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「ああ、おっぱ……行ってしまった」
「べリア様、先ほどの伝達員。どのような顔立ちか覚えてますか?」
「はえ? いやさっき見たばかりで忘れるはずがないでしょう」
金糸の入った紺のスカーフ、形も大きさも素晴らしい胸。
柔らかな翼を持ったハーピー。
その顔は、ええと。
「可愛らしい、つり目な、鼻がたかくて。えー……」
マリーのまぶたが下がってきてジト目化していく。
えっ、まったく合ってないの?
「今度からは、きちんと! 相手の顔を見て、お話しをして下さいね」
はーい、はんせいしてまーす。
今度は眉間に皺が寄ってくる。
うそうそ、次からは本当に真面目にやります!
「さて! さっきは流していたけど、お父様からの書簡の詳細を教えてちょうだい」
「露骨に話をそらしましたね……まあいいでしょう」
マリーがテーブルに紙を広げる。
一枚目は魔羊で作られたすごく破れにくい羊皮紙で、これは時々使われているのを見かける。
内容を見ると旅の間、これを持って身分証明書にするように作られたものね。
定められた期限と使用者の魔力照合をすることで、悪用はされにくいものになっている。
二枚目以降は書類サイズの普通の植物紙、なんだけど。
文字がびっしりと書かれていて読むのがつらいよ。
「今からこれを読むの?」
「そうですねえ、重要そうな部分だけを掻い摘んで説明します」
それは嬉しい。
こんなのを全部読むと数日はかかっちゃう。
マリーは一通り速読を終えると内容を教えてくれた。
「まず旅のお供はこちらの町に駐留しているトラノー家お抱えの者二名とする、ですね」
私の家の者?
「この町にそんな人が居たの?」
「べリア様は療養という名目でこの町に滞在してますから、護衛くらい居ますとも」
「……マリーは一緒に来ないの?」
「私はこの家を守らなければなりませんから」
そっか。
ここにお世話になって長いけど、私は預かってもらっていた身分だ。
まあ、付き合いはそれなりにあってもゴールド家の人を勝手に借りるわけにはいかないもんね。
「到着期限は……こちらの羊皮紙にもある通り、今日から数えて六十日以内での到着と定められてます」
羊皮紙の有効期限日を指さして見せてくれる。
万が一のトラブルも見越しているだろうし、これくらいなら普通よね。
「それで、移動手段ですが」
えっなんでそこで溜める必要があるの。
「徒歩です」
「ハァァァァアアアン? 徒歩!? 徒歩なんで!?」
療養と言う名の隔離をされていても一応こっちは令嬢よ?
ふつーは馬車なり飛竜便を用意するのが筋ってもんでしょう!
「まあまあ。今からいくつか理由をお伝えしますので、それを聞いてから文句を伺いますね」
それから一つ一つ徒歩である必要を告げられていく。
空の便がダメな理由。
使おうと思ったら個人チャーターの必要があり、そんなお金は無い。
馬等をつかった乗り物系がダメな理由。
周辺の町を復興する為に出払っているので使えない。
行商人に乗っかっていけば?
この旅で身分を明かすのがダメ、そうなると護衛と言う形になるので結局は徒歩。
私の移動ペースが読めないので却下。
「なんで身分を明かすのはダメなの?」
「べリア様の病気の内容までは公表されていませんでした、ですので表向き学術都市で療養を受けているという事になっています。もし身分を明かしてしまうと何故ここに隔離されているのか他の家に言及される恐れがあるので、とトラノー家が外聞を憚った結果ですね」
そう言われると、この町に来る前に聞いていたような。
向こうでの監禁に嫌気が差していたから、外に出られると思っていた喜びでほとんど覚えてないわ。
……あれ、となると?
「じゃあこの身分証明書ってどこで使うの?」
「港の乗船場と、町の出入りと、後はトラノー家に入る時にお使いください。と書いてあります」
つまりその場所にしか根回しは行ってないってことね。
それで港って、どこの港?
「前回みたいに竜峰山脈を迂回するルートで、東北東の城郭都市に行ってから西北西の学術都市じゃないの?」
ここより北の竜峰山脈は東西に延びて、西端は海に面して断崖絶壁になっている。
雲よりも高く魔物が多数生息する山を登るのは論外、必然的に城郭都市ルートしか無いような。
「西の海から船を使って山脈を迂回するルートが出来たのですよ」
なんですと!?
