであれば良かったのに、とマガレッタはまた嘆息した。
内々で済ませられる範囲を超えている。
領地に何か有れば、耐えられない。
もう、恋だの愛だのどうでも良くなったマガレッタにとって、領地以外はどうでも良いのだ。
愛する領地に、火花が飛び散るなんて耐えられない。
ややこしい人はややこしい人を呼ぶのでしょうか。




