第26話 A:終幕
今回の『災厄の魔獣』の能力は、瞬間移動というインチキ臭い能力ではあった。
……能力というかまぁ、魔法ではあるのだろうが。
しかし、そんな特殊な魔法を、何のデメリットもなしに乱発出来る訳がない。
少なくとも相応の魔力は消費しているだろうし、他に何かしらのリスクが発生する可能性もある。
だが魔力消費の大きさというのは、今回の戦いに於いては、むしろ『災厄の魔獣』が逃げ出すまでのタイムリミットということにもなり兼ねない。
知能の低い魔獣であれば魔力が切れたところで戦いを止めないだろうが、知能の高い魔獣は魔力が減れば逃げることまで考えるものだ。今回の『災厄の魔獣』は恐らく後者であろう。
その戦い方は、一撃離脱を徹底して行うことで、こちらに一方的に防戦を強いるものだ。ある程度の知能がなければ、そのような作戦は取らないはずである。
俺にとっての勝利条件とは討伐であり、撃退では意味が無いのだから、気も逸ろうというものかもしれない。
まぁ幸いにも、防戦一方という状況は、何とか覆りそうではある。
手段は不明だがフィリアは『災厄の魔獣』の位置を正確に把握出来るらしい。そのフィリアに協力して貰い、奴の動きを見ていれば、気付くことがあった。
確かにワープに類する長距離移動はしているらしい。
ただ、そのワープには規則性が存在しているようだった。
その規則性というのを言葉で説明するのは難しいが……『A地点からB地点にワープした後、俺達に奇襲を掛けて来る。そうして攻撃が防がれた場合、ワープでA地点に戻る』と、そのような感じだろうか。
これが何を意味するのかは、俺には分からない。だが意味は分からなくとも、『攻撃後に必ずA地点に戻る』ということさえ分かっていれば、充分に対応は可能だ。単純に、戻った瞬間を叩いてやれば良いのだから。
とはいえ、投擲用の武器などは持っていないし、まさか黒剣を投げる訳にもいかない。
──まぁ全力で走れば、何とか間に合う可能性はあるか。
……などと、安易に考えたのが、いけなかったのだろうな。
「フィリア。『災厄の魔獣』が動きを止めたら、その場所を見続けてくれ。」
そんな指示を出してから俺は、次に奴が動くタイミングを待った。
フィリアにA地点を見続けて貰えれば、気配が一時消えようと、絶対に奴はフィリアの視線の先に現れるのだから。
そうして、奴がこちらに攻撃を仕掛けて来た時、俺は攻撃を防いでから即座に、フィリアが視線を向ける先へ全力で走り出した。
距離はそれほど遠くない。
奴が移動直後に状況を把握する前に、こちらから一撃入れることは出来そうだ。
そう思っていたのだが……前方から感じる奴の気配が、再び消えた。……と同時に、フィリアが何かを叫んだのが聞こえた。
雨音のせいで何を叫んだかは聞き取れなかったが、フィリアの方が正確に奴の位置を掴めている以上、奴が再びワープしたことへのアクションだったのだろう。
俺は急ブレーキの後、すぐに地を蹴って後ろに跳躍し、空中で身体を半回転させることで、強引に身体の向きを反転させた。
そして全力でフィリアの方に駆けながら、大声で警告を叫ぶ。
「伏せろ!!」
既に『災厄の魔獣』はフィリアの背後に迫らんとしていた。
──あぁ、これは俺の悪い癖なのかもしれんな……。
リスク管理を怠ってしまう、悪い癖だ。
安易にハイリスクな選択を取るのは、自分一人であれば大抵の状況が何とかなってしまう故だ。
多少自分の命が危険に晒されたとしても、生存本能によって突き動かされるが如く、思考よりも早く肉体が反応して、凌いでしまえるのだ。
しかし生存本能とは、自分が生きる為であればこそ働くものである。
自分に向けられた殺意であればこそ、身体は思考せずとも動いてくれるものである。
そう、今回は状況が違ったのだ。
俺がリスクある選択をすれば、そのリスクを受けるのは…………俺ではなくフィリアだった。
自分が選択を間違えて死んだとしても、それは自分が死ぬだけで済む話だ。
だが、自分の選択が誰かを巻き添えにする、あるいは誰か殺すことになるかもしれない、というのは……紛れもなく恐怖だ。
俺がバカな選択をしたせいで、フィリアを危険に晒すのでは、悔やんでも悔やみ切れない。
まして、命まで奪わせる訳にはいかない。
俺は後悔を胸に抱きながらフィリアの元へ。そして今まさにフィリアを背後から襲おうとする『災厄の魔獣』の元へと駆ける。
フィリアは、「伏せろ!!」と言った俺の声にちゃんと反応してくれたらしく、しゃがみ込んでいるところだった。
──……だが、間に合わな──
……いや、そうじゃない。
──……何としてでも、間に合わせろ!
自分自身を叱咤し、肉体の限界まで足を踏み込む。
地を蹴り、一歩踏む毎に、速度を上げていく。
──最悪、剣が振れなくても、奴に体当たりでもすれば良い。……無様でも何でも良い、この攻撃だけは意地でも防ぐ!
