第19話 夜の山中
街を囲う壁伝いに歩くこと十分強。壁が途切れた辺りから既に、背の高い木々が見え始めていた。
木々が見えれば、まもなく山の入口に差し掛かる。
傾斜のほとんどない、平野に程近い山麓部分には、それほど危険はないとされていて、冒険者でなくても立ち入りは許可されている。しかしそれは、当然ながら陽が落ちる前までの話だ。
夜間はそもそも、門が閉まっているのだから、山岳都市ルミオラに暮らす一般人には無縁の話であるのだけど……夜間の山への立ち入りは、冒険者でなければ禁止とされている。
そんな説明を、数週間前、山岳都市ルミオラにやって来た際に、門衛の人から受けた記憶がある。
私は冒険者ではあるけど、夜間に山に入るのは初めてだ。
好んで夜中に山に入りたがる人は、いないと思うし、街の門が閉まっている時間帯には、冒険者であっても基本的には外には出られないのだから、敢えて夜に山に入ろうとする人など、他にいないのではないかと思われる。
依頼が一日で終わらなかった場合に、仕方なく山の中で野宿することはあるだろうけど、低ランクの討伐依頼は比較的簡単なので、私は今まで日帰りで済んでいた。
かといって、夜間外出の経験がないという訳でもない。元々住んでいた場所では、夜でも気にせず外を出歩いていた。
単純に、この街に来て冒険者になってから、夜に外出するのが初めてなのだ。
冒険者になってから初めての体験、という意味では、期待と不安が半々ではあるかもしれなかった。……まぁそれも、『災厄の魔獣』の討伐に同行する必要がなければ、という前提での感想ではあるんだけど……。
──……あれ、そういえばアレクさんって……今は冒険者じゃないみたいだけど、夜に山に入っても問題ないのかな?
なんて思ったりはしたけど……。
でもよく考えたら、グランジーさんが、ギルドマスターとして許可を出す権限とか持ってるんだろうな。……というか、非常用出入口から街の外に出られる時点で、そういうのも全部ひっくるめて許可されてるんだろうな、という気がした。
それにしても、冒険者を引退したって言ってた割に、やってることは冒険者と変わらないんじゃ……っていうのは、突っ込んだらダメなのかな、やっぱり……。
……などと考えながら歩いていると、やがて山の入口との境まで辿り着いてしまう。
そうして、夜の山にいざ入ろう、となった段になって、一気に緊張と不安が押し寄せてきた。
ここから先、山に入ってしまえば、木々に遮られて、月明かりは疎らにしか届かなくなる。
それが、私を常世の闇へと誘おうとしているかのようで……。
乱雑に立ち並ぶ木々が、まるで大口を開けた魔獣の顔のように見えてしまい、背中がゾワッとする。
──……嫌なことを思い出しちゃったな……。
言うまでもなく、幻視したのは私の頭を噛み砕こうとする『災厄の魔獣』の姿だった。
すぐに忘れられる訳がないのは分かってるけど、度々思い出したくない光景だ。
「大丈夫かい、フィリア?」
心配そうな声が、少し高い位置から下りてきた。
その声を聞いたら、不安でいっぱいになっていた私の心に、少しの安堵感が広がった。
──……一人じゃない、なら──
「──……大丈夫、です。」
自分一人だったら尻込みしてしまう状況でも、今は隣を見上げればアレクさんが居てくれる。
だから、怖いけど、怖さは我慢する。
怖さを押さえ付けて、前を向くことが出来る。
「それなら良かった。」
アレクさんの声は優しかった。その声に勇気付けられた。
もしアレクさんの方も緊張してる様子だったなら、私はきっと不安に飲み込まれていた。
アレクさんが不安も緊張も感じてないのであれば、『災厄の魔獣』はアレクさんにとって『討伐可能な魔獣』なのだと信じることが出来た。
「それじゃあ、ここからはおじさんが前を歩くから、フィリアは離れ過ぎずに付いて来て欲しい。」
「……はい。」
そんな頼もしい言葉に、背中を押されるような気がして、私は自らの意志で、一歩踏み出した。
山中は、薄暗くはあっても、完全な闇の中という訳でもなく、目を凝らせば見える程度の明るさは保たれていた。
松明などの光源を用意すると魔獣に気付かれてしまう……とのことで、多少不自由な思いをしながらも、特に襲われることもなく、順調に歩みを進めることが出来た。
