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古い時代の展示物を見たことがあるだろうか?
肉食動物の骨格が並べられて、赤茶色に劣化した牙がグワッとひらいた口の部分。
あれに噛まれたら自分の体なんてすぐ引き千切られるだろうなあ、と思った事が私にはある。
そのギザギザした口の中が目の前に開いていた。
真っ白い現役の、よだれがダラダラした今にもいただきまーすと言わんばかりの口が私にゆっくり近づいてくる。
どうやら私は仰向けになっているらしく、胸の上にいる毛むくじゃらのナニカが私に噛みつこうとしている。
あまりにも唐突だった。パニックを起こしていた私は暇があればやっていたゲームと同じように左手にアシッドポーションを出し、そのケモノの口の中に腕ごと突っ込んだ。
ポーション瓶は割れ、濃硫酸が体の中にはじけたそいつは私から跳ね退き、必死に吐き出そうとしているが口の中は溶け、息もできなくなって動かなくなっていく。
一方で私もそいつの事をじっくりと視ている余裕は無かった。
ゲームでは自傷ダメージなんて無かったがぶちまけた酸が左手にたっぷりかかり、嫌なにおいと激しい痛みを発生させていた。
叫んで転がりまわりそうになったが、そこはぐっとこらえて。
アイテムを取り出したいと考えるだけで手元に出せる、公式名称では脳内インベントリと書かれていたものから上級生命ポーションを右手に取り出す。
どうみてもワンカップ酒に見えるポーション瓶なのだが、右手だけじゃふたを開けられなかったので地面に叩き付けて割った。
小さな穴が開いた程度の割れ方をしたポーションの中身半分を左手に掛け、もう半分を飲んだ。
見ることすら抵抗のあった左手は逆再生するように元の形に戻り、ポーションを飲んだ効果か全身に走っていた痛みも引いていった。
自身の危機を解決したなら周りの危機。
私の上に乗っていたそいつは黒い毛で覆われた狼のような生き物だった。
ぱっと見て2メートルは超える大柄な体格、噛み千切ることだけに特化した牙だけで構成された口が食いしばられていて歯茎まで見えている。
だがそいつが動いているようには見えなかった、見たくもなかった。
今もジュージューと音を立てて溶け続けている、吐き気がするほどの臭気を発しているそれからすぐに離れたかった。
周りを見渡すと今いるところは踏み固められた土の道の真ん中、道路の脇にはくさむらとまばらな木が生えた林が広がっている。
地面にはぼろきれが散乱していて自分の体を見ると何も纏っていなかった。
他の危険がくるかもしれないと木の陰に入ろうとした。
「……んぎ! からだめっちゃおもいんだけど……!」
全身におもりでも付けたような負荷がかかっている。体を引きずるように動かして、数分がかりで木の根元までたどり着いた。
座り、木に背を預けてまず一呼吸。
ぼんやりした頭で状況確認をする。
ここは遊んでいたゲームの続きか? なんで襲われていた? 死にかけてまじびびった、体が重すぎてだるい。
よし落ち着け、順番に整理していこう。
まず私は誰か? 視界に入る前髪が青銀色をしている、頭の後ろに手をやると肩当たりまで伸びたセミロング。身体は設定した通りの身長130センチ程度のロリ巨乳体型、名前はカヨウ。
某VRMMOゲームで作ったキャラだとおもうのだが、しばらくこのキャラを操作した記憶はない。
しかもこのゲームでこんな死を感じるほどの痛みなんて無かった、アップグレードされた可能性もあるがユーザーに無断で基礎設定の変更をしたなら国からの注意・指導が入る、この手の感覚操作は精神・人格に影響があるのでそういう基礎設定に関しては法整備がされている。運営からの通知すら来ていないような。
各種通知欄を見ようとするが確認できない、メール・通話機能もない、ログアウトも出来ない。
ショックで思考停止しそうになるがそれは後回しだ、考えていたタスクの消化を続けよう。
