89 メシマズが見せた夢
真っ暗だ。
どこかに向かって歩いている、気がする。
身体はふわふわと重さが無く、上も下も分からない。
夢だ、と何故か確信できた。
夢の内容を忘れる事はあまり無い。
しかし、明晰夢なのは珍しい。
今のうちに、今日の朝ごはんをどうするか考えようか。
朝ごはん?
あれ? さっきまで、ケルブランとじゃれあっていたような。
そうだ、その後スラ子とタマゴ料理を……それで、えーと?
タマゴの、タマゴが蠢いて……うっ、頭が。
何か、思い出してはいけない、何か。
まあいいだろう、そのうち自然と思い出せるさ。
「おい、――。大丈夫か?」
肩を掴まれて、振り向かされた。
目線を上げると見える、知らない緑髪のエルフ男。
制服を着ているから、学校だろうか。
「ぼーっとしてないで行くぞ、次は移動だ」
「そうだっけ、ありがと。あ、ヴォイド! 先に行かないでよ!」
勝手に口走った、返答。
私が、別の私に入り込んでいる、妙な状態だ。
視線は固定されているし、身体も自由に動かせない。
ヴォイドと呼ばれた男と、肩を並べて廊下を一緒に歩く。
目線から考えて、私の身長は変わらず子供体形。
彼は幼さがわずかに残るものの、ほとんど大人の風貌をしている。
体格差もあり、歩幅なんて合っているはずが無い。
しかし、ゆっくりと歩く私に歩調を合わせてくれている。
そのまま、無言で移動先と思われる教室に向かう。
近い距離でも不快感は無く、むしろ安心感が湧いていた。
自然と頬が緩む。
えっ、何を見せられているんだ?
こんな甘酸っぱい青春みたいな恋愛願望、さすがに憧れた事も無いよ?
しかも、相手が女の子ならともかく、男相手とか。
一瞬の後、いつの間にか戦闘訓練場のような場所に着いていた。
横のヴォイドは、制服から皮鎧と木剣に身を固めている。
私も木剣を強く握り、息を整える。
「かかって来い、今日も勝ち越してやる」
「言ってなさい。負けたら、帰りにロファーでオゴリだからね!」
夢だから荒唐無稽で当然だと思うけど。
何というか、断片的な映像を見せられている、ような。
ロファーでオゴリ? 靴屋、な訳ないよね?
「ふふん、私の勝ちね」
「くそっ、あそこでバランスを崩さなきゃ勝てたんだが」
「ヴォイドは走り込みが足りないのよ」
また時が跳んだが、疲労感から何戦かしていると思う。
この体格差で勝つのか。
重心の低さと、速さを生かした立ち回りかな。
手を伸ばしてヴォイドの手を引き、起き上がらせる。
手を離すと、受け取ったクレープが手元に。
ベンチに座って、クレープを口に運ぶ。
一口食べると、生クリームと果物が惜しみなく入っていて、酸味と甘みが合わさり、幸せな気分になる。
お菓子のクレープかあ、裕福で余裕が無いと発展しない文化だよね、お菓子って。
「クリームが付いてるぞ」
「あ、うん。ありがと」
口の端をぬぐって手の甲を見ても、クリームは付いてない。
「そこじゃない」
「どこ、て、っー! んんーっ!」
覆いかぶさるような、激しく拙い、若い口づけ。
拒絶するか迷っていた手首を握られ、ベンチに押さえつけられる。
「好きだ、――。これからもずっと、自分と共に生きて欲しい」
「ぷはっ、はあ、こんなところで言う事じゃないでしょ、ばーか」
私も目を瞑り、ヴォイドの首に腕をまわし、お互いに求めあう。
目を開けると、お互い何も身にまとっていない。
薄暗い夜の部屋に、甘い声が響く。
圧し潰されそうな程、奥まで満たされて、幸福感に目を閉じた。
これは、夢では無く誰かの記憶かもしれない。
多分、彼女の印象に残ったシーンが再生されている。
つーか、普通良い所で次の場面に移るものじゃあないのか。
何で最後まで追体験出来てるんだよ。
……最後、最後ね。
生きている人の記憶を追体験するものだろうか。
うわっ、嫌な予感がしてきた。
このまま連続して見せられる、記憶の最後とは。
そういう流れか? 分かっていながら見るとか不快なんだが。
二人で色々な依頼をこなし、日々の生活を楽しむ。
人探しも、ドブさらいもした。
他の人達と組んで、野党の討伐。
人を直接殺した嫌悪感、組んだ女にデレデレとし始めたヴォイドへの嫉妬。
いや、なげーよ。
掻い摘んでいるのは分かるけど、何年分見せられるんだ。
そして、今は子供を産んで家を守っている。
旦那の尻を蹴って、発破をかけていた。
出産時の記憶が跳んでいる。
本当に辛かったり、痛みが伴う記憶を見ていない。
様々な苦労があったはず。
都合の悪い事は忘れているのか、それとも見せないようにしている?
