第36話 決断の為に
冒険者ランクが7級に昇級した翌朝。私は少々気怠い目覚めを迎えた。
あまり眠れなかった……という訳ではない。昨夜は安宿の自分の部屋に戻るなり、疲れてベッドに倒れ込んで、すぐ眠ってしまったのだから。
疲れが取れていないのではなくて、主に足が筋肉痛で、じんわりとした痛みを感じるのだ。
魔法は万能ではない、とはよく言われる。
何故私が今このタイミングで、この格言を思い浮かべたかと言うと、それは簡単な話だ。癒しの魔法は自分自身に掛けても、効果が出ないという、悲しい事実があるのだ。
だから私は私自身の筋肉痛を治すことは出来ずに、目覚めるなり、ちょっと憂鬱な気分になっていた。
とはいえ、歩けない程ではない。……まぁ歩けないレベルの筋肉痛というのが存在するかは甚だ疑問ではあるけど。
それはそれとして。
私はベッドの上でゴロゴロしながら(……起き上がりたくない)、当面の問題について考える。
一つ目は、現在進行形の筋肉痛……は、正直そこまで大した問題という訳じゃない。
どっちにしても治す方法がないのだから、私に出来ることは何もない……。
二つ目は、お金……これは割と早急に何とかしないとマズいかもしれない。
討伐に出る度に筋肉痛になっていては、数日置きにしか、まともに狩りなんて出来ない。
魔獣一体あたりの討伐報酬は増えるかもしれないけど、毎日少しずつ銅貨を得るのと、数日に一回のペースで少し多く貰えるのとでは、あまり違いもないように思う。
強い魔獣ほど人里から離れた場所に縄張りを持つのだから、今後は野宿も視野に入れなければいけない……のだけど、野宿する為の寝袋などを買うのに新たな出費が掛かるし、そもそもベルトポーチで寝袋を持ち運べるはずもなく、更には魔獣の縄張り近くで一人で野宿というのも、あまり現実的ではない。
たとえ新しい方法を確立しようにも、準備に使うお金を捻出するのが難しい。これが問題なのだ。
三つ目は、まぁその……山岳都市ルミオラを離れるかどうか、である。
アレクさんから、「俺と一緒に来ないか?」と誘われた時は正直、驚きもあったけど、それ以上に、何で私を誘ったのかが分からず困惑した。
私みたいな『半魔』を連れ歩こうだなんて、何を考えてるのだろうと思った。
たとえ『半魔』という厄介者でも、『癒しの魔法』が使えるから、連れ歩く意味はあるのかな……なんて一瞬考えたりもしたけど、アレクさんはそうは言わなかった。「フィリアの才能が、『災厄の魔獣』に届き得るからだ。」と言ったのだ。
アレクさんの言葉は、私に衝撃を与えた。
努力を続ければ『災厄の魔獣』を倒せるかもしれない、と言ったのだ。驚かないはずがない。
もしアレクさんに付いて行けば、私は『災厄の魔獣』を倒せる程に強くなれるのかもしれない。それはとても、魅力的な提案だった。
けれど同時に、その言葉が必ずしも真実になるとは限らない……とも思った。
安易に答えを出すべきではないと思った。それは今も思っていることだ。
私はアレクさんに付いて街を出るかどうかを、未だに悩んでいた。
……でもまぁ、いつまでもベッドの上でゴロゴロしてる訳にもいかないので、私はその辺りでベッドから起き上がることにした。
──……アレクさん、明日には出発するって、言ってたな……。
私は今日の内に、アレクさんに付いて行くか否かを、決断しなければいけない。
今日一日で、本当に決められるのだろうかと不安に思いながらも、身支度を整え始めた。……まぁ《洗浄》したり《清き水》を補充したり、というのが主な身支度になるのだけど。
さて、そんな魔法を駆使した身支度を終えてから、ハンガーに吊るされた灰色のローブと、同じくハンガーに引っ掛けてあった藍色リボン付きの黒い帽子を被れば、外出の準備もばっちり済んでしまうのである。