それに、きっとアレクさんが警戒してくれているから、魔獣と遭遇しないのだろう。
少し前を歩く、黒い大きな剣を背負った背中が、物凄く頼もしく見えた。
ただ、ジッと見過ぎてしまっていたのかもしれない。視線を感じたらしいアレクさんが振り返って、こちらを見た。
「ん?どうかしたかな、フィリア?」
周囲を警戒しているなら、私の視線にも反応してしまって当然だった。
「……ご、ごめんなさいっ……何でもない、です……。」
私は急いで目を逸らして、謝罪を告げる。
……そういえば、今朝も蜥蜴の魔族の人の後ろ姿を見続けてしまって、「何を見てやがる」と問われてしまった事を思い出す。
蜥蜴の人とアレクさんでは、言動も背格好も、おまけに種族すら違うのに、何だかデジャヴのようでもあった。
けれど、そこから先のアレクさんの反応は、蜥蜴の人とは全く違うものだった。
「おじさんもちゃんと警戒はしてるけど、見落とすこともあるかもしれないからね。気付いたことがあれば、いつでも言って欲しい。」
そんな風に声を掛けられて……私はすっかりアレクさんに任せっきりで、警戒を怠っていた事実に気付いて反省する。
ちゃんと周囲を警戒してれば、アレクさんばかりに視線が向くことはないはずだし……気を付けようと思った。
それに、今は魔獣が活発になってる夜間帯なのだから、いくら警戒しても、警戒し過ぎということはないだろうし。
日中には死にかける目に遭っているというのに、今までアレクさんに警戒を任せきりにしていたのは、自分でも正直どうなのかと思い直した。
夜は動物の姿が見えなくなり、魔獣の姿が増える。
そのことを頭では分かっていても、あまり実感は出来ていないのかもしれなかった。
「……はい。……分かりました。」
私は頷きながらアレクさんに返事を返して、意識的に周囲の気配を探りながら、アレクさんの方ばかりを見ないように気を付けながら、その後ろ姿を追いかけた。
それから暫く歩いた後、ふと、アレクさんが再び私を振り返る。
今度は視線を向けた訳ではないはずだけど……と思ったのも束の間。アレクさんが振り返った理由は、すぐにその口から発せられた。
「……そういえば、魔力は大丈夫かい?」
訊かれた時は、一瞬何のことか分からず、頭に『?』を浮かべたけど……しかし、あまり間を置かずに思い当たる。
あの時──『災厄の魔獣』に殺されそうになった時、自分の魔力を全部使って抵抗しようとした。
結果、魔力欠乏になって意識を失うことになった。
それから半日も経っていないのだから、残りの魔力量を心配されるのも納得がいく。
もっと言えば、私には『血を触媒にした魔法』を使う役割を求められているのだから、私の魔力がちゃんと残っているかは、確認しておかなければならなかったのだろう。
私自身も体内の魔力を正確に把握していなかったので、改めて自分の中の魔力残量を意識してみる。
目が覚めてからマジックポーションを一本飲んだし、今はアレクさんが傍にいるから奇襲対策の魔法を使ってない。
だからマジックポーション一本分に加えて、食事で得られた魔力分くらいは確実に残っているけど、全快には程遠い。
──……それでも。……血を触媒に魔法を使うだけなら、余裕だけど……。
しかし、アレクさんが魔獣と戦ってる間、無防備にボーッと立ってる訳にもいかないだろうし。
それ以外の魔法だって使えるに越したことはない。
備えあれば憂いなし……とは言うけれど、逆に言えば、備えておかなければ、不測の事態に対処することも出来ない。
アレクさんが一撃で『災厄の魔獣』を倒せる保証も、ない訳で。
もし仮に結果がそうなったとしても、私が備えを怠って良い理由にはならない。
それに、マジックポーションには即効性はないのだから、予め飲んで魔力を回復させておく方が良いに決まってる。
「……不安なので。……ちょっと、飲んでおきます……。」
私はそう言ってから立ち止まり、腰のベルトポーチからマジックポーションの小瓶を取り出す。
……まぁ、マジックポーションはそれなりの値段がするから、無駄遣いはしたくないけど……今は自らの安全の為、四の五の言ってられないのだ。
ポーションの小瓶の蓋を開けて、ため息が出そうになるのを、マジックポーションの液体と一緒に飲み込む。
口の中に苦さが広がって、吐き出しそうになるけど……耐えて飲み込む!
