第2話 その日の朝
窓から差し込んでくる陽射しの眩しさで、私は目を覚ました。
昨日はあれから魔法の練習をして、魔力が尽きるのと同時に寝てしまった……ような気がする。
寝る間際のことを覚えていないので、多分そうなんだろう。
よろよろとベッドから身を起こし、まだ眠い頭をスッキリさせる為に、ある魔法を唱える。
「……《洗浄》……。」
身体の表面に魔力を集めると、水の膜が現れて、身体全体を包み込む。
約2~3秒間、目を瞑って息を止めたまま、水の膜を維持することに集中した。
魔力の放出を止めると、水の膜も綺麗さっぱり消え去る。
不思議なことに、ベッドのシーツなどが濡れることもないので、すごく便利な魔法だ。
飲み水として利用する《清き水》と、汚れを綺麗にする《洗浄》が、もしかしたら一番使用頻度が高い魔法かもしれない。
冒険者なのにそれはどうなんだ、と思わなくもないけど、便利なんだからしょうがない。
──……加護属性が水で良かったな。
……などと考えながら、頭も身体もスッキリとして、いつものように快適な目覚めを得ることが出来た。
「……んーっ……。」
軽く伸びをしてから、ベッド上から床へと足を投げ出し、座る姿勢を取った。
さて、先ずは朝食だ。
寝ている間にベッドの上から転がり落ちたのだろう、床に放り出されていたベルトポーチに手を伸ばして拾い上げ、留め具を外してから中に手を突っ込んで、パンを取り出す。
名前はコッペだったかクッペだったか曖昧だけど、長円形のパンなので、切り込みを入れれば色々な物を挟める。
今日はチーズの気分だったので、続いてチーズの塊を取り出した。ソーセージや燻製肉を挟んでも美味しい。
携帯食として良いから、買い溜めて持ち歩いている。
私のベルトポーチは空間魔法で拡張されていて、見た目以上に物が入るし、何より中に入れた物は、時間が経過しないという優れものなのだ。
欠点があるとすれば、ベルトポーチの口より大きな物は物理的に入らないので、幅が十センチ程度までの物しか入れられない……ということくらい。
このコッペかクッペか名称のあやふやなパンも、何とかギリギリでベルトポーチの口を通り抜けられるぐらいのサイズだ。
冒険者の大半は同じように空間拡張された鞄などを持っているけど、ベルトポーチ程度のサイズでは、小物入れに近い感覚なのかもしれない。
とはいえ、ベルトポーチに入るサイズの食糧を持ち歩けるというだけで、私としては不都合はない。
今のところは、長く街を離れる予定もないのだから、このサイズで充分間に合っている。
そんなことを考えていると、ぐぅ、とお腹が鳴った。
──……うん、食べ物を前にして、色々考えるべきじゃない……。
ベッドの上に、ベルトポーチから新たに取り出したシートを敷いて、パンとチーズを一旦その上に置く。
再びベルトポーチに手を突っ込み、ナイフを取り出して《洗浄》した後で、パンの表面にスッと切り込みを入れ、次にチーズを薄く切っていく。
4枚ほど切り終わったら、残りのチーズはベルトポーチの中にしまっておく。
パンの切り込みを広げて、チーズを挟んでしまえば、簡単チーズサンドの出来上がりだ。
私は早速、出来上がったばかりのチーズサンドに、かぶり付く。
口の中を、小麦のほんのり甘く優しい味わいと、チーズ特有の匂い、それから塩気と酸味が追いかけてくる。
パン自体に大した味は付いていないけれど、そこにチーズの塩味と酸味が合わされば、しっかりとした美味しさを感じる。
むしろパンが素朴な味だからこそ、チーズの味が引き立つというものかもしれない。
両方が強い味を持っていては、味がぶつかり合ってしまう。
主張の強いチーズの味を、小麦が優しく包み込んでくれている。
一口目を何度か咀嚼した後、飲み下すと、残るのは濃厚なチーズの香り。
