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一瞬吹っ飛んでいた意識を取り戻す。
脱力してくの字に曲がった身体は空気抵抗を受けながら空を飛んでいる。
まるでエビが空を飛んでいるようだ。
意識が一瞬にして覚醒する、状況の把握。
体感では数分飛び続けているように感じる、実際は数十秒かもしれない。
普通に考えれば人間の身体はそんなに長く飛んだりはしないだろう。
後ろに向かって飛んでいるのでそのまま正面を見ると緑の多い地平線、下は地面。
高さはまだ大分ある、ように見える。
もちろん速度も出ている、いくら身体が頑丈とは言ってもこのまま墜落したらどうなるかはわからない。
じゃあ身動きを取って何かしようと思ったのだが、空気に押し負けて手足を動かすのも一苦労だ。
グライダーを出して滑空するか?
却下。強力な風を受ける中、出した瞬間に握力を持っていかれて保持できない。
パラシュートは?
これも背負った状態で道具を出しても傘を開くために手で引っ張る必要がある、今の状況じゃ手がその紐まで届かない。
他に何かないか?
せめて態勢を変えるために速度を落とせれば……?
指ぬきグローブが視界に入る。
道具依存スキルの小爆破を繰り返すと、真っ直ぐ飛んでいた身体の安定が無くなり、弾丸のように回転を始める。
さらに続けると何かにはじかれたかのように一気に乱回転になった。
上下左右ぐるぐると回転する視界の中、遠心力に手足が投げ出される。
気持ち悪さは少しある、だが今は我慢。
回転が収まってくるころには飛行は落下に、今から始まるのはスカイダイビングだ。
これなら対処が出来る。
折り畳んであるグライダーを出し、高度にはまだ余裕があるので道具と体を繋ぐ固定具を取り付けていく。
準備を終えると両手でハンドルを握り、落下方向に頭を向けて調整。
翼を広げた時に急な風を受けて壊れたりしなければいいのだが。
翼を固定していた紐を引っ張り解いて広げる。
バっと広がり急な風を受けて全身が後ろに引っ張られるような感覚を受けた。
左右にブレて安定しないハンドルを微調整して安定させる。
グライダーのチェック、破れやガタついている所も無く見た目上の問題なし。
ふぅ……。安心してまずは一息。
危険が去ったので心の余裕も出てきた。
機首を少し上げて速度を落とす。
ゆったりとした遊覧飛行に入り、身体に風を受ける。
身体を流れる風の気持ちよさから無駄な力が抜けていくのが分かった。
右手側には薄青く見える距離に山が連なり、山頂付近には雪が積もっている。
山のふもとから緑の絨毯が広がり、地面を覆っているのが見える。
合間には川が流れているのが見えて水色の道を辿っていくと湖があるのが見えた。
左手の地平線には砂の砂漠が、少し手前に岩石砂漠が広がっていて雲ひとつ見当たらない青空だ。
知っている世界地図の地形から推察すると砂漠のある方が南だろうか?
今は太陽が高く上がっているのかグライダーに隠れていて見ることが出来ない。
にわか知識だがこちら側が砂漠に覆われているという事は、山に雨雲が遮られて砂漠方面に雨が降っていないという事だろうか。
地面がある方を見ると木々が伸びているが、木の合間から地面が見える。
草が生い茂っている所もあれば土の茶色であったりしているのだが。
見渡しても町や街道が見つからない。
川が通っていたら近くに集落か何かあると思って下を見たのだが、木の陰に隠れているのか分からなかった。
多分、今いる場所は砂漠の北あたりだと思うのだが正確な位置が把握できない。
着陸した後しばらく先の見えない徒歩の旅が始まると思うと少し憂鬱になる。
遠くに飛んでいる鳥を見ながら現実逃避していると地面が近づいてきた。
安全に着陸するため出来るだけ開けた場所に移動する。
比較的広い草地の広場まで来ると8の字飛行をして高度を下げた。
地面に着地する寸前、ハンドルを思いっきり引く。
機首を上げて速度をほぼ0にすることで安全に降り立つことが出来た。
グライダー関連の道具を畳んで仕舞っていく。
すべて片づけ終わると一気に疲れが出てきた。
ポーションを飲んでも眠気が増すばかりで体を動かすのがしんどい。
飛んでいる間、近くに危険な生き物は見えなかったので一度木陰でひと眠りしよう。
何かに襲われても起きるだろう。
木陰に寄り、適当な布生地を出して仮眠の準備をする。
