第8話 A:偽物
ナアフ村での食堂にて。夕食中の出来事だ。
「あの方が、村にやって来た旅の方です。」
食事の途中、ラバコスさんの言葉で、俺は食堂に入って来た男に視線を遣った。
外套を纏って腰に剣を下げた、冒険者風の男……という以外の印象は受けず、取るに足らない人間だなと思った。
フィリアが俺の方を窺って、首を傾げている様子だったので、「俺もよく分からない」と同意するように肩を竦めておいた。
そんな俺達の反応を横目に見ながら、ラバコスさんは、その冒険者風の男に対して憧憬の眼差しを向けながら、“その名”を告げた。
「宿の受付で聞いたのですが……あの旅の方は、“アレックス・ロラ・ローヴァント”と名乗ったそうです。」
フィリアは、その名前を聞いた途端、目に見えて様子がおかしくなった。
聖魔戦争の話題が出た際にもフィリアは心を乱していたが……今回はそれ以上に、惑乱しているようだった。
──……いや、魔族の王を殺した『人間の英雄』なのだから、フィリアにしてみれば当然の反応か……。
フィリアは『半魔』である故に、その立ち位置としては、魔族に近いのだろう……とは、流石に察しが付く。
そして恐らく魔族に育てられたフィリアは、アレックス・ロラ・ローヴァントの名を知っていた。名前だけでなく、『魔王殺し』という功績も、既知なのであろう。そうでなければ、名を聞いただけで心を乱す理由もない。
「フィリア。……気になるかもしれないが、先に食事を終わらせよう。」
先程の聖魔戦争の話題の後にも、料理を食べることで、フィリアは何とか心を持ち直していた。
だから今回もそうであって欲しい、と……食事を勧めたのだが。どうやら今回は、そんなに都合良くは、いかなかったらしい。
暫く無言で食事を食べ進めていたフィリアだったが、やがてその手が止まってしまう。
「フィリア。」
声を掛けても、フィリアは俯きながら、弱々しく言い訳をするように告げるばかりだった。
「……ごめん、なさい。……もう。……お腹、いっぱいで……。」
その姿は泣いているかのように、痛ましいものに見えて。正直、何と声を掛けて良いかも分からなかった。
「……宿に、戻ってます……。」
それだけ言うとフィリアは立ち上がって、静止の声を上げる間もなく、ふらふらと食堂の出入口へと向かってしまった。
俺はすぐに後を追おうと思ったが、その前に、同席しているラバコスさんに、声を掛けておくことにした。
「ラバコスさん。申し訳ないが、俺もフィリアと一緒に宿に戻っているよ。」
「……は、はい。フィリア殿が、お気を悪くされてしまったようで、私の方こそ申し訳ありません……。」
ラバコスさんは事情が分からないなりに、こちらに気を遣ってくれているようだった。
聖魔戦争の話題にしても、アレックス・ロラ・ローヴァントの名を出したことにしても、悪気があった訳ではなかったのは分かっている。
むしろラバコスさんは最初から、アレックス・ロラ・ローヴァントが村に来ていると知っていたからこそ、聖魔戦争の話題を振ったのかもしれなかった。
そんなことを考えながら席を立ち、フィリアの後ろ姿に目を遣れば……──
──魔力が揺らいで……暴走しかけている!?
俺はそっと床を蹴って、即座にフィリアに追い付くと、その両肩を優しい力加減で叩く。
「“それ”はダメだ、フィリア。」
肩に手を置かれたことに驚いて振り向くフィリアに、俺は優しく微笑みかける。
「……あ……。」
魔力の暴走は本当に無意識だったのだろう。フィリアは顔面蒼白になりながら、震える声で謝罪する。
「……ごめ……なさい……。」
アレックス・ロラ・ローヴァントという名さえ聞かなければ、フィリアがこれ程、取り乱すこともなかっただろう。
そう思うと……無性に腹が立ってきた。
フィリアが続けて何か言おうとしたが、俺は構わず、周囲にも聞こえるように、言ってやることにした。
「あれはアレックス・ロラの名前を騙ってるだけの“偽物”だ。」
“偽物”という部分を強調して、だ。
「…………え?」
フィリアは一瞬、ポカンとした表情になった後、
「……に、偽物……!?」
と、大きく声に出して驚いた。
それから偽アレックスが、偽物呼ばわりされたことに憤って、煩く喚きながら、こちらにやって来た。
俺自身が苛ついていたのもあるが……まぁ、少々大人げない対応をしてしまったとは思う。
最終的に、偽アレックスは激怒して、腰の剣を抜くと俺の眼前に剣先を突き付けた。
「おいおい。本物だと言い張るつもりなら、こんな場所で剣を抜くなよ。」、
「うるせぇ!散々コケにしやがって!ちょっとくらい痛い目を見せねぇと、気が治まらねぇんだよ!!」
どうやら、相当お冠のようだ。
──まぁ俺から吹っ掛けた喧嘩のようなものだ。断る理由もない。
「やると言うなら構わんが、場所を移そうか。その方がお互い被害は少ないだろう。」
「良いだろう!表へ出やがれぇ!」
偽アレックスは威勢よく言い放つと、肩を怒らせながら、床を鳴らして食堂の出入口へと歩いて行った。
その後ろ姿を見届けながら、俺はフィリアに声を掛ける。
「フィリア。……巻き込んで悪かったな。この場で言うことではなかった。」
「……わ、私も……大きな声、出して……ごめんなさい……。」
