162 いつもの調子を取り戻す第一歩
『えー、本気で言ってるんですか?』
『本気よ。それに、分かっていた事でしょ』
ブルーキューブを使って、水の精霊のアンに報告中。
まあ、仕事上の問題は無い。
無いのだけど。
『それじゃあ、いつになったら代わりの人が来るんですか』
マトリックとの衝突も終わったので、すぐにでもノースオーバーへ帰れると思っていた。
しかし、代役不在ではどうしようも無い。
ギルド支部長を引き継げる人材くらい、探せば居そうなのに。
『こればかりは時が解決するのを待たないとね。少なくとも、数年程度では無理よ』
『はあ、そうですか。まあ、良いですけど、何とかなりそうなら連絡下さいね』
『ええ、それではまたね』
うーむ。
まだしばらくは、ここを離れられそうにない。
潔く諦めるか。
「今日はコーヒーゼリーに生クリームを乗せたのね。口当たりも滑らかで悪くないわね」
「ちゅー。液体を固めるなんて、不思議な魔法ですね」
報告も終わり、お菓子に手を付けようとしたらこれだよ。
いつの間にかアンが転移して勝手に食べ始め、ネズ耳のタワラも無断で食べている。
行儀が悪いっての。
「アンはともかく、タワラさんはチャイムくらい鳴らしてくれませんか」
「甘いです。このゼリーなる物は苦くもありますが、タワラの直感を舐めては困ります」
答えになって無いし、文脈もおかしい。
要は、美味そうな気配がしたから無断で侵入した訳だ。
まるで私のようだな。
「いや、あれ? 私の分は?」
「ドクターの、たべられたよ」
正確には、タワラが食べているのが私のゼリーらしい。
こいつ……そんな事をしたら、戦争だろうが!
私が大量に作り置きして無かったら、キレ散らかしていた所だぞ。
あまり、私の心の狭さを舐めない方が良い。
「まあいいや、それで、タワラさんの用事は何?」
「ちゅ? 男爵の御用聞きですよ」
私は商人では無い。
よって、私が伺うのではなく、向こうに用事があった時に担当者が来ることになっている、らしい。
多分ね。その辺り、曖昧でよく分かって無い。
あの件以降マトリックに避けられているので、直接聞きに行くのは当分先になりそうだ。
それは私の自業自得なのだが。
あ、アンがお礼も言わずに消え去った。
空気を吸うようにいつもの事だったから、気にしたのは久しぶりかも。
「それで、ええと、どういった注文で」
タワラはスプーンをテーブルに置き、ハンカチで口を拭う。
そう、今まで食べながら返事をしていたのである。
すごい失礼。
「継続的に癒す薬が欲しい、と申されていました」
うむん?
どうも、遠回しな気が。
「再生ポーションで良いのでは」
「それでは持続力が短いとか。執務中の腰を癒し続けるような薬はありませんか」
あー、はいはい、なるほどね。
投薬では無く、磁気ネックレスのような長期で効く物が欲しいと。
「となると、船か……?」
「船? 海の素材でも必要なのでしょうか?」
「あ、いや、こっちの話」
心当たりのあるアイテムが再生湿布、だったのだが。
シップからの船と略されていたゲーム内スラングなんて、説明してもね。
それはそれとして。
知っているレシピの再生湿布をそのまま処方は出来ない。
効能を弱めて、持続を長くする必要が有る。
うん、パスで。
わざと効果を弱めるなんて、気が乗らない。
「アーリャ。この件、お願いして良いかな」
「え、わたし? ユキちゃんなら、すぐに出来そうだけど」
急に話を振られたアーリャが、こちらに投げ返そうとする。
良い読みをしている。
「一応、意味があってね。まあ、新しい事に挑戦しないと、アーリャも上達しないでしょう」
それに、私が思いつかなかったアイデアを形にしてくれるかもしれない。
自分一人で、同じような物を作っても行き詰まりを感じてしまうのだ。
「うん、それなら良いけど。分からない所は教えてね」
「もちろん。それじゃあタワラさん、出来た時にそちらへ伺うとお伝えください」
「承りました」
用事はそれだけだったのか、すぐに去って行った。
御用聞き、ね。
地下の管理業務が無くなって、別の仕事を割り振られたからだったりして。
「よしっ、それじゃ早速作ってくるね!」
「おー、頑張れアーリャ!」
「おうえんしてる」
「ふっふっふ」
「うわ、キモいわらいごえ」
キモいとは何だよ。
普通に笑っただけじゃん。
「いやいや、スラ子くん。アーリャに仕事を任せたのは、良いアイデアが降って湧いたからさ!」
