第3話 冒険者ギルド
『山岳都市ルミオラ』というのが、私が現在暮らしている人間の街の名称だ。
四方には高い石壁があり、東西北の三方を山に囲まれていて、山々の恵みによって成り立っている都市だ、と説明を受けた。
山に自生する山菜や果物は勿論のこと、生息する動物や魔獣すらも、人間達の糧になっている。
魔獣が現れる場所では、冒険者ギルドからの討伐依頼に事欠かないので、冒険者が街に居着き、経済が回るという仕組みらしいけど、私にはよく分からない。
まぁ何が言いたいかというと、それなりの規模の都市であり、多数の冒険者が滞在している、ということだ。
安宿から冒険者ギルドに近付くにつれて、周囲の人の数は増え、武器を持つ人間の数も増えていく。
そして、武器を持つ者には、明らかに人間ではない者も含まれる。
彼らは『魔族』だ。
魔族は十年前、人間との戦争に敗北したことで、四種類に分かれたと言われている。
一つは、人間に労働力として扱われることを受け入れた、奴隷としての魔族。
一つは、人間への隷属を良しとしないが、表立って反抗する意思を持たない、冒険者としての魔族。
一つは、人間と関わらずに生きる為に、人間の街から遠く離れた場所へと移住した、逃亡者としての魔族。
一つは、人間に怒りや憎しみを向け、未だに抗戦を目論んでいるらしい(……と噂されてる)、復讐者としての魔族。
人間の街である山岳都市ルミオラにも、奴隷の魔族と冒険者の魔族は、少なからず存在している。
ある種、共存と言えるのかもしれないけど、人間達が魔族を見る時には、未だに異種族に対する差別めいた感情があるのが見て取れる。
であるからこそ、魔族の冒険者達は、魔族同士で寄り集まって、パーティーを組んでいる。
冒険者ギルドに向かう道すがら、私の前方にも、4~5人で固まって歩いている魔族が見えていた。
彼らは魔族であることを恥じていない。
私みたいに、フードをしっかりと被って魔族的特徴を隠すようなことをしない。
そんな彼らの潔い姿に、私は強い憧憬を抱かずにはいられない。
彼らの後ろ姿に視線を向けていると、ふと、最後尾の一人が振り返る。
全身を蜥蜴の鱗に覆われた、背の高い蜥蜴魔族だ。
その蜥蜴の魔族と目が合ってしまい、私は反射的に足を止めた。
「あン?さっきから、何を見てやがるんだ、ガキ。」
聞こえてきたのは、まるで恫喝するような低い声だ。
「……ご、ごめんなさいっ……。」
謝罪を口にしながら、私は慌てて目を逸らす。
同時に、迂闊な自分を呪った。
相手も冒険者なのだから、長く視線を向けていれば当然、気付かれてしまう……そんなこと、少しも考えていなかった。
私は地面に視線を落とし、早く魔族の人達がこの場から立ち去ってくれることを祈った。
その思いが通じた……という訳ではないだろうけど、
「チッ……今時、魔族が珍しい訳でも、ねえだろう二。」
舌打ち交じりに一つ悪態を吐かれただけで、魔族達の足音は遠ざかっていった。
足音が聞こえなくなるまで待ってから、私は大きく息を吐き出した。
──……はぁ……良かった。……でも、今度からは、気を付けなきゃ……。
『半魔』である私の外見は、そのほとんどが人間と同じだ。
違うのは、人間にはあり得ない異形の部位を持つ、ということだけ。
私の場合は、人間ではない証──異形の部位が、頭から生えた獣の耳だ。
人間からは到底、受け入れられない。
そして、恐らく、魔族からも同様に。
中には受け入れてくれる者も、いるかもしれない。
でも、受け入れられなかった場合を考えれば、自分が『半魔』だと明かすのは、リスクが大き過ぎる。
だから私は、人間からだけでなく、魔族からも、『半魔』だと悟られないように、外出中は常にローブを着込み、フードを深く下ろしている。
──……さっきの魔族の人達とギルドですれ違わないように、少し時間を空けよう……。
別にすれ違ったところで、絡まれることもない気はするけど……万が一を考えて、冒険者ギルドへ向かう前に、寄り道をしてから行こう、ということだ。
しかし残念なことに、既に商店通りは遥か後方だ。
引き返しても良いけど、開いてるお店があるかどうか、微妙な時間帯なので、無駄足を踏む可能性は否めない。
