第15話 話し合い後の一幕
会議室の中には、いつの間にかグランジーさんの姿はなく、右隣には心配そうな、それでいて申し訳なさそうな表情をしたアレクさんだけが座っていた。
その表情に、果たしてどんな意味があるのか、また、あの後の話し合いはどうなったのか……なんてことを気にする余裕もなく、私は只一点、どうしても確認しておきたい疑問を口にする。
「……あの……『災厄の魔獣』は、アレクさんが、倒したんじゃ……?」
「あー……やっぱり、そう思われてたか……。」
答えはアレクさんの反応が物語っていた。
あの時──黒い魔獣に襲われて死にかけた時、私の命はアレクさんによって救われたけど、これまでアレクさんは、「魔獣を倒した」とは言っていなかった。
思えば、だから一緒に山を下りてくれたのだ。
山中で私が意識を取り戻し、食事を終えた時点で、本当なら別れていてもおかしくはなかった。
けど、アレクさんが私から離れてしまうと、また『災厄の魔獣』が私を襲う可能性があったから、街まで送ってくれたんだ。
……と、今更ながらに、その真実に気付かされる。
私は身体から血の気が引くのを感じた。
先程──殺されそうになった場面を思い浮かべていた時とは、種類の違う恐怖が、一瞬で身体の中を通り過ぎて行ったような感覚だった。
そんな私の内心を知ってか知らずか……当人はそんなつもりは当然なかったのだろうけど、続いたアレクさんの言葉が、私に追い打ちをかける。
「このタイミングで言うのはどうかとも思うのだけど……君はまだ、あの魔獣に狙われている。」
確かに、これだけでも衝撃的ではあった。事実確認とはいえ、私の命を狙った魔獣がまだ生きていて、しかも「狙われている。」とハッキリ告げられたのだから。
しかし本当にショックだったのは、後に続くセリフの方だった。
「そして、本当に申し訳ない事だが……『災厄の魔獣』討伐の際に、君にも同行して貰わなければならなくなってしまった……。」
言い難そうに、申し訳なさそうに眉を下げながら告げるアレクさんの表情は、少しも冗談を言ってるようには聞こえない。
「……は、はい…………。」
と、私は反応を返しはしたものの、半ば放心状態だった。
頷くことは出来ず、かと言って否定も出来ず。
ただ事実を告げられたことに対する返事を、何とか返せただけだった。
その返事は、あるいは了承と受け取られたのかもしれない。
少し高い位置から見下ろすアレクさんからは、身を屈めて覗き込まない限りは、帽子に遮られて私の表情など見えなかったのだろうから。
……勿論そんな分析が出来たのは、冷静になった後のことではあったけど。
「それじゃあ、出ようか。……いつまでも、ここに居座ってもいられないだろうからね。」
アレクさんは言いながら、私に向かって手を差し出した。
私は考える間もなく、アレクさんの手を取って、ギリギリ足の付かない丸椅子から床に降ろされる。
身体はしっかり足が地面に付いていても、頭の中は全く、地に足が付いてない状態だった。
ゆっくりと手を引かれるままに、私は会議室を出て……冒険者ギルドの出入口まで来た辺りで、ようやく気持ちが落ち着いてきて、会議室の中での会話を客観的に振り返れるに至ったのだ。
ただし冷静とは程遠い心境だったのは言うまでもない。
ギルドの外は既に、日暮れが近くなっていた。
それは、多くの冒険者が、ギルドに依頼の完了報告に来る時間帯でもある。
『災厄の魔獣』に襲われることがなければ、私も討伐を終えて受付に並んでいた時刻であったかもしれない。
しかし今は、アレクさんに手を引かれて、アレクさんの後ろを力なく歩いているばかりだった。
果たして偶然か、運命のいたずらか、冒険者ギルドを出た先に立っていたのは、魔族の冒険者パーティーであった。
──……あ、今朝の……。
アレクさんは彼らに道を譲るように、あるいは私を庇うように、ギルドの出入口の横にズレた。
少しだけ警戒はしたかもしれないけど、別段その行動に問題はなかったはずだ。
