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寝床を変えず、外から見える場所で一人で無防備に就寝する。
内心何かあるだろう事を期待してこういう行動に出たのは間違いない、だが――
眠気の残る月明りの中、息が苦しくなって目を覚ます。
まだ寝ぼけていて夜の暗さに目を開けてもかすんで見える。
寝ている間に口の中に何か入り込んでいて、手で取ろうとしたが両腕が頭の上で抑えられていて動かせなかった。
吐き出そうとしたが詰まっていて吐き出せない、それどころかどろどろとした粘性の何かが喉に入り込んで来るのを舌で抵抗したところ絡みついてきた。これ多分スライムだな?
危機感を感じて意識が覚醒する。
暗くて影になっていたが目の前に何者かの顔が映っていた。
男だと思われるそいつの両腕が上に伸びているから、たぶん仰向けのまま両足首と両手を頭の上に持っていって手で抑えられている。
この態勢では手足に力が入らない、暴れるが身体を捩るのが精いっぱいで抵抗もろくにできない。
男は暴れさせないために体重を押し付けてきた。
「んー! んむー!」
窒息なんて1時間以上続いても息苦しくならないけど普通の人ならすぐに死んでしまうぞ!
暗さに目が慣れてきたのかこいつの顔が見えてきた。
ニヤついた口元、年齢を感じさせないシワのない若い顔。
こいつ! ギルドで提出物を鑑定してくれた職員!
「……フゥ、……フウッ、ハァー……」
男が荒い呼吸の中、体を震わせる。
……は?
状況確認している間にスッキリした顔するなよ!
こっちはまだ何も楽しんでないんだけど!
呆然としている間、男は硬直している私をみて死んだと思ったのか、それとも生きていてもスライムに殺されると思ったのだろうか。
満足した顔のまま、すぐに立ち上がり踵を返して足音の目立たない走り方で去って行った。
両手足の拘束が解かれたので足を下におろして通常の仰向けに戻す。
足を戻す時に両足首がパンツでつながっていたのが見えた。
手を口の中に突っ込み、多少指の間をずるずる滑って抵抗していた感じはあったが粘性物質を掻き出す。
暗さで色味が変わっているが日中に見たスライムで間違いないだろう。
「ごほっ、かはっ、ぺっぺっ」
口の中になんか残ってるみたいで気持ち悪い……。
「大丈夫ですか?」
ゆったりした歩調で家に入り、ついでに吐き出したスライムを踏みつぶしてこちらに向かい目の前で膝立ちになった。
黒いマントで体を隠したイケメンの男は黒髪、月明りを反射させて金に光る瞳をこちらに向けて微笑みかけてきた。
なんだこいつ。
「ああショックを受けるのも無理は無いですね、こちらをどうぞ。アフターピルと回復薬です」
懐から1粒の錠剤と丸型フラスコに入った赤色のポーションを手渡して来る。
「……どーも」
私は上半身だけ起こし、錠剤と薬を飲んで瓶を返す。
ポーションが青臭く、苦いままで味を改善してないとかこれを作ったやつはまだまだだな。
「私はさっきの男を追いますので、そのままおやすみなさい」
あの、と声をかけて去ろうとする男を呼び止める。
「名前は……?」
「アルトツァイゲルとお呼びください、レディ。いつも伺っておられる建物の受付に伝えて頂ければデートにもお応えしますよ」
男は言い終わると立ち上がり去って行く、数歩あるいたところで音も無く姿が消えた。
残されたのは静けさを取り戻したこの場所のみ。
急にぼーっとして眠くなってきた。
起こしていた上半身を仰向けに戻すと心地よい眠気に負けてそのまま意識を失った。
まぶたの内側が明るくなり、目が覚める。
目を半分開けて顔を横に向けると脱がされた私のズボンと木靴が散らかっていた。
全身が重くて疲れが取れた気がしない。
手櫛で寝癖をとかしながら体を起こすと上衣は着ていたが下半身は裸。
いや、足首にパンツがひっかかっている。
夢じゃあなかったんだな。
服を脱ぎ、汗でべたついた身体を洗う。
シャワールームなんて無いので部屋の隅で洗っていたら床が水浸しになった、もともと廃墟だったので誰も困らないだろう。
ついでにトイレに……トイレがないので見られないように影で適当に、トイレが無いとかどんな設計だよ。
下着は気分が乗らないので上下ともに白の無難なものを選択。
服を着てベルト紐を巻いて気が付いた。
紐に括り付けられたナイフがない。
どの時点で? 寝るときにほどいた紐にはまだ括り付けられていた。
寝ていて意識が無い時、だよなあ。
丸腰は怖いのでとりあえず他のナイフを付けておく。
体のだるさが取れないのでHPとSP両方の回復ポーションを一本ずつ飲んだ。
体が軽くなり、頭が冴えていく。
なるほど。
寝たらHP・SPが回復するのは自然回復の延長でしかない、ということでいいのかな。
インベントリの中身が過重で回復されないからといってもあまり捨てる気にはならないんだよなあ。
持っている装備品はほとんど扱えるものではないが、他のキャラで使う状況特化装備しか持たせてなかった、他の物をとなると。
各種素材は補充出来る機会がいつあるのかわからないからある程度残しておきたい。
ポーション類は素材時点より完成品の方が重いから廃棄すれば十分軽くなる、必要な時に作るのもありかと一瞬おもったが。
これを捨てるくらいなら残っている間、都度必要な時に飲めばいいわけで。
すぐに解決する問題じゃあないな。
緑茶味の赤色ポーションを楽しみながら昨日起こったことについて考える。
まずあの職員の男。
へたくそなうえに早くないか?
