第30話 研究室
グランジーさんが、「アレク、研究室に来い。」と言って急に部屋を出て行ってしまった後……アレクさんは私に、一緒に研究室へ行くかどうかを尋ねた。
『災厄の魔獣』がどんな姿をしてたのか、少し興味があったので、私は「……行きます……。」と、同行の意思を示した。
そうして、座っていた椅子(……微妙に足が付かない)から降りて、アレクさんの後ろに続いて会議室のような部屋を出て行く。
アレクさんは迷うことなく歩を進めていたので、研究室とやらの場所は知っていたのだろう。
その研究室へと向かう途中、冒険者ギルドの制服を着た職員さんに呼び止められるというアクシデントもあったけれど……──
「すみません、この先はギルドマスターの私室となっておりまして……。」
と、困ったように眉を下げる職員さんには、
「そのギルドマスターに呼ばれたんだがね。当の本人は、俺達を置いて、一人でさっさと向かってしまったよ。」
肩を竦めながらアレクさんが言うと、「あぁ……。」と職員さんは私達に同情の視線を向けてから、一礼して去って行った。
……ということがありつつも、私とアレクさんは研究室の前へと無事に辿り着く。
その部屋には『研究室』とは書かれていなくて、『ギルドマスタールーム』という文字が書かれた銀色のプレートが、扉に貼り付けられていた。
──……ここであってる……のかな?
そんな風に疑問に思った私だったけど、
「私室に魔法で勝手に地下室を作って、そこで研究してるんだよ、あの爺さんは。」
アレクさんがそんな説明をしてくれたことで、私の疑問は氷解した。
──……魔法で勝手に地下室を作るって……大丈夫なのかなそれ……。
まぁでも、ギルドマスターという偉い立場なんだし、そのくらいは許されるのかもしれない。……許されるんだろうか?
新たな疑問が増えた気がしたけど、まぁ……うん。
口に出した訳でもないので、その新たな疑問への回答が、アレクさんの口から説明されることはなかった。
きっと部屋を改造するくらいは許されることなんだろう……と思っておくことにした。
それはそうと、アレクさんはギルドマスタールームの扉を、ノックもせずに押し開けて、中に入る。
私もその後に続いて、部屋の中に入った。
部屋の中──扉を潜った正面には高級そうな執務机があって、しかしそこにグランジーさんが座っていたりはしなかった。
机の上には、乱雑に積まれた紙束が、幾つかの山を作っているのが見えるだけだ。
また、本や資料等が並んでいるであろう棚が、横並びで壁際に連結配置されていたり、床に木箱が幾つか置かれていたりと、雑多な印象は受けるけど、尋常な執務室であるように思えた。
──……地下室がある……って、言ってたけど……。
キョロキョロ見回してみても、地下への入口のような場所は見当たらない。
私がそんな風に部屋の中を観察している間に、アレクさんは、ずんずんと無人の執務机の方に近付いていくと、その裏側へと回ったので、私も慌てて後を追う。
そうして執務机の裏に回り込んでみると……そこには、木造の床の一部が四角く切り取られていて、地下へと続いているであろう階段が見えた。
──……本当にあった……。
いや、あるって言ってたんだから、あるに決まってるんだけど……。それでも実際に目にすると、驚いてしまった。
「この階段から降りるが、足を踏み外さないように注意してくれ。」
アレクさんは言い終わると、先に階段を下って行く。
その背中を追いかけるようにして、私も階段へと足を踏み出す。
どうやらその階段は土を固めて作られているみたいだった。結構な硬度が保たれているようで、そういう意味では安心である。
壁面も同じように土が露出していたけれど、触るとボロボロ崩れてきそうな柔らかい見た目ではなく、こちらも表面が押し固められているようだった。
階段の広さは、人が二人すれ違える程度の幅でしかなく、そこを進んで行くというのは、ちょっと圧迫感があるなぁ、と思った。
そんな土の階段は、勾配自体は比較的緩やかだったけど、段差を一段下りるに毎に、地上からの光が届かなくなっていく。
全く何も見えない暗さではないにせよ、確かに気を付けないと、足を踏み外してしまう危険がありそうだったので、私は一段ずつ慎重に階段を下りることにした。
そうやって階段を進んでいると、前方から光が漏れてきて、足元が少し見易くなってくる。
あんまり長い階段でもなかったので、私はすぐにその光の正体を知ることになった。