そう、小麦はどこかに追いやられて、チーズの風味だけが口に残るのである。
だからこそ、早く小麦の風味が欲しいと急かされて、次の一口を求める。
また口の中で、小麦達がチーズを包み込む。
後はもう、小難しい理屈なんか、いらない。
本能が求めるままに、小麦とチーズを喰らい尽くすだけだ。
……と、気付いたら、手に持っていたパンは消えていた。
襲ってくるのは、満足感とは程遠い、消失感。
──……も、もう一個、いっちゃおうか……。
先程ベルトポーチにしまったチーズの塊を、再び取り出す。
一個目を作った時と同じように、チーズを薄くスライスしていく。
チーズの塊をベルトポーチにしまって、ついでにパンを取り出す。
切れ込みを入れて、スライスしたチーズを挟む。
淡々と、そんな作業をこなしていく。
そして二個目のチーズサンドが出来上がった。
「……んんっ……!」
出来上がった瞬間に、押し込むようにして口に入れる。
これだ。これが欲しかったんだ。
作業の間も、当然だけどチーズの風味が口の中に残り続けていた。
早く次の小麦を寄越せと、催促されているようだった。
でも、チーズを挟まずにパンだけを口に入れるのは、負けだと思った。……一体何に負けるんだろうか?……自分でもよく分からない。
それはそれとして。
やっぱり、パンとチーズの組み合わせは最高だ。
我慢を強いられた分、余計にそう感じるのかもしれない。
パンがチーズを求めて、チーズがパンを求めて、次々と口の中で溶け合っていく。
チーズの風味が残る口の中にパンをねじ込む瞬間は、もう至福である。
一口進める度に、更に次の一口が欲しくなる。
終わりの見えない、チーズによる蹂躙劇は、しかし唐突に終わりを迎えた。
食べ切ってしまったのだ。
今度は、確かな満足感と共に。
「……美味しかった。」
ベルトポーチから白い筒状の容器を取り出して、中の水をごくごく喉を鳴らして飲んでから、満足げな息を吐く。
──……さて、後は片付けを済ませなきゃ。
パンやチーズを切るのに使ったナイフ、ベッドの上に敷いていたシートを、順番に《洗浄》で綺麗にしてから、ベルトポーチにしまっていく。
ついでに、食べかすが零れてるかもしれないので、ベッドの上も《洗浄》しておいた。
それから筒状の容器に、今飲んだ分の《清き水》を補充したら、朝食の時間は終了となる。
朝食が終われば、冒険者ギルドに向かう為に、着替えをする。
着替えと言っても、《洗浄》で服ごと綺麗になるので、中に着るのは毎日同じ服で構わない。
私に必要なのは、外見を隠す為のローブだ。
流石にローブはベルトポーチには収納出来るサイズではないから、壁に備え付けのハンガーに掛けている。
ベッドから立ち上がって、大股で一歩踏み出せば、それだけで壁はもう目前だ。
テーブルも椅子も棚もなく、ただ寝るだけを目的とした安宿なのだから、そんなものである。
ハンガーに吊られた灰色のローブを掴み取り、私は服の上からローブを纏う。
フードをしっかりと被れば、視界が狭くなった。
まだ、この視界には慣れない。
冒険者になってから数週間は経っているはずだけど、全然慣れる気がしない。
フードを被っていると、自分が『半魔』であると意識させられるから、かもしれない。
はぁ……と、息を吐き出す。
『半魔』であることを、恨めしく思ってる訳じゃない。
けど、『半魔』であることは、確実に私を生き辛くさせている。
頭を隠さずに人間の街を歩ける日なんて、きっと来ないだろうとは分かっている。
諦めに近い感情が、私の中にぐるぐると渦巻く。
でも、立ち止まっていても、お金が空から降って来る訳じゃないんだ。
──……私は、冒険者になったんだから。……依頼を受けて、日銭を稼がないと……。
負の感情を振り払うように、左右に首を振って、私は安宿の一室から飛び出した。