せめて薬を使ってとか体を触ってとか何かしらしてくれよなあ。
創作物におけるああいうシーンはある程度女性側に配慮されているという事を身に沁みてわからせられた気分だ。
こんなわからせ案件とか望んでないぞ。
その後に出てきたマントの男。
アルトツァイゲルって名乗ってたな、あいつ。
なんつーか、なんつーか。
えぇ……?
語り口調が悦に入っててキモイ。
アフターピル渡して来たってことは覗いてたってことじゃね?
あと普通あの状況だったら体に適当な布とか掛けて隠してくれたりするものじゃあないのか?
……気の利かせ方が普通の感性してないな。
あいつあのギルドの受付に聞けって言ってたが。
気が乗らないな、だが持っていかれたナイフが惜しい気持ちもある。
仕方ない、追いかけて行ったあの職員がどうなったか気になるから行ってみるか。
外に出て空を見ると太陽は大分高く上がっていた。
家の中は空気がじめっとしていたらしく、外に出るとすがすがしい。
歩きながら肩や首を軽く回して体をほぐしていると昨日も入った馬小屋が見えてきた。
扉のない建物に入ると昨日の受付の女が同じように書類整理をしていた。
早速声をかけてみる。
「すみません、アルトツァイゲルさんはいらっしゃいますか?」
女は手元をピタっと止め、こちらの顔を確認した。
「アポイントメントはございますか」
あの男お偉いさんだったかあ。
「いえ、ないです」と答えると行き先を案内された。
奥の突き当たり、左のドアを開けて地下へ。
階段と地下の天井には一定距離ごとに灯りが設置してあり薄暗さは感じられない。
階段を降りてすぐ右側にある部屋に入り、入口側の革張りの長椅子に座って背もたれに体重を預ける。
この大きさの建物だったら二階もありそうなものなのに、なんでドア付きの地下で待つ必要があるんですかね。
部屋の大きさは八畳ほどでドアは入ってきたところのみ。
土間の真ん中にある四つ足のローテーブルを挟んで革の長椅子が向かい合わせに設置してある。
天井には白い灯りを曇りガラスで覆ってあり、光っているのが電気的な蛍光灯か魔法的な灯りかを判断することは出来ない。
他のインテリアは無し、白と水色で雲のように塗られた石壁が窓のない室内の圧迫感を和らげようとしていた。
手のひらをあてたものに任意で小爆破を与えることが出来るようになる指ぬきグローブをはめる。
見た目は派手だが直接皮膚にあててもやけどをする程度のネタ装備、だが咄嗟の牽制にはなるだろう。
暴力沙汰になるとは思わないけど。
ここまできてあの二人が実はグルだった可能性を思いついて不安になって来た。
落ち着いてきたら空気の流れを感じた。
見えない所に穴を開けていて窒息しないようにしてあるのだろう。
その後しばらく待つとノックの後、入口のドアが開けられた。
Q、開幕の男職員は何をしてたの?
A、気に入った少女に特殊なポーズをとらせることで芸術的インスピレーションをえる美の追求をしていた。健全です。