洞窟の入口のように空いた穴……と言うよりは、扉の取り付けられていない部屋、と言う方が適切だろうか。その入口付近の壁に、明かり用の魔導具が取り付けられていたのだ。
また、部屋の中からは、それよりも更に明るい光が漏れ出していた。
アレクさんは私が階段を下り切るのを待ってくれていたようで、地下にしては明るすぎると感じる部屋の中へと、一緒に足を踏み入れることになった。
部屋の中には、四方の壁に明かり用の魔道具が等間隔に取り付けられていた。なので地下とは思えない明るさが保たれていたのだ。
しかしそのせいで、部屋の中の様子を、まじまじと見せられることになってしまった……。
そこは確かに『研究室』ではあったのだろう。
けれど、私が想像していたものとは、かけ離れた『研究室』だった。
そして、自分の瞳に映った光景に困惑して、思わず口から単語が漏れた。
「……魔獣……。」
そこにはホーンラビが居た。スライムが居た。ジュエルラットが居て、それ以外にも色々な魔獣が居た。
それらは、金属の檻や、透明な箱の中に入れられて、部屋の壁際に並べられていた。
あるいは既に生きてないモノも交じっていたかもしれない。
魔獣や、魔獣の死骸なんて、見慣れているはずなのに……しかし、この室内はとても異質であるように感じた。
私は何だか怖くなって、すぐに目を伏せて、それらの魔獣を見ないようにした。
「相変わらずだな……。」
そんな風に呟くアレクさんは、この研究室のことを知っていたのだろう。
私とは違って、呆れているだけのようだった。
そんな私達の声に反応するように、一際明るい声が室内に響いた。
「おお、ようやく来たか。準備は出来ておるぞ。」
私は恐る恐る、魔獣の姿をなるべく視界に入れないように、グランジーさんの声がした方へ視線を向ける。
グランジーさんは部屋の中央付近の床に敷かれた白い大きなシートの上に立っていた。
幸いにもグランジーさんの周囲に魔獣の檻は置かれておらず、そちらを見ているだけなら、怖い思いはせずに済んだ。
ふと、私の手に何か温かいモノが触れる。
ビックリして飛び上がりそうになったけど……反射的に目を遣れば、触れていたのはアレクさんの手だった。
アレクさんは私が怖がっていたのを察したのだろうか、そのまま私の手を引いて、グランジーさんの元までエスコートしてくれた。
「ではアレク、『災厄の魔獣』を、この上に出すんじゃ。」
私達がグランジーさんの近くまで辿り着くと、グランジーさんは急かすように、アレクさんに声を掛けた。
その印象は、会議室で話してた時と、何ら変わる様子がない。だから余計に、グランジーさんが異様な存在に見えたのかもしれなかった。
アレクさんは私の手を離して、肩にかけた袋を取り外して床に置いてから、無言で袋に手を入れた。
そして、中から黒い獣を取り出し、白いシートの上に置いた。
「ほう、これか。……うん?思ったより小さいのう。」
『災厄の魔獣』を見たグランジーさんの感想は、奇しくも私の感想と一致していた。
──……もっと大きい、と思ってたのに……。
“思ったより小さい”……と、見た瞬間に、私もそう思ったのだ。
では、その姿を詳しく観察してみると、これは見たまんま、狼や犬に近い外見をしていた。
特筆すべきは、“全身が真っ黒”ということだろう。全身の毛が黒一色で、鋭く尖った爪も黒い。
ただし一般的な成体の狼や犬と比べると、全長は一回り程は小さいようで……こうして死んだ状態を目の前にすると、予想外に『災厄の魔獣』への恐怖は薄れていった。
「コイツは常に影を纏っていたから、戦っていた時には、実体よりも大きく見えていた。」
と言ったのはアレクさんだ。
なるほど……と思ったけど、殺されかけた私には、恐怖で余計に『災厄の魔獣』が大きく見えていた、というのもあったのだろう、多分。
「ふむ。では新しく何か分かったら、また連絡する。ご苦労だったな、アレク。」
アレクさんの声が聞こえていたのかいないのか……グランジーさんはそれだけ言うと、様々な角度から『災厄の魔獣』を観察したり、その黒い毛に触ったりし始めた。
その後は、最早お役御免とばかりに、こちらへ意識を向けることもないようだった。
「これで用は済んだし、さっさと退散するとしようか。」
アレクさんは床に置いていた袋を肩にかけ直してから、再び私の手を引いて、研究室の外へと引き返した。
『災厄の魔獣』の姿も見ることが出来たし、これ以上この場に長居したくなかった私は、抗うことなくアレクさんに手を引かれて、研究室から外に出た。