そして、その時は来た。
二人目をお腹の中に抱え、散歩をしていた時に、それは起こった。
近くに旦那の姿は無い。
仕事で町の外に出かけている様だ。
町の遠くで火の手が上がり、その方向から怒号が聞こえる。
攻めてきたのは、人か魔物か。
私が知らない内に起きた、不意を突く争い。
まずは家に戻って、子供の無事を確かめに玄関ドアを――
開けた先は、真っ暗だった。
暗いどころか、何もない闇そのもの。
振出しに戻る?
「あれ、ここで終わり?」
何も見えないし感じられないが、全身自由に動かせる。
あのタイミングで何かされたようには思えなかったけど。
まさか、火事場泥棒ならぬ暗殺者が出たわけでもあるまいし。
組織の幹部や、貴族のような立場のある人ならともかく、そんな様子は感じられなかった。
しばらくそこで立ち尽くしていると、身体に何かが纏わりついてきた。
巻き付くように全身を覆われ、何故か懐かしく感じたそれに身を任せる。
少しずつ、自己意識が回復していく。
気が付かない内に、どうにも感情が先程の女性に傾いていたらしい。
少し思い返すだけでも、今の私とは考え方のズレが感じられる。
おかしな点が、いくつか。
私が見ていた女性の名前が不明瞭。
終わり方が中途半端で、映像を見せられた目的が不明。
そしてなによりも。
「あの体格差でボテ腹二人目とか、どう考えても事案じゃねえかロリコンがああああ!」
切開分娩もせずに、無事出産する嫁もすげーよ!
成人してるから肉体的な成長は見込めないし、年齢も釣り合ってるから合法なのは分かってるけど!
「あ、おきた。おかえり、ドクター」
「あん? ただいま、スラ子」
挨拶は大事。
ハッとしたら今度は私の家。
リビングのテーブルに着き、目の前には紅茶とチョコビスケットの入った皿がある。
普通、ベッドからリスタートするものでは?
「リミッター、ちょうせいしたほうがいい。まるで、ゾンビのようだった」
「はー、なるほど。リミッターか、機能はしていたみたいだね」
身体が起きてる途中で意識を取り戻すと、こうなるのか。
それなら夢の中で、自我が残っていたのもリミッターのおかげだろう。
精神の侵食を止める役割は十分に果たせていたって事だね。
しかし、自動制御された肉体がゾンビに見えるほど生気が薄く見えるなら、確かに調整が必要か。
髪の毛が私の肩を叩いてくる。
いきなり何を……ああ、この魔力感覚、夢の最後で感じていた。
意識を引き上げてくれたのは、パイラスだ。
早めに起きられたのは、この子のお蔭か。
髪を撫でて感謝を告げると、私の頬を撫で返してくれた。
ビスケットをかじり、少し粉っぽさを感じたので紅茶を啜り、窓から外を見る。
霧に霞む青空。
積もっていた雪は無く、良い天気だ。
「あれ、雪が解けたって事は、今日は結構気温が高いのか」
気候が安定しないのも、霧のせいかな?
