先触れのない訪問
お寒い中お読み頂き有難う御座います。
マガレッタは生まれ育った領地を愛している。
美しいながらも時には厳しく試練をくださる湖と共に生きる、優しくも逞しい領民達を。
だから、此処を共にガッチリと守ってくださる方が欲しかった。
ただ、それだけを願っていたのに。
ままならない、とマガレッタは嘆息していた。
眼下には、彼女の家の門。そしてその前には招かざる客の馬車が、門番と押し問答している様が見える。
マガレッタは、レレンレーノ公爵家の分家筋、チューケン伯爵家の令嬢である。
王命と共に与えられた、マガレッタの婚約者バレトンネ伯爵家の三男ケンマは、正直で曲がったことが嫌いらしい。
四角四面で、融通の効かない頑固者だと噂されていた。容貌は整っている方だが、いつも顰め面で愛想がない。そして、バレトンネ伯爵夫人が恋多き女性だったせいで、その出生にも噂が絶えない。
普通なら、あまり歓迎されない男だった。
しかし、此処を真剣に守ってくださる方なら、美醜も年齢も問わない。跡取り娘のマガレッタと領地を支え合ってくれる方なら、誰でも歓迎する。正直で己に厳格な者が好ましい。問うのは心根だけだ。
そう相手がたに伝えると、相手方も領地経営に血道を上げて努力する、と約束してくれた。
だから、この政略婚を好感すら抱き歓迎したのだ。
「マガレッタ。私には好きな女性が出来た。彼女を妾に迎えたいと思っている」
だが、かの真面目だとの良き評判は、瞬く間に瓦解していく。
マガレッタが幼き日に、別荘にて作った砂の城よりも儚く脆く。
無理矢理入ろうとして喧しかったので入れざるを得なかった婚約者……ケンマ・バレトンネの容貌は、以前と随分変わっていた。どんな理由か不明だが目を悪くしたらしく、顔色も悪く薮睨みが酷い。
勉学に励んだとの自称だが……どんな夜遊びをして目と頭を悪くしたのやら、と風の噂を聞いていたマガレッタは心の中で呟いた。
「これから愛する彼女と共に、私が治めるこの地の見聞を深めてくる。
2、3日で戻ろう。
勿論、チューケン伯爵家の金を横領したりはしない。私の個人資産から出すからな」
態々、先触れもなく婚約者であるマガレッタの家に押しかけて、この科白。
夏だが冬の寒風よりも冷ややかな視線を送るが、全く気付いていないらしい。
勿論、応接室の扉は開けている。未婚の淑女として、側仕えもきちんと控えさせていた。
相手にとって統制すべき情報は伝達されているのだが、気付かないらしい。
「君とはちゃんと結婚する。
どうか今回は口を出さないで欲しい。チューケン伯爵には黙っているように、頼む」
マガレッタが呆れ果てて黙っているのを良いことに、意気揚々と引き上げていった。
口止めとは、後ろ暗い行いを悪いことだとキチンと理解はしているようだ。
自分の家なら口止めも可能だろうが、余所の家で起きたことが家人に伝えられない訳が無い。
そんな事も気付かずに捲し立て、マガレッタの返事も聞かず、彼の家……バレトンネ伯爵家家の紋入の馬車で堂々と出ていった。
勿論、マガレッタは『婚約者殿は何も隠す気が無い』と受け取っている。
馬丁の話によると、態々中にいるお連れ様を別室にて歓待せよと命令されたそうだ。
歓待とは破落戸が求めるまま奪わせよ、という意味ではなかった筈だ。マガレッタはあまりの図々しさに呆れ果てた。
その『お連れ様』とやらは、態々コソコソ使用人棟に潜り込み、歓談していた侍女たちのお茶菓子……彼女達が楽しみにしていた菓子片を奪ったそうだ。
勿論菓子片といえど、チューケン伯爵家のお菓子を型抜きした余剰であるから、働いてもいない平民の金銭では食べられないものだというのに。
「さぞかし、卑しい者にとっては奪い甲斐が有ったでしょうね。
菓子泥棒から、有益な情報は得れたかしら?」
「平民の職業訓練施設に視察に行った際、摘み食いされたそうです」
……平民への施策として作られた、幾つかの訓練施設だけれど。