それから地下へ下りて来た時と同様、土の階段を今度は上って、地上へと戻る。
ちなみに、下りる時は暗かった階段だけど、上る時は地上から光が差し込んでいたので、足を踏み外す心配もなく、スムーズに上り切ることが出来た。
そうして地上──ギルドマスタールームの雑多な室内にまで戻って来ると、ようやく解放されたという安堵感が湧いてきた。
緊張していたのかもしれない。会議室のような場所での話し合いもそうだし、今行った地下の研究室もそうだ。
普段やらない事をやるのは疲れるし、意識していなくても身体が緊張してしまっていることがある……のだと思われる。
安心し過ぎて力が抜けそうになったけど、流石にこの場にへたり込む訳にはいかないので、慌てて体勢を立て直した。
それを見ていたのだろうアレクさんが、
「どこか座れる場所で一息入れよう。」
と言ってくれたので、私は一も二もなく頷いた。
さて、冒険者ギルドの中で休憩しても問題ない場所と言えば、併設された食堂くらいのものだった。
ギルドの外……例えば商店通りへ行くにしても、それなりの距離を歩かなくてはいけない。
だったら、併設されている食堂にしておこう……となるのは、極々自然な選択であった。
会議室のような場所で『災厄の魔獣』討伐の報告を(主にアレクさんが)したり、『研究室』に行ったりもしたけど……あまり時間も経っておらず、まだ朝方なので食堂を利用している冒険者は少なく、席は疎らに埋まっているだけだった。
そうであればこそ、気兼ねなく休憩が出来るというものである。
私は冒険者になってから今まで、この食堂を利用したことがなかったので、少し新鮮な気分でもあった。
二人掛けの丸テーブル席に、アレクさんと向かい合って座り、一先ず飲み物を注文する。
テーブルは隣席が空いてる場所を選んだので、他の冒険者の目や耳をあまり気にせずに済むのは、ありがたかった。
ちなみに飲み物はそれぞれ、私がミルクで、アレクさんが薬草茶を頼んだ。……休憩すると言っても、何も注文せずに、ただ座ってるだけでは体面が悪いのである。
そうして注文した飲み物が、冒険者ギルドの制服を着た食堂スタッフの人によって届けられると、ようやく人心地つく。
飲み物は表面が磨かれた木製のコップに入れられていたので、滑って落とさないようにコップを両手で持って、早速とばかりに口を付けた。
ミルクは常温よりも冷たかった。保冷用の魔導具にでも入れられていたのだろう。そう思うと、何だか少し贅沢な気分だった。
更に贅沢を言えるなら、椅子に背もたれが欲しかったところだけど……単に座って飲み物を飲むだけでも充分休憩になる。
ほんのりと甘いミルクをコクコクと飲んで、ホッと息を吐き出すと、気持ちも随分と落ち着いてきた。
正面を見れば、アレクさんも薬草茶の入った木製コップ──私とは違って片手で持っていた──を口から離して、テーブルの上に置くところだった。
そうしてアレクさんはコップを置くと、少し声をひそめながら、私に話しかける。
「ああいう場所は、普通は嫌悪感を抱くものかな?」
“ああいう場所”というのは、グランジーさんの研究室のことだろう。周囲の耳を憚って、ボカした表現をしているのだと思う。
その質問に、私は少し考えてから、率直な感想を告げる。
「……嫌悪感は、なかった……と思います。……少し異常な気がして、怖かった、ですけど……。」
元々声は大きくはないけれど、気持ち声を抑え気味に答えた。
「……あぁそうか。冒険者なら、別に嫌悪感を覚えることもないか。」
アレクさんは私の答えに納得した様子を見せた後、苦笑気味に続ける。
「あの爺さんは、元々は魔法研究をしていたんだが……こっちの分野の方が、研究し甲斐があった、ということだろうな。俺には到底、理解出来ない話だ。」
そう言ってから、「ただ……──」と、真面目な口調で先を語った。
「そういう研究も、人の為に役立つというのは、知っておいて欲しい。魔獣の特性を可能な限り知れれば、冒険者の安全に繋がるし、日常生活に便利な道具を生み出すことだってある。」
言われて、なるほど、と思った。
直感的に怖いと感じてしまったけど……魔獣の研究によって、予め魔獣の特性を周知させることで冒険者の安全を確保したり、魔獣の特性を利用した便利な道具を生み出す為、と言われれば……それは確かに必要な研究なのかもしれなかった。