けれど、魔族のパーティーの内の一人は、何故か私達の横を通り過ぎようとせず、アレクさんの目の前で立ち止まった。
「あン?見ねえ顔だナ。そのガキと、どういう関係ダ?」
覚えのある声にハッとして顔を上げると、それは予想通り、長身の蜥蜴魔族だった。
どことなく威圧的な言い方だったけど、アレクさんの方は気にした様子もなく、むしろ和やかな態度で返していた。
「ああ。あまりこの街に長居する気もないんで、俺のことは気にしないでくれ。そちらさんこそ、この子の知り合いなのか?」
しかし、そんな余裕の態度が気に障ったのだろうか。蜥蜴の魔族の人は、
「うるせえナ、俺が質問してンだろうガ!」
と声を荒げ、アレクさんを睨み付けた。
私は思わず身を竦ませたけど、アレクさんがその怒声や眼光に怯んだりすることはなかった。
とはいえ、周りの方も何事もなく……とはいかなかった。
蜥蜴の人が声を荒げたからだろう、冒険者ギルドの内部や、更には大通りを歩く人間達が、一体何事かと、こちらの様子を遠巻きに窺っている。
……これは、『一触即発』というのが正しい表現なのだろうか。
アレクさんが下手なことを言えば、蜥蜴の魔族の人はそのまま殴りかかってきそうな雰囲気だった。
けれど、そんな不穏な空気は、一人の魔族の介入によって、打ち破られる。
「……オイ、人間ト揉メ事ヲ起コスナ。」
声には起伏が少なく、やや聞き取り難い重低音。横幅が広くて頑強そうな巨体を持つ、牛頭魔族が、ギルドの出入口側から、ヌッと姿を見せた。
牛頭魔族の人の身長は、蜥蜴魔族の人よりも更に大きかった。
この牛頭の魔族の人にも見覚えがあったので、恐らく蜥蜴の人と同じパーティーに属している魔族なのだろう。
「別に、揉め事なんざ、起こしてねえサ。俺はこの野郎に、質問してただけダ。」
蜥蜴の人は一瞬だけ牛頭の人に目を遣ってから、苦々し気に言う。
牛頭の魔族の人は、ゆっくりとアレクさんに顔を向けて、「本当カ?」と訊いた。
「ああ。事を荒立てるつもりは、俺の側にはない。」
答えたアレクさんの口調は柔らかかったけど、牛頭の魔族の人を見返す横顔は、どちらかというと真剣なものだった。
何となく、アレクさんは牛頭の人を警戒してるのかもしれない、と思った。
牛頭の人も、アレクさんの内心を探ろうとしていたのか、ざっと三秒間くらいは、お互いに目を合わせてた。
そうして視線を交わした後に、納得したのだろうか。「……ソウカ。」と、重々しい声が、牛頭の人の口から漏れた。
「連レガ、迷惑ヲ、カケタ。」
「いや。気にしないでくれ。」
それで和解は済んだ……と思いきや、この場には納得してない人が、当然いた訳で。
「で、テメエは俺の質問ニ、答える気はねえ、ってカ?」
半ば自分の存在を無視された形になった鬱憤も相俟ってか、蜥蜴の魔族の人は、気持ちが治まらないといった様子で口を開いた。
折角、穏便に済んだというのに、これでは混ぜっ返された気になってしまうのも無理はない。
「ヤメロ。」
と、牛頭の魔族の人が、すぐに割って入った。
しかし、それでも蜥蜴の魔族の人は、口を止めようとはしなかった。
「おい人間、俺が魔族だからっテ、舐めてんじゃあねえだろうナ?いいかラ、とっとと質問に答えやがレ。」
先程のように声を荒げることはなかったので、ちゃんと抑制は効いている。
単に自分の質問を無視されたまま終わるのが癪に触るだけで、最早、質問の内容などは、どうでも良かったのかもしれない。
……かもしれない、ではなく。私とアレクさんの関係がどうかなんて、魔族の人にとっては本当にどうでも良い内容だと思うので、きっとそういうことなんだろう。
牛頭の人は、蜥蜴の人の態度を『処置なし』と見たのか、あるいは揉め事に発展しない内は介入する気もないのか、静観する構えのようだ。
蜥蜴の人が、アレクさんが答えるまで治まらないというなら、別に答えてあげれば良いだけ……のはずなのだけど、アレクさんは少し困ったような表情で私を見て、すぐに答えようとはしなかった。
──……何で答えないんだろう?
