異臭漂うトイレはおやめください
魔王城四階の非常階段横にあるトイレまでようやく辿り着いた。窓の外は夜から朝に変わろうとしている。暗い闇が少し青い。半分青いとは少し違う。冷や汗が出る。半分青いは半分見ていない……。
トイレスリッパに履き替え、異臭漂う男子トイレへと入る……。
「――ちょっと待って下さい!」
「うお、急に声を出すでない。ビックリするではないか!」
魔王様を声で驚かせてしまい申し訳ないのだが……。
「異臭漂うは酷いですよ」
毎日綺麗に掃除しているのです! この私がこの手で。
昨日の便器周辺の飛び散りが酷かったことについて私は一言も言及していない。たぶん魔王様、モノもロクに仕舞わずに走って逃げ出したのだ。
魔王様のローブがこっそり洗濯籠に突っ込んであったことに関しても言及していない。おねしょした中学生か! ……それ、本当におねしょか? ……冷や汗が出る。
「……あのう」
「「――!」」
居るはずの無い第三者の声に心臓がドキッと音を立てる。たしかに女の声がした――!
――和式大便器の扉の中から――!
「「うわー!」」
「きゃー!」
「でた――!」
「アワワ!」
アワワって……驚いた時の悲鳴ではないだろう。そう突っ込もうとしたが、もう魔王様のお姿はなかった。
――あんにゃろう、瞬間移動で一人だけ先に逃げおった! 逃げ足だけは最速だ――! はぐれたメタル級だ――!
慌てて白金の剣を抜いて構える。狭いトイレで長い剣は……不利かもしれない。天井が低く振り回せない。
「ででで出てこい、お化けめ! お前なんかちっとも怖くなんかないぞ、ちっとも……四天王の宵闇のデュラハンがぞうだぞう! 相手だぞ! っていうか、お化けなん?」
――頼むから違うと言ってくれ――。
剣先が小刻みに震えているのは内緒だ。お化けなんてない。お化けなんてない。心の中で何度もそう繰り返す。
扉の向こう側には……ああ、駄目だ、どんどん怖いお化けの想像が膨らんでしまう――!
口は耳まで裂けているに違いない。マスクをしている保証はない。
髪の毛は……ロングストレートに違いない。キューティクルでツヤツヤに違いない。
白いスケスケの服は……見たらあかんくらいスケスケに違いない――! R15に引っ掛かる!
青白く光っていると思う。安易だがたぶんそうだと思う。むしろ光っていない方がリアルで怖い。
そして、お化けだから扉をすり抜けてきて白金の剣で切れないとなれば……デュラハンピンチだーー! ピンチ続きでピエーン越えてパネーだ! 手が汗ばむ。両手のガントレットから汗が滲み出る。
私はアンデットが苦手なのだ! 私はアンデットとは違うからだ――! 首から上は無いのだが、足から下がないアンデットは苦手なのだ~!
「はあ、はあ、はあ、はあ」
汗が顎からタイルへとポタリと落ちる。しまった、トイレ用スリッパでは動きにくい。トイレ掃除用ロッカーに置いてある黒い長靴を履いておけばよかった――。全身鎧姿に黒色の長靴。よくスライム達が「カッコイイ」と褒めてくれるのだ。
さらには、魔王様に数珠を借りておけばよかった――。持っていないよりはマシなはずだ。いや、洋物だったら数珠も効果がないだろう。だったら鼻の穴にニンニクを詰めてこればよかったか……。
ニンニクが嫌いなのはドラキュラ伯爵だ~――! そもそも私には顔が無いから鼻の下もない~!
扉と睨み合い数十分が経過した……。
扉の内側から一切声はしない……。
もうどこかへすり抜けていなくなっているのかもしれない。
ここは……一度開けて中を確認するべきか。いや、もしお化けが用を足していれば……それも怖い。セクハラで訴えられる。剣と魔法の世界にもセクハラはある。好き勝手なことをしていてはならない。
であれば……ノックしてみよう。
剣先で……恐る恐る扉をノックしてみる。
コンコン。
「入っていますか」
「……」
――絶対に誰かいる~! 「……」がその証拠だ――。
もう一度ノックしてみる。
コンコン。
「あの……剣で切ったりしませんから、出てきてくれませんか。……用が済んでからでいいので」
「……」
滅茶苦茶怖いぞ、「……」ってなんだ、「……」って。
魔王城の男子トイレの蛍光灯は薄暗い。グローランプも古いから点きも悪い。小さな峨やトビケラが集まってきている。よく見ると窓の外側にはヤモリが張り付いている。カベチョロともいう……。
「ここ、男子トイレですよ」
「――!」
どうやら、女子トイレと間違えていたようだ。「――!」で分かる。
だから恥ずかしくて扉から出てこられなかったのか。
「じゃあ、トイレの外に出ていますから、用が済んだら出てきてください」
「まって!」
――ビクッとして、また剣を構え直した。やっぱり本当に誰かいたんだ~――!
半信半疑だったのに~――!
空耳だったと決めつけたかったのに~――!
「待つ、待つぞ! 落ち着け、落ち着くのだ!」
「……剣を収めてください」
綺麗な声だ。慌てて白金の剣を鞘へと収める。いや、安直ではないのか、俺。
「……一ロール。トイレの上から一ロール投げ入れてくれませんか」
「……」
一ロールって……トイレットペーパーのことでいいのだろうか。
掃除用ロッカーに買い置きしてある十二ロール入りの袋を開けて一ロールだけ取り出した。
「では投げるぞ」
「うん」
上から投げ入れてやる。
「あいたっ」
……ちゃんと受け取れよ。どんくさいやつめ。いや、ひょっとするとお化けだからトイレットペーパーに触れることができないのだろうか。
――だったらなぜ、トイレットペーパーを必要とするのか――。
カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ……。
「使い過ぎるでない。魔王城内の備品であるぞ」
私はケチではないが、細かいところに気が付いてよく指摘する紳士な騎士なのだ。
「紳士な騎士なら、あっちに行ってて」
「……」
仕方なく男子トイレ前の廊下で待つことにした。
魔王様はいっこうに戻ってこない。……たぶん自室でもう寝ている。もしくは頭から布団を被って怖がっているかのどちらかだろう。
ジャーっと手を洗う音がして、姿を現したのは……。
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