ショートマントは接着液でガビガビになっているので後で洗うつもりでインベントリに戻した。
ナイフは腰に着けたままだと体を圧迫する為これも仕舞った。
もう眠気が限界なので布にくるまって寝る、おやすみなさい。
今私は荷車の上に居る。
馬車の中、ではない。私を運んでいるのは体長の大きな六足の亀で、その甲羅の上に居るのだ。
「しかしラッキーっスねぇ!」
「ああ、まさかあんなところで女の子を拾うことが出来るなんてな!」
二人の男の声が陽気に話しているのが聞こえる。
私が鎖の音を出すと、男たちはこちらに気が付いた。
「あ、起きた見たいっスよ」
「おう、いい所に売ってやるから期待しておけよ」
何を期待しろと言うのか。
多分期待しているのは自分たちの財布のふくらみか何かだと思うんですけど。
私は口を開くが何も言葉が出ない。
「よしよし、首輪はきちんと機能してるみてぇだな」
そう、言葉は出ないのではなく出せない。
喉を通る言葉が空気に霧散する感覚がある。
首には鉄の首輪がはまっていて、首輪の後ろにはリングホルダーの様な物が付いている。
そこから鎖が伸びていて、私を収容している檻につながっていた。
身体には乱暴にされた様子は無く、目が覚めたらこの状態だった。
人売り、かな。
六足亀は甲羅の上に御者台、荷物の積まれた荷台とその脇に檻があって私がそこに入っている。
足音がほとんど無く、ゾウのような歩き方をしているように見える。
寝る時は特に警戒もしていなかったがこの状況は予想外である。
御者台に背を向けて気が付かれないようにライター程度の火を出そうとする。
しかしうまく体に魔力が伝達されていないのが感覚で分かった。
魔法としゃべる事を封じる首輪か。
筋力や体力に制限は掛かってなさそうだが無理やり外す人とか出ないのだろうか。
思考の制限や無理やり命令を聞かせるようなものでも無さそうで、純粋に捕縛用として使っているのかもしれない。
二人の男が前を見て運転していることを確認する。
首輪をインベントリに入れようと意識すると、消えて首元がすっきりした。
指先から火を出して魔法が使えることも確認する。
取りあえず首輪をつけて元に戻す。
セキュリティがガバガバじゃあないか。
今更だがインベントリやそれに準じるものは一般的ではない事がこれで分かった。
アルトは何も聞いてこなかったが、向こうからはどう見えたのだろうな。
一般的とはとても言えない奴だったから似たような収納手段はあったのかも。
職務に忠実ないい奴だったよ、個人的には嫌いだったが。
六足亀は木々がそこらに生えているという悪路の中、大体時速10kmくらいのかなり早い速度で進む。
木々の中を進む風景は暇で、鉄棒の檻に寄りかかりながら特に何かを考えることも無くぼーっとしていた。
陽が傾いて空が赤くなっていく。
結構な時間進んだが、まだ人が住むところに着かないのか。
逃げずに乗ったままで正解だったかもしれないな、この距離を歩く必要があったとか考えたくない。
そういえば方角を確認するのを忘れていた、今どっちの方向に進んでいるのだろうか。
男が手綱を引くと、亀の速度が遅くなりやがて停まる。
荷車に幌をかぶせ始めた所を見ると今日はここで野宿するようだ。
作業中に檻をノックして指をさす。
「あん? 何を言いてェか……ああションベンなら檻で済ましていいぜ、檻にも荷台にも隙間があるからよ」
まじか、いやまあそうなるよな。
檻の床は鉄の板が敷かれているが隙間は多く、すかすかだ。
荷台も床板は隙間が空いているので亀の甲羅に落ちていくという事だと思う。
男たちは荷台の外で寝るらしい、夜間の警戒も兼ねているかもしれない。
たき火がはぜる音が聞こえる。
荷台に掛けられた幌は私が入っている檻もふくめて覆っていて前方後方ともに閉じている。
幌越しに火の灯りが見えるので今はどちらかが寝ずの番をしているのだろう。
今のうちにと檻の隅に行く。
……ちょろ。……ちょろろ。
……見られてしまうかもしれない緊張感からか出が悪い。
なんとか出した後、一時的に首輪を仕舞って水魔法で洗った。
水を出したがまあ気が付くことは無いんじゃあないかと思う、洗わずにかゆくなるよりはマシだ。
寝ようかと思ったが夜は檻が冷えて寝にくい。
この檻は休めさせずに体力を奪う役割があるのかもな。
仕方ないので寝ているうちに暖まるだろうと丸くなって寝た。