「いま、なつだよ」
うん……うん?
は? 今、夏って言ったか?
「私、冬だったよ?」
いや、私は冬じゃあ無いが。
えーと、そう。意識を失った時の、季節の話だよ。
「しんぱいしたよ? いつ、めをさますか、げんきなはずなのに」
「あー、うん。ごめん」
悲しげな声。
リミッターが生きていたが、実質半年は植物人間のようなものだったわけで。
そりゃあ心配も掛けただろうし、正直申し訳なく思う。
そう、それだ。意識を失った原因。
「それと、なんで……意識が無くなっていたんだっけ」
どうにも頭にモヤが掛かる。
寝起きで思考がまわってないまま。
冬で、鳥小屋を作って。
「とつぜん、たおれた。とつぜん……とつぜん、そう、ケルブランのどくが、おくれてまわって」
なんだなんだ。
何か、しどろもどろだな? 一気に怪しい言い回しになったぞ。
ケルブランの毒?
解毒しないで放置していたとか、私がそんな迂闊な真似するかな。
よく思い出せない。
「ふーん。ケルブランは元気にしてる?」
餌が足りなかったり、合ってなかったり環境が悪いと、生き物ってすぐ弱るからね。
コカトリスが貧弱、って話は聞いたこと無いけど。
何気なく聞いた質問に、中々答えが返ってこなかった。
「ケルブラン、しんじゃった。もう、じゅみょうだった」
「そっかあ。大変だったね」
「……うん」
膝の上に乗って来たスラ子の頭を撫でる。
顔を胸に押し付け、黙ったままの、その心情をどう察したら良いものだろう。
あのコカトリスがねえ。
まだまだ元気に見えたけど。
こら、どさくさに紛れておっぱいを吸おうとするんじゃあない!
頭を叩きながら、ケルブランを思う。
寿命、ね。
……。
「スラ子さん。この夏、何回目ですの?」
「ごかいめですわ」
「え、嘘だよね?」
「インベントリ、そろそろせいりして。もうすぐいっぱいだから」
冗談に平然とノってくれた。
意外と悲しんでいる様子は見られない。
内心は分からないけど。
しかし、まあ、なんだ。
五年……じゃあないわ、夏が五回目だから。
四年半寝てたって事、になるのか。
そりゃあ頭が働かないよ。
スラ子も、おはようでは無く、お帰りって言った理由も分かる。
ふむん、また倉庫整理するのか。
収穫や採取したものが、それほど溜まっている、と。
インフラ関係の保守点検もしないと、ガタが来てるだろうなあ。
それは後でいいや、スラ子に留守番のお礼をしないとね。
「何か、食べたいものはある?」
「マリトッツォ!」
マリトッツォ。
柔らかいパン生地で大量の生クリームを挟んだお菓子、だったかな。
「ベリーをはさんで、トッピングでクラッシュナッツにキャラメルをからめたの!」
誰だよ、そんな面倒なお菓子を教えた奴は。
しかも面倒なだけで無理な注文はつけない所が、聞いてもらえるラインを分かってるというか。
四年半か。
実感が全然湧かないわ。
掃除もしっかりされてるし、パっと見た感じの変化も無い。
私の肉体年齢も、まるで変わってないからなあ。
あれ、流し台の傍に紙が貼ってある。
どれどれ。
『やることの確認!
催眠術で記憶を消し飛ばす。
四年以上かかったけど、何とか達成出来そう!
料理の腕を上げる。
多分、大丈夫。もう命が宿ったりはしないはず。
意識を覚醒させるため、パイラスに協力してもらう。
未達。魔力に同調して――
ガオン!
空気が削られる音と共に、紙が消滅した。
跡には小さいスライムの欠片が残されている。
「ドクター、はやくつくって!」
無垢な振りをしたスラ子が、お菓子を催促してきた。
「あ、ああ。今作るから、待っててね」
これ。
突っ込んだら死ぬよね?
見なかった事にしておこう。