事実として受け止めよう、ここはゲームではない。
現実である、とりあえずそう思って他をかんがえよう。
次になぜ襲われていたか。
まったくわからない……いや。記憶を探っていくと今までカヨウがこの年齢まで生きてきた人生が思い出せた、もっとも主観的な記憶だから客観性は怪しい所もあるが。
今日はギルドの採取クエストを受けて、レッドリーフ50枚を摘みに行くところだった。
現地に着く直前、あの黒い狼に背後から殴り飛ばされて巨体に体を抑えられ、色々アレされている途中で息苦しさから気を失ったようだ。
今回たまたま、というよりは過去ずっとひどい目に会い続けているらしい。心身ともにボロボロで抵抗する気にもならなかったみたいだな。
しかし、なぜだ? このカヨウは同アカウント内にある他キャラの使わないアイテムをまとめる為に作ったキャラだ。
経験値チケットをかき集めてレベルがカンストするまで使い、所持重量を上げるために体力ステータスを装備他補正値抜きで100のカンスト振り、ついでに製造スキルも使えるように器用さと幸運にステータスを振った半製造型のビルドをしている。
何が言いたいかというと、筋力に一切ステータスを振らなくてもこんな序盤に出てくる狼なんてレベルの暴力で殴り倒せるはずなのだ。だが実際はこの身体の重さ、人生を振り返っても今までのカヨウは一般人から見ても相当どんくさいと言わざるを得ない。まあ今すぐに他の危機が迫っているわけではなさそうだと思う、いまだに例の死体からすごい匂いが漂ってきてるし。
あたまがぼーっとしながらもインベントリに欠けてるものがないか確認する。
……。
特に失ったものは無いかな?
……あ、これかあ。
ゲームでは所持重量限界から何%荷物を持っていたかでペナルティがあった。
50%以上でHPとSPの自動回復停止、90%以上で魔法・スキル使用禁止、95%以上でステータスに9割のペナルティ。
うん、そう。倉庫キャラなんだ。
そりゃあ99%の限界重量まで持っているからね、仕方ないよね。
カヨウ、ごめんなさい。
体力と器用さは人並み、力は他の人の1割、HPが回復せず日に日に衰弱していたって怖いな。
インベントリに入っている重量単価の高いものを捨てよう。直近では使わないだろう鉄鉱石を半分ほど投げ捨てると体に血が巡ってくる感覚、多分これくらいでステータスペナルティが解除された、と思う。
スキルが使えないのも怖い、銀鉱石と金鉱石も半分捨ててしまおう。
HP・SPの自動回復はどうだろう、まあ必要に応じて大量にあるポーションでも飲めばいいかな。
ゲームじゃHP・SPの数値が勝手に回復していたけど自動回復っていう現象の実感がどうなのかよくわからない、そのうちに持ち物をすてよう。必要なものしか持たせていないつもりだから何捨てればいいのかよくわからん。
木に寄りかかりながら色々やっていたけどまだ私は全裸だ。
というのも何を着ればいいのかわからない。
装備できる最高装備はなしだなあ、カヨウはいままで質の悪い服を着ていたので、わざわざ悪目立ちするような恰好をする必要もないだろう。
だが粗末な服なんてものをわざわざ持たせているはずもなく。
仕方ない、素材として入っていた麻の布を加工するか。
ゲーム時のステータス毎の影響について、作中では説明予定がなく読まなくても問題ないです。
筋力:近接物理攻撃(大)、間接物理攻撃(小)、装備重量、物理防御
体力:物理防御、最大HP、肉体系状態異常の回復するまでの時間、所持重量、HP回復アイテムの効果量
魔力:魔法攻撃、最大SP、魔法防御、精神系状態異常の回復するまでの時間、SP回復アイテムの効果量、鍛冶・製造の成功確率(小)
素早さ:行動速度
器用さ:間接物理攻撃、行動精度、鍛冶・製造の成功確率(大)
幸運:状態異常の成功率・罹患率、鍛冶・製造の成功確率(大)
HP:0になると死亡
SP:魔法・スキルを使用すると消費、無くなるほど軽度の体調不良