「また、はじまった」
「そう、始まったのである!」
「ダメだこりゃ」
そこまで否定しなくてもいいのに。
「今回の開発は、まともなんだよ?」
「ほんとう?」
「ほんと、ほんと。ほんとー初公開」
……。
いや、つまらないとか、面白いとか言ってくれないと。
コホン。
「睡眠には、質の良し悪しが存在する。起きた時に疲れがとれていたり、いなかったりね」
「そう……スラ子には、かんけいないけど」
まあ、分かるように説明するのは難しいか。
分かった前提で進めよう。
「人は考えました。睡眠の質を上げる、様々な方法を」
睡眠を検知して、ベッドの形が変わる物があった。
脳波を測定して、どれだけ良い睡眠だったかを採点してくれるシステムも作られていた。
「へえ。それじゃ、ベッドをつくるの?」
「形は変わるが、趣旨は同じ物だよ」
設計書を取り出し、壁に張る。
口頭だけでは十分に伝わらないからね。
見せて、説明していこう。
「う……ん?」
「脳波を測定する事で、最良の機能に変化することが出来る」
機能上、ベッドよりも大きめな物を作らなくてはいけない。
この上で横になった時、身体の色々な所に取り付ける必要があるから。
「神経の電気信号や筋肉の収縮を検知出来れば、より完璧な物になる」
「あの、これって」
理解したようだ。
今回の物は自信がある。
「そう! 誰でも気持ちよくなれる、機械姦ベッドである!」
どこが良いのか、そこには個人差がある。
各種データを随時測定する事で、その人に応じた最高の快感を得る事が出来るのだ。
「やっぱり、いつものだった。アホくさ」
いつものって何だよ。
私は大真面目にやっているのに、酷いなあ。
「え、手伝ってくれるよね」
「くだらない。スラ子、やらないから」
そんなー。
引き止める間もなく、部屋を出て行ってしまった。
さて。
「くっくっく」
今のやり取りすらカモフラージュよ。
まあ、常に監視されているような状態だから騙すも何もないのだけど。
最近、スラ子は仕事で頑張っていたからね。
羽を伸ばしてもらいたくて、一芝居打ったのだ。
もし、手伝うと言ってくれた時は?
もちろん本気で作るつもりだった。
さて、頼まれた仕事も一通り落ち着いた。
ようやく、やりたかった研究をゆっくり出来る。
各々、自由な時間を使うのも、たまには良いだろう。
アーリャは、まあ、仕事を頼んでしまったけど。
優先度が高いのは……短距離転移かな。
原理は分かっている。
今居る空間から宇宙と宇宙の間である境界を経由して、そこから行き先である空間に跳ぶ。
精霊なら肉体を行き先で再構成しているから、短距離転移の肉体的損傷は気にならない。
しかし生身の私は、そうはいかない。
長距離転移なら保護魔法陣を刻み込むから、それを流用出来ないか試したけど。
やはり、無理が出た。
保護しながら転移をする際、数十分ほどの到着誤差が出る。
ファストトラベルとして使う分には影響は少ないけど、戦闘には向かない。
魔法陣を刻む猶予が必要になるから、緊急時に使えないのは気になる所。
「こう、パっと跳んで、パっと気軽に帰って来れたらなあ」
そう簡単に出来ない事が、当たり前のように出来るチート能力があればね。
いやまあ、この世界基準で言えば、私の錬金術の能力も十分チート扱いだと思うけど。
だからと言って、出来ないはずの事が出来る訳じゃあ無い。
理論上可能な事が、現実的に可能へ変わる程度。
考えが逸れてしまった。
スラ子単体なら転移できる。
そのスライム体を借りて、私の魔力体を憑依させれば自分の肉体と同じように使うことも出来る。
でも、それは借り物であって、私の本体は元の場所に放置されたままになる。
……借りるのではなく、私の物にしてしまうのは?
うーん、短期的には可能だろう。
しかし、スラ子が関与出来なくなると、スライム体がすぐに崩壊を始めて肉体を維持できなくなる。
そうなると、死んでいるのとほとんど変わらない、か。
やっぱりダメか、全く別の発想が湧いてくるまで転移に関しては封印した方がいいかも。
あ、同室内での実験動物で短距離転移は観測出来たけど。
転移先が遠くの場合、いしのなかにいる状態になる事も考えられるのか。
あるいは、ハエがいたら同化してしまう事も。
腕の筋肉に入り込んだ程度なら摘出すればいいけど、脳や重要臓器に紛れ込んだら致命的。
そもそもの術式を書き換え直さないと、人が使うのは無理だね。