自分のせいだと思って罪悪感を感じているのだろう、フィリアは頭を下げた。
だが、この件で俺が慰めの言葉をかけるのは、何だか違うような気がして……。
「まぁ、行ってくる。すぐ済むだろうが……フィリアはこの場に残って、村の人が食堂の外に出て行かないように、注意しててくれ。」
誤魔化すように、それだけ告げて、偽アレックスを追いかけて食堂を出た。
食堂を出て扉を閉めたところで、俺は深くため息を吐き出す。
広場の中央付近には、偽アレックスが剣を構えたまま突っ立っていた。
その隙だらけの構えを一目見れば、奴の力量は自ずと知れた。
俺は広場の中央に向かって歩きながら、偽アレックスに忠告をしてやる。
「別にアレックス・ロラの名を騙るのは構わないが……──」
「あぁ?」
怪訝そうな顔で、偽アレックスはこちらを見た。
俺はその顔を見返しながら言う。
「人間にとってその名は『英雄』だが、魔族にとっては『仇敵』の名だ。騙りたいのなら、実力を上げてからにしろ。……でないと、死ぬぞ。」
「ほざけぇ!!」
親切に忠告してやったというのに、偽アレックスは、いきり立った様子で、こちらに走り込んで来た。
そうして、そのまま勢い任せに剣を振るったが、俺には掠りもしない。剣速が遅すぎる。
俺は余裕を持って剣を避けたが、どうやら偽アレックスには、そうは見えなかったらしい。
「今のはギリギリ避けたみたいだがなぁ!この俺様の剣撃を躱し続けられるかぁ!?」
偽アレックスは剣を滅茶苦茶に振り回す。……剣撃が聞いて呆れるな。
俺はその振り回される剣を、最小限の動きで躱し続ける。
だが、反撃の手を打てないでいるのは事実だった。
──素手で戦うのは、ちょっとな。
……などという、しょうもない理由だったが。
普段なら常に持っている黒剣は、今は宿の部屋の中だ。他の武器は基本的に持っていない。
流石に昔は持っていたが、結局は予備という以上の扱いにはならないし、黒剣の強度を考えれば予備の武器など必要なかったからだ。
──……ああいや、あれがあるか。
俺は何度目かの偽アレックスの攻撃を躱しながら、肩から下げた空間バッグへと手を伸ばす。
そしてその中から、魔獣を解体する時に使うナイフを取り出した。
こればかりは、向き不向きと言うか。解体をするには黒剣は大き過ぎて不便なので、常に持ち歩いているのだ。
もっとも、武器として使う想定は全くしていなかったが。この程度の相手なら、不慣れなナイフであろうと問題にならない。
その解体用ナイフを使って俺は、偽アレックスの剣を捉えることにした。
「そんなチンケなナイフで俺様の──」
悠長に喋っているところを悪いとは思ったが、俺は一瞬で間合いを詰めて、ナイフで剣を半ばから斬り飛ばす。
「……はぁっ!?……っぐぇ!?」
驚いたような声を上げ、硬直した偽アレックスの腹を軽く蹴って、地面に転がす。
地面に蹴り倒された偽アレックスは、折れた剣と俺を何度か見比べた後、引き攣った顔をした。
「なっ……嘘だろぉ……何で……嘘だ……っ!」
うわ言のように、偽アレックスは繰り返しながら、恐怖の面持ちで俺を見上げた。
俺は右手でナイフを弄びながら、偽アレックスを見下ろして、冷たく言い放つ。
「これに懲りたら、アレックス・ロラの真似事などは、止すんだな。」
そうして逆手に持ったナイフを振り上げて……。
「ひっ!や、やめ──」
振り下ろすと同時にナイフを地面に向かって投げる。
「──っ!!」
ナイフは狙い違わず、偽アレックスの左頬スレスレの地面へと刺さった。
「……はぁぁ。」
俺は大きくため息を吐くと、突き刺さったナイフを回収してから、恐怖のあまり気絶したらしい偽アレックスを肩に担いで、宿屋へと足を向けた。
宿屋の受付で偽アレックスの部屋を聞き出し(……食堂で酔っ払って寝た、と言っておいた)、部屋の中に放り捨ててから食堂へ引き返した。
奴を殺さなかったのは、情けを掛けたからではない。単に、殺すと面倒だから、というだけだ。
殺す価値などは全くない男だ。勝手に死ぬのであれば、死んでも構わない。
更生すればそれで良し。更生しなければ……まぁ俺でなくとも、遠からず誰かに殺されることだろう。
そしてその“誰か”は、俺やフィリアである必要がない。
──全く、人騒がせなことをしてくれる……。
もしフィリアが取り乱さなかったら、放っておいただろう。
忠告などしてやる義理は、最初からなかったのだから。
だが、そんな人騒がせな行動の結果は、ある意味、収穫があったとも言える。
──……フィリアは、アレックス・ロラ・ローヴァントを、憎んでいるらしい。
そういう想像を、今まで全くしなかった訳ではない。
『半魔』というのは言わずもがな、人間と魔族の両方の親を持つのだから、そんなこともあり得るかもしれない、とは思っていたのだ。
──フィリアの親は、恐らく人間に殺された。そして、アレックス・ロラに憎しみを向けている。
もしかすると、フィリアの親は、聖魔戦争の折にアレックス・ロラに殺された……のかもしれない。
そう考えた方が自然であり……そう考えると、納得がいってしまった。
──……どうしたものだろうな……。
俺は自分の心を決め兼ねていた。
そしてそのまま、煮え切らない心持ちのままで、フィリアが待つ食堂の扉を開けることになった……。




