5.神様の妖術
黒い物体――それを手鏡で見た私は、更に重みを感じるようになりました。
「っ!うぅ……!」
「!琴乃――っ、」
神様がこちらに手を伸ばそうとした瞬間、黒い物体が神様の手を勢いよく払い除けました。
それも、ものすごい力で。
その衝撃で、神様は空中にぶっ飛ばされそうになりましたが、軽々と体勢を立て直してすとんっと地面に降り立ちました。
「おわっ……ふふ、凶暴な妖だねぇ」
「か、神様…大丈夫ですか!?」
「うん、僕は何ともないよ~。…それより琴乃。自分の心配をした方がいいよ」
「え……」
神様がそう言った途端、私に乗っていた黒い物体はだんだん私の目に見えるようになっていき――
ついに、一部しか見えなかったその全体が見えるようになりました。
(こ、これは――)
黒い物体は、私の頭の5倍くらいの大きさで、黒くて楕円のその胴体から直接手脚が伸びていました。
頭からは角が2本、大きい口に一つ目という姿。
これは――!!
(か、可愛くなっっ!!)
全体的に、可愛くない。
最初に思い浮かんだのはそんな言葉。
(こんなのが私の上に乗ってたの!?この重さは全部あなたの体重だったということ!?)
なんて夢のない……。しかも神様、さっきこれを『妖』って言いました?どういう事です?
『ウグゥゥ……』
(ぎゃーー鳴いた!?声も可愛くない!!)
神様曰く『妖』であるこの塊は、私の肩から手を離そうとしない。
むしろがっちりと掴まれており、その場所がすごく痛い。
「っ、……」
「琴乃。状況が状況だから説明してる暇は無いけど、今はそいつから離れることに専念しよう。じゃないと――」
神様はすぅっと息を吸いました。
「――死んじゃうよ」
その金色の瞳を真っ直ぐにこちらに向けながら、そう言いました。
(っ!し、死ぬっ…って…)
こいつに押し潰されるという、事でしょうか。
そんなのは、それだけはごめんです。
だってこいつ、可愛くないし。
でも、離れてくれないのも確かで。
その内にもどんどん重さは増していってる。
「ぐっ…でも、どうすれば…」
「僕がそいつから琴乃を離す。琴乃はもう少しだけ我慢していれば良いよ」
「え――」
神様が?と口にしようとしたところで、神様は手をかざして私に見せたような火の玉を生み出しました。
そしてそれを、無数に作り、私と黒い物体を囲むようにして火の玉が円になった。
「行け」
『!!』
神様が合図したと同時に、火の玉達はこちらへ物凄い速さで突っ込んできた。
黒い物体を狙ってのことでしょうが――
「ぎゃぁあ!?待って待って神様!!これ私にも当たりますって!!」
「大丈夫大丈夫~(笑)」
「(笑)って何ですか!?」
神様の軽い反応にとても不安になりながらも、黒い物体に掴まれたままになっている私は避けることも叶わず。
ただその場でぎゅっと目を瞑ることしかできませんでした。
『グァァア!!』
けれど、黒い物体の胴体から突然出てきた無数の手により、火の玉は全て握り潰されてしまった。
なんて気持ちの悪い…。
「おかしいな…自我が無いのか?むー」
何かぶつぶつ呟きながら、神様はどんどん火の玉を出していきます。
そしてその全てを握り潰そうとする黒い物体。
今のところ、黒い物体には全く効いていないように見えます。
(だぁあ…重い!なんでこれこんなに重いのぉ……!)
そもそもこの黒い物体はなんなのでしょう。
神様の言う『妖』というやつ――なのは、まあ百歩譲ってわかります。この状況ですし。
でもどうして私に取り憑いてきたりしたのでしょうか。それも突然に。
(うぅっ、む、無理。考えられない…)
黒い物体が少しでも動くと、その負荷が身体にかかってきてすごく辛いんです。
身体が無駄に鍛えられて、また肩幅が広がってしまうような気さえします。
「琴乃?ほら、ちゃんと頑張らないと」
目を閉じかけた私を、神様はそう言って持ち堪えさせようとします。
けど既に、私の身体は限界でした。
「――限界、か。しょうがないかぁ」
ゆっくりと目を閉じかけた瞬間、神様は火の玉を出す動作とは別の、腕を大きく振り下ろすような動作をしました。
――その時、瞼の裏でとても明るくなったのを感じて、私はぱっと目を開けました。
『グァァア!?』
見れば、鳥居くらいの高さほどある青い炎が、黒い物体を囲むようにして立ちはだかっていました。
そして私は。
「こーとのっ」
「きゃぁ!?」
急に抱きつかれ、悲鳴をあげます。
(ん?え?抱きつかれ……)
恐る恐る顔を上げれば、そこには私を見下ろす神様がいて。
いつの間にか、私は黒い物体から離れている神様の腕の中にいました。
「えっ?か、神様…?」
「偉いね、琴乃。ちゃんと頑張って」
「えっ……!」
そう言って神様は、とても優しい手つきで私の頭を撫でました。
その瞳は、まるで幼い子を見守るような優しさに包まれていて。
「ど、どうして私、ここに…」
「僕が琴乃をあいつから引き離したんだよ」
「え?」
さも当然のように言われても。
引き離したと言われても、ついさっきまであいつの手の感触は感じていました。
神様の感触は、直前まで感じなかった、はず。
わけがわからずきょとんとしていると、神様が説明してくれました。
「僕がずっと火の玉を投げていたでしょう?あれは、おばりよんの気を引くために投げていたんだ」
「お、おば…?」
「あぁ、あの妖の名前だよ。おばりよん。人の上に乗って、どんどんおばりよん自身が重くなっていく…それで人を苦しめる妖だよ」
「え、えぇ…そんな妖いるんですか…」
「いるいる。妖って何でも有りだからねぇ。――それで、さっきの火の玉で、おばりよんの気を琴乃から離そうとしたんだよ。元々単純な奴だから、気を引くのは大成功。後は、琴乃自身とおばりよんに幻覚を見させたんだ」
神様は炎に囲まれたおばりよんを見ながら続けます。
「幻覚……?」
「そう。琴乃は最後までおばりよんの感触を感じていたでしょう?あれは、僕が妖術を使ってそういう風に琴乃に感じさせていたんだ。どちらか一方にだけ妖術をかけたら、おばりよんに気づかれてしまうからね。おばりよんには、琴乃に捕まったままだという幻覚を見させたんだ」
つまり、おばりよんには私、私にはおばりよんの幻覚を、お互いに神様は見せていた。
おばりよんが私の幻覚を見ているうちに、神様は火の玉を飛ばしながら本物の私を既に傍に置いていた、と――
「わ、私も全然気づかなかったんですけど!?」
「いや、まぁ妖術だしね。あと僕神様だし。こんなの朝飯前ってね~」
神様が得意げにふふんと鼻を鳴らす。
それに応えるように、神様の九本の尻尾もわさわさと動く。
こんなドヤ顔の神様がいても良いのか、世の中。
けど神様の手に、安心したのも確かで。
気づけばさっきまであんなに重かった肩の重みも、全く無くなっていました。
「――さて、あとはあいつだね」
私を地面にそっと下ろし、神様は炎に囲まれているおばりよんを見据えました。
「何でああなっちゃったのかはわからないけど……一先ず祓わないとね」
おばりよん(オバリヨン)
人の肩におぶさってくる。
おばりよんに乗られると、中々離れず、肩が押し潰されるほど、どんどん重くなってくる。(一部抜粋)
初の妖の正体は「おばりよん」でした!