勿論殆どは上手く真面目に運用されていて、キチンと就労に送り出しているのだが。
だが、ある森の中に佇む施設だけは、ある目的を持った者達の視察先に大人気らしい。低位貴族の子弟……いや、家は貴族位を持つが本人は無位無官の紳士モドキ共が、愛人候補を漁る場に成り下がっているだから、悩みのタネだ。
お陰で、本来の林業や狩猟業を学びたい平民の少年や殿方達は、締め出されてしまったと聞く。
改善の為梃子入れしようにも、横槍を入れてくる有象無象に苦心しているそうだ。
「どうやら、無駄遣いや視察と名を借りた真面目偽装するお遊びがお好きなようね……。
此処へは何と言って連れ込んだのかしら」
「伯母上に用があるから、との事で」
「彼の伯母様は、既に湖にお居でになるのだけれど……。
聞いていないのか、彼にとって曲がったことは聞こえないのか。謎ね」
彼の伯母……母の従姉妹にあたる女性はとっくに此処には居ない。
確かに以前招かれざる客として滞在してたが、3分で追い出しは完了している。門をくぐる位は許したかしら? とマガレッタは思い返したが、記憶になかった。余りにも貴族女性の品格もない女性だった。
「さて。お母様は何と仰せかしら」
「御当主様は、明後日に決着を付けられるとのご意向です」
そろそろ、当主からの直筆状を携えた家令がバレトンネ家へ着いている筈だ。
家紋入りの馬車へ破落戸を潜り込ませ、伯爵家の家臣に御させるその意図を。
婚前から、卑しい愛人モドキを許す姿勢を。
領地同士の為、下された王命の意味を。
その全て記した書状が当主の手に渡るのは時間の問題だった。さて、事なかれ主義の当主はどう出るのだろうか。
「曲がったことを正すのって、大変なのにね……」
「曲げたことを忘れて、真っ直ぐに生きているのでしょう。お誂え向きに、目も曇ってらっしゃいます」
父の侍従の忌憚無い意見に、マガレッタは思わず声を上げて笑ってしまった。
「ふ、ふふふ! その通りで。
それにしても3日間も何処へ向かうというのかしら。
私の愛するこの土地の何処で、衣食住を満たすというのかしら。どう思う?」
「野営や狩猟の装備は、積み込まれておりませんでした」
「そう。もし、希少生物を密猟したら、裁判になるのね……」
チューケン伯爵領地は保養地が多い。此処から馬車で半日程舗装された美しい道を行けば直ぐに、国内最高の美しい湖に面する保養地が点在しているのだ。密猟はとても許せはしない。
マガレッタはこの地を愛していた。冒涜する者など、許せる筈がない。
保養地として有名な村々には、昔ながらの街並みを残しながらも、最新の設備が備え付けられている。だが、それらを心地よく使わせて貰い、過ごさせて貰える、とでも思っているだろうか。
「外で腕にぶら下がっていた彼女の名前は、何だったかしら」
平民女性のことを報告は受けていたが、書類上のことでまさか本当に連れてくるとは思わなかった。
「平民女の名はチャンミーだそうです。家名は無い筈ですが、グリーと名乗っておりました」
「……いえ、元婚約者の方よ。滅多に来ないし会話もする気がないものだから……。ケタタマシイだったかしら」
「ケンマ・バレトンネ様でしたね」
「……様付けでお呼びするのは、何時までなのかしらね。我が領地を馬鹿にした報いを受けるのは明日かしら」
「本日中では無いでしょうか」
マガレッタは、奪われた代わりの菓子を侍女達へ配るようにと料理長へ指示を出し、深く溜め息を吐いた。
よりよき家内運営の為、家臣一同には気持ち良く働いて貰わねばならない。
「お休みになりますか」
「そうね……。今日はゆっくり眠りたいわね」
「御意」
侍従はマガレッタが寝台に横になったのを確認すると、侍女を呼び、用意をさせて令嬢の部屋を後にするのだった。
そして、同時刻。屋敷を出た彼らは途方に暮れていた。
婚約者の中途半端な浮気に、マガレッタはすぐ片付くだろうと思っていました。