例えばポイズントードなどの毒を持つ魔獣なら、その毒を分析することで解毒剤などが作られる。また、スライムシートだって、スライムの死骸を何らかの方法で利用して生み出され、普及した物であるらしい。
そういった例と照らし合わせれば、なるほど魔獣研究というのは、嫌悪すべきものではないのだな、という実感が湧いたのだ。
そして、グランジーさんは、決して魔獣研究が趣味という訳ではなかったんだな……と、自分の中で納得すると、さっき研究室で見た光景が、『得体の知れない怖いもの』ではなくなっていくのを感じた。
「……まぁアイツは八割方、趣味でやってるんだろうがな。」
「…………。」
……アレクさんの最後の呟きは、聞かなかったことにしよう、うん。
グランジーさんが変な人だという印象は、これからも変わることはないんだろうな、と思った瞬間だった。
まぁ、そんな話を聞かされた後は、互いに飲み物を飲みながら、穏便な雑談話へと移行することになった。
「そういえばフィリアは、9級と言っていたが、もっと上のランクを目指すつもりはあるのか?」
雑談(……なのかな?)の一環として、そんな話題が出たのだけど……。
「……はい。……無理なく上げれる範囲で。……えと、取り敢えず、そろそろ8級に上がれま…………あっ。」
「うん?」
アレクさんが首を傾げる姿が視界に入ったけど、それを気にしてる余裕はない。
──……『ホーンラビ討伐』依頼、受けてたこと、すっかり忘れてた……。
別に依頼の完了報告に期限がある訳でもないのだけど、『災厄の魔獣』関連の話でいっぱいっぱいで、今まで依頼の存在を忘れていたのが問題だった。
実はこんな場所でゆっくりしてる暇など、なかったのだ。
依頼をこなさないと、日々の生活費がどんどんなくなっていく。9級の依頼なんて大した報酬額が貰える訳でもないので、早く依頼を終わらせなきゃ、生活費が危ないのだ。
「どうしたんだ、フィリア?」
と、アレクさんに名前を呼ばれたことで、思考が現実へと引き戻される。
私は一先ず、お待たせしてしまったことへのお詫びも兼ねて、事情説明をすることにした。
「……その……討伐依頼、受けてたの、忘れてたんです……。」
「あー……なるほど。」
元冒険者だったアレクさんは、そう言えば事情を察してくれた。
低級の討伐依頼に期限は定められてないにせよ、依頼完了まで三日も経てば、実力が伴わないと判断されてしまうことがあるらしいのだ。
今回のケースでは、今受けている『ホーンラビ討伐』が終われば、次は昇級の為の指定魔獣を討伐する……と言われた段階なので、実力不足と判断される心配は、ないのかもしれないけど。
それでも、あまり依頼を放置するのは望ましくない。
『災厄の魔獣』に襲われたのと『ホーンラビ討伐』依頼を受けたのが同日──二日前のことであり、今日で三日目になるのだ。
……まぁ昨日は丸一日寝ていたせいで、記憶はないのだけど……それはそれとして!
なので、せめて本日の内には、討伐完了報告をしてしまいたい。
「……この後、魔獣討伐、行くことにします……。」
忙しないけど、ここでアレクさんとはお別れかな……などと物寂しく思っていると、アレクさんの方から意外な提案をされた。
「それじゃあ俺も、フィリアに付いて行くとするよ。」
「……え?……何で、ですか?」
討伐依頼にまでアレクさんが付いて来る理由がない。……そう思っていたのだけど。
「『災厄の魔獣』に遭遇していなければ、依頼を終えていたのだろうから。半分は俺の責任だろうと思ってる。……だからまぁ、見届ける義務があると思って。」
そう言った直後、アレクさんは、「ああ、いや……──」と、かぶりを振ってから言葉を続けた。
「そんなのは建前だな。……単純に、フィリアと別れるのを、惜しいと感じている。」
言い終わると、アレクさんは真剣な表情で、私をジッと見つめた。
冗談を言ってる訳ではない……と思う。
勿論、癒しの魔法が利用出来るから……などと考えている訳でもないだろう、と今は信じることが出来る。
私はアレクさんの瞳を見つめ返しながら、どこか安心感を覚えていた。
真剣で、けれど、私に対する慈しみを感じさせる瞳だった。
だから私は安心して、アレクさんの提案に、本音で返すことが出来た。
「……私も。……アレクさんと別れるの、寂しいと、思ってたので。……付いて来て貰えると、嬉しいです……。」
アレクさんはそれを聞いて、優しく微笑んでくれた。
それから、コップに半分くらい残っていた飲み物──私はミルク、アレクさんは薬草茶を、ゆっくりと飲み終えてから、席を立つことになった。




