110 月が追放される時
月食が始まった。
いや、バニッシュト・ムーンだったかな?
夜を明るく照らしていた月が、少しずつ欠けていく。
現在、宿の屋根の上。
夜風に吹かれるなんて、気取ってみた。
しかし、結構寒くて後悔中。
せめて何か羽織ろうと、大人用のコートで寒さを凌ぐ。
それでも、体が震える。
「うー、寒っ」
「どうぞ」
「おっ、気が利くねえ」
手持ち部分を紙で包んだ、クリームホットパイを受け取る。
さくっとした生地からトロりと甘いクリームが、あつあつで美味しい。
お茶で流し込んで、ホっと一息。
「ふう。アーリャは、起きてないよね?」
「あれだけしてれば、おきないよ」
手は出してない。
お願いして、手を出してもらっただけだ。
神経接続型オモチャの使用感を確かめたかったので、お願いした。
しかし、やはり初めてを失うのは嫌だったようで、私が受けることに。
そこから、私とスラ子が教えてあげた所までしか記憶にない。
あくまで試験運用のオモチャだと分かっていたからこそ、あそこまで理性が……。
考えてたら、だんだん思い出して来た。
私が乱れてる時の表情が可愛いとか言ってたような。
「……ねえ、ドクター」
「んー?」
「れんきんじゅつ、おしえるいみ、あるの?」
それは、アーリャに錬金術を教えてどうしたいのか。
気まぐれや暇つぶしに見えていたかな。
まあ、それでも間違いでは無い。
「趣味、かな」
嘘だけど。
異世界へ……言い換えたら、神隠しに遭ったとして。
ただの偶然だと思えるだろうか。
最初は、まあそう思っていたけど。
途中から違う事が思い浮かんでいた。
もしかしたら、ろくでも無い理由で呼ばれたのかもと。
アーリャに色々教えている理由は、そこから来ている。
私の替わりを務められるなら、スケープゴー……おっと、将来の負担を減らせるかもしれない、だね。
「よく言うじゃない? 情けは人の為ならずって」
結局は、自分の為にしている事だ。
結果的に自己満足止まりだとしても、それは自分の心を晴れやかに出来る。
納得して行うことは、精神にやさしい。
「もうすぐ、月が隠れるね」
月食が徐々に進み、隠れていく。
まだ時間も掛かる、今のうちに。
「ドクター、そればっかりだね」
接続型オモチャの改良をしないと。
まずは魔力の導線が断線していないか、確認していく。
「いやー、思ったより奥が深くてねえ」
大きいだけでは満点とは行かなかった。
大きすぎると、気持ちいい所を引っ掻けないのだ。
いや、みっちりと押し広げられる感覚も悪くないんだけど。
長さ、形、柔らかさ、質感。
個人に合わせる要素は色々ある。
感じやすい人は快感の許容量を増やす薬を分泌させたり。
感じない人の為に、神経を鋭敏にさせる必要がある。
体調や気分次第で、一風変わったものを使いたくなる日もあるだろう。
これ、売り物にならないかもなあ。
完全なオーダーメイド。
機能を全て詰め込んだら、どれだけ掛かるか……。
どうやって女性側の形を調べるかの問題もある。
スラ子を入れる訳にもいかないだろう。
普通の人は拒否感が出るに違いない、膜が破れたとクレームを入れられても困る。
そうなると、聴診器のような物で……超音波測定器か?
写真や数値のみでの測定ではダメだ。
調子や気分で形は変化する。
リアルタイムで見られるよう、ゴーグルモニターに投影して。
「まずは、聴診器型の超音波測定器を作らなきゃ」
「どうして、そうはならないでしょ」
あれ、どうしてだろうね?
あ、もうすぐ月が完全に隠れる。
全て隠れた瞬間、この時を狙って。
金貨の分解。
「ぐわー、分解ミスした! 久しぶりにやると、上手くいかないなー」
金貨は、儚く魔力に還る。
まあ、一枚くらいどうって事は無いけど。
直近の分解チャレンジはミスしていなかっただけに、精神的ダメージが大きい。
前回は……そうか。もう、数年前になるのか。
そして、次は六十年。
長いなー。
「だから、つきをながめに?」
「いやあ、それだけじゃあないけどね。月が隠れた時に、なにか異常な事が起きるかも知れないでしょう」
「いじょう……おきたかも」
「おや、本当に?」
私には分からなかったが。
信じて魔力感知もしてみるけど、特に変わった様子は感じられない。
「なんとなく?」
「なんじゃそりゃ。まあいいや、戻って寝直そうか」
「うん」
いやー、良かった良かった。
皆既月食した途端に、魔物の雄たけびがあがって町に攻めて来るかと思っていたわ。
考えすぎだったみたいだね。
「月が綺麗でしたね」
「おしい、それではルートに、はいれない」
何のルートだよ。
あっ、アーリャをここに呼ぶのが分岐条件だったのか?