──……いやでも、時間を潰すのが、一番の目的なんだから……たとえ無駄足になっても、しょうがないと思っておこう。
思えば、商店通りにどんな店があるのか、じっくり観察したこともなかった気がするし、これは良い機会だと思おう。
なるべく前向きに考えることで、気持ちを切り替えるよう努める。
それから私は反転し、今来た道を戻り始めた。
商店通りには色々な店がある。
いつもは素通りしてしまっていたけれど、服やアクセサリーを扱うお店、生活雑貨の販売店、武器・防具屋に、魔導具店。飲食店や食事の販売店が多数。ポーションを販売をしているお店は、何度か利用したことがある。
他にも、看板に何も書かれていない謎のお店が幾つかあったり……と、沢山のお店が存在していた。
あとは露天に類する屋台なども、もう少ししたら営業を始めるはずだ。私のお気に入りの串焼き屋台も、まだ準備中のようだった。
そんなこんなで、商店通りを端から端までじっくり見分してみれば、自然と新しい発見もあって、無駄足なんかではなかった、という感慨が湧いてくる。
次の機会には、買い物を目的として商店通りを回ってみよう、と思ったあたりで、私は冒険者ギルドへと足を向けることにした。
普段よりも、冒険者ギルドに向かう時間は遅めになってしまった。
でも誰に咎められる訳でもない。
時間に縛られず、受けたい時に好きな依頼を受ければ良い、というのが、冒険者の基本だ。
パーティーを組んでいると、多少は縛られてしまいそうだけど、幸か不幸か、私は誰ともパーティーを組んでいない。……今後もパーティーを組むことなんて、ないだろう。
正体がバレるリスクを考えれば、無理にパーティーを組むより、一人で居た方が断然気楽だ。
だから羨ましくなんてない。私は一人でも、やっていける……。
気分が沈みかけた時、冒険者ギルドの建物が見えてきた。
私は歩くことだけに集中し、無心で歩を進めた。
『冒険者ギルド』と書かれた大きな看板の下、開け放たれたドアを潜り、ギルドの中へと踏み込む。
……けれど、そこで足が止まる。
──……さっきの魔族の人達、もういない、よね……?
それなりに時間は空けたつもりだったけど、心配になって、周囲をキョロキョロと見回してしまう。
冒険者ギルドの内部は、入り口の正面には受付カウンターがあり、右手側の壁に依頼が貼り出されていて、左側は併設された食堂になっている。
受付には数人が並んでいたけれど、その中に、魔族っぽい外見の人はない。
依頼を見ている人の中にも、魔族らしき集団はいない。
食堂も、奥の方のテーブルは分からないけど、ギルドの入口付近から見える範囲内には、魔族はいなさそうだった。
少なくとも、私の目に映る範囲に、長身の蜥蜴魔族はいなかった。
ホッと胸を撫で下ろす。
それから、入口付近で立ち止まってしまっていたことを思い出して、慌てて依頼が貼られている右側の壁に向かって早足で歩き出す。
──……今日は、何の依頼を受けようかな。
壁付近まで辿り着いた後、木のボードに無造作に貼り付けられた依頼を、一つ一つ確認していく。
私の冒険者ランクは9級。数週間前に冒険者になったばかりだし、未だ下から二番目の等級だ。
9級で受けられる依頼は少ないけれど、冒険者に成り立ては皆そうなのだから、そこに文句を言っても仕方ない。
10級から9級に上がるのは、指定の魔獣を何匹か討伐するだけだったので、難しくはなかった。
しかし9級から8級に上がる為には、依頼を既定数こなした上で、指定の魔獣を討伐する必要がある……らしい。
依頼は毎日こなしているのだから、近日中には8級に上がれそうな気はしてる。
それはそれとして。9級向けの討伐依頼が貼ってあったので、私は木のボードから、依頼の書かれた紙をペリッと剥がす。
この紙を受付に持って行けば、依頼を受注出来るという、簡単な仕組みだ。
たとえ文字が読めなくても、討伐依頼は魔獣の姿絵と金額が書かれているので、受注するのに不都合はない。
私は文字は読めるけど、冒険者の中には文字が読めないっぽい人も、それなりにいるみたいだし。依頼内容が分からなければ、近くの職員さんに質問すれば、ちゃんと答えてくれる。その辺りは親切だなぁと思う。