そうして準備が終われば、私は部屋の扉を開けて、廊下へと出た。
振り返ってルームキーで鍵を施錠すれば、部屋番号の書かれた木札が目に入る。
この安宿の25番部屋は、この街に来てから数週間、寝起きを共にした場所である。そのせいか、今では何だか自分の部屋のように感じる部分もある。
前に暮らしてた家は、自分の部屋なんてものはなかったから、余計にそんな気持ちになってしまうのだろうか。
たとえベッドと燭台置きとハンガーくらいしかない寝る為だけの部屋だったとしても、何故か離れ難い気持ちになってしまう。
──……今日はきっと、こんな風に……この街を離れたくない理由を、探すことになるのかな……。
そうして、街を出たい理由と出たくない理由、どちらかに天秤が傾いた時、それが私の答えになるのだろうと思った。
私は深呼吸を一つしてから、廊下を階段のある方向に二つ分部屋を進み、23番と書かれた木札が下げられた部屋の扉へと向かい合う。
ゆっくり数えて五秒ぐらいかけて、気持ちを落ち着かせた後で、私はその部屋の扉をノックした。
あまり待たされることもなく、内側から開錠音が聞こえて、アレクさんが姿を見せる。
「おはよう、フィリア。」
「……おはようござい、ます……。」
「……………。」
「……………。」
お互いに挨拶を交わした後、少しの間だけ無言になる。
言いたいことはあるけど、今の時点で口に出す気にはなれない。恐らくアレクさんも同じだったのだろう。
「取り敢えず、一旦中へ入るか?」
「……はい。」
他の宿泊客が通らないとも限らないので、廊下で話しをするよりは、部屋の中の方が良いという判断なのだろう。アレクさんは部屋の中に私を招き入れてくれた。
ただ、そこでもやはり、本題を口にすることはない。
「俺はこれから買い物にでも行こうと思っているよ。フィリアは、ギルドに依頼を受けに行くかな?」
私は少しだけ言い淀み、けれど、最終的に首を横に振った。
「……アレクさんの買い物に、付いて行っても良いですか?」
もしこれが、アレクさんと過ごせる最後の日になるのであれば、後悔しないように。
けれど誤解も受けないように。ただ買い物に付いて行くだけ。それ以上の意味は持たせない。
「一緒に行って面白いものでもないと思うが……それでも構わないのか?」
「……はい。」
きっとアレクさんの方も、私が『買い物に付き合う』と言い出したのが、イコール私が『街を出ることを決めたから』だとは思っていない。だから、「決めたのか?」とは訊かないのだろう。
それを訊きたいなら挨拶した時点で訊いているはずで。私も決心が付いていたなら、挨拶した時点で言っていたはずだから。
「出るついでに朝食も済ませようか。」
アレクさんはそれだけ言って、部屋の扉を開けた。
そうしてお互いに距離感が定まらないまま、私達は今日一日を一緒に過ごすことになるのだった。
それから部屋を出た後は一階へと下りて、宿の受付の人にルームキーを預ける。
その際に私は、あることを尋ねられた。
「今日で、前払いして貰ってた分の期日が切れます。宿泊の延長はされますか?」
五日間あるいは十日間、纏めて前払いをすると、一日あたりの宿泊費用が少し安くなるので、私はそのサービスを利用していたのだけど……。
「……ご、ごめんなさい。……帰ってから、決めます……。」
タイミングがまるで、「アレクさんに付いて行くかどうかを早急に決めろ」と言われているようで……結局は先延ばしにしてしまう。
「今日の宿泊分までは払い済みですので、決めかねてるなら、明日改めて聞きますね。」
「……それでお願いします。」
結局私は煮え切らず、逃げるように受付を後にした。