なるほど、周辺の町を復興しているのに生活がほとんど変わってないと思っていたけど。
海を渡った輸送が可能になったから物資の不足が起こっていなかったんだね。
「それじゃあ日程は短くなるのね」
「この説明は馬車で順調な日程での話になりますが。ここから港町まで西に六日、船で一日北に渡航した後、さらに馬車で六日ほどかければ到着します」
三十日かかった道が十三日に短縮とはすごいわね。
これなら歩きでも三十日あれば着くかも。
……いえ、三十日近くも歩かなければならないのか。
「そういえば何で最近になって渡航出来るようになったのかしら、誰でも考え付くルートだと思うのだけれど」
「今までの船では海中の魔物に襲われて安全性の確保が出来なかったようで。なんでも新しい動力が完成したおかげで襲われても振り切れるようになったとか」
「技術の進歩ってすごいのね、でも海の魔物は怖いわ。本当に安全なんでしょうね?」
こういう新しい技術はある程度時間が経ってからトラブルが起きるのがお約束ですもの。
現地の人はその分の危険を見越した開発をしているはずだから考えすぎなのだろうけど。
「実際の船旅の安全性は……いえ、この話はやめておきましょうか。これを伝えるのはまだ早いですから」
「いや、そんな肝心な時に役に立たない無能特有のセリフとかいらないから」
しかもこの状況でそのセリフが出るって危険って言ってるようなものじゃないの。
「すみません、私も聞いただけで詳しい事情は現地に行ってみなければなんとも」
うー、行きたく無いなあ。
あっそうだ。
「六十日もあれば今までの陸地ルートでいいよね? 急げば十分間に合うでしょう」
マリーは紙に目を通すと。
「ルートの指定もされているようですね。諦めて船の旅を楽しんでください」
危険な条件で行けって私は実験動物じゃないんだぞ。
はあ、反発しても仕方ないか。
こっそり陸側から行こうとしても、お供の人が密告するだろうし。
あとは何かあったかな?
ああ、そうそう。
「私、こんなに長い間歩こうとしても体力が持たないよ?」
今までずっと家の中にいた女の子だ。
礼節やダンスなどの練習で体力面は最低限あるとはいっても旅に出て歩き通すことが出来るとは思えない。
「旅の間、自己強化の魔法を使えばいいでしょう」
「冗談でしょう? まだまだ短い時間しか持たないよ、強化したまま歩くなんて無理だよ」
「いえいえ本当の話です、旅を終えるまでにそれくらいは出来るようになれと」
ここに記載されていますよ、と紙を指さして見せられる。
……本当に書いてあるし。
強化魔法ねえ……教材から学んだものなら出来るのだけれど。
簡単な分、本人の素養を増幅する強化になるから貧弱な私には向いていないのよね。
だからお姉さまが使っていた強化魔法が必要になる。
でもなー、つり人形のように常に自分でコントロールして動かすから集中力で心をすり減らされるのが辛いんだよね。
万が一関節を逆に動かそう物なら怪我するのは確実。
「出発までには少しでも慣れないとねえ」
「ええ、出発は明日になりますから」
「明日!? いま明日って言った?」
「必要な準備も終えておりますよ」
急すぎるのでは。
もう文句を言う気にもなれない。
終わってないのは私の心の準備だけ。
道中問題があったとしてもお供の人に頼ればいいんだ。
旅の準備が終わってるなら後は出るだけだから。
でもやっぱり寂しいな……。
「ねえマリー、最後に吸ってもいい?」
生きるために魔力を吸う必要は無くなってもこういう気分の時には欲しくなってしまう。
「仕方ないですね、いいですよ」
私の弱気な声を聞いて柔らかい声で受け入れてくれる。
ベッドに移動して座ると、マリーは指を差し出してくれた。
最後まで指しか許してくれなかったなあ。
両手でマリーの右手を抱え、人差し指の先に舌を触れさせる。
触れた瞬間、指がピクリと動く。
「ふふっ、マリー久しぶりで緊張してるの?」
「失礼しました、回復促進剤を飲むのを忘れていたので先に飲みます」
まだ飲んでなかったのね。
マリーは内ポケットから取り出した薬を飲み込む。
これを飲んでおかなければ後の仕事に悪影響が出ると以前言っていたのを覚えている。
普通の人は少し吸うと倒れてしまうけれどマリーならある程度耐えてくれる。
そう、普通は私のほうがある程度我慢しないと相手が危ないのよね……。
「お待たせしました」
改めて手を差し出してくる。
マリーのとがった耳はピクピク震えていた。
やっぱり緊張しているじゃない。
今度は遠慮せずに人差し指の第一関節まで咥える。
歯を立てずに指先を舐めしゃぶると、マリーの味がしておいしい。
「あまり時間は掛けないでくださいね?」
「んふー、らってぇ、ひさひぶいでうれひいんだもん」
マリーってリンゴのような甘酸っぱさがして、いつまでも舐めていたくなるのよね。
少しでも長く楽しみたいので出来るだけ弱く吸って味わう。
静かな部屋にわずかな水音が響く。
口の端からよだれが漏れちゃっているけど今は気にならない。
魔力が入ってくるとぽかぽかして身体が暖かくなってくる。
マリーの顔を見上げると久々で辛いのか、平然とした表情はしているけど耳が垂れ下がっていた。
息も少し荒く青い目が潤み、じっとりとした汗をかいて匂いが強くなる。
んふふ、普段見れない顔を見ると嬉しくなってくる。
まあこれ以上は可愛そうかな。
……むー。
ちょっと我慢できなくなって来たかも。
「マリー時間取らせることになっちゃうけど、ふともも使わせて?」
「構いませんよ、存分に甘えてください」
たぶんひざまくら
 