マジックポーションを飲みたくなかったのは、金銭的な理由は勿論ある。でも、それだけではなくて、飲んだ時のこの強烈な苦味が、飲むのを余計に躊躇させる。
幸い、一本あたりの量は少ないし、喉に絡みつくようなドロドロした液体という訳でもないので、耐えれる。……一本なら。
二本目は分からない。……連続で飲んだこと、今までにないし。
初めての挑戦を前に、しっかりと覚悟を決めてから、震える手で二本目の蓋を開ける。
──……飲みたくないなぁ……。
……やっぱり覚悟とか、全然決まってなかった。
まぁでも、飲みたくなくても飲まなきゃいけない、という意味では、既に私の覚悟がどうとか、実は関係なかったかもしれない。
飲むこと自体は必要なことだと分かっている訳で……最後の抵抗のようなものだ、うん……。
軽く息を吐いてから、小瓶の中身を口に流し込む。
既に一本飲んでるから口の中が苦味に慣れている……なんてこともなく。
再び襲って来た苦味に、口内を蹂躙されながら、それでも吐き出す訳にはいかずに、必死に飲み下した。
一本目を飲んだ時から、視界はぼやけていた。
二本目を飲み終わった時には、視界はぐにゃぐにゃしていた。
──……これ以上飲むのは、無理……!
もう一本飲んでも、魔力は全回復しないかもしれない。けど、物理的に無理なものは無理だ。三本目に行ったら、吐いてしまう自信がある。
私は空になった小瓶をベルトポーチに戻し、代わりに白い水筒を取り出して、中の水で口を洗う。
苦味が完全に消えたりはしないけれど、やらないよりかは全然マシである。
そんな風に、やっとの思いで苦行を終えると、ようやく一息吐くことが出来た。
……と、そのタイミングで、アレクさんから声がかかる。
「……二本も飲んで、大丈夫かい?」
「……は、はひ。」
答えるのにも気力が必要なくらい、疲れてしまった。
肉体的にではなく、精神的に。
幸いなことに、アレクさんは、「すぐに歩みを再開させる」とは言わなかった。
私がこんな状態なので、気遣ってくれたんだろう。今はその気遣いが、素直にありがたかった。
そんな訳で、周囲の魔獣を警戒しながら(……主にアレクさんが)、その場に留まって、休憩することを許された。
まぁでも、いつまでも休憩してても仕方ないので、気分が落ち着いた頃──五分経ったくらいのタイミングで、私の方から、「そろそろ先に進みましょう」と言った。
そうして歩くのを再開した私達は、後は無駄話もせずに、昼間に『災厄の魔獣』に襲われた地点まで、何事もなく無事に辿り着く。
……この時に飲んだマジックポーションは、結果から言えば、無駄になることはなかった。
ただそれは裏を返せば、私が魔法を使わなければいけない事態に陥った、ということでもあり……。
決して手放しで喜べる結果には、ならなかったのだ。