隣で聞いていたアレクさんも、特に何も言わなかった。
宿を出たら、アレクさんの後ろに付いて、商店通りへの道を歩く。
私が宿泊する安宿はメインストリートには面していない。数百メートルばかりも路地を歩いてようやく、商店通りの端っこに出るのだ。
そして、商店通りを通り抜けて、大通りを真っ直ぐ進んだ先には、冒険者ギルドの建物がある。……そんな道のりを、この数週間の間ほぼ毎日、往復してきた。
人間の街の規模にこそ、最初は驚かされたものだけど、通り道にまで感慨を覚えたことなど、今まではなかった。
なのに今日はどうしてか、ただ薄暗い路地を歩くことさえも、何だか感慨深いような気がしてしまっていた。
明るく賑わいのある表通りとの対比で、そう感じられたのだろうか。
安宿から商店通りまでの路地は数百メートルの距離しかないので、十分と歩かずに、その道程は終わりを迎えた。
そうして薄暗い路地から商店通りに出れば、少々眩しいと感じる程だ。
陽ざしに目が眩んで足の速度を緩めると、前を歩くアレクさんが振り返り、宿の部屋を出てから初めて、私に声を掛けた。
「フィリアは、いつも朝食はどうしてたんだ?」
「……パンを買い込んでて……宿の部屋で、食べてました。」
人前での食事は不慮の事故が起こるかもしれないし極力避けていた。宿の部屋でなら耳を隠さずに済むから、気楽な面もあったし。
答えながら次第に、目は明るさに慣れていく。
「ふむ。じゃあ先ずは、そのパン屋を目指してみるか。フィリアに案内を任せて良いか?」
「……は、はい。」
アレクさんがどういう意図でパン屋に行くと言ったかは定かでないけど。拒む理由もないし、と……私は何度か行ったことのあるパン屋に足を向けることになった。
パン屋は、商店通りを三分の一ぐらい行った地点に建っている。
小ぢんまりした店構えだけど、通りかかった時に、焼き立てのパンの良い匂いがして、ついふらふらと立ち寄ってしまった記憶がある。
この店のカウンターは出入口にあって、そこにパンを取る為のトングと、取った後に載せる為のトレイが入口に置かれている。
店内は客が十人も入れば、いっぱいになりそうな狭さではあるけれど……壁際の棚や中央にあるテーブルの上にバスケットが置かれていて、その中にパンが種類毎に入れられて、並べられている。
なので客は入口でトングとトレイを手に取って、店内を時計回りに一周する間に好きなパンを選び、出入口のカウンターに戻って来た時に支払いを済ませる、という流れでパンを購入するのだ。
私とアレクさんはそれぞれに、トングとトレイを両手に持って、各自好きなパンを選んで朝食にすることにした。
ついでに私がベルトポーチに保存しておけるサイズのパンも選んで、トレイに載せていると、
「朝からそんなに食べるのか?」
とアレクさんに冗談っぽく言われて、私がぶんぶんと首を横に振る……というような一幕はありつつも、無事にパンを購入する。
保存用のパンはその場でベルトポーチに入れさせて貰って、朝食の分のパンだけを手に、店の外へ出た。
それから店の近くにあったベンチに座り、一先ず朝食ということになった。
数ある中から私が選んだのは、クルームが練り込まれた生地を焼いたパンだ。
クルームとは山や森で採れる木の実で、少しの甘さと少しの苦味を持つ。それが砕かれて、生地に練り込まれた状態で焼かれている。
火を通せばクルームの苦味は抑えられて、甘さの方が前面に押し出される為、パンに混ぜればそれだけでクルームの甘みを感じられるパンが出来上がる。
更には甘さだけでなく、パンの生地を焼いただけでは得られない軽めの食感も加えられることで、パンが味気ないと思わせる隙もなく、二つくらいならペロリと平らげてしまえるパンなのだ!