これは、悔やんでも悔やみきれませんね。
あほな事を言ってないで寝ようっと。
日は進み。
錬金術ギルドの試験当日。
椅子に座り、ぼーっとしながらアーリャを眺めている。
ゆるふわなウェーブヘアーを維持する為に、毎朝ヘアアイロンを掛けていた。
こういう所を見ると、女の子だなあと感じる。
今日のヘアセットは少し長い。
これから試験を受けに行くのだから、分からなくも無いけど。
気合い入ってるね。
「あっ、魔石切れそう……ユキちゃん、試験終わったら――」
「あー、うん。帰りにマナバッカーへ立ち寄ろうか」
情報屋で日常生活の話を聞いていて良かった。
マナ・バックアッパーは魔石に魔力を籠める職業だ。
誰もが十分な魔力を持っているわけでは無い。
なので、冒険者などから引退した人が、余った魔力を魔石に注いで余生の生活費にしている。
現役からは、あまり良く思われていないようだが。
臆病者とか、成功しなかった奴らの末路とか言われているらしい。
立派な職だと思うけどねえ。
それに、年期の入った話は貴重だ。
寄った際には、面白い話を聞けるかもしれない。
そもそも、試験が一日で終わってくれるのか。
帰りに寄る時間があるのか分からない。
アーリャはサイドヘアーを抑えながら、指をくるりと回す。
すると、魔力で花飾りを作り、髪に飾るアクセサリーに変化させた。
おー、魔力が安定するようになった。
これなら今日の試験も大丈夫だろう。
それに、いざとなったら花飾りの魔力を使って、一回分は魔法を使えるはず。
緊急時の事を考えても、実用的だね。
いや、私が学ぶべきなのは、こういった着飾る努力だろうか……?
「ついでに、外で食べない?」
「いいねー、そろそろ宿の食事にも飽きてきた所だし」
宿泊と食事は別料金だから、普段から外で食べても良かったけど。
それなりに良い物を出してくれるから、お世話になっていた。
「忘れ物は無い?」
「うんっ、大丈夫だよ!」
と、言いつつ私も確かめたり。
貴重品は表に出してないから、忘れてもそれほど痛くは無いが。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん、しゅっぱーつ!」
「おー」
三人で腕を上げて、士気を高める。
でも、受ける試験は銅級なんだよねー。
気楽に受けても、問題無く通るはず。
出発した時間は、明るくなってしばらくしてから。
まだ暗い時間から働いている人も多く、朝と言っても十分騒がしい。
馬車は行き交い歩道が混む中、人の流れに乗って進む。
アーリャの足が、徐々に遅く。
「うう……緊張してきた。落ちたらどうしよう」
「大丈夫だよ、出会った時のままだったら危なかったけど」
「ユキちゃん、こっちこっち」
「なに?」
振り向かれて、正面に立たされる。
そのまま、ぐいっと抱きしめられた。
「あー、安心する~」
さいですか。
私も腕を回して抱き着いたけど、正直恥ずかしい。
だって、通る人がクスクス笑ってるんだもん。
見えなくてもエルフ耳が赤くなってるのが分かるわ。
しかし、アーリャは恥ずかしくはなさそうで。
彼女の心が落ち着くまで、数分間抱き枕にされてしまった。
うーん、やっぱりブラを作ってあげた方が良いのだろうか。
布を巻くように抑えてるだけだから、形が崩れそうでねえ。
でも、下着を渡されるって、どうなんだろうね。
明日から、これを着けてねって言われたら……私なら引くかも。
「ひぃ!? 冷たっ! アーリャ、背中に手を入れてくるとか酷くない?」
「だって、あったかそうだったから……ねえ、ちゅーしていい?」
「ダメです」
手を出してもらって以降、アーリャはたまにキスをねだってくるようになった。
下と上で自分だったものを相手に送り込み、支配する感覚が興奮するらしい。
上はともかく、下はオモチャで種も無いのにね。
「いつまで、やってるの」
蚊帳の外にされたスラ子が、声を掛けて来る。
胸に押し付けられて呼吸が止まっていたから、助かった。
「んー、可愛い顔が見られたから、わたしは満足かなあ。ユキちゃん大丈夫?」
「……大丈夫」
離れがたい暖かさから離脱すると、腰のポーチから取り出す振りをしたポーションを煽る。
っ……はあ、頭がスッキリしてきた。
あーもう、町中で何やってんだか。
「それじゃあ、いきましょ!」
アーリャを中心に、私とスラ子の手を繋ぐ。
はたから見たら、子供と散歩する保護者にしか見えないだろうなあ。
「ユキちゃんは、錬金術の資格を取ったら店を開くの?」
「えっ、ないない! だって、面倒だもん」
店を開いて落ち着くのも良いかもしれない、と思ったことはある。
注文を受けて、調合や魔道具の調整なんかをして生計を立てるのは素晴らしい時間の過ごし方だろう。
でもねえ。
掃除、クレーム対応、会計・税務処理を個人でやるのは大変だろう。
人を雇えばいいかと思うと、それはそれで。
人間関係の調整や必要な教育を考えたら、どちらが楽とは言い難い。
趣味や研究の時間が、ほとんど取れなくなるだろうから、それが辛いなー。
だったら、どこかで雇われながら錬金術関係は趣味にしたら良くないかと。
スラ子に任せる?
最近、雑務を頼むとあまり良い顔をされないんだよね。
やるべきことは、やってくれるからいいけど。
「もし、アーリャが店を開くなら働かせてね、役には立つはずだから」
「いいけど……ユキちゃんなら、もっとおっきな事を出来ると思うんだけどな」
おっきな事で出来るのはアレだけで良いんだよ!
平和が一番!
「そう言うアーリャは、将来どうしたいの」
困ってる人の役に~みたいな事を言っていたはずだけど。
漠然とし過ぎでは?
「まずは、ママの所に戻って報告しなきゃ。その先は、具体的に考えてないなあ」
ついに、先生ではなくママって言いきったぞ。
……ある事無い事報告して、私がズタボロにされたりしないだろうな?