……と、それもまた、安易にリスクを取る選択だったことに、俺は気付かなかった。
とはいえ、切迫した状況で、これ以上の案が浮かばないのも事実だった。
もしも同じ状況を目の前にすれば、再び同じ選択をするだろう、と思う程に。
……否、そんな感想は後付けである。
この時はただ、フィリアを死なせてなるものか!……と、それだけを考えていたのだから。
そうして俺は全力で疾走し、すんでのところで、フィリアと『災厄の魔獣』との隙間に、黒剣を捻じ込むことに成功する。
剣を振るえる余裕はなく、本当に遮る程度のことしか出来なかったが、それでも間に合ったのだ。
だからこそ、油断していた。
攻撃を防げば、奴はまたすぐワープで距離を取るという“思い込み”があった。
こちらの体勢が崩れている以上、追撃しないというのはあり得ない。
俺だってそうするのだ。つまり奴も、当然追撃をした。
ただし、追撃の対象はフィリアではなく、俺だった。
「ぐっ……!?」
走る勢いを殺し切れずに、フィリアの横を通り過ぎていく俺に、『災厄の魔獣』は右の爪を突き出した。
本能に任せて身体を半回転させることで、貫かれるのだけは回避した。
しかし、それで爪を躱せた訳ではなく、俺の胸には三本の爪傷が刻まれた。
胸当てなどは簡単に切り裂かれて、そのまま俺の肉を抉り、下手をすれば心臓にまで届いたであろう深い裂傷。
そうして傷を受けたことで、走る勢いが減じたのは、皮肉だが不幸中の幸いでもあった。
よろめく身体を支える為に地面に黒剣を突き刺し、剣を中心にコンパスのように半円を描くことで身体の向きを反転させ、更に左膝を地面に擦り付けて速度を殺す。
そうやって更なる追撃に備えたが、まるでその努力を嘲笑うかのように、奴の気配は宙に霧散した。
俺は内心で舌打ちをする。
──……そのまま追撃してくれれば、楽だったものを……。
しかし、これで体勢を立て直す時間が出来た……と、思ったのも束の間。
一旦消えた奴の気配が、再びこちらに向かって来た。
だがそれは、どこか別方向からではなく、敢えて正面から向かって来る気配だった。
──……マズい!
未だにしゃがんだ姿勢を維持するフィリアに注意を促そうと思ったが、声を出そうとした途端に、喉の奥から血液が逆流し、声にならない。
それなら……と、立ち上がろうとしたが、左足がまるで石にでもなったように、ピクリとも動かない。
痛みはそれほど感じないが、それは痛覚が麻痺しているだけだ。
自分の身体の状態すら把握出来ておらず、しかし、そんな中でも、敵は行動を待ってくれたりなどしない。
──……声は出せず、立ち上がれもしない。……この状態で、あと出来るのは何だ?
剣は手元にある。奴が俺に向かって来てくれさえすれば、腕の力だけでも黒剣を振るうことぐらいは出来る。
だが……そうはならない。
俺の正面には、少しの距離を置いて、フィリアが座り込んでいる。
奴の気配が正面から向かって来る以上、接敵するのはフィリアの方が早い。
そして、元々奴の狙いはフィリアなのだから、フィリアを無視して俺を仕留めようとはしないだろう。
だからこそ、敢えて正面から突っ込んで来たのだ、奴は。
これはもう、何も打つ手がないのではないか?……と、俺の冷静な部分が囁く。
しかし、このまま何もせずに、ただ殺されるのを待つのは、正しいはずがない……と、俺の理性が告げる。
何かをしなければいけないのは確かだ。
何もしなければ、何かが起きることもない。それでは助かるものも助からない。
──だが、その為の手段が……──
と、考えたところで、一つの閃きがあった。
──……『まさか黒剣を投げる訳にもいかない』……か?
いつ、そんなことを考えたのだったか……覚えてはいないが、確かに一度はそれを考えた。
──……このタイミングで奴を倒せなければ、どちらにせよ、次はない……。
あるいは……フィリアを犠牲にすれば、倒すことは可能かもしれない。……悪魔の囁きが、脳裏を過った。
何をバカなことを……と、すぐにその考えを打ち消す。
フィリアを連れて来たのは俺だ。
その経緯はまぁ、グランジーに押し切られたようなものであったが……とはいえ、同行して貰うだけのメリットがあると感じて、最終的に容認したのは俺なのだ。
最悪俺が死んでも、フィリアだけは無事に帰さなければいけない。フィリアを犠牲にすることだけは、絶対に間違っている。
俺がすべきは、『災厄の魔獣』を殺すことであり、そして、フィリアを無事に街へ帰すことだ。
それが、フィリアを連れて来た俺が成さなければならない責任というものだ。
そんな決意を胸に、地面から黒剣を引き抜く。
引き抜く前に、柄は逆手に持ち替えている。
そうして、黒剣を投擲する体勢を作り…………そこで自分の迂闊さに気付く。
『災厄の魔獣』が身を屈めた状態で地を駆け、そのまま攻撃をするのであれば……フィリアの身体が障害物となっているせいで、剣を投げても奴に届かない。
剣を届かせる為には、フィリアの身体ごと、奴を貫くしかなかったのだ……。
俺は…………剣を投げることが出来なかった。
──もしも死後の世界があるのなら、そこでフィリアに詫びよう……。
最早、そんなことしか考えられなかった。
そうして俺の心が諦めに呑まれてしまった時に、“それ”は起こった。
フィリアの前に突如として水の柱が出現し、『災厄の魔獣』を呑み込んだのだ。
──……!?……何だ、これは?