ちなみに9級向けの依頼は『★★☆☆☆☆☆☆☆☆』と表記されていて、『星二つ』とも呼ばれる。
10級向けでは『★☆☆☆☆☆☆☆☆☆』で『星一つ』。
8級向けは『★★★☆☆☆☆☆☆☆』で『星三つ』……のように、見た目に分かり易い配慮も成されている。
冒険者の最高到達ランク──1級の依頼では、全ての星が黒くなっていて、『上限』や『天井』など、人によって呼び方が変わったりするらしい。ちょっと不思議。
……まぁ、このギルドで1級の依頼が貼られているところは、見たことがないんだけど。
さて、受付カウンターの列に並んで順番を待っていると、私の番は五分程でやってきた。
朝は依頼を受注する冒険者ばかりなので、比較的スムーズに列が進むのだ。
「次の方、どうぞ。」
数週間で見慣れた、受付カウンターの向こう側に立つ女性が、最前列になった私に声を掛けた。
一歩分、前に出てから、私は依頼の紙と冒険者証を差し出す。
「……この依頼を受けます。」
受付嬢とも呼ばれる人間の女性は、私がカウンターの上に置いた依頼の内容を確認してから、
「はい。問題ありません。」
と、受注を承認してくれた。
私はペコリと一礼すると、冒険者証を掴んで、列から離れようとする。しかし……、
「あ、フィリアさん。ちょっと待って下さい。」
いつもは引き止められないのに、何故か今日は、声が掛かった。
「……な、何でしょう、か……?」
もしかしたら、魔族のパーティーの人達から、苦情が入ったのかな……などと、戦々恐々としていたのだけど……。
続いて受付嬢の人から出た言葉は、完全に想像の外だった。
「フィリアさんは今回受けて頂いた依頼を完了すれば、8級に上がる為の規定の依頼数をこなしたことになりますので、それをお伝えしておこうと思いまして。」
事務的に淡々と告げられた言葉は、ちょっと何を言われてるのか理解出来ず、数秒固まってしまった。
「…………あの、フィリアさん?」
名前を呼ばれて、ハッと我に返る。
「……え、えと……その……ごめ、ごめんなさい……、もう一回……お願いし、ます……。」
何か大事なことを言ってたような気はしたので、申し訳なく思いながらも、もう一度言って貰えないかと、声を絞り出した。
「はい。」
と、一つ頷いてから、受付嬢の人は、嫌そうな顔をすることもなく、先程の言葉を繰り返してくれた。
「今回受けて頂いた依頼を完了すれば、8級に上がる為の規定の依頼数をこなしたことになります。……と、お伝えしました。」
今度は落ち着いて聞いたので、ちゃんと理解出来た。
毎日依頼をこなした甲斐あって、どうやら8級に上がれる条件を達成した……いや、今受けた依頼が終わったら達成する、ということだ。……うん、そのまま繰り返しただけだ、これ。
兎も角、内容を理解することは出来たので、私は早く次の冒険者に順番を譲るべく、
「……は、はい。分かりました。……ごめんなさい、……ありがとうございます。」
ペコペコと頭を下げながらお礼を言って、受付を離れて、そのまま冒険者ギルドを後にした。
そうしてギルドを離れてから、ようやく達成感が込み上げてくる。
……達成感と言うのとは、ちょっと違うかな?
8級に上がれるのは今日の依頼を達成してからの話だし、その後に、ギルドが指定する討伐対象の魔獣を倒して、初めて昇級が可能となる。
だから、まだ達成した訳ではないんだけど……でも確実に、何らかの感情は生まれていた。
見えなかったゴールが、やっと見えた……と、そんな高揚感なのかもしれない。
あるいは、毎日頑張って依頼を受けていた成果を、認めて貰えたような気がして、嬉しかっただけかもしれない。
難しいことは分からないけど、私は何だか温かい気持ちで、足取り軽く街の外へ向かうことが出来た。
……この時の私は、油断していた。
冒険者とは、常に死と隣り合わせなのだから、不測の事態を想定し、気を引き締めないといけなかったんだ。
依頼の最中に死にかけるだなんて、微塵も疑うことなく。鼻歌でも歌い出しそうな能天気な顔で、私は少しずつ少しずつ、死地へと近付いていた……。