……と、気付けばクルームのパンは手の中から消えていた。
とはいえ、瞬間的に消えた訳ではないことは、口の中に残るクルームの風味と、それなりの満腹感が証明している。
隣を見ればアレクさんも、持っていたパンは食べ終わっていたようだ。
私がそちらに視線を向けると、
「ここのパンも中々悪くなかった。」
と、私に笑いかけた。
それを聞いて、私は少し嬉しくなった。
さて、そんな感じに朝食を終えれば、次は買い物ということになる。
アレクさんが最初に向かったのは薬屋だった。
ポーションの販売店の隣にある薬屋で、私は初めて足を踏み入れる。
アレクさんはその薬屋で、何種類かの薬を買ったようだったけど、私は草が吊るされてたり草が生えてる植木鉢が置かれてる店内を、物珍しげに見回していたので、アレクさんが何を買ったのかは知らない。
ついでということで隣のポーションの販売店にも立ち寄って、私はマジックポーションを五本買う。
三日前──『災厄の魔獣』に襲われた日と、昨日の魔獣狩りで、合計五本飲んでいたはずだから、その分の補充だ。
マジックポーションは、一つ銅貨五枚もする。五本買えば銅貨二十五枚の出費になってしまうのだ。
出費は大きいけど、流石にマジックポーションのストックなしで狩りに行くのは、魔力的な不安がある。
背に腹は代えられないので、金銭的な部分は諦める他ない。
──……というか、昨日でストック尽きてたんだなぁ……。
基本的にマジックポーションの常備は五本か六本までにしている。
それ以上は生活費が足りなくなっても困るし、そもそも一日で五本も六本も飲むこともないのだから、そのくらいあれば充分という計算である。
ただし、三日前は不測の事態とはいえ、三本飲むことになったし、昨日だって二本飲むことになった。なので、お金に余裕が出来れば、もう少しストック本数を増やしても良いのかもしれないな、とは思う。
……と、そこで衝撃的な事実に気付いてしまった!
──……あれ?……『災厄の魔獣』の討伐って…………もしかして、報酬なし……?
いや、私なんかは何の役にも立っていない訳だから、貰えるかも怪しいんだけど……思い返してみれば、グランジーさんとアレクさんの間で、お金の遣り取りをしていた記憶はない。
──……ギルドからの正式な依頼でもないし、そもそもアレクさん冒険者じゃないから……報酬が無くてもしょうがない……のかなぁ……?
報酬は貰えなかったとしても、マジックポーション代くらいは、出してくれても良いのに……と、ちょっと恨めしく思ったりはする。
まぁでもこの三日ぐらい、アレクさんから食事を奢って貰ったりとかしてた訳で……。
──……それが報酬代わりと考えれば……うん……納得出来なくは、ない……のかも…………。
……などと、結構な葛藤の末に、そんな風に自分を納得させることになった。
「フィリア、どうかしたか?」
私が難しい顔をしてたせいだろうか、アレクさんに心配そうに声をかけられたけど……面と向かって「『災厄の魔獣』の討伐報酬ってないんですか?」なんてこと、訊けるはずもなく……。
「……何でも、ないです。」
と、口を噤むしかなかった。
そんな風に若干もやもやしつつ、ポーションの販売店を出た私達の次の行き先は、生活雑貨の販売店だった。
店内をアレクさんと一緒に暫く巡っていたけど、結局ここでは何も買わずに外へ出た。
お金に余裕が出来れば一度来てみたいと思っていた店だったので、今回お店の中を見て回ることが出来て、個人的には嬉しかった。
ベルトポーションに入るサイズじゃないけど、片手鍋や両手鍋、他にも食器なんかは、その内買いたいな……などと夢想しながら生活雑貨の販売店を後にした。
街には、私の知ってる景色もあれば、知らなかった景色もある。
山岳都市ルミオラには、まだまだ沢山、私の知らない景色がいくらでも残されているのだろう。
この街を去れば、それらの景色は、二度と見ることが出来なくなるかもしれない。
そんな感傷に浸りながら、私がこの街でアレクさんと過ごす最後の日は、刻一刻と過ぎていく……。