俺は思わず目を見開いていた。
見上げる限り続く水柱というのも不可思議ではあるが、その水柱の中に『災厄の魔獣』が捕らわれているのが、俺の目には更に不可思議に映った。
──フィリアの魔法、なのか?
俺は正直、フィリアを戦力としてアテにしていなかった。
それは『9級冒険者』という肩書きを考慮された結果だが……何よりも、フィリアが闘争心を剥き出しにする姿が想像出来なかった為だ。
彼女は見るからに、『生きる為に仕方なく冒険者をしている』というスタンスであり、魔獣を倒すことに、あまり熱心ではないのだろうと思っていた。
だから『低級の冒険者』に見合う実力があって、生きるのに困らなければ、それ以上の力を求めたりはしないのだろう……と、勝手に思い込んでいた。
力を求めない者が、このような強力な魔法を覚えようと思うだろうか?
答えは否だ。
──……あぁ、俺は最初から、見誤っていたのか……。
少女は紛れもなく『冒険者』であり、決して『保護すべき対象』ではなかった。
そして力を求めたのは、少女が『半魔』である故なのだろう。
身を守る為に、過剰な程に力を渇望した……それは『半魔』という生い立ちを思えば、何ら不思議ではない。
──フィリアの力……才能は、『災厄の魔獣』に届き得る。
どこか呆然と、目の前の光景を見上げながら、俺はそんな確信を抱いていた。
すると、フィリアが立ち上がり、こちらを見た。
そして何を思ったのか、『災厄の魔獣』に背を向けて、俺の方に走り出した。
フィリアは懸命に走りながら、何事かを呟いている。
その表情は何かを決意しているようにも見えた。
ただ、俺の方は、
──……それよりも、『災厄の魔獣』を拘束している今なら、フィリアが奴にトドメを刺せるんじゃなかろうか……。
と、思わずにはいられなかったのだが。
、直後、フィリアは転ぶような勢いで身体を前方に投げ出し……何故かそのまま俺に体当たりをかました。
「っ!?」
俺はフィリアの小さな身体を、剣を構えていない左腕で受け止めた。
何か黒いモノが宙を舞うのが視界の隅に映り、胸には小さからぬ痛みが走ったが、地面に押し倒されて隙を晒すよりはマシだ。
恐怖で気が触れてしまった故の行動だろうか……とも思ったが、フィリアが何かの言葉を言い終わると、俺の身体の痛みは嘘のように引いていき、まともに動かなかった左足にも力が入るようになった。
「……これは……。」
思わず呟いたが、今はそんなことを気にしていられる状況ではないことを思い出した。
フィリアは腕の中で気を失ったようで、視線を上げれば、『災厄の魔獣』を拘束していた水柱の勢いも減じている。
俺は『災厄の魔獣』の拘束が解かれる前に、黒剣を振りかぶって投げた。
狙い違わず、黒剣は奴の胴体に突き刺さり……ほぼ同時に水柱が消失した。
更には、空から降る魔力の雨も止んで、辺りには静寂が戻ってきた。
フィリアを抱えたまま立ち上がると、俺は瀕死の『災厄の魔獣』の傍へと一息で距離を詰める。
「黒剣はお前達と同じで、魔力を無効化する。……お得意のワープが使えなくて残念だったな。」
抑揚なく、吐き捨てるように言ってから、力なく横たわる『災厄の魔獣』の黒い胴体に黒剣を押し込み、絶命させた。
そうして『災厄の魔獣』が確実に死んだのを確認してから、黒剣を引き抜き、付着した血を払ってから剣を背負う。
「結果的に勝てたのだから、今はこれで良しとしておくか……。」
色々と考えさせられる戦いだった。
だが、課題は今後、改めていけば良い。
今は兎に角、街にフィリアを連れ帰るのが優先だ。
俺はキョロキョロと視線を彷徨わせる。
目当ての物が落ちているのを発見すると、拾い上げて、汚れを払ってから、フィリアの頭に被せた。
フィリアが俺に体当たりしてきた際に、宙に舞って地面に落ちた、藍のリボンが巻かれた帽子である。
帽子を回収し終わった後、『災厄の魔獣だったモノ』を、ぞんざいに空間バッグに放り込んでから、俺はフィリアを腕に抱えたまま、山を下った。
それから、門衛に開けて貰った緊急用出入口から街に入り、件の安宿のベッドに、フィリアを寝かせることに相成ったのだ。