と、一瞬でも疑問に思ったのは、私の頭が未だに冷静ではなかったせいだろう。
アレクさんが“答え難い理由”は、それから間を置かずに思い当たる。
──…………あぁそうか。……『命の恩人』だなんて、自分からは言い難いよね……。
理解すれば、私のやることは一つだった。
焦れたようにアレクさんに鋭い視線を突き付ける蜥蜴の魔族の人が次の言葉を口にする前に、私はアレクさんの前に進み出た。
そんな私の行動に幾分、虚を突かれたのか、
「あン?どうした、ガキ?」
蜥蜴の人の、険の取れた声が、私に向かって発せられた。
それで私の方も、特に焦ったりせず、素直な気持ちを返せたのだろう。
「……この人──アレクさんは、……私の命の恩人、です。……悪い人じゃない、ので…………あ、あの……心配、してくれて、……ありがとう、ございました……。」
蜥蜴の人の長身を見上げながら、言い終えると、私は最後に微笑んで見せる。
「バッ……俺がテメエなンざの心配、する訳がねえだろうガ!俺がそんな優しそうナ魔族にでモ、見えるってのカ、あン!?……チッ、これだかラ、ガキは嫌いなンダ……!」
何故だか蜥蜴の人に、焦ったように捲し立てられたけれど、その言葉や態度によって、恐怖や悲しみを誘発させられることはなかった。
「……オイ。気ガ済ンダノナラ、行クゾ。」
静観して成り行きを見守っていた牛頭の人は、蜥蜴の人に向かってそれだけ言うと、踵を返して冒険者ギルド内に引っ込んで行く。
蜥蜴の人も文句を言うことなく、後を追って行った。
その際に、蜥蜴の人はこちらをチラと振り返ったので、私は頭を下げておいた。
蜥蜴の人の舌打ちが聞こえた気がしたけど、もう彼の言動を怖いとは思わなくなっていた。
「……助かったよ、フィリア。」
頭上から、苦笑交じりの声が降って来た。
私はアレクさんの方に向き直り、若干申し訳ない気持ちになりつつ、言葉を返す。
「……いえ。……気付くのが遅くて、ごめんなさい……。」
「いやいや、フィリアが謝ることではないよ。気付いてくれたのだから、ありがたかったさ。それに向こうさんも、見慣れない顔がくっ付いてたから、気になったっていうだけだろうしね。大事にならずに済んで、良かったよ。」
アレクさんは私を安心させるように言葉を重ねてくれた。
それらの言葉によって、私は安心を得ることが出来た。……表面上は。
それは決して、安心出来なかった、という意味ではない。
一つの事実を認識してしまったせいで、心の奥底が、鈍い痛みのように、疼いてしまっただけだ。
──……今の魔族の人達にも、グランジーさんにも、普通の話し方してたのにな……。
何でアレクさんは、私には普通に話してくれないのだろう。
やっぱり私が『半魔』だから、なのだろうか。
そこに壁を感じるみたいで、私の心の深い部分では、アレクさんの言葉に素直に安らぎを感じることに対する拒否感が、現れていたのかもしれない。
けれど、自分でも感情を持て余しているくらいだ。アレクさんには到底、伝わるはずもない。
頭上からでは、物理的に帽子によって遮られる為、私の表情を垣間見ることは出来ないのだから尚更だ。
よって、「さて……。」と声を発したアレクさんは、私の心中を察することなく、一際明るい声を上げる。
「今日中に例の魔獣の討伐をしてしまいたいが、その前に宿を取って、腹ごしらえもしておきたいな。」
……今の魔族の人達との一幕で、すっかり記憶の彼方だった『災厄の魔獣』討伐を思い出させられて、追い打ちのように憂鬱な気分にはさせられたけど……。
「……宿は、安宿で良いなら、……私の使ってる所には、空きがあると思います。……宿に向かう途中で、ご飯を食べましょう。」
私は内心の不満を表に漏らさないように気を付けながら告げて、商店通りに向けて歩き出す。
後ろからは、アレクさんが付いてくる気配と足音がした。
あまり気分が沈んだ状態を続けるのは良くないので、歩きながら楽しいことを考えて、気を紛らわすことにした。
直近にある楽しいことと言えば、やっぱり、ご飯──食事になるのだろう。
──……そうだ。……アレクさんに、あの屋台の串焼きを食べて貰おう。
そんなことを考えながら、あの屋台の串焼きを頭に思い浮かべれば、私の心は少しだけ、前向きになれた気がした。




