第4話 黒い魔獣
山岳都市ルミオラは三方を高い山に囲まれている。
各山々に明確な入口というのはないけど、山の低い場所には低位の魔獣が、山の高い場所には高位の魔獣が生息する、というのは、どの山にも共通しているらしい。
その為、冒険者のランクによって、どの程度の高さまで立ち入って良いのかが取り決められている。
とは言っても、これも明確な区切りがされている訳ではないし、そもそも明確に線を引ける訳でもない。
なので冒険者ギルドからは、「自分のランクより上位の魔獣に遭遇したら、即座に引き返して下さい」と……そんなようなことを言われるのだ。
魔獣は他の獣と同様に縄張り意識を持つので、自分の縄張りに侵入する者に対しては容赦なく攻撃を加える。しかし、縄張りから離れてまで追って来ようとする魔獣はいないので、遭遇した時点で引き返せば、問題はないとされている。
例外は、上位の魔獣だとは気付かずに、こちらから攻撃を加えてしまった場合だ。
そうすると、縄張りに関係なく、魔獣の体力が続く限り、追いかけ回されてしまう。
冒険者登録をした際に、「その場で仕留める自信がない魔獣には、手出しをしないように。」なんて注意を受けたのは、魔獣の習性を鑑みた結果なのだろう。
そういった注意を軽んじて命を落とした冒険者は、少なくないという話だ。
私はと言うと、知らない魔獣には手を出さないように心掛けているし、知っている魔獣でも、自分のランクより上位の魔獣とは戦わないようにしてる。
死ぬのは怖い。
冒険者の中には、「死ぬのが怖いんだったら、冒険者なんて辞めちまえ!」なんて、乱暴なことを言う人もいる。……そういう言葉を、冒険者ギルド内で言ってる人がいたのを、実際に目撃している。
ただの人間なら、確かに辞めれば済む話かもしれない。
『半魔』の私は冒険者を辞めたら、他に生きていく方法が思い付かない。だから死ぬのが怖くても、日銭を稼ぐ為に、冒険者を続けるしかない。
それは志としては最低辺で、冒険者のあるべき姿として最低なのかもしれないけど……私には他を選択する余地がない。
ただ、冒険者としての依頼は、嫌いじゃない。
こんな私でも、魔獣を討伐したりすることで、「誰かの役に立っている」という気分になれるのだから。
それに、依頼をこなしていけば認定ランクが上がるのも、8級を目前にした今では、嬉しいと感じる気持ちが強い。
10級から9級になった時は、他の依頼はあまり受けずに、指定の魔獣を数匹討伐しただけでランクを上げることが出来たので、達成感なども皆無だった。
思うに10級というのは、お試し期間のようなものだったのだろう。
あるいは実力不足で9級に上がれない人を諦めさせる意味合いもあるのかもしれない。
まぁでも、どんな思惑があっても、私が考える必要もないし、考えたところで正解を得られることもないだろう。
それでもそんなことを考えてしまうのは、今の私が昇級を目前に控えて、少々浮かれている為だ。
山の斜面をスイスイと上って、普段よりずっとアクティブだ。……と、もし自分を客観視することがあったなら、そう思っただろうか。
今日受けた依頼は『ホーンラビ討伐』で、実は以前にも討伐依頼を受けたことがある。
一度討伐に成功している魔獣なだけあって、気分的な余裕があるし、捜索や実際の戦闘の面でも余裕がある。
『ホーンラビ』は頭に角の生えた兎の魔獣で、単体もしくは2~3体の群で発見されることが多い。種族的な縄張りは持たずに、山全体にバラけて生息している。
ただ山を歩いていれば遭遇することも珍しくはない魔獣だ。
逃げ足が早いので、遠距離の攻撃手段を持たない戦士にとっては、ちょっぴり面倒な相手なのだろう。。
私のように、魔法を扱う魔導士なら、発見さえしてしまえば、討伐は比較的簡単に済む。
当然、私だって、ホーンラビなら簡単に討伐可能だ。
私は周囲を見回し、ホーンラビを探しながら、軽い足取りで、道なき道を進んで行く。
一応、最低限の警戒はしてる。襲撃された時用の対策も。
目的はホーンラビだけど、それ以外の魔獣と遭遇する可能性も、低い訳じゃないし……と考えた時、些細な違和感を感じた。
──……ん、あれ?……いつもだったら、もう魔獣を何匹か見かけてても、おかしくないのに……。
けれど、冒険者になって日の浅い私は、
──……まぁ、そんな日もあるかな。
……と、それで済ませてしまった。
後で思い返すと、ここで引き返さなかったのが、正しく運命の分岐点だった。
それから、十分程度の時間を、時には草の根を掻き分けるようにして探索しつつ歩いた。
その間にも、ホーンラビどころか、獣一匹、魔獣一匹すら見かけない。
いよいよおかしいな、と感じ始めた頃…………、“ソレ”と、出遭ってしまった。
“ソレ”は最初、私の視界の片隅に、小さく映っていた。
いつからそこに居たのか、定かではない。
薄い黒色が揺らめいているようだったから、無意識に、小動物の影なんだろうと思い込んでいた。
視線を横に向けて、再び正面を向いた時、“ソレ”は私のすぐ目の前に居て、大口を開けていた。
瞬間、背筋の震えと共に、景色がスローモーションになった。
巨大な黒い獣の口内──びっしりと生え揃った白く鋭い牙が、私の頭を噛み砕こうとしているのが、ハッキリと見えた。
けれど、認識は出来ていても、身体はゆっくりとしか動いてくれない。
──……あ、これ……死──
黒い獣と目が合う。
確実な死が眼前に迫って、ようやく私は、如何に自分に危機感がなかったかを、思い知らされる。
──……ああ、そうか。……最初から、だったんだ……。
山に入った時から、この魔獣は私のことを、標的にしていたんだ。
他の獣を見かけなかったのは、この魔獣がずっと、私の周囲に居たせいだ。
今更理解しても、遅すぎる。
スローになった世界で、少しずつではあるけど、黒い魔獣は私の頭に牙を突き立てようと動いている。
──……死にたくない……!
いっそ、気付かないまま、頭を噛み砕かれていた方が、幸せだったかもしれない。
そうであれば、恐怖を感じる暇すら、なかったのだろうから。
──……誰か、助け……──
叫んだって、助けなんて来ないのは分かってる。
誰も私を助けてはくれない。
──……違う。……誰かじゃ、ない。
私は黒い魔獣の瞳を、キッと睨み返す。
そして……──
──……私が、私を助けるんだ……!
頭を覆うフードに、体内から、ありったけの魔力を集める。
スローな世界では魔力も、ゆっくりとしか流れてくれなかったけれど、一秒でも早くという思いで、自分の内から全ての魔力を引き出していく。
決断は多分、ギリギリのタイミングだったんだろう。
魔獣の牙がフードに触れた瞬間、布地は弾力を持って、牙を押し返す。
餌が土壇場で抵抗するとは思っていなかったのか、魔獣が一瞬怯んだように見えた。
そして、私の横を一陣の風が通り抜けると……いつかどこかで見た気がする、大きな背中が、黒い魔獣に取って代わって、出現していた。
死ぬ間際に見た夢、あるいは、ただの錯覚かもしれない。けれど……──
「…………おとう、さ……──」
言いかけながら、私は魔力を使い果たした反動によって